★★★7-13
「フンギャー・・フグッ・・オンギャー」
どこかで泣き声がする。
車内を見渡すと、いつの間にか混雑し始めていた。
都市が近いからなのか、夕刻の一時的な混雑なのかは分からない。
通路にも人が立ち始め、押し出されるように赤ん坊を抱いた若い夫婦がキャンディの直ぐ横に立った。
「あの、この席をどうぞ」
即座に立ちあがったキャンディは、テリィに肘で合図を送り通路へ出た。
「え・・いいんですか?」
「赤ちゃん、お腹が空いているのかしら?・・立ったままじゃ無理でしょ?どうぞ」
奥に座った若い母親が早速母乳を与えると、赤ん坊は直ぐにすやすやと眠ってしまった。
夫婦は安心したように顔を見合わせたあと、キャンディ達に軽く会釈をした。
その様子を見届けて、キャンディは小声でテリィに話しかけた。
「・・デッキへ出ない?」
周りの人に比べ背が高いこともあったが、テリィはやはりどこか目立った。

突き刺すような風が次々に頬に触れる。
「・・ちょっと寒いけど、もうすぐ乗り換えよね?ここで我慢しましょう」
「構わないよ・・。ちょうど新鮮な空気が吸いたいと思っていたところだ」
テリィは帽子が飛ばされないようポケットにしまうと、コートの襟を立て、列車にもたれて外の風景を眺め始めた。組んだ両腕が、近寄るのを拒んでいるようで、キャンディも外の景色に目を向けるしかなかった。
線路脇には進入防止用の低い柵が延々と続いている。

そんな単調な景色では、微妙な空気が漂う二人にとって会話の糸口にすらならない。

気を紛らわせるようにポケットからキャンディを取り出し、口の中に放り込む。
寒そうに足踏みし、腕をクロスするように身を小さくしていると、テリィが声を掛けてきた。
「・・こいよ、キャンディ」
テリィはツイードのコートのボタンをあけ、親指で自分の方を指差している。
その顔はいつもの穏やかなテリィだった。
「たしかに、そこの方が温かそう」
ホッとしたキャンディは、テリィの懐にぴょんと移る。
「巨大な猫だな、じっとしてろよ」
顎をかすめるキャンディのニット帽がくすぐったいのか、テリィのクスクスという声が漏れてくる。
「テリィも食べる?子供たちから餞別だって貰ったの。ふふっ」
「キャンディなら食べてもいいよ」
「えっ、どっちを―」
言葉を待たずに、テリィはキャンディを抱きしめた。
すると、並行する道路の車からそんな二人の様子を見ていたごろつき達が、クラクションを鳴らした。
「そこのお二人さん、熱いね~!」

「この色男~!」
ヒューヒューという指笛と共に、今にもバラバラ分解しそうなポンコツの車が、ぷすぷすと不快な音を立て、列車を追い抜いていく。
「・・のろいな、この列車。ニューヨークで修理になんか出さないで、車で旅をすればよかったかな」
テリィが呆れたように息をつくと、キャンディは昔を思い出し、ふふっと笑った。
「あの時の列車がこのぐらいの速度だったら、追い付いて跳び乗っていたかもね、私―」
「その前に俺が跳び降りてるよ」
柵を飛び越え、突然現れた白衣の少女――。・・そう、あれはシカゴ近郊。

 

©いがらしゆみこ・水木杏子/ colored:Romijuri 転載禁止

 

「・・あの時は、夢かと思った。一目でいいから会いたいと思っていたら、本当に視界に飛び込んできた」
「私も・・あなたが私を呼ぶ声が聞こえた時、アメリカに帰ってきて良かったって、心から思った。・・テリィの声が、しばらく耳から離れなかったわ」
「列車内にも結構響いたらしい。今やったらさっきの赤ん坊が跳び起きて、また泣き出すな」
「テリィの声量、いざという時はすごいものね。泣き出した子がいたの?」
「いや、前後の車両は殆ど劇団の関係者だったからそれはない。団員には徹底的に冷やかされたけど。かえって説明する手間が省けて良かったよ。俺にはキャンディって名の恋人がいるんだって」
この言葉が全団員に向けたものだとはキャンディには思えなかった。
「――スザナに?」
テリィはハッとした。こんな時ばかり、どうしてキャンディは鋭いのだろう。
「・・そう・・だな」
あの時、すぐ後ろにスザナがいた。

再会の一部始終を見ていたスザナの何とも言えない表情が、冷やかしてくる団員とは対照的で一層際立った。
 ――思えばあの時から、歯車が狂い始めたのかもしれない。
数週間後、ニューヨークに戻ったスザナが真っ先にとった、あまりに稚拙な行動。
(シカゴ、白衣、キャンディというヒントだけで手紙を抜き取ったのだとしたら、勘が良すぎる・・)
「・・鈍行列車だったら良かったのに。・・俺はそのまま君にプロポーズして、巡業中だろうと構わずに一緒に旅して・・。・・そうしたら俺たち、こんなに回り道をしなくても済んだのかも。・・その方が、スザナには幸せだったんじゃないだろうか」
「・・・・スザナは、幸せだったんじゃないの?」

「・・・・・」
キャンディの問いに答えず、景色に視線をずらしたテリィの瞳は、相変わらず何かを拒んでいる。


「――キャンディ、俺を・・恨んだか?」
キャンディはハッとした。数日前にも聞いた言葉。
「俺は一言も説明せず別れを決めて、君を傷つけた。・・君ではなく、スザナを選んだ」
あの言葉は、ここに掛っていたのかとキャンディは思った。
「恨むなんて、まさか。自ら導いたようなものなのに、二人の婚約を真っ先に祝福できなかった自分の方が、よっぽど憎らしかったわ」
「祝福?スザナを・・・恨みはしなかったのか?」
「・・人を好きになるのは自由だわ。同じ人が好きだからって恨むなんて有り得ない。スザナは素敵な人だった。何よりテリィを愛してた・・。テリィの傍にいられるスザナを羨ましいと思った時もあったけど・・あの事故でスザナが失ったものは・・足だけじゃないわ。いろいろなものを失ったスザナの、得たものにだけ目を向けるのは、ずるい・・」
「――さすがポニーの家のシスター候補。人間ができてるよ。嫉妬したって素直に言ってもいいんだぜ?スザナなんて恨まれて当然だ」
突き放すようなテリィの言葉に、キャンディはゾクッとした。
「別れは私達が決めた事よ?テリィだってそう言ったじゃない。スザナは何も悪いことはしてないわ」
「・・・どうだったかな」
(スザナがしたことを、キャンディは忘れたんだろうか―)
「あ、少しだけ意地悪されたっけ?手紙を隠されたことぐらい、イライザとニールのいたずらに比べたら、蚊に刺された程度よ、些細なことだわ」
「・・些細――・・・か・・」
鼻で笑うような声がした後、テリィは沈黙した。
稜線の向こうに、視界の半分は占めそうな大きな夕陽が赤々と燃えている。
その雄大な景色と車両と線路が織り成すガタゴトという音に感覚を奪われ、心の中のざわめきも、一時もとどまれない冷気に吹き飛ばされていく。
「・・・愛してる・・・キャンディ」
体の芯にあるものしか今は感じない。テリィは思わず口に出した。
「――私も・・」
「俺には、言ってくれないのか・・?」
「そういう言葉は、請求されて言うものじゃないって、誰かさんが教えてくれたの」
「・・その誰かさんは、本当は言いたくて仕方がなかったと思うぜ?」
「フフ、そんなに好きだった?」
「――いや・・自分が、嫌いだったんだ」


テリィの言葉の意味は、キャンディには分からなかった。
ただこうして見つめ合っていると、テリィの冷え切った体を少しでも温めたい衝動に駆られる。
 ――唇を重ねたくなる。
「・・あ、いけない、まだ口の中に」
キャンディが途中まで上げた踵をおろそうとした時、
「俺が貰うよ」
テリィはおもむろにマフラーを下げた。

 

あかね色に染まっていた田園風景が小焼けを迎え、空は刻々と色合いを変えていた。                                                            
何組かの集団がデッキを通過したが、熱いキスを交わすカップルのことなど誰も気に留めない。
「・・・人の目をかわすのに、こんな方法があったとはね」
結構な満員列車にもかかわらず、変装を全く解いている自分にテリィは苦笑していた。
二人の口の中を行ったり来たりしていた飴も、いつの間にかなくなっている。
「・・甘すぎるな」
「変なこと言わないで、飴は甘いものよ?私と一緒だと何でも甘くなっちゃうでしょ?ふふっ」
以前テリィに言われた言葉を返しながら、キャンディはクスクス笑っている。
「ホットドッグは甘くなかったぜ?」
「マスタードが入っているからよ」
気が付けば夕陽は姿を消し、急かすようにピンクとも紫とも言えない色が空に滲んでいる。

 


フォロワーの紫さんのサイトから許可を取って掲載いたしました   

  
「――わたし、・・・全て・・知りたい・・」

「――え?」

「テリィの全てを――」
「おっと、レディ。こんなところで迫られても困るなぁ。ホテルに着くまで我慢してもらわないと」
まだ夕陽の色を引きずっていたテリィの顔が変化したのは、その直後だ。
「テリィの悩みや苦しみを全部分けて欲しい。サンドイッチみたいに」
「・・さっきのアルバートさんの名言?」
「理由を、知りたいわけじゃないの。だけどテリィが辛そうで、悲しそうな顔をするから―」
突然そう言われ、身に覚えがなかったテリィは少し驚いた。
「悲しそう・・?俺が?おかしなこと言うな、いつそんな―」
「・・眠っている時・・」
「・・・眠っている・・時?」
さすがに夢を見ている時は無防備だ。コントロールなどできっこない。
「――こうして手を握っていれば、同じ夢を見られるかなって思ったんだけど・・ムリよね、やっぱり」
キャンディはテリィの冷えた手を温めるように頬摺りした。
「・・えっ―」
朝起きた時、度々キャンディの手を握っている自分。
(・・あれは、俺が握っていたんじゃなかったのか?)
そんな気遣いをさせていたことを初めて知ったテリィは、詫びる様に言った。
「・・・君が気をもむほどの事じゃないんだ。過去の出来事を・・時々夢に見るだけだ。ロミオとジュリエットの演目のように、トラウマになっているわけじゃない」
「・・それは――私の夢?」
キャンディはすがるような目で見つめる。
「・・いや、少し違う」
「・・・スザナ・・なのね?」
誘導されるように質問され、テリィは返事につまった。
まがときを迎えた空の昏さに溶けていくようなテリィの顔を、キャンディはじっと見つめた。
「・・あなたは右効きなのに、そうやって髪をかき上げる時はいつも左手を使うのね」
突然のキャンディの告白に、テリィは額の近くあった左手の動きを止めた。
「・・そうなのか?・・気づかなかった」
「・・そして、そうする時は何か考えている時よ。髪をすくうのはカモフラージュかも。・・かき上げるふりをして、きっと何か・・考えているのね」
テリィの心臓は大きく鼓動を打った。
いつの間にそこまで見抜いていたのだろう。鈍感だと高を括っていたのに。
キャンディは何事かを決意したように、握っていたテリィの左手を自分の胸元へ寄せた。
「ねぇテリィ・・。私が秘密にしていたこと、結局あなたに全部ばれちゃったみたい。ばらしたのは殆どアルバートさんだけど、私があなたの為にと思って隠していたことを、アルバートさんはあなたの為にと話した。どちらが正しいかなんて言うつもりはないわ。ただテリィはそれを全て受け止めてくれて・・私、肩が軽くなったわ。アンソニーの事も笑って言えるようになったの。・・いつかスザナの事もテリィと自然に話せるようになりたい。テリィ、私も受け止めたいの。テリィが少しでもらくになるなら、どんなことでも受け止めるわ―・・あなたは何を夢に見ているの?」
いつの間にか全て見透かれていたことに、テリィはどんな顔をしていいのか、どんな言葉を返していいのか、瞬間迷子になった。
「――ついに君も、パズルを完成させる気になったってことか?」
「完成させないと、あなたの悪夢が終わらない気がするの。足りないピースが、黒幕・・なんでしょ?」
テリィは再び口をつぐんだ。
何も知らないはずのキャンディが、いつの間にか全てを知っている。
(・・これが一緒に暮らすということか。俺たちは、いつの間にか夫婦なんだな)
話して肩の荷が下りるとは思えなかった。
単に自分の荷物がキャンディに移るだけ。いや、二倍になるだけだ。
二人でそんなものを背負うぐらいなら―
キャンディの柔らかな胸を拒むように、テリィは自分の掌を固く握った。
するとキャンディは訴えるような瞳で言った。
「昔、テリィがスザナの事故で苦しんでいた時、私は何もしてあげられなかった・・。一番苦しんでいる時に、気付いてあげられなかった。それがすごく悲しかった。そんなの、もうイヤ。苦しみも悲しみも分かち合うと、教会と肖像画の前で二回も誓い合ったじゃない。あれは単なるお芝居のセリフ?」
見透かすような言葉にテリィが言い返せずにいると、キャンディは達観したように大きく息を吐いた。
「サンドイッチのように分け合うのとは、ちょっと状況が違うのかしら・・。だって二人がお腹が空いているわけじゃないんだもの。テリィは食べ物を見るのも嫌なほど満腹で、逆に私は何でも食べ物に見えちゃうほどお腹がペコペコみたい。この場合どうすればいいか分かる?」
「・・君が一人で食べるとでも?」
「ちょっと違うわ、次に食べるのは私だってこと!ホットドッグみたいに」
キャンディはニッと笑った。
「俺の肩に乗っているのはホットドッグ?」
「そう、バーベルみたいに巨大な奴よ」
「・・重そうだな。そのホットドッグ、たぶんやたらまずいぜ」
「それなら尚更テリィに全部食べさせる訳にはいかないわ。夫婦は同じものを食べるものよ、結婚してからずっとそうだったでしょ?私はテリィと同じものを食べたい。・・私にも食べさせて、そのホットドッグ」
キャンディらしい発言に、テリィはフッと笑った。
「――キャンディの名言だな」
「違うわ、ミセス・グレアムの名言よ!」
瞬時に返された言葉は、テリィの迷える胸をスッと射抜いた。
ポッポー・・ボー
列車の警笛が鳴った。駅が近い合図だろうか。
空気に容赦なく響く騒音に、二人は思わず耳をふさぐ。
大事な話をしていたというのに、会話のタイミングがつかめない。
ポッポー・・ボー・・ポッポー・
再び警笛が鳴る。
二人はギブアップするように、プッと吹き出した。
「ハハハっ!邪魔な汽笛だ。せっかく君が俺を口説いていたのに」
「口説かれてくれた?じゃあ、いつ渡してくれてもOKよ!」
キャンディは歯をむき出してニカッと笑った。
「・・マスタードたっぷり。辛くて泣くぜ?」
泣くと分かっている話、傷つけると分かっている話など、テリィはしたくなかった。
「食べた時だけよ!直ぐに思い出に変わるわ」
「・・いい思い出になるという保証はないぜ。後悔、するかも・・」
そんな話などしなくていい、する必要も無いと思うようになっていた。
「毒を飲んだって後悔しないわ、テリィの為なら!」
明るく言うキャンディに、テリィはもう抗う理由を探せなかった。
(・・俺には、毒は飲ませないって言ったくせに)


シューッッ・・・シュシュ―・・・スー
ブレーキ音が響き、蒸気を車輪に絡ませながら、列車がプラットホームに止まった。
「乗り換えだ・・、降りよう」
もう二度と、キャンディを泣かせたくなかった――
こみ上げてくる想いを断ち切るように、テリィはトランクケースを持ってプラットホームに跳び下りると、ステップを降りてくるキャンディを迎えるように、両手を一杯に広げた。
「――跳び込め、キャンディ!」

 

 

 

7-13 テリィの決意

 

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ワンポイントアドバイス


画像をお借りした紫さんのブログです。

月と太陽と富士山のブログお月様

 

 

 

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