★★★6-3
「・・・ここは仕事部屋だとジョルジュから聞いたのですが?」
数歩足を踏み入れたところでテリィはぼう然と立ち尽くす。
「はは、趣味の部屋と言った方が良かったかな」
アルバートがそう説明するその部屋には、あまりに多くの物が溢れていた。
木彫りの大きな象や鷲のブロンズ像、クリスタルの蛇に松ぼっくりで作った―・・何かの動物。
壁に貼ってある大きな世界地図、デスクの上にも地球儀がある。
本棚には動物の写真集や図鑑、冒険家の紀行文、偉人の伝記、アメリカの文学書、経済の本、法律の本が目につく。
テリィがガラスのキャビネットに飾ってある幾つかのバグパイプに気が付くと、アルバートは自慢げにバグパイプを手に取った。
「腕にはちょっとばかり自信があるんだ。ヨーロッパへ行くと探して集めている。これはスペイン製なんだが、吹いてみるかい?」
「・・いえ、僕は吹けませんので―」
とりわけテリィの目に留まったのは、デスク横の壁に飾ってある似顔絵だった。
立派に額装されているにもかかわらず、中の絵は落書き程度にしか見えない。
「あれは、ポニーの家の子供が描いた・・・アルバートさんの似顔絵、ですか?」
「ああ、早速見つかっちゃったか。なかなかの名画だと思わないか?ジョルジュも気に入っている」
隅の秘書用の机で書類の整理をしていたジョルジュは、パッと顔を上げた後、直ぐにうつむいた。
「・・・・はい、値段のつけられない名作かと」
肩が小刻みに震えている。ホワイト仮面ジョルジュにしては珍しい反応。
「・・なんだか二人とも楽しそうですね・・もしかしてピカソとか?」
その言葉を聞いたアルバートはたまらず吹き出した。
「ハハッ!違うよ、僕の大切な養女の作品だ。君も描いてもらうといい。被写体が良いから、きっと僕より男前に仕上がるはずだ」
「キャンディの絵!?・・・、――っ・・・っ・・、、、」
モデルがモデルだけに、ぶさいくなどと失笑するのは失礼に当たると思い、テリィは必死に堪えた。
「僕はね、この絵を見ていると心が温かくなるんだ。どんな気持ちで描いてくれたか想像するだけで」
穏やかな眼差しで絵を見つめるアルバート。つられるようにテリィも再度その絵に目を向ける。
「キャンディの気持
―・・」

 



――が込められているようにはとても見えない。単なる落書き。しかも五歳児レベル。
「くっ・・くくくっ・・、ハハハっ!!それって親バカって言いません?」
あまりに意外過ぎるアルバートの一面に、テリィは耐えきれず吹き出してしまった。
「ま、そうかもしれないね。僕はキャンディが六歳の頃から見ているから」
頭をかきながら恥ずかしそうに言うアルバートの顔は、初めて見る顔だ。
「・・そんな小さいころから顔見知りだったんですか?」
「顔見知りってほどじゃないけど、あんなに気持ちのいい泣きっぷりを見たのは初めてだったから、よく覚えてる。泣きたいのを我慢するように、丘に駆け上がってきてね、いきなり地面に突っ伏して豪快に泣いたんだ。直ぐに笑顔になったけど、あまりに印象的だったから、ずっと心に残っていた」
「それで養女にしようと・・?」
「まさか・・! あの時僕はまだ十七歳だよ!ハハハっ」
テリィの頭に以前応接間で目にした、キルトをまとった凛々しいアルバートの肖像画が思い浮かんだ。
(・・確かあの絵は、十七歳の頃って言ってたな。――あれ、まてよ。丘、六歳?・・初恋の人?)
「再会したのはそれから数年後だったな。全然変わっていなかったから直ぐに分かった。ラガン家の使用人として働いていて、手荒い仕打ちを受けていたけど、本人はいたって明るくて、アンソニーたちが三銃士となって守っていた。彼らからキャンディを養女にして欲しいと手紙が届いた時、僕なら幸せにしてあげられるんじゃないかと思ったんだ。――とはいえ僕は二十四歳、独身の身でありながら我ながら大胆だな」
微笑むアルバートを見て、テリィは思い出していた。
姉に似た面影を持つキャンディに、幸せになってほしかったと語っていたことを。
「・・でも、そんな後ろ盾はキャンディには要らなかったかな、と思うことも多かった。あの子は人生を自分の力で切り拓く力があるからね。実際何度も養女を解いて欲しいと言ってきたよ。一回目はアンソニーが亡くなった時、二回目はテリィが学院を去った時、三回目は看護婦として自立した時で、四回目は―・・ま、いずれの場合も僕は素直にいいよ、とは言えなかった」
「どうしてですか?」
「・・キャンディは僕の前ではよく泣いたんだ。君と別れた時も泣いて泣いて、泣きすぎて熱を出したこともあったな。・・早く笑顔が戻るように見守ることが僕の役目だと思った。初めて会った時のようにね」
「慰めることができるのはアルバートさんだけですよ。僕なんか今も昔も涙の原因にしかなってない」
手の平を上に向けるテリィの複雑そうな顔。
「逆だよ、僕は涙の原因にはなれない。キャンディの感情が振り切れるような真似は出来ないんだ。獅子の親は子を谷底へわざと落とすっていう逸話があるだろ?あんな事はとても無理だ。落ちないように網を張ってしまうような人間。親として失格だな。ハハ!」
そんなことを口にすること自体、既に親の領域に入っているとテリィは思った。
「・・同じ苗字を名乗っているからこそできる援助がある。それがなくなったら、世間は僕たちをどう見るだろう。・・僕には必要だったんだ。キャンディを守る為にね」
養女を解いて、人生のパートナーにすることもできたのでは、とはテリィには言えなかった。
結婚という形をとらなくても、深く繋がる関係があることは知っている。
(・・俺とスザナのように・・・)

「―・・君にも、そういう人がいたね」
見透かしたようなアルバートの一言に、テリィはハッとした。
「さぁてっと、そろそろ白状してもらおうかな、テリュース・G・グランチェスター?これから書く台本の骨子にしなきゃいけないからね」
指をぽきぽき鳴らしているアルバートの口元は笑っているのに、その瞳はスナイパーのように鋭い。
目下に迫った夕食会。そして明日の披露宴。
スザナの事を追及してくるのは、ニールとイライザだけではないだろう。作戦会議は必至だ。
「もちろんです。そのつもりでこの部屋に来たのですから」
アードレー家の総長に話すことに躊躇などない。
「それで、スザナのことはどこまでキャンディに?」
「・・・再会した時に少し話した程度です。折を見て話すつもりだったのですが・・核心に触れればキャンディを傷つける。今更過去の話など今の僕たちに必要なのか・・。・・正直、迷っています」
そんなことだろうと何となく予想していたアルバートは小さく息をついた。
「テリィ、君の妻は傷ついて折れてしまうような花じゃない。キャンディの強さをもっと信じなさい」
瞬間、テリィは足元を見られたような気がした。
キャンディの強さを誰よりも知っているはずなのに、なぜ言い訳をするのかと。
「僕がなぜ、ばらの苗を君に持たせたか分かるかい?・・アンソニーも過去の人間だ。アンソニーの話を聞いて、君は何も思わなかった?知ったところで無意味だと思ったかい?アンソニーとスザナ。二人はもういないが、今も心の中で生きている。君がしなければいけない事は、過去を避けることじゃない。過去と向き合うことだ。キャンディと二人で」
再び足元につけ込むような言葉に、テリィは何も言い返せない。
「最初から何も知らないならそれでいい。でも君はアンソニーを知っていた、嫉妬もしていた。そしてキャンディもスザナを知っている、今も悩んでいる」
「今も・・、ですか?」
「愛があろうがなかろうが、君はスザナの夫だった人物。そういう認識だよ」
「・・夫?」
「内縁の夫。あの報道じゃ誰だってそう思う」
生々しい表現に、テリィの額に冷汗が滲み出る。
「夫婦がどんなものか、自分も妻となった今、一層リアルなものになっているに違いない。君が何も話さないことは、かえってキャンディを傷つけている。それでも君に訊かないのはキャンディの強さであり、優しさだ。それに甘えてばかりじゃいけないよ」
釘を刺すようなアルバートの言葉が、テリィの胸に重く響いた。
「・・肝に、銘じます」

 




テリィから一通りの話を聞き終えたアルバートは、即興で薄い台本を書き上げ、連絡事項を伝え始めた。
「明日の披露宴は主にアードレー家一族と、一族とつながりがある財界や政界の人間が来ることになっている。中にはキャンディに熱を上げていた御曹司も何人か混じっているから、皮肉を言われる事も覚悟してくれ。主にこのシカゴ周辺企業の人間だ。銀行、不動産、保険、病院、出版社―」
聞き捨てならないアルバートの言葉に、テリィの表情は固くなる。
「・・キャンディの、元恋人・・という事ですか?」
「ハハ!恋人なんかいないよ。本人から聞いてないのかい?」
「・・聞いていません・・僕に彼女の恋愛事情をとやかく言う資格なんてありませんから・・」
本心ではあったが、敢えてキャンディにきかなかったのは、少し違った。
キャンディと時を過ごす内に、テリィには分かったからだ。
キャンディも自分と同じように、ずっと想ってくれていたと―
アルバートの言葉に計らずとも答え合わせが出来たテリィは、密かに安堵の息をついた。
「まあ、キャンディも決して恋愛に後ろ向きだったわけじゃないと思うけどね。アニーが企画したお見合いパーティにも出席していたみたいだし」
「お見合いパーティ?」
一転、ついた息が回収できなくなる。
「ん?ああ、これも知らないのかい?キャンディを案じたコーンウェル夫妻、まあ主にアニーだが、いろいろ世話を焼いてくれて、何度もお膳立てしてくれたんだよ。御曹司達はその出席者」
テリィは少し面白くなかった。
(・・そういえば貰った手紙にもパーティに参加していたことは書いてあったな・・)
離れていた十年の間、キャンディは俺をひたすら待っていた・・わけじゃない―
そんな当たり前の事を忘れてしまうほど、自分は有頂天になっていたようだ。
「・・御曹司・・、で、そいつらは何人ぐらいですか・・?」
「そう怖い顔をするな。結局誰一人として、キャンディの中から君を追い出すことは出来なかったんだ。君の完全勝利さ。ビジネスもそうだが、順番ってのはつくづく大事だよ。アンソニーとテリィの後じゃ、誰も続けない。キャンディは十代半ばにして男運を使い果たしたってことだ。ハハっ!」
(・・男運が、良かったのか悪かったのか分からないな)
テリィは心の中でつぶやいていた。
「御曹司はさておき、明日はニールも来るから穏便に頼むよ。間違っても喧嘩など始めない様に」
「ニール?奴とは喧嘩になりませんよ、弱すぎる」
鼻で笑うようなテリィの返事に、アルバートはピンときた。
「ああー?もしかしてキャンディはこれも君に話してないのかい?」
「・・ニールが何か?」
アルバートは少し呆れ気味に頭を掻いた。
「いったい君達は今まで何を話していた。まさか愛の語らいだけかい?」
「・・だったらよかったのですが、それすらろくにしていませんね」
無骨な口調のテリィに、アルバートはやれやれ、という様に息をついた。
「聞いてないなら仕方がない。夕食会や披露宴で話題に上らないとも限らない。キャンディには恨まれそうだが、時間もないことだし僕から話そう。アードレー家の一員になれば、どのみち耳に入る話だ」
急に改まったアルバートを見て、テリィはにわかに緊張感を覚えた。嫌な予感がする。
「・・何が、あったんですか・・?」
「ニールは何年か前、キャンディとの結婚話を強引に進めたんだよ」
「・・!!何ですって!?あのニールが!?」
予想もしなかったアルバートの発言に、テリィの心臓は大きく鼓動を打った。
「君と別れた後の話だ。その頃のアードレー家は、ステアの出兵や僕の記憶喪失などで混沌としていた時期で、ニールはそういう状況を上手く利用して、キャンディを追い詰めたんだ」
(そんな事があったなんて―・・)
テリィの顔が一気に青ざめる。
「それで、まさか結婚したなんて言いませんよね!?」
「婚約式当日に破談にした。ジョルジュの機転が無かったら、間に合わなかっただろう」
アルバートの答えを聞いて、テリィは肩から大きく息を吐いた。
「・・ニールの奴、なんだってそんな悪ふざけを。財産狙いですか?」
「本気だったみたいだ。彼なりに」
「本気?――まさかっ、あんなにキャンディを見下していたのに。・・それで今ニールは?諦めたんですよね」
学生時代のニールの態度を知っているだけに、テリィはどこか釈然としなかった。
「大丈夫。今までは僕がついていたし、今は君がいる。明日はしっかり頼んだよ。・・―さぁて、そろそろ本題に入ろうか」
アルバートは席から立ち上がると、衣装戸棚の扉を開けた。
――本題・・?
今までの会話は何だったんだとテリィが思っていると
「では、私の方もキャンディス様の様子を見て参ります。衣装合わせの時間になりましたので」
呼吸を合わせるように、ジョルジュが退出した。


『本題』のミーティングは思いのほか長引き、ようやく終わった頃には夕食会が直前に迫っていた。
足早に自分の部屋に戻ったテリィはタキシードに着替えると、取って返すように夕食会の会場に向かう。
「・・薄い台本の芝居の幕が上がるか。シェークスピア・アクターはアドリブが苦手なんですけどね」
アルバートからもたらされたさまざまな情報に少し混乱していたが、テリィはにわかに心を入れ替えた。 


                             
6-3 仕事部屋

 

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ワンポイントアドバイス

 

アルバートの仕事部屋にキャンディが描いた似顔絵が貼ってあるのは

ファイナルストーリーに出てきた実際のエピソードです。

 

「実際何度も養女を解いて欲しいと言ってきたよ。一回目はアンソニーが亡くなった時、二回目はテリィが学院を去った時、三回目は看護婦として自立した時で、四回目は―・・」

と言うセリフについて。

 

1回目、2回目はそのように受け取れる発言をしています。

3回目は・・おそらく言ったのでは、というブログ主の想像です。

キャンディは17歳位で既に自立していますから、

事あるごとに「養女を解いて欲しい」と言ったのではないかと思っています。

 

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