★★★7-6
テリィが小脇に抱えていた本に気付いたキャンディは、針仕事をするからと先にポニーの家に戻った。

一人の時間を作ってあげるのも妻の大事な役目。

陽も大分暮れてきたというのにテリィはまだ戻ってこない。さすがに本の文字は見えないだろう。
「ジミィ、テリィをよんできてくれる?ポニーの丘かその辺りにいると思うわ」 

夕食の準備で手が離せないとジミィを使うキャンディ。親分気取りは継続中だ。
親分にそう言われると、子分もまた従順だった。
「分かったよ、親分」

気は乗らないが、逆らわない。

 



「おーい!テリィ、夕飯だってー!テリィ!」
丘に登りながら、ジミィは大声を上げる。
「おかしいな・・親分はここに居るって言ったのに・・」
他の場所を探そうと思った時、木の根元に脱ぎ捨てられている白いセーターに気が付いた。
(親分とお揃いの・・)
拾い上げようと手を伸ばした時、「今行くよ」頭上から声がした。
見上げると、頂上に近い枝に人影が見える。
太い幹を背もたれにし、枝に沿って足を延ばし、のんびりとくつろいでいる。
ジミィは度肝を抜かれた。
木登りが得意な自分や親分でさえ、木の上であんな体勢をすることはない。
ジミィがそんなことを考えている内に、テリィは本を小脇に抱え、動きが制限された手を器用に使ってスルスルと滑るように下りてくる。途中で面倒になったのか、結構な高さからムササビのように飛んだ。
「あぶな・・!」
ジミィは思わず声を出したが、何の乱れもなく着地したテリィを見て、慌てて言葉を止める。
「呼びに来てくれたの?悪いね、えーと・・ジミィ?」
テリィのラフなシャツ越しに、さっきは分からなかった鍛えられた胸筋を感じると、ジミィは謎の劣等感に見舞われた。
「・・そんな薄着で寒くないのか?」
白いセーターを渡しながら、シャツ一枚のテリィに思わず問いかける。
ジミィはウエスタン調の皮のジャケットに毛糸のマフラー、ファーの耳宛のついた帽子まで被っている。
「スコットランドのエジンバラの冬はここの比じゃないよ。でもさすがに冷えてきたな」
テリィがセーターを肩に掛けポニーの家に戻ろうとした時
「・・おい、勝負しろよ!お前が親分の相手にふさわしいか見極めてやるっ!」
いきなり投げつけられた挑戦状に一瞬驚いたものの、次の瞬間テリィは指をパチンと鳴らした。
「威勢がいいな。いいよ、受けて立つ。何で勝負する?」
余裕の口調に、ジミィは自分がまともに相手にされていないと感じ、いよいよ闘争心に火がついた。
自分の最も得意とする乗馬で競う事を提案すると、テリィは二つ返事で引き受けた。
勝負は明日の午後、カートライト牧場で。


その夜、子供たちを寝かしつけるからと子供部屋に入ったきり、キャンディはなかなか戻ってこなかった。
「キャンディ・・・子供たちの様子は?」
様子を探りに行ったテリィは静かに子供部屋のドアを開ける。
「し~、今さいごの子が眠ったわ」
キャンディがゆっくりとした動作で添い寝していた体を起こした。
「食事といい風呂といい、毎晩これじゃ、先生たちも大変だな」
「フフ、全員手が掛るわけじゃないわ。上の子は下の子を面倒見てくれるの。そして小さい子も、次にもっと小さい子が入ってくれば急に成長したりするの。全員参加型なのよ」
キャンディの話はテリィには新鮮だった。
決して大きいとは言えない部屋に二段ベッドが幾つも並び、小さな子供たちが折り重なるように寝息を立てている。何度も穴を直した跡のあるつぎはぎだらけのパジャマは、素材以上の温かさを感じる。
このベッドで眠っていた小さなキャンディを想像すると、つい顔がほころぶ。
寒々とした大きな部屋に一人で寝ていた自分の子供時代。
(・・あまりに違い過ぎるな、・・だからこんなにキャンディに惹かれるのか・・)
「・・ここじゃ一人の寂しさなんか感じないんだろうな」
テリィの何気ない言葉にキャンディの表情は少し曇り、子供部屋のドアを閉めた後おもむろに言った。
「・・そうでもないのよ。私の様に赤ちゃんの頃からいる子はむしろ幸せね。ジミィなんか物心ついた頃に唯一の親である母親を亡くして預けられたの。育児放棄で保護された子もいる。心に傷を負った子は難しいわ。全員が思い通りの家に引き取られるわけじゃないし、・・中には夢を諦めた子もいたわ」
うつむくキャンディに、テリィは直ぐに自分の発言は浅はかだったと省みた。


 ――画家を夢見ていた少年がいてね、その子に何もできないまま別れてしまったことを、キャンディはひどく悔やんでいた。出来る限り子供の夢を応援したいそうだ。

以前アルバートから聞いた話を思い出したテリィは、自分に何ができるのか、漠然と見えた気がした。
「・・・分かった。俺たちに出来ることをゆっくり考えよう」
「考える・・?何を?」
「恩返しさ」
テリィはキャンディの鼻の頭をちょんとつついた。
「ところで明日の午後ジミィの牧場へ行きたいんだ。案内できるか?」
「カートライト牧場へ?いいわよ。でもどうして?」
キャンディがきいた時、子供部屋のドアがギギギ・・・と開き
「・・キャンディママ・・、おしっこ―・・」
小さな子供が毛布を引きずって立っていた。
「ハイハイ、相変わらず一人じゃ行けないのね。お化けなんていないのに。毛布が汚れちゃうと可哀そうよ、お留守番してもらおうね」
キャンディは毛布をベッドに戻すと子供の手を引いた。
「キャンディ、まだ寝ないのか?」
「レオのズボンの穴を塞ぎたいの。これ以上穴が広がると、直せなくなっちゃうから。お休みなさい、テリィ」
「・・おやすみ、キャンディ」
母子のように手をつなぐキャンディを見送りながら、テリィはゲストルームに入って行った。
ゲストルームはキャンディの部屋の隣で、子供たちやシスターの寝室とも隣接している。
もちろん鍵などついていない。
別室を強要されたわけではなかったが、ポニーの家ではダメよ、と言われれば仕方がない。
別室で就寝した方が安全だろう。
「――安全・・?」
言っている自分に笑えてくる。
過去の離愁からくるどうしようもない寂寥感か、はたまた渇望感からなのか。テリィにはキャンディを離せなくなる夜が時々あった。
ふと過去の事がよぎった夜だったり、浅い眠りからもたされた夢だったりが引き金になる。
心の底に沈殿しているようなその感情は、とにかく融通が利かない。

深夜だろうと朝方だろうと、隣にいるキャンディをきつく抱きしめてしまう。

最初は迷惑そうに眼をこすっていたキャンディも、今ではすっかり慣れたのか、やさしい愛撫を返してくれる。
(まるで迷子の子羊だな・・)
キャンディの手をギュッと握って目覚めた朝ほど、やるせない時はない。
 ――そろそろ、こんな自分をなんとかしたい。

 

 


©いがらしゆみこ・水木杏子

 

次の日の午後、二人は歩いて四十分ほどのカートライト牧場へやってきた。
跡取りであるジミィが、キャンディの結婚相手と勝負をするという話題は従業員に知れわたり、その時間になると集まってきた野次馬たちで牧場は活気だっていた。

「君のそういう姿は初めて見るよ。似合うな」
「とぼけないで!てっきり牧場の手伝いをするのかと思ったのに、いったい何で勝負なんかするのよっ」
キャンディは乳搾りする気満々のオーバーオール姿だった。
「君だよ。君を掛けて勝負するんだ」
「何よそれっ。あなたが負けたらどうなるのよっ」 
「さあな、ジミィに聞いてくれ。ただし俺が勝ったら、君は皆の前で俺に愛を叫ばなければいけない」
薄笑いを浮かべながら、テリィは厩に向かう。
「何でそうなるのよ!」
「それが嫌なら、ジミィの前で俺にキスしろ、ハハハっ」
楽しげなテリィを、不服そうな顔でキャンディは追いかける。

「好きな馬を選んでいいぜ」
厩の入り口で待っていたジミィは、男らしくテリィに言った。
薄暗い小屋の中には十数頭の俊敏そうな馬が並んでいる。
「あれがシーザーとクレオパトラ?」
仲よさそうに並んでいる黒毛と純白の二頭の名馬。テリィには直ぐに分かった。
「そうよ、よく分かったわね」
「君から話を聞いていたからね」
数年前アルバートさんが買い戻してくれたシーザーとクレオパトラ。
去年まではポニーの家でキャンディが世話をしていたが、世話係が不在になった今はカートライト牧場に預けていた。
「さすが一族のお眼鏡にかなった馬だ。君が十三歳の時から世話をしていたって?きっとおてんばだぞ」
テリィは、そばかすはどこだろう、と言いながらクレオパトラの鼻筋をなでている。
「馬は決まったのか?」
馬と会話をしているようなテリィの様子に、ジミィはしびれを切らした。
「とっくに決まってる。老いた体で走るのは辛いかもしれないが、俺と一緒に行こうぜ、さぁシーザー!」
テリィはシーザーの手綱を握った。

勝負の場所は放牧用の柵の外周。早く一周した方が勝ち。馬の体力とテクニックの勝負になる。
テリィはシーザーと軽くコースを一周し、馬とコースの癖を見極めてから勝負に臨む。
「ほう、旦那さんはずいぶんと好青年じゃの。キャンディがそんなに面食いだとは知らなんだ」
牧場主のカートライトさんが馬上のテリィを見て感心している。
「違うわよカートライトさん、面食いなのはあの人の方!」
テリィの頬がピクリと動いた。
「―・・うむ。旦那さんは面食いじゃの。キャンディのように顔も心も美しい女性を娶るとは、世界一の幸せ者じゃな」
カートライトさんの心の広さを見習おうと、テリィは黙って聞いていた。
「おいおい、そんなお行儀のいい乗り方で走れるのか?恥をかかせないように手加減してやれ、ジミィ」

体力自慢のカウボーイたちがスタートラインにたったテリィに野次を飛ばした。
「分かってるって」

その自信はどこからくるのか、ジミィはこれ以上ないほど口角を上げている。
「ずいぶん生ッ白い男だな。きれいな服と顔に泥が付いちゃうぜ、ガハハハハっ!」
「――それはどうも。服と顔を褒めていただいて」
軽くかわすテリィの横で、キャンディはバッファローのような角を出した。
「あんた達うるさいわよっ!テリィが勝ったらあんた達の顔に泥を塗るわよ!いいえ、馬糞よ!」
恫喝まがいの言葉に、男たちは途端に肩をすくめた。
「・・テリィ、あまりスピードは出さないでね」
落馬が怖いキャンディは、両手のひらを固く組んで馬上のテリィに声を掛ける。
「それじゃ勝負にならないだろ?遠慮なく行かせてもらうよ。あ、これ持ってて。汚したら怒られそうだ」
心配するな、とキャンディの額にキスをし、テリィは着ていた白いセーターを脱いだ。
とたん、カートライトさんはギョッとした。
セーターの下から出てきたのは、もっと汚してはいけなさそうなシルクのシャツ。
「誰か、彼に着替えを。ジーンズと皮の」

思わず言ったカートライトさんの言葉を、テリィは即座に断った。
「お気遣い結構です、カートライトさん」
「じゃが、、」
「あいにくサイズが合いそうもありませんので、ここにいる誰とも」
カウボーイ達の足の短いこと体の丸いこと。
モデル並みにスタイルの良い青年を前にしては、カートライトさんも返す言葉がない。
「さぁっ、賽は投げられた!舞台の恨みはここで晴らす。ブルータス、今日はお前を叩く!!」
テリィの顔色と口調が急に変わった。意味不明なセリフではあったが、トップギアがいきなり入った様にキャンディは感じた。
テリィは昨夜の鬱憤を晴らすように、ジミィと二人で駈けて行った。

 


カートライトさん 画像お借りしました

カウボーイたちの応援もむなしく、ジミィはわずかの差で敗退した。 
「ジミィ、これで認めてくれるか?」
久振りにいい汗をかいたテリィは、気持ちよさそうに汗をぬぐった。
「なんか、、すごく変な姿勢だったよな?体を直角に曲げて・・今の極端な姿勢はなんだ!?」
ジミィは負けた理由が分からず、少しパニックになっていた。
「競馬はわが母国、イギリス発祥のスポーツだって知らなかった?」
テリィはジミィの顔を立てるため、僅差でゴールしようと最初から決めていた。
セオドラを貰いうけた厩舎は競走馬の育成もしている。騎手直伝の技を会得しているテリィにとって、ジミィとの勝負など出来レースも同じだった。
「まだだっ‼今度は障害で勝負だ!」
毎日馬に乗っている自分がこんな軟弱男に、しかも老馬にあっさり負けるなどプライドが許さない。
ジミィは悔しさをにじませ、再度挑戦状を叩きつけた。
「・・障害?馬術か・・?」
テリィは一瞬考える素振りをしたが、直ぐに今日はやめておく、と丁重に断った。
「ふん、障害物は自信がないのか?負ける勝負はしない主義か!?明日以降という今の言葉、忘れるなよ!」
そう言い放つジミィは、さっき負けたことは既に忘れたようだ。
「シーザーとクレオパトラを借りてもいいか?おっと、角を出しながらクレオパトラがやってくる」
キャンディが鬼の形相で、ドスドスと地面を蹴りながらこちらへ歩いてきた。
「テリィ!!なんなの、あの乗り方は!危ないじゃないっ!」
「・・じゃじゃ馬同士じゃ馬が合わないかな。君もシーザーに乗る?」
「なんの話よっ」
テリィはむくれるキャンディをヒョイと抱き上げシーザーに騎乗させると、テリィもそこに飛び乗った。
「罰ゲームなんてしないわよっ」
「・・あんまりだな。そう照れなさんな、勝利の女神」
テリィはキャンディの顎をグイッと自分の方に向け、策略めいた眼を細めた。
「・・ちょっ、テ、テリィ、こんな所でや―・・」
見てはいけないものを見てしまったかのように、ジミィは馬上の二人から目を逸らした。
何だ、この敗北感は。
自分に見せつけるようにキスしているからとは、また違う。
両足を揃えて騎乗する親分など、まして男にされるがまま唇を奪われる姿など自分の知る親分ではない。
それがジミィにはたまらなく悔しかった。
「またなジミィ、楽しかったよっ!」
現実を分かってもらえたかな、と、テリィは形ばかりのキスを終えると、クレオパトラをひいて牧場を後にした。
「何だよ、いちゃいちゃしやがって!これから練習でもするつもりかっ」


翌早朝、テリィはシーザーにまたがり、クレオパトラもひきつれ牧場へ一人でやってきた。
「やあ!ジミィ、おはよう。約束通りきたよ」
作業中のジミィを呼び止めて挨拶をする。
「なんだ、馬を返しに来るんだったら、こんなに早くなくてもいいのに」
「悪い、こっちの都合だ。さっさと勝敗をつけよう。ぐずぐずしているとキャンディが嗅ぎ付ける」
ジミィにはテリィの言った意味が分からなかったが、そんなことはどうでもいい。
ギャラリーがいようがいまいが、さっさとけりを付けたかった。
「馬術だな?ここ十年は仕事場と自宅の往復ばかりだったから、跳ぶ方は少しブランクがある。少し体を慣らしてもいいかい?」
テリィは勘を取り戻すように、まずは小さな障害物(と言っても実際は茂なのだが)と大きな障害物を華麗に跳んで見せた。
ジミィは桁違いのレベルを見せつけられ、あっけにとられた。
助走からとぶまでの無駄のない美しいフォーム。
馬に負担を掛けない絶妙なタイミングでの跳躍と馬との一体感。
これほど無理なく障害物を超えて行く人間など、かつて見たことがない。
ジミィは既に自分の敗北を悟った。
「な、なんで昨日親分の前で勝負しなかったんだ!かっこいいところを見せられたじゃないか!」
ジミィがむきになって言うと、馬から降りたテリィはシーザーの鼻をよしよしとなでながら言った。
「あいつの前で跳ぶわけにはいかないから」
「どうして!?」
「・・昔、キャンディの恋人が落馬して亡くなったんだ。あいつの傷が完全に癒えることはないだろう」
テリィの口から告げられたキャンディの過去に、ジミィは愕然とした。
長年キャンディの側にいたというのに、全く気付かなかった―
「そ、それはいつの話だ!?」
「君が小さかった頃の話だよ。知らなくても無理はない。当時は馬を見ることさえ怖がっていた。・・乗れるまで回復できたのは、皆のおかげかな」
さも付き合いが長いような言い方をするテリィの言葉が、ジミィには引っ掛かった。
「当時って、、お前、いつ親分と知り合ったんだ・・?」
「キャンディがイギリスへ留学した時だから・・ちょうど十三年になるのかな」
「そんなに前!?」
――親分のイギリス留学。・・言われてみれば、遠い昔そんな事があった気がする。
突然いなくなった親分。喪失感で毎日泣きはらした。
イギリスから送られてきた制服姿の写真を眺め、再会の日を待ち詫びた。
数か月たった頃、親分の友人という男が訪ねて来て、先生たちは喜んでポニーの家に招き入れた。
ドアの隙間から見たその男は、ちょっとかっこよかったが、キザな奴だと思った。
「あれ・・・?あれはあんたか?」 
うっすらとよみがえった男のシルエットが目の前の人物と重なる。
あの後、その男と入れ替わる様に突然親分が現れたかと思うと、なんども誰かの名前を連呼して、追い掛けるようにどこかへ行ってしまった。
(・・その名前、テリィではなかったか―) 
ジミィは今はっきりと思い出した。
(あの時から二人は既に恋人同士・・だった・・?)
「――あんた、昔ポニーの家に来たことがあるよな?」
「へえ・・?よく覚えているな。あの時俺は学校をやめて単身アメリカへ渡った直後だった。俳優になる為に故郷と家を捨ててきた。十六歳だったな」
テリィは事実を淡々と告げただけだったが、その衝撃はジミィの奥深くまで波動となって届いた。
「・・あんた、昔から少しかっこよかったが、相変わらず・・かっこいいな」
ジミィはテリィの内面からにじみ出る男気を感じとった。
テリィは何も言わず微笑すると「さぁ、馬術勝負だ。ジミィ、用意はいいか?」
話題を切り替える様に声を掛ける。
「もういい、勝負はついた。俺が負けたよ!何でも言うことを聞くぜ、大親分!!」
ジミィは弾けそうな笑顔で握手を求めた。

 

 

7-6 ジミィ

 

次へ左矢印左矢印

 

 

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