★★★6-4 

テリィが客船でプレゼントしてくれた緑色のイブニングドレス。 

イギリスから持参して今夜の席に着たかったのに、何故かテリィは置いていけの一点張りだった。 

アメリカでなら着ていいと言われた記憶があるが、そんな意味じゃないと言うだけで、ろくに説明してくれない。

そして一言、花嫁の父に最後の花を持たせるべきだ、と言ったので、仕方なく従うことにした。 

 

テリュース・グレアムの結婚の事実は、不思議なことにアメリカでは全く報道されていなかった。 

数か月前に新恋人と会っているところをゴシップ紙にキャッチされて以来、雲隠れ状態になっているようだ。

長く担ってきたハムレット役が、劇団の若手俳優に引き継がれたことだけは公然の事実としてあったが、本人も劇団も会見を開かなかったことから、報道各社はテリュース・グレアムの所在を把握しきれていなかった。 

RSCの本拠地がロンドンから離れていた事も、追えなかった一因のように思えた。 

アルバートもキャンディが結婚したという事実しか親族に伝えていなかったので、どんな人物が今夜の席に現れるのか、殆どの親族はまだ知らない。 

 

「キャンディは話を合わせるだけでいいからね。何か言われたら、余計なことは言わず全て僕かテリィに振ってくれて構わないよ」 

控室で待機していたキャンディはアルバートからそれだけ忠告を受けた。 

嘘がつくのが下手という理由で、アルバートは自分の書いた台本の内容をキャンディに知らせなかった。 

時間が押し迫っていたせいもあったが、きっとキャンディは納得しないだろうと思ったからだ。

「・・スザナの、・・スザナの事を訊かれたら何て答えるつもりなの・・?」 

普段ならイライザからの中傷など痛くもかゆくもないキャンディだが、スザナの話題に及んだら、平静でいられる自信はない。さすがに確認しておきたくなった。 

「そのまま事実を答えるつもりだよ。まあ、大船に乗ったつもりで僕たちに任せておきたまえ」 

アルバートは余裕たっぷりに口角を上げ、控室から出て行った。 

 

( ・・事実?・・事実って何・・?) 

テリィにはかつて美しい婚約者がいた。結婚しなかったとはいえ婚約を破棄したわけでもなく、伴侶として内縁の妻をいまわのきわまで支え続けた。それは全米の誰もが知っている公然の事実――。 

手が震え出すのを感じていると、テリィが控室に駆け込んできた。 

キャンディの全身を包むドレスを見るなり、体が固まったように静止する。 

「・・これは、これは、プリンセス・オブ・イングランド?」 

青と紫の中間色のような落ち着いた色のロイヤルブルーのシンプルなドレス。 

両肩に掛った細い紐がドレスを支えているようなオーソドックスな形ではあったが、ウエストからフワッと広がった三角のラインが美しく、縁どる様にちりばめられたスワロフスキーのストーンがキラキラとよく映えている。ドレスと同じ装飾が施された青いカチューシャが、ティアラのように髪に添えられ、ブロンドの髪を持つキャンディには殊の外似合っていた。 

「・・アルバートさん、イギリス王室を意識したのかな」 

「・・テリィの瞳の色に合わせてもらったのよ。緑色のドレスはダメだって言われたから―」 

意表を突かれたテリィは、引き込まれるようにキャンディの瞳を見つめた。 

エメラルドグリーンの瞳が憂いを帯びている。 

「似合うよ。このドレスの紐、あとで俺が外したいな。外すとドレスはどうなる?」 

浮かないキャンディを気遣うように、わざといたずらっ子のように言ったが、あっさり無視された。 

「一年前に採寸したサイズで作ってもらったの・・サイズが変わってて、恥ずかしかったわ」 

「太っちゃった?」 

「太ったと言われた方がましよ。胸が大きくなってて・・、妊娠してないかって仕立て屋の女性が言うものだから」 

「妊娠ね、可能性は・・?」 

「来るものはちゃんと来てるわ。テリィはお酒でどんなにだらしがない状態でも、そこだけはしっかりしてるから」 

(褒められているのか・・?) 

テリィは若干眉尻を下げた。

「ウエストのサイズが変わってないって分かったら、今度はこう言うの。女性ホルモンの関係ね、愛し合うのもほどほどにねって。・・・それをジョルジュが聞いていたのよ?きっと今頃アルバートさんに報告しているわ」 

テリィの気まずさは計り知れない。 

ドレスを作ってもらうのは、金輪際やめにしようとテリィは思った。 

「―・・そんなことで大きくなるものか?」 

「一過的には無くはないわ。妊娠とか排卵日とかで・・。でも洋裁の世界では、愛の量も定説みたい」 

どこかのろけているような内容のわりに、キャンディの表情は依然として浮かない。 

「愛の量ね。じゃ、後で愛を振りまきに君の部屋に行きますか」 

茶化すようにテリィは言ったが、「アルバートさんの言いつけは守って」 と、キャンディは軽く受け流した。 

「守らないとは言ってない。出入りがダメなら君の部屋から出なければいいんだろ?さ、大急ぎで夕食を済ませようぜ」 

フォーマルな会食など関係ないとばかりに冗談交じりで返すテリィを、キャンディは半ば無視し 

「・・これ、アルバートさんから預かったの。あなたのチーフ」 

ドレスと同色の青いチーフを、定まらない手でテリィの胸のポケットにさし込んだ。 

――やっぱりどこか変だ。

テリィは震えているようなキャンディの手首を咄嗟に掴んだ。 

「珍しいな、緊張しているのか?」 

「・・・・怖い。イライザが何を言い出すかと思うと・・」 

うつむくキャンディを見て、テリィは分かった。 

本当に怖いのはイライザではなく、スザナだと。 

「・・君に後ろめたいことはないはずだ。堂々としていればいい。後は俺に任せろ」 

テリィの口調と顔つきが急に変わった気がした。 

役者の顔なのだろうか。目力が強い。 

(・・テリィには後ろめたいことがあるってこと・・?) 

「テリィ・・、あなたは・・何故、結婚を――」 

(結婚を棚上げしたの・・?ご実家の跡継ぎ問題が絡んでいたの?それともスザナの病気が原因・・?―まさか、私のせいじゃないわよね・・?) 

キャンディの頭の中は、先刻コーンウェル家の応接間で湧き上がった疑問で一杯だった。 

実家を無視して婚約式を挙行したテリィとスザナ。

(実家を捨てて、マーロウ家の籍に入るつもりだったの・・!?) 

しかしこの期に及んで糾弾出来る心臓は持っていない。普段鋼のように強い心臓も、テリィの前では途端に熟れた杏のようになってしまう。 

何かを訊きたそうなキャンディに気付いたテリィは、 

「・・なぜ結婚したかって?愛の言葉が欲しいのかい?」 

そう言ってキャンディの手を握った。ひんやりと冷たい指先― 

「・・寒いのか?寒いよな、真冬にこんなドレス。何かショールのような―」 

思わずキャンディを抱き寄せようとしたが、 

「大丈夫・・。緊張で血液が心臓の周りに集まっちゃったのかしら。逆立ちすると直るかも」 

キャンディはごまかすように自分の両手にハァ~、と息を掛け、温めるようなしぐさをした。 

不安で押し潰されそうなキャンディを見て、テリィはおもむろに言った。 

「――キャンディ、・・俺を、恨んだか?」 

あまりに唐突に発せられた言葉に、キャンディは一瞬驚いた。 

(・・緑色のドレスのこと?) 

「・・ちょっとね。ドレスも着させてくれない、台本も教えてくれないんだもの」 

少し恨み節で告げた時、テリィはフッと笑った。 

「キャンディ、『ロミオとジュリエット』の話を覚えているだろ?対立する家に生まれた二人の、一瞬にして燃え上がった恋。ささいな諍いが発端でそれぞれ大切な人を失くし、若い二人は追い詰められ、運命に弄ばれた挙句、悲惨な最期を迎える。争いからは何も生まれない。だから無意味な争いはやめて手を取り合え。この芝居からこんなメッセージを受け取ったか?」 

突然芝居の話を始めたテリィに少し戸惑いつつ、キャンディは言葉を返した。 

「受け取ったけど・・え、違うの?」 

「解釈は人それぞれだから、間違いとは言わないさ。だけどこの戯曲を書いた人間が伝えたかったのはそれじゃなかったのかもしれない。若輩者は深く考えず短絡的に愚かな行動に走ることがある。時にはそれが我が身を滅ぼす。慎重に考えて行動することが大事だ。・・この戯曲にはこういう見方もある」 

得意げに解説するテリィの言葉に、キャンディは驚いた。 

「そんな受け取り方があるの・・?考えてもみなかったわ」 

「確かにそうとも受け取れる。いや、最初からそうとしか受け取れない人間も中にはいるだろう。人はみな自分の物差しでしか物事を測れない。千差万別なんだ」 

「・・そうかもしれないわね・・」 

キャンディは納得したように息をつく。 

「――俺たちの物語は、あの劇よりはるかに複雑だ。まるで蛇の道のように曲がりくねっている。事実を伝えても、誰も信じないだろう。だったら誰がどう見ても同じ結論に至るよう、アルバートさんは道を直線でつなぐ台本を書いた。スタートは俺と君との出会い、ゴールが結婚だ。推測が介入する隙を与えないように余計な道は切り捨てる。その為に必要な嘘はつく」 

「嘘をつくの?」 

「・・もともと嘘だらけの十年だ。自らついた嘘も勝手に書かれた嘘もある。それを今になって、あれは嘘だったと言うんだ、過去よりも真実に近づいていると思うぜ」 

三文芝居にならなきゃいいな、とでも言いたげに、テリィは薄笑いをした。 

「よく、分からないわ。あなたがどんな嘘をついていたのか、私は殆ど知らないのよ・・?」 

「君は混乱するかもしれないから、食事を楽しんでいればいい。終わったら君の部屋に行くよ。ドレスの紐を外しに」 

テリィが肩の紐をチョンと触った時 

「お二人様、準備が整いました。中へどうぞ」と、案内役の声が掛かった。 

テリィは力ないキャンディの手をしっかりと握ると、語気を強めて言った。 

「――さぁ、幕が上がる」 

キャンディはまるで針のむしろにでも突入するかのように、お披露目の夕食会の会場に入っていった。 

 

                         

6-4 控室 

 

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ワンポイントアドバイス

 

ロイヤルブルーのドレスのイメージ

紐はこんな感じ。素材はこっち⤴

 

スワロフスキーのストーンがキラキラしているイメージです。

 

緑色のドレスの回を復習したくなった方はこちらを。

 

 

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