★★★ 8-4 
「愛の言葉をねだられることも、俺を試すような会話も幾度となく繰り返されたが、俺は応えた。
言葉やキスでスザナの気持ちが落ち着くなら、こんなたやすいことはな・・・――キャンディ・・?」

 ・・・ダーリン、まだお休みにならないの・・?

マイアミのホテルで聞いたスザナの声がふと蘇り、キャンディは殆ど無意識に、ギュッと目を閉じ、固く結んだ手を胸にあてていた。
覚悟していたとはいえ、テリィの口から他の女性との生活が・・――スザナとの生活が語られると、まるで一枚ずつ写真を見せられているようにそのシーンが目の前で復元され、心臓が無造作に掴まれているように息苦しい。
テリィはそんなキャンディの様子に気づき、話を止めた。
「やめよう、こんな話」
その言葉にキャンディはハッとした。偽善的な言葉を聞きたいんじゃない。テリィの生の声を―
「・・気にしないで、分かっていた事よ。・・つまりあの指輪は、エンゲージリングじゃなかったのね?」
「俺はスザナにプロポーズした。俺がスザナの左手の薬指にはめた時点で、エンゲージリングだ」
逃げようとしない真っ直ぐな言葉は、キャンディを更にうつむかせた。
するとテリィはキャンディの手首を掴み、自分の心臓の位置にもっていった。
「――何?・・またロミオとジュリエットのお芝居?」
「君に誓う。俺のこの胸の傷、スザナは知らない」


不意に告げられた言葉に、キャンディの動きが止まった。
「――えっ、、」

「俺だって知らない、スザナの体のどこにホクロがあったかなんて―」
突然の告白に、キャンディの脈は尋常ではないほど打ち始めた。
二人の関係を知ったこともそうだが、こんなことをプライドの高いテリィに言わしめてしまうなんて―
「俺の言っている意味、分かるな・・?」
テリィにとって、自ら言いたい事ではなかった。
男として、ある意味不甲斐なさの暴露でしかない。スザナへの配慮にも欠ける発言だ。
しかしハッキリ言わないとキャンディに伝わらないのなら、キャンディが気にしているのなら―
「――分からないか?」
一言も発しないキャンディにテリィは確認する。
「・・・分かる・・、分かってた―・・」
やっとの思いで一言返したキャンディは、どこか安堵している自分に気が付いた。スザナへの嫉妬が、今の今まで続いていた事を自覚せずにはいられなかった。
「・・だってあなたは、、、敬虔な信徒だって言ってたもの―」
キャンディが取り繕う様に言うと、テリィは可笑しそうに額に手を当て、
「フっ・・――そうだった、まさしく!」クックと笑い始めた。
「・・どうして?男の人は、心と体が別じゃなかったの・・?」
「・・スザナには、・・半端な気持ちじゃいけないと思った。――正義なんかじゃないさ。俺はただ、両親の二の舞を演じたくなかっただけだ。俺は両親が結婚する前に生を受けたから。・・神の前で認められてからじゃないと、俺みたいに・・祝福されない子が生まれるんじゃないかと―・・天から見放された子になるんじゃないかと・・、夫婦になる自分達の為に、やがて生まれてくる子供の為に、順番を守りたいと思っただけだ」
それはキャンディにとってあまりに予想外の答えだった。

 

 ――これでも信心深いんだ。結婚するまで手は出さないよ。

 

あの言葉にそんな意味があったなんて――
(・・テリィは自分の責任を貫こうとしていた。誠実に真摯にスザナと向き合い、温かい家庭を築こうとしていた。・・やっぱりあなただわ、テリィ・・・)

「いたずらにスザナを傷つけたくなかったから、早い段階でスザナにも伝えていた。同居していればそういう雰囲気を避ける方が難しい。俺がエレノア・ベーカーの隠し子だって劇団内で噂が立ったこともあったから、深く干渉せず分かってくれたよ。・・まぁ、綱渡りだったけどね」
綱渡りという言葉が何を意味するのか、分からないキャンディではない。
スザナから求められたことも、きっとあったに違いない。


「――臆病者だと呆れたか、礼儀正しい坊やだと思ったか、それとも嘘だと見抜いたか・・いずれにせよ、愛していると言いながら、スザナを抱かない俺は・・・、最低だな」
「嘘・・だったの?」
「嘘じゃないさ。ただ、・・忘れていたんだ」
「・・どういう意味?」
テリィはキャンディを静かに見詰めた。
(・・・本気で好きなら、そんな理屈の範ちゅうには収まらない―)
「君といると思い知らされるよ、本物と芝居の差をまざまざと。―・・俺はスザナを傷つけないように大切にしたつもりだった。スザナを幸せにしたいという気持ちに偽りはなかった。――だけど、キャンディじゃないなら、何をしても何を言っても結局偽りなんだ。いくらキスをしたところで、愛していると繰り返したところで、一向に本物にならない。・・とどのつまり芝居と同じだ」
「スザナ、、スザナはそれに気づいていたの・・!?」
「・・元女優だからな。しかも役者として俺より上だった。・・ひたむきな愛を向けてくるスザナに、同じものを返せないもどかしさは感じていた。命を救ってくれた女性を、何故慈しむことができないのか。・・・だけど生まれない恋心を嘆いても仕方がない。・・時折ふと、何の恋愛ごっこかとおかしさが込み上げてくることもあったよ。・・本当に愛している人に、愛していると言えないまま、使い慣れて行く自分に」
テリィはフッと寂しげに笑った。
キャンディも哀しさを押し殺すように口をつぐんだ。

「戦争が終わったその年の十一月、俺は再度実家に手紙を書いた。しかし依然として父さんからの返事はなかった。グランチェスター家の体質は分かっていた。後継ぎではない俺があの家の骨格になることは無くても、父さんは常々言っていた。血となり肉となってグランチェスター家の繁栄に身を砕けと。まだまだ反抗心の塊だった俺は、実家を無視するようにマーロウ家と挙式の話を進めていった」
俺は都合のいい捨て駒なのに、どこの馬の骨とも知れないアメリカ人と結婚されては困るのだ。
――あいつらの思い通りにはならない。
ジューンブライド・・六月の花嫁がスザナの希望だった。

「そんな矢先だったな、君とマイアミのホテルでニアミスしたのは――」
「・・あの時」
ホテルの十階、一つ部屋を挟んだバルコニーで、お互いのシルエットだけを見つめ合った月のない闇夜。
二人の間で今まで確認したことはなかったが、テリィもキャンディも分かっていた。
「・・キャンディは何も言わずに俺を見ていた。・・・不思議だよな、何も言ってないのに、沈黙が続けば続くほど、愛が伝わってくるようだった。・・・――だけど直ぐに、勝手な思い込みだと打ちのめされた。君は、知らない男と部屋にいた・・・」
「あ、あれはッ!!」
「・・分かってる。だけどあの時は―・・体が二つに切り裂かれたような痛みを覚えた。一晩中眠れなくて、朝方になってようやくウトウトして・・、気付いたら君はチェックアウトしていた。すごい喪失感だった。・・とっくに失っているのに、喪失感ってなんだ、と思いながら。・・そうしてまた、自分の中の消えない想いを確認した―」
テリィは自分をあざ笑う様に、額に手をあてた。
「・・たぶん俺達、別れ方が下手過ぎたんだ。母さんに言われたよ。心残りがあると忘れられないものだって。忘れてないからスザナへの愛が芽生えない。単純な構図さ。俺はたぶん・・ヤコブ病院の中央階段に丸ごときれいな状態で残してしまった。何も壊れてない、消えてもいない、誰かに反対されたわけでもない。そんな状況で自ら身を引くなんて、所詮無理だったんだ。――今思うとだけどね・・」
「・・・派手に喧嘩でもして、壊せばよかったかしら・・」
気の抜けたように言うキャンディに、「あの時こそ、大嫌いというセリフと渾身のビンタが必要だったな。例え下手な芝居でも」

テリィは苦笑した。
「・・このアパートは息抜きの場所だったんだ。外では役者業に没頭し、マーロウ家ではスザナと夫人に神経を注ぐ。そんな俺にとって、ここは摩天楼の中のにせポニーの丘。・・稽古の合間にわざわざ昼寝に来て・・。車を運転する気力もないほど疲れきった夜、稽古が上手くいかなかった夜、中傷を浴びて落ち込んだ夜、マーロウ家に戻る気になれない時はここに足を運んだ。君が残した落書きや封筒を眺めているだけで、表も裏もない無邪気なキャンディの笑顔が浮び、心が軽くなった・・。写真の一つもないことが、かえって幸いだったのか―」
テリィは色あせたポスターに手を触れながら、その頃のことを密かに思った。


キャンディ、元気でいるか・・?
幸せでいるのか・・?
この広い大地のどこかで、君は俺の姿を見てくれているだろうか。
どこでどう道を間違えたのか、俺達は結ばれない運命らしい。
だけど生まれ変わったら、直ぐに君を探す旅にでるよ。
アメリカだろうとイギリスだろうと、俺は必ず君の魂を見つけ出す。
だから次も必ず、そばかすをつけることを忘れるなよ・・


実在したロメオとジュリエッタ。
愛に生きて死した二人は、今頃どこかで生まれ変わって結ばれているのだろうか―
ポスターの絵の中に
自分たちを重ねながら、時折そんなことを考えた・・。

「・・失恋の痛みなど何年も続くものじゃない。ただ確かに存在した証として、心の真ん中にぽっかりと穴がある。時が流れても、例えスザナと結婚してもその穴は存在し続けるのだと、俺は感じていた」
淡々と話すテリィに、キャンディの胸は締め付けられた。
同じ頃、自分は故郷の村で大勢の人に囲まれ、賑やかな日々を送っていたと思うと―
「・・・テリィ―・・わたし―・・」
テーブルに零れた涙を見て、テリィはキャンディの頬を包み親指で拭った。
「・・君のせいじゃない、泣くなよ。俺を必要としてくれる女性が側にいてくれて、その人を幸せにしたいと思う気持ちは、それなりに温かいものだった。君のことは諦めがついていたから、苦しくはなかったし、忘れられないことは悲しみとも違った。―・・だから君が泣く必要はない」

――そう、ただ滾々と淋しいだけ・・。

「―・・キャンディは笑顔でいると信じていた。俺なんかいなくても、強くたくましく暮らしていると。妙な安心感があったから心配はしていなかった。ハムレットの公演も軌道に乗って、役者として上り詰めていく過渡期でもあったから、道義心や良心とやらに向き合っている暇などなかった。――あの時までは」
「あの時・・?」
「君の手紙を・・見つけるまで」
               

                  



8-4 夢破れて

 

 

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ワンポイントアドバイス

 

スザナのママ・マーロウ夫人

照明事故直後、「あなたのせいで娘の一生は」と容赦なくテリィを責めます。

 

 

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