★★★7-8

何がそんなに難しかったのかと思うほど鍵はいとも簡単に開き、水色のリボンで固く結ばれた束を手に取ったキャンディは、懐かしそうにそれを見詰めると、そっと胸に抱いた。
「象嵌細工の宝石箱にしまおうかな」
「・・これを?」
黄ばんだ記事の切り抜きと封筒。ハガキも混じっている。ふさわしい収納場所とは思えない。
「だって、テリィの手紙だもの・・。宝石箱は私の好きに使っていいんでしょ?持ち歩いていたデビュー当時の切り抜きが、既に王様のように収まっているのよ?これも仲間に入れてあげないと不公平だわ」
満足そうな微笑みを浮かべるキャンディに、テリィの胸中はいささか複雑だった。
「この束、ここに十年間しまっていたのか・・?」
「そこまで長くないわ。・・テリィの、・・婚約の記事が出た時にしまい込んだの。・・・もう忘れなくちゃいけないと思ったから」
「―ー!!あの時!?」
テリィは意表を突かれたような声を出した直後
「・・これは・・、神の采配なのか・・?」
呆然としながら、後ずさりするようにベッドに座り込んだ。
「采配・・?どういうこと?」
テリィの不可解な発言に、キャンディは眉を寄せる。
「いや、何でもない。それで?・・しまい込んで、俺を――」
(・・・俺を忘れた、ってことか?)
テリィはグッと言葉を呑み込んだ。
(忘れたとして、何の悪いことがあるものか!その間、俺だってずっとスザナと――)
「あ、そうだわ、これを、、、やっと返せる」
キャンディは束の一番上から白い布を抜き取った。
「・・これは?」
「五月祭の時に私の傷を手当てしてくれたでしょ?その時のタイなの。学院にいた時からいつ返そうかと思っていたんだけど・・、返せてよかった・・!」
「・・・手当?・・俺が?」
キャンディに言われて、うっすらと思い出した程度の些細な記憶。
白い絹のタイ。刺繍されているイニシャルを見ると確かに自分の物のようだ。
(・・・こんな物を何年も?)
テリィの罪悪感がミシっと音を立てた。
押し隠そうと視線を外した時、束の上に新たに顔を出した薄ピンク色の封筒が目に留まった。
「俺宛ての手紙・・?出し忘れたのか?」
「あ、いえ、ちがうの。・・あの手紙は―・・最後のつもりで書いたの。出せないと承知の上で」
「いつ・・?別れた後ってことか・・?」
更にミシミシと心がきしむのを感じながらも、テリィは訊かずにはいられなかった。
「・・・この束をしまった時よ。テリィとスザナが、結ばれた時」
静寂の中に、爆弾でも落ちた様な衝撃がテリィの中に走った。
「、、結ばれたって、俺とスザナはそんな関係じゃないっ!最初に言っただろ」
強い瞳でキャンディを見たが、何も答えないキャンディに、テリィは苛立ちを覚えた。
「・・手紙を書くだけで恨み辛みが晴らせるなんて・・君は穏健派だな」
「・・・そんなこと書いてないわ、ただの日常報告よ。アルバートさんの正体や、ハムレットの事とか」
「へえ、・・なら読んでいいのかな。俺宛ての手紙だろ?」
テリィがサッと手を伸ばすと、キャンディは咄嗟に体で阻止した。
机の上のパズルがバラバラと崩れ落ちるのを見て、テリィはキャンディの動揺を感じとった。
「・・俺やスザナの悪口なんかどうってことないさ、君の本心ならむしろ大歓迎!」
「・・!そんなことっ・・!」
「なら見せろよ」
鋭い眼差しを向けられたキャンディは、誤解を招いてもいけないと観念し
「・・・・読みたいなら・・・どうぞ・・―」
無関心を装うように、落ちたパズルのピースを拾い始めた。
封もされていないその手紙には、テリィが想定したような事は何も書かれていなかった。
いつもの手紙と何ら変わりのない日常の出来事に加え、舞台の成功と婚約を祝福するような文言。


 スザナはすてきな人です。何よりもあなたを愛し続けていることが、すてきです。
 そして、そんなスザナを選んだテリィ、あなたも。
 ―・・アメリカの片田舎にテリュース・グレアムの熱烈なファンがいることを忘れないで。
 あなたが舞台に立つとき、力いっぱい拍手するわたしがいることを忘れないで――

 
テリィは崩れてきそうな涙腺と格闘しながら読み進めたが、文末の文字を見た時、涙腺も視線も一瞬で凍りついた。

 

 P・S  テリィ・・・好きでした。


「―・・すき・・でした・・?」
水滴がこぼれた跡なのか、インクが滲み、正確には読み取れなかったが、過去形で書かれているのは明らかだった。
この水滴は雨漏りじゃない・・――涙・・?テリィがそう感じた時
「ち、ちがうの、、、そんな意味じゃないっ」
キャンディは忘れて欲しいとばかりに手紙を奪いとり、背中に隠した。
「・・何に対しても前向きな君が・・俺を想い続けていたとは思ってないさ」
テリィの耳に弁解の言葉など入ってこない。
過去形が何を意味するのか、にじんだインクは何を意味するのか、テリィにはもう分からなかった。
「忘れられなかったってこの前も言ったわ。信じないの?」
「・・忘れられない?それはどっちの意味だよ。記事が目に付いたとか、そんな表面的な話しなら―」
「違うわっ、私はあなたをずっと―!」
「気休めの言葉はよしてくれっ、俺は事実を知りたいんだ・・!・・ジグソーパズルと一緒だ。所々ピースが外れていると穴を埋めたくなる。抜けている部分が多い時は、そんな事思わなかったのに―」
倒れ込むようにベッドに腰をおろしたテリィが、いつもより小さく見える。
「事実よ、ポニー先生から言われたの。恋を終わらせて本当の愛をテリィに向けなさいって。・・本当の愛は相手に求めるものじゃないから―」
「――恋を終わらせて、・・愛を?」
「・・あんな写真を見ちゃったら・・、さすがに、、終わるわ」
「写真?」
どの写真だろうとテリィは記憶の回路を辿った。キャンディにとって決定的な写真――
(・・婚約記事の写真か?俺がスザナを抱き上げた時の)
「・・テリィがスザナのものになってしまうと思ったら本当に苦しくて。こんなに苦しいのは、心のどこかで未だテリィを求めているからだと気付いたの。・・叶わない恋は、終わらせるしかなかった。スザナにテリィをきっぱりと委ねて、過去を丸ごと閉じ込める必要があった」
「――だから、手紙を引き出しの中に?」
「・・テリィへの気持ちを過去形にでもしないと・・自分が惨めだった。・・あなたにとって私は、とっくに過去の人間になってしまったから。新刊の中のテリィだけが、まごうかたなき現実のテリィだと自分に言い聞かせて、恋は終わらせたつもり。・・それからは、ポニー先生の教えに従って二人の幸せをずっと祈ってた。毎晩ここで―」
キャンディは出窓の張りに両肘を付け、おもむろに指を組んだ。
「こっち、ニューヨークの方向なの。・・テリィを忘れていたら、こんなこと、・・しないわ」
(・・俺とスザナの為に、毎晩ここで・・―?)
テリィは思わず唇を噛んだ。
キャンディを信じているのに、不意に疑念を抱いてしまうのは自分の悪い癖だ。
「遠く、遠く、遠く東の空を思い浮かべて、テリィとスザナが幸せでありますように、舞台が成功しますようにってただ黙祷を。過ぎた事に1ミリでも心を向けると一気に開いてしまいそうで怖かったから、余計な事は考えなかったわ。お願いばかりで、感謝することも忘れてた。二人の幸せに感謝を――・・するべきだったと思うけど、、ダメね、私ってば。――ふふ、ご利益、薄そうよね」
えへへ、と舌を出すキャンディを見ていると、テリィは自分が途方もない罪人のように思えた。

「・・キリスト教にご利益を求めるなよ」

かすれたテリィの声を無視するように、キャンディは再び窓越しに指を組み合わせた。
月明かりに照らされた山の稜線がどこまでも続き、影絵のようにしっぽりと映し出されている。
夜景に溶け込んだキャンディのシルエットは、どこか悲しげだった。
「――何を祈っている?・・俺はニューヨークにいるんじゃない、ここにいる」
「あ、・・そうね。つい習慣で―」
そう言いながらも、キャンディは姿勢を崩さなかった。
こうしてテリィは側にいるのに、テリィの魂の一部はまだニューヨークをさまよっている気がする。
(私たちのパズルは・・、いったいいつになったら埋まるんだろう―)
「・・テリィから手紙が来た時、思い悩む私にアルバートさんが言ってくれたの。・・今テリィを幸せにできるのは神様じゃない、キャンディだって」
「・・えっ―」
「私はあなたを、・・・・幸せに、できてる・・?」
瞬間、テリィは正視できなくなったように、まぶたをギュッと閉じた。
(俺はまだ、キャンディに祈らせているのか―)
テリィは思わずキャンディを後ろから抱きしめた。
「・・・キャンディ・・―・・」
首を撫でるような筋状のキス。
キャンディは酔いそうになりながらも、今夜は応えることができないと自分に言い聞かせる。
「―・・部屋に戻って。ポニーの家では・・」
「ダメって・・?今日はダメな日か?」
「ふざけないで、・・・お願い、」
たしなめるキャンディに、テリィはクルッと踵を返しベッドに座ると、挑むように言った。
「ふざける?・・何がだよ。君は俺の幸せを願っているんだろ?愛する者同士が愛し合う、これ以上の至福なんてあるのか?」
「テリィ、・・そんな屁理屈言わないで、ここは―」
「ここは君の祈りの聖地なんだろ?だったら君は、ここでこそ俺を抱くべきだ・・!ここへ来いよっ」
枕元を差したテリィの掌は、静かな恫喝のように空を切った。そして次の瞬間、
「・・くっっ―・・ぅっ―」
指に絡んだ前髪をギュッと額に押し付け、テリィは哀切に極まるような声を上げた。
「・・・おれ・・は――」
(どこまで卑怯なんだっ・・!)
キャンディに一方的に問いただしておきながら、自分は何も話さず、挙句純粋なキャンディの真心をやみくもに疑い、未だに祈らせ悲しませている――
(・・スザナ・・、俺はキャンディに話すべきなのか?)
しだれ落ちる髪の隙間から、苦悶に満ちたテリィの瞳が見える。
見覚えがあるその表情に吸い寄せられるように、キャンディはテリィの前にひざまずくと
「―・・もう、・・一緒に寝たいなら、素直にそう言えばいいのに。・・大きな子供ね」
テリィの高ぶった心を落ち着かせようと、胸の傷のある場所に頬ずりしテリィを抱きしめた。
「・・・・最初に、言ったさ―」
「そうだったわ・・。ごめんね・・」
冷たく固く閉じられたテリィの唇に、キャンディはやさしくキスをした。
熱い吐息が吹きこまれたテリィの唇は、聖杯のぶどう酒を飲んだかのように紅潮していく。
(―・・・愛してる、キャンディ・・。・・誰よりも・・君を―・・)
テリィは断罪されない使徒ユダを思い浮かべながら、小さなベッドに倒れ込んだ。

重なり合う体とは裏腹に、どこからか入ってくる隙間風をキャンディは感じていた。
この瞬間さえあれば本当は十分なのに、過去も未来もさほど望んでいないのに。
それでもテリィのどこかにある風穴を塞いであげたいと思うのは、欲張りだろうか――
そんなことを考えながら、小夜時雨
(さよしぐれ)と共にポニーの家の夜は更けていった。




7-8  キャンディの部屋

 

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ワンポイントアドバイス

作中に登場するキャンディの手紙(茶色文字)は

ファイナル・ストーリーに登場する実際の手紙からの抜粋です。

原文に近い文言はこちらで閲覧できます。

 

 

 

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