★★★6-5

キャンディと一緒に現れた人物を見て、椅子から勢いよく立ち上がったのはイライザだ。
「―!!テリィっ!!・・・どういうこと!?」
「イライザ、まぁ座って。今から紹介するから」
アルバートは間髪入れずに一声掛け、着席を促した。
大きなテーブルを囲むように親族十数人が座っている。
上座に今夜の主役である二人が、その両隣にアルバートとエルロイ大おばさまが着席していた。
「僕の大切な養女キャンディスとテリュース君のお披露目会へようこそ。既にお気づきの方もいるようですが、彼は私などより遥かに名前も顔も知られた人物です。結婚に至る経緯については、後ほど彼の方から。二人は既に彼の故郷イギリスへ住居を移し、新生活をスタートさせています。つい先日、彼の実家である公爵家の意向に沿う形で、イギリスで最も格式が高いとされる寺院にて式を挙げたという事だけ、先にご報告させていただきます」
事実に寄せつつ、不都合を巧みに改ざんした演説内容に、キャンディは内心ひやひやしていた。
十二月に行ったのは結婚式ではなく、実際は結婚の届け出だったが、アルバートにとってそんなことは大同小異のようだ。
「ではテリュース君、挨拶を」
ボールを投げられたテリィはスっと立ち上がり、決められたセリフを流暢にしゃべり始めた。
「はじめまして一族のみなさん。テリュース・G・グランチェスターと申します。僕の生家グランチェスター家は、王族の流れを汲む五百年余り続く公爵家であり、父リチャードは二十七代目当主にあたります」
アルバートは公爵家の威厳を前面に出す懐柔作戦をテリィに指示していた。
大おばさまを筆頭に、格式や名誉を重んじる人間は身分や家柄にことさら弱いからだ。
「僕はその長男の立場にありながらアメリカ文化に憧れ、自由奔放にニューヨークを拠点に舞台俳優として邁進してきました。しかし年貢の納め時が来たようで、この度イギリスのロイヤル・シェークスピア劇団に籍を移し、故郷に骨を埋める覚悟を致しました」
自身の職業に触れつつ、家督を継ぐかは明言をさけ、匂わすぐらいで丁度いいとも指示していた。
「キャンディス嬢とは、彼女のイギリス留学中に知り合って以来、交流を深めて参りました。仕事の都合で急な帰国となり、慌ただしくプロポーズする事になったのは、僕の不徳の致すところです。拘束される職業柄時間がとれず、皆様へのご挨拶が今日になってしまったことを心よりお詫び申し上げます。学院時代から親交のあるアーチー、アニー嬢、ラガン兄妹と同じアードレー家ファミリーの一員になれることを、この上なく光栄にまた頼もしく感じております」
古くからの学友であると強調し、ファミリーに加わることを名誉に思うと付け加え、立て板に水のごとく台本通りに演説を閉じる。

アーチーは白々しいテリィの演説を黙って聞いていた。


その場にいた大おばさまはじめ十数人の親族たちは、滑らかで堂々としたテリィの立ち居振る舞いに一様に感心していた。人前でしゃべることを生業にしている人物はやはり一味も二味も違うと。

演説の中身についても概ね納得したようで、異を唱える者はいなかった。

ただ一人イライザを除いては。
イライザはわなわなと震えながら、到底納得できないという表情でフォークをきつく握り締めている。
そんなイライザをちらっと見てから、アルバートはおもむろに付け加えた。
「彼は全米中が注目する人物です。明日の披露宴にあたり警備も強化しましたが、皆さんも軽はずみな言動はお控えください。皆さんが想像する以上にゴシップ記者というのは厄介な存在です。どう湾曲して報道されるか計り知れない。アードレー家の尊厳に関わる事態にもなりかねません」
記者を警戒するような総長らしい発言は、今後予想される質疑への伏線、台本の一文だった。

 



挨拶が終わったタイミングでメイドたちが前菜を運んできた。場の空気が少し和らいだ気がする。
キャンディはフォークに手を伸ばしたが、まだガタガタと震えている。
それに気づいたテリィはそっとフォークを手渡し

An army marches on its stomach. ※腹が減っては、戦はできぬ」とウインクをした。
そんなテリィのしぐさを見たイライザは、ついに我慢できなくなり口火を切った。
「いったいどういう事!?テリィ、あなたスザナ・マーロウと結婚していたはずよ!喪が明けて間もないというのに、軽率じゃないこと!?アードレー家も低く見られたものねっ」
演説で触れていなかった事。疑惑のド真ん中を突いてくる。
早速出てしまったスザナという名前に、瞬間キャンディのまぶたは瞬きを忘れたように止まった。
アーチーは内心ほくそ笑んだ。
自分の言いたい事を代弁したかのようなイライザの発言。今夜ばかりは密かにイライザに加勢する。
しかし、アルバートとテリィはそんなことは当然織り込み済みだ。
相変わらずの歯に衣着せぬ物言いだと、テリィは余裕の笑みさえ浮かべる。
「―・・イライザ、僕はキャンディとしか結婚した覚えはないよ。貴族の嫡子が外国で好き勝手に結婚できるほど、イギリスの結婚制度は単純じゃない」
堂々と否定されてしまうと、反論材料など何も持ち合わせていないイライザの声は一瞬しぼむ。
「・・こ、婚約だったかしら・・、どっちでも同じよ!籍が入ってないだけで、スザナとは一緒に住んでいたって話じゃないっ!」
イライザのその言葉を待っていたとばかりに、テリィは作られた台本のセリフをなぞり始めた。
「・・話?ああ、・・用心深い君まで信じてしまうなんて、ゴシップ記事の求心力には恐れ入るな」
あきれた様に大きな息をつき、次の瞬間、席についている全員に話しかけるようにテリィは顔を上げた。
「誤解の無いよう説明させていただきますが、僕に関する過去の報道は全て根も葉もないゴシップ記事です。随分前の事になりますが劇場の整備不良で、同僚の女性の体に後遺症が残ってしまう事故がありました。少しでも力になりたいと誠心誠意サポートしたことが、記者に恰好のネタを与えたようです。僕は報道機関に対し、談話などただの一言も発したことがないのですから、記事が全て憶測で書かれたことは火を見るより明らかです」
力強いテリィの言葉に、キャンディは一瞬ハッとした。
自分も紛れもなくその記事に踊らされた一人だったのか。
毅然と語るテリィの言葉には説得力があり、危うく自分も鵜呑みにしてしまいそうになったが、テリィとスザナの同棲が虚偽であるはずがない。
全てはデマだったという台本をアルバートが書いたのだと、キャンディは悟った。
(なんて大胆な台本なの・・!)
この十年余り、散々誌上を飾っていたテリュース・グレアムとスザナ・マーロウのロマンス。
病魔に侵された婚約者を献身的に支え、最期を看取った内縁の夫。美談の二人。
それをそっくり無かった事にするなんて―
キャンディは周りを正視出来なくなり、うつむくようにテリィの方に顔を傾けた。
イライザも到底納得できるはずがない。声のトーンを上げて食い下がる。
「あれだけスザナとの仲を再三取りざたされて何も否定しないなんて、それこそ不自然だわ!火のない所に煙は立たないってものよ!」
「否定するのは火に油を注ぐようなものです。黙する事が得策だとこの業界の人間なら誰でも知っています。スザナは受傷後も劇団の裏方に回り一緒に芝居を作ってきた仲間でした。僕は彼女のマネジメントも担い、活動を共にすることも多かったですが、スザナに恋愛感情を持ったことなど一切ありません。僕にはずっとキャンディがいてくれました。今回の結婚の報告が、僕が個人的な事を公に発信する最初で最後になるでしょう」
堂々と言い切った時、アルバートがすかさず付け足した。
「結婚の公式発表は、滞在中の混乱を回避するため明日ではなく二人が帰国してから、地元の有力新聞シカゴ・ニューズ・エクスプレスに寄稿するつもりで調整しています」
「ああ、それがいい」
元々大した事情も知らない長老たちはアルバートの意見に賛同した。
その様子を見て、イライザはますます頭に血が上った。
「絶対おかしいわ!それならどうして今なのよ!スザナが死ぬのを待っていたようなタイミングで結婚するなんて、話が出来過ぎだわ!」
イライザがなぜ執拗に過去のゴシップ記事にこだわるのか、長老たちは首を傾げた。
そんな空気を察知したラガン夫人は、隣にいるイライザに耳打ちするように
「イライザ、もう止めなさい。あの手の類の人はお金になる事なら何でも書くものよ」
と冷汗混じりで言ったが、イライザは聞く耳を持たず、反論できるならしなさいよ、という目でテリィとキャンディを睨みつけた。
キャンディは身が凍るような感覚になりながら、テリィをちらっと見たが、テリィに動揺は見られない。
この質問も織り込み済みなのだろうか。
「・・このような席でお伝えするのは気が引けますが、実は先の大戦で弟が亡くなり、父も・・身体を患いました。直ぐに駆けつけキャンディを父に紹介するべきだったのですが、皮肉なことに、公開中の僕の主演作品が高評価を得てしまい公演は延長に次ぐ延長。帰国する事が僕の一存では難しくなってしまいました。・・社会人として個人の事情を優先すべきか否かは、この強大なアードレー一門を支えてきた皆さまならお分かりいただけるでしょう。劇団側と折り合いをつけるのに数年もの歳月を要したことは、ある意味僕の彼女への甘えです。―・・今日まで待ってくれたキャンディには感謝しています」
一気に役者のトーンに変わったテリィの、同情を乞うような物言いは見事だった。
アルバートが書いた台本も実に巧妙で、虚偽と真実、裏付けが簡単に取れる事と全く取れない事が交互するように混じり、聴衆を信じさせるだけの説得力があった。
それでもイライザは食い下がった。
口のうまいテリィでは勝ち目がないと思ったのか、矛先を変える。
「じゃ、何?あなたたちはずっと付き合っていたとでも言いたいわけ?アニーやアーチーにも内緒で?そんなこと全く知らなかったわよね、アーチー!?」
「・・ああ。知らなかったね」
アーチーはどちらに味方をするでもなく、事実だけを伝える。
「ほら、おしゃべりなキャンディが親友のアニーにさえ黙っているなんて有り得ないわ。どうなのキャンディ!」
突然キャンディに矛先が向いた。心臓が壊れそうなほど波打っている。どう返していいか分からない。
全てテリィに振って構わないというアルバートの助言が頭をかすめたが、「そ、それ・・は―・・」言葉を失ったように、口から声が出てこない。
テーブルクロスの下に隠れた震える手に目線を落とし、その手に力を入れようとした時、不意にテリィの大きな手が、キャンディの手を包み込んだ。
「――僕が口止めしました。さすがに一連の報道で、記者の横暴さに脅威を感じていたものですから。キャンディとアードレー家を守るためです。敵を欺くにはまず味方から。古典的な手法ですよ。聡明な皆さまならご理解いただけるでしょう。ですが、もちろんウイリアム氏には直接お伝えしていました。僕の胸の内を」
テリィの弁舌に事なきを得たキャンディだったが、とても一息つけるような状況ではない。
テリィからボールを返されたアルバートは、顔が青白く硬直しているキャンディを見て、そろそろ潮時だと判断し鶴の一声を発した。
「――そうだね。あれは何年前だっただろう。僕の所へ二人で挨拶に来ましたよ。僕はかなり前からこの事実を知っていました。彼の言う通り、全てキャンディとアードレー家を守るためです。スザナとの報道を、逆に隠れ蓑に利用したらどうかとも助言しました。実際その通りに事が運び、このイライザでさえかくも見事に架空の記事を信じ、二人の交際に全く気付かなかった。作戦は大成功でした。ハハハっ・・さあ、そろそろ食事の準備が整ったようです。冷めないうちに頂きませんか」
総長に言われれば、もはや誰も何も反論できない。
イライザは唇を噛みながらも黙るしかなく、それ以降は静かに食事を続けた。
第一関門は突破したように思えたが、キャンディは豪華なディナーも殆ど喉を通らなかった。



6-5 イライザ

©いがらしゆみこ・水木杏子 画像お借りしました

 

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