★★★7-5
「皆がお昼寝している間に、ポニーの丘に散歩に行かない?」
そろそろお疲れかしら?と思ったキャンディは、三時のお茶が済んだ頃テリィを誘った。
キャンディの好意を即座に察し、「いいよ」と答えると、テリィは一冊の本を手に取った。

「・・この木?君が木登りの練習をしたっていうのは」
テリィは大きなナラの木を見上げた。全ての葉が落ちた今の季節、空に高く突きだす煙突のようだ。
「そうよ。お父さんの木って呼んでいるの」
「へえ、お母さんの木もあるのかい?」
辺りを見回すテリィに、キャンディはそんな木はないわ、と笑った。
「ポニーの家にはお母さんが二人いるけど、お父さんがいないでしょ?だから先生に叱られた時に、よく上ったの。フフ・・さすがに先生もここまでは追いかけてこないでしょっ」
先生の手を焼かせたであろう幼い頃のキャンディを想像するだけで、テリィの目は自然と細くなる。
「いいね、登りやすそうだ。俺と勝負するか?」
テリィは指をぽきぽき鳴らし始めたが
「あなたの負けは目に見えているわ。私は枝の位置まで知り尽くしているのよ?目を閉じていたって登れるわ。もっとも、負けて愛の告白をしたいって言うなら受けて立つわよ」
あっという間に戦意喪失したテリィは、即座に前言を撤回した。
「昔ジミィと競争したことがあるの。どっちが早くてっぺんの枝にタッチできるか」
「ああ、さっきの子ね。君が本当にギャングの親分だったなんて知らなかったよ、ハハっ」
「その勝負で私が勝って以来そう呼ぶ様になったの。地主のカートライトさんに引き取られて、あれでもカウボーイよ。全然そんな風には見えないでしょう?ただの駄々っ子、てんで子供なんだから」
幼いころから見ていると、脳内では成長しないのだろう。
ありがちな現象だが、キャンディも多分に漏れず、ジミィを七歳位の子供としか思っていないようだ。
「・・・あいつは何歳だ?」
キャンディの鈍感さを感じながら、テリィはきいた。
「そうね、・・十七、、十八、、あれ?」
指を折って数えてみるが、定かでない。
「十七歳といったら、俺はもうブロードウェーの舞台に立っていた。子供じゃない」
キャンディは一瞬ドキっとする。大人になりかけていたあの頃のテリィ。
そのテリィと同じ年齢なら、確かにジミィは子供ではない。
「じゃあ大人ってことにしてあげるわ。私の子分はもう卒業ね」

 


丘までの道すがら、キャンディは投げ縄の修業をしたリンゴの木や、子供の頃のいたずら話などをテリィにあれこれ聞かせた。
「アルバートさんと初めて会ったのはポニーの丘だったよな?」
『王子さま』絡みの話を自ら持ち出したテリィに、不機嫌な様子はない。
ホッとしたようにキャンディは話し始めた。
「そうよ、キルト姿で突然声を掛けられたの。あんな服見たことが無かったから、宇宙人かと思ったわ」
「おや、今度は宇宙人!熊にされたり王子にされたり、アルバートさんは変幻自在だな。君、豪快に突っ伏して泣いていたってアルバートさんが感心してたよ。何をして先生に叱られたんだい?」
「あら、キャンディス様は叱られたぐらいで泣いたりしないわ!」
エッヘンと、キャンディは自分の腰に手を当てた。
「じゃ何?トムと殴り合いの喧嘩でもして負けた?」
テリィが茶化すように言うと、キャンディはこめかみに手をあて、涙の理由について考え始めた。
「あの時トムはもう貰われた後で、えーと、・・あ、そうそう、アニーがブライトン家に貰われてね。急に寂しくなっちゃって、私もお父さんとお母さんが欲しいな、って思ったら涙が爆発しちゃったの」
キャンディは明るく答えたが、テリィは質問したことを後悔した。
キャンディでもそんなことを思った事があったのか―
(そりゃそうだよな・・)
両親がいた自分でさえ、自分を愛してくれる両親が欲しいとずっと思っていたのだから。
「・・あの時アルバートさんに出会えたのは、そんな私に神様が同情してくださったからだと思うの」
「アルバートさんは神の遣い?」
「お父さんであり、兄であり、親友であり、恋人でもある。そんな人に出会えたんだもの。感謝してもしきれないわ。・・妬まないでね?」
真っ直ぐな目で語るキャンディから、感謝の念が溢れている。
観念したようにテリィは吐息をついた。
テリィにとってもアルバートはもはや父であり、兄であり、親友であり、最強のライバルだったからだ。
「・・・妬まないよ。俺は君のお父さんやお兄ちゃんにはなりたくないから」
「何を言っているの?アルバートさんをバカにしてる・・?」
「まさか!俺は恋人以外の役回りなんて御免だって言っているだけさ。アルバートさんには、そのまま神の遣いでいてもらうよ」
テリィはにやりと笑う。
「アルバートさんを尊敬してやまないって言っているのよね?」
「そうさ。俺も次からアルバートさんを『丘の上の王子様』って呼ぼうかな。いいね、そうしよう!」
「私のことをバカにしているのね!もう~!」
思わず右手を振りかざしたキャンディから逃げるように、テリィは一気に丘の上に駆け上がった。



「いい眺めだ・・」
白い帽子をかぶった山々に澄み渡った青い空。冷たい空気が火照った体に心地よい。
上がった息を整えながら、しばらくの間テリィは雄大な自然の造形美を見渡していた。
ふと、横にいるキャンディに意識が移る。
先ほどまでの威勢の良さはどこへ行ったのか。遠い目をして黙り込んでいる。
・・その時、目じりが微かに光った気がした。
「・・どうした?」
「・・思い出しちゃって。あなたがこの丘に立った時の事」
「俺が?」
そんな姿を見せた覚えがないテリィは一瞬戸惑ったが、直ぐにぴんときた。
「・・ああ、俺が訪ねた時の事か。・・そういえば同じような季節だったよ。・・ここで、君に貰ったハーモニカを吹いたっけ」
テリィの中で、その時の情景が鮮やかによみがえってきた。
丘の草や木々は何の色も持たず、全ては静かに眠りについているようだった。
何度もキャンディから話に聞いていた丘。
にせポニーの丘と似ているだろうか。
見える景色は全然違うな―・・そう思いながら遠くイギリスにいるキャンディを想った。
直ぐ側で笑いかけてくれていたのに、ずいぶん遠く離れてしまった・・・。

マクスウェルトンの美しい丘が
朝露にぬれる
あの丘でアニー・ローリーは僕に真実の愛を誓ってくれた
決して忘れない
愛しいアニー・ローリーの為なら
僕は命を捧げよう
                    アニー・ローリー

 


©水木杏子・いがらしゆみこ  Colored: Romijuri (※許可を取って掲載しています)


空虚な自分の心を映すかのように、ふわふわと風に揺れながら落ちてきた雪がだんだんと丘を覆い、気が付くと辺り一面が真っ白になっていた。
孤独な足跡だけが雪の上に――
「・・雪の上に残された足跡を見た時、ただ悲しくて、会いたくて・・」
自分の意識に侵入されたかの様にキャンディのセリフが重なり「――えっ?」瞬間、テリィは混乱した。
「あと少し、ほんの数十分、私がこの村に帰り着くのが早ければ会えたのに」
キャンディの口から出た突然の告白に、テリィは耳を疑った。
「あの時?――あの時キャンディはこの村にいたのか!?」
さっきのレイン先生の話を思い出す。
すれ違いとは言っていたが、そんな直後の事を指していたとは夢にも思わなかった。
(・・信じられない。なんという運命のいたずらだ)
混乱するように額に片手をあてた直後、不意に思った。
「だけど、あの時はもう十二月も半ばで・・。君が学院を出たのは確か――」
「次の日よ、あなたが船で旅立った次の日」
「次の日!?」
後を追うように学院を去った事は知っていたテリィも、さすがにそこまでは想像していなかった。
「ロンドンの秋が深まった頃だったわよね?やっぱり一文無しの旅は少し無謀だったわ。馬車なら一晩だったのに、港にたどり着くだけでも結構掛っちゃった。船も列車もタダじゃないし・・。最後は歩きでタダだったのに、走れば良かった。タダよりたかい物はないって、あれ本当ね」
キャンディは至って明るい口調だったが、テリィはその事実を聞いて愕然としていた。


 ――旅なんてポケットに現金さえあれば十分だね


今朝自分が言った言葉の、なんと高飛車なことか。
(・・そんなに掛って―・・俺を追って――)
そう思うと、今この丘でキャンディと立っているのは奇跡にも必然にも感じられ、前に立つキャンディの小さな背中を思わず引き寄せていた。
「――キャンディ。・・もう俺から、絶対離れるなよ」
再会してから今日まで、十年以上前に書かれたラブレターを、毎日一行ずつ受け取っている気がする。
キャンディの想いを知る度に、昨日よりもっと好きになる。
「なに言ってるの?離れていったのはあなたじゃない」 
キャンディは空を見上げる様に、背後にいるテリィの顔を覗き込む。
「――もう離さないよ・・。何があっても」
(離れたくて離したことなんかないさ・・、)
「・・・どうしたの?やけに素直ね。いま何か勝負したかしら?」
「・・ああ、負けたよ。完全に君にイカれた・・」
キャンディは不思議そうな顔をした後、くすっと笑った。
「なにそれ、今?・・それなら、あの時じゃなくて、今で良かったのかしら」
テリィはキャンディのおでこにキスをしながら「何のことだ?」と聞き返す。
「夢よ、私の小さいころからの夢!大好きな人とこの丘に上るって。今叶ったのよ」
「・・そういえば、昔くれた手紙にそんなことが書いてあったな」
ささやかな夢をかなえたのは、アンソニーでも、例の王子さまでも、昔の自分でもない、今の自分。
そう思うと感慨深かった。
「手紙に?・・そんなこと書いたかしら?」
キャンディは覚えていないようだ。
「君の手紙は一言一句覚えているさ。『大好きな人とポニーの丘に立つのが夢』だって。『テリィと丘に上りたい』とも書いてたぜ?立派に愛の告白だよ、気付いてないのか?」
恥ずかしさを感じたキャンディは、赤みを帯びた自分の頬を人差し指で一二度掻いた。
「さすが役者ね。大した記憶力だわ」
「役者は関係ないさ。・・君は?俺の手紙、やっぱり破いちゃった?」
キャンディはドキッとした。
「・・破いたりしてないわよ。読み返してはいないけど・・大事にしまってあるわ」
答えながらキャンディの胸はチクリと痛んだ。
手紙の束は水色のリボンで固く縛り、今以って引き出しを施錠しているからだ。
「・・読み返してはいない、か。当然だよな。一度は別れたんだから」
「・・あなたは違うの?」
「―・・言わせるなよ」
視線を外すテリィの顔は、破いてしまったとも、何度も読んだとも言っているように見える。
どちらにせよ、ちょっと切ない。
もしかしたら、今朝言っていた捨てたくても捨てられなかった物というのは、手紙かもしれない。
キャンディはとり繕う様にわざと口角を上げた。
「あ、そうか!未練たらたらで、穴が開くほど読んだのね?こんなかわいい子、忘れられないわよね?いいのよ、テリィ、正直に言って」
ニカッと白い歯を見せるキャンディに、テリィは不敵な笑みを浮かべる。
「あんな熱烈なファンレターは他になかった。ま、手軽な栄養剤のようなものかな」
「熱烈!?嘘だわ、そんなこと書いてないはずよ」
「書いてあったさ。今すぐ愛を叫びたいって!」
自慢げに豪語するテリィを見て、しぼみかけたキャンディの心は和らいでいく。
「・・なんか、嘘っぽいわ。それ本当?その手紙見せてよ!ニューヨークの家に有るわよね!?」
キャンディは振り返ってテリィに迫ると、テリィはギクッとし、身を反らす。
「あそこにはないよ・・」
テリィはじりじりと後退し、逃げる様に走り始め、また追いかけっこが始まった。



7-5  ポニーの丘

 

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ワンポイントアドバイス

このポニーの丘での過去のニアミスエピソードは、漫画に基づいています

ファイナル・ストーリーでは、ニアミスシーンはありません。

テリィがポニーの家を訪れた時、キャンディはまだアメリカへ渡る船の中でした。

 

 

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