★★★6-6
夕食会も終わり大御所たちが引き上げたタイミングで、イライザの金切り声が長い廊下に響いた。
「あなたたちが何と言おうと、私は騙されないわよっ!」
部屋に戻ろうとしていたキャンディとテリィの足は、階段を数段上った所でピタリと止まった。
「――どうぞご勝手に」
まだ言い足りないのかと内心舌を打ちつつテリィが振り向くと、イライザの三白眼がキラリと光った。
「キャンディ、あんたって本当に卑しい泥棒猫ね。スザナが死んで傷心極まるテリィの心の隙間に押し入るなんて、図々しいったらないわ!」
「イライザ、よさないか」
「テリィ、あなたもあなたよ。こんな卑しい子のどこがいいのよ!一度は捨てたくせにっ、あんな体のスザナの方がキャンディよりはマシって。ブロードウェーのスターには、ポニーの家の子なんて似合わなくてよっ!キャンディ、あんたはさっさと田舎に帰って、年寄りに包帯でも巻いていればいいのよ!」
あまりの言いぐさに、さすがのテリィも黙っていられなくなった。
「キャンディはもうグランチェスター家の人間だ、彼女を侮辱することは―」
テリィが詰め寄ろうとした時

「訂正してイライザ!」キャンディはテリィを押しのけおどり出た。
散々聞かされてきたことだ。イライザの言葉など何とも思わない。だけど――
「あんな体って何!?体が不自由だからって何が劣るというの!人の価値はそんなものでは決まらないっ、心がないあなた達よりスザナの方がずっと美しかったわ!」
キャンディから出た予想外の言葉に、テリィの胸はズキンっときしんだ。
(違う、キャンディ・・、スザナは―)
「へえ~、ならあなたはどうなのキャンディ!お兄さまにあんな心無い仕打ちをしておいてっ!」
「イライザっ!!」
キャンディは思わず声をあげた。
( ニールの事がテリィにばれてしまう・・!)
焦っているようなキャンディを見て、イライザは片眉を吊り上げた。
「テリィ、明日の披露宴は気を付けた方が良いわ。キャンディは土壇場になって心変わりするのがとっても得意なの。ニールの時もひどかったんだから」
「ニール・・?」
テリィはイライザの言葉に反応した。
「ちょ、テリィ・・!その話は後で」
キャンディは制止するようにテリィの腕を掴んだ。
「あら、何も知らないのねテリィ。あなたのさっきの話が事実だと言うなら、キャンディはあの当時二股を掛けていたって事になるのかしら?何も知らずにお兄様はおかわいそうに・・。キャンディにたぶらかされて、その気にさせられて・・、挙句あんな公衆の面前で婚約を破棄されるなんてっ!」
「違うわ、イライザ!!」
いきなり出てしまったニールの話にキャンディの頭の中は混乱した。
憮然としながらテリィを見たが、なぜかテリィは顔色一つ変えず、何の追及もしてこない。
「・・あ、あの、テリィ、違うの。後で説明するから・・」
口ごもりながら言った時、テリィはイライザに向かって不敵な笑みを浮かべた。
「ニール・・?ふっ、相変わらずお坊ちゃんだってことか。勘違いも甚だしいな。キャンディは昔から俺しか見ていない。そのことはイライザ、君が一番知っているんじゃないか?」
そう言うとテリィはキャンディを自分の前に立たせ、その細い両肩に手をのせた。
「君は夜の厩で俺たちが逢引している現場を見たんだったな?俺たちの愛を一番近くで垣間見たご感想を、まだ聞いてなかったよ。明日キャンディの心が変わるかもしれないって?・・ふっ、それは何の冗談だい?十年以上変わらなかったものが、明日突然変わるはずもない。――そう思わないか?」
テリィは皮肉を混ぜながら毅然と言い返すと、
「な、キャンディ・・?」わざと甘い声を掛け、前にいるキャンディの顔を覗き込んだ。
「・・え、ええ・・」

戸惑いながらも話を合わせようとした瞬間
「愛してるよ――」
テリィはキャンディの頭を後ろに倒し、上から包み込むように口づけをした。

髪にしていたキャンディのカチューシャが、カラン・・と廊下に落ちた音が響く。
「・・―ぅっ・・ん―」
苦しい体勢、倒れそう――
全身テリィに支えられているのが分かる。
普段、こんな無理な体勢でキスをすることなど絶対にない。
キャンディには分かった。今の言葉もこのキスも、イライザに見せるための芝居だと。
(・・やめて、テリィ―)
そんなキャンディの心の声が聞こえたのか、テリィは不意にキスをやめ、
自分の胸に押し付ける様にキャンディをキュッと抱きしめた。

「―・・そういうわけでイライザ、俺たち予定が立て込んでいるから」
挑発するようなテリィの態度にイライザはわなわなと震えたが、反撃の糸口が見つからず、「勝手にしなさいよ!」と言いながら、カツカツとハイヒールの高い音を廊下に響かせ去って行った。
(覚えてらっしゃいっ・・!テリュース、キャンディ・・!)

キャンディはテリィに何と返していいか分からなかった。
「・・・知っていたの?ニールの事・・」
不安げに顔を覗いた時、テリィの腕がスッとキャンディから離れた。
その瞬間、キャンディは凍りつくような孤独を感じた。
「・・後で君の部屋に行く。説明してくれ」
夕食会が始まる前に聞いたセリフと同じなのに、その声は鋼のように固く冷たく、まるで違う事を言われているように響いた。
テリィはキャンディに目を合わせることなく、背を向け立ち去ってしまった。

コツコツと廊下を蹴る靴の音を聞きながら、テリィの頭の中には今しがた自分が発した言葉が残っていた。


 ――十年以上変わらなかったものが、明日突然変わるはずもない

 

(変わらなかったのは俺の方・・。キャンディは―・・?)
緊張が解けたからなのか、夕刻アルバートの部屋で聞いた話が今頃になってフラッシュバックする。


 キャンディも決して恋愛に後ろ向きだったわけじゃないと思うけどね。

 アニーが企画したお見合いパーティにも出席していたみたいだし。

 キャンディに熱を上げていた御曹司も何人か混じっているから。

 ニールは何年か前、キャンディとの結婚話を強引に進めたんだよ。

離れていた十年、キャンディが何を考え過ごしていたのか、あまりに無知なことに、テリィは今初めてもどかしさを感じていた。
別れる前、そしてニューヨークで再会して以降、キャンディの愛に疑いはない。
だからと言って、ずっと想っていてくれたと考えるのは、虫がよすぎるのか―
少し前まではキャンディだけいれば十分だったのに、過去も未来も欲しくなってくる。
(欲が出てきたのか。・・全く俺という人間は、相変わらず勝手だな・・)
テリィは深い思慮の渦の中へ落ちていくような感覚になりながら、暗い廊下の先へ歩いて行った。


 ( 怒ってる・・?・・・どうして、いつ、ニールの事を・・)
いつまでも閉じ込めておきたかったニールとの過去。
いつかは受け止めなくてはならないスザナとテリィの関係。
それが立て続けに現れ、キャンディの頭の中はまるで知恵の輪のように絡まっていた。
テリィを追うこともできずその場に立ち尽くしていると、夕食会の会場からアルバートが出てきた。
キャンディはすぐさまその手を掴まえ、隣の控室へ引っ張っていく。

「アルバートさんでしょう!?どうして・・!?どうして、テリィに伝えたの、ニールの事!」
責めるようにキャンディは言い寄った。
「事実は事実だ。君たちには少し話し合いが足りないようだ。明日の招待客は五百人余り。誰から何を吹き込まれるか分からないんだよ?過去の出来事ぐらいは先に話しておいた方がお互いの為だ。ほら、早くテリィの部屋へ行って。大おばさまの機嫌を損ねるような時間は避けたほうがいい」
「事実って・・、スザナの事、あんな風にでたらめを言わせてそれはないでしょ!?二人は婚約していたのよ?全米中が一目置いていたカップルだったのよ!どうして直ぐばれるような嘘をつかせたの!?」
あまりに大胆な台本を書いたアルバートを責め立てるように迫った。
「でたらめじゃないさ。テリィが言ったことをよく思い出してごらん」
「・・えっ―」
キャンディは頭が混乱した。
「コメントは何一つ発表していない、って言ったんだ。婚約式を行ったことも、その為のパーティを開いたこともないらしい。つまりテリィとスザナは婚約などしていないんだ。偽装にさえなっていない」
「・・婚約していない・・?そんなはずない・・そんなの言葉のすり替えに過ぎないわ・・」
「キャンディはテリィの言葉よりゴシップ記事の方を信じるのか?テリィは記事を否定しなかっただけだ。だからと言って記事が事実とは限らない」
「で、でも、テリィは結婚に必要な書類を実家に・・、結婚しようとしていたのは明確だわ!」
「しようとしただけで、実際はしていない。成立していない以上、報道は全て虚偽だと主張できる。何ら不自然な点はない。都合の良い事実を利用しない手はない」
「そんな乱暴なっ・・!それじゃスザナはどうなるの!?可哀そうよ、あんなにテリィを―」
キャンディがムキになって言い返した時
「キャンディ!君は一体どっちの味方なんだ?テリィは君の夫だろ、信じないでどうするんだ!」
アルバートの声に、キャンディはビクッとした。
「テリィの気持ちはずっと君にあった。例え一時期テリィが結婚に向けた動きをしていたとしても、彼の本意じゃないのなら、取るに足らないことだ!婚約さえ成立していないのに、スザナの気持ちなど何の関係がある?マーロウ夫人が他界している今、真相など今やテリィの手の内にしかない!」
キャンディの耳には、アルバートの言葉が氷のように冷たいものに聞こえた。
「・・・誰も本当の事を知らないから、嘘をつかせたの?心情なんて関係ない・・?そうかもしれないけど、私にとっては一番大事なことよ・・」
「知りたいなら、君だけ直接テリィから聞けばいい。今更世間に発表することじゃない」
キャンディの瞳から、枯れ葉の端からしたたれるように、一滴の涙が零れた。

 

 ――愛しているよ・・もう、ずっと・・

テリィのその言葉に偽りはないと信じている。
だからこそ、そんな状態でスザナと結婚しようとしていた事に、胸が締め付けられる。
アメリカという地がそうさせるのだろうか。
長く忘れていた感情が蒸し返される―

「・・あんな嘘をつかせるぐらいなら、ゴシップ記事通り、去年出会ったことにしたってよかったのに・・!」
「君たちが学生時代に出逢い、駆け落ち同然にアメリカに渡った事は、イギリスでは既に周知の事実として記事になっている。話に一貫性を持たせる事は重要だ」
「・・それなら―・・ありのままを、ありのままを伝えることだって出来たはずよ」
「では、逆に聞くが、ありのままって何だい?何年も一緒に住んでいたスザナのことは微塵も愛していなかった、テリィは自己犠牲を払っていただけ、という事か?それともゴシップ記事通り、愛し愛された女性を病気で亡くし、失意のどん底にいたテリィの前に昔の恋人が現れ、直ぐに結婚したって事か?いずれにせよ、不実な人間だとテリィが烙印を押されるだけじゃないのか?」
そう言われ、キャンディは言葉に詰まった。
どんな台本だったら納得できたのか・・。それさえも分からない。
「・・キャンディの気持ちも理解できるが、今回の台本はテリィも承知していることだ。僕達と足並みを揃えてくれないと困るっ」
アルバートの言葉尻が強まったのを感じた。
「テリィが納得したとは、・・とても思えない」
分からないにせよ、やはりこの台本を手放しでは受け入れられないと、キャンディは思った。
「テリィはこれが最善策だと言ってくれたよ。スザナは罰を受けるべきだって」
キャンディは一瞬耳を疑った。
「・・罰・・?テリィが言ったの・・?」
「後は、二人で話しなさい」
アルバートが静かにそう言った時、ドアをノックする音が響いた。
「・・ウイリアム様、警備担当者が明日の警備箇所の事で確認したいと―」
外からジョルジュの声がする。
「今行く、待たせておいてくれ」
ドアに向かってアルバートは一声掛けると、キャンディの方に向き直り
「とにかく、一枚岩でいかないと。明日の披露宴は、台本通り進めることが重要だ」
そう言って、アルバートは部屋から出て行った。

 

 

「ちょっと待ってっ、この台本でずっと続けなきゃいけないの!?アルバートさん!!」
アルバートを追うように廊下へ出た時、アーチーとアニーが丁度その場に居合わせた。
取り乱した様子のキャンディに、「キャンディ・・どうしたの?」
目じりが光っているのに気付いたアニーは、心配そうに声を掛ける。
「・・カチューシャが落ちているわ。これ、キャンディのでしょ?」
アニーは拾おうとしたが、涙を見られたくなかったキャンディはパッとしゃがんで掴むと
「おやすみなさい。アニー、アーチー」
逃げるように階段を駆け上がった。

アニーとアーチーには、暗い階段の向こうへ消えていくロイヤルブルーの後姿が、まるで深い海に沈んでいくように見えた。
「アルバートさんと喧嘩でもしたのかしら・・。あの仲のいい二人が珍しいわね。・・応接間で話していた時も、なんだか様子がおかしかったわ・・」
「あいつがいるといつもこうだ!キャンディの苦労が目に見えている。キャンディの為だと思って黙っていたが、テリィの奴、死人に口なしとばかりに嘘八百並べやがってっ、どこまでふざけた奴だ・・!」

螺旋階段を駆け上っていくキャンディは、胸が張り裂けそうだった。
(内情を知りたければ本人にきけ、ですって・・?それができたらどんなに・・!) 

 

 ――今は多くを話す気になれない。・・時期が来たら話すよ

再会した日のテリィの言葉――
(テリィは話してくれない。今はまだそのタイミングじゃないってことなの・・!?それとも言えない何かがあるの・・!?明日は私たちの結婚披露宴だというのに、もう夫婦だというのに―・・!)
キャンディは部屋のベットに倒れ込み、思わず叫んだ。
「テリィのバカっ・・!!」

 

 

6-6  アルバートの台本 

 

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