★★★6-2
「本当に結婚したのね。キャンディおめでとう!!」
二人きりになったアニーは、緊張が解けたようにいつものやわらかな笑顔を向けた。
四階にあるコーンウェル家専用の応接間での事だ。
気の置けない女同士の会話がとめどなく続く中、不意にアニーがキャンディの手を見て気が付いた。
「結婚指輪は?」
「あるわよ。でも役者とイギリス男子は指輪がNGなんですって。テリィがしないから私もしないの」
あっけらかんとした口調でキャンディは答える。
「テリィはしていたように見えたけど?」
さすが、おしゃれに敏感なアニーだ。一瞬挨拶を交わしただけなのに隅々までよく見ている。
「シグネットリングは例外よ。家柄を表す物らしいわ。アメリカへ来る前に寄った実家で、お父様から渡されたみたい。公爵家の名を背負って公の場に出るのに、シグネットリングが無くてどうするんだって」
「じゃあ、テリィは公爵家を継ぐの?」
「今はお芝居しか頭にないと思うけど、先の事は私達にも分からないわ。私はテリィについて行くだけ」
すっかり妻の顔になっているキャンディをアニーは頼もしく感じた。
「それなら尚更結婚指輪をした方がいいんじゃない?これじゃ既婚者に見えないわよ、公爵夫人?」
「そう言われても・・・」
キャンディはアニーの指にさりげなく視線を移した。
結婚指輪はもちろんだが、大きなダイヤのエンゲージリングが誇らしげに光っている。
(きれい・・。アニーの細い指によく似合っているわ・・)
アニーの指輪を見ていたら、ふとスザナがはめていた指輪のことを思い出した。
それは以前新聞で見たスザナとテリィの婚約パーティの写真に、さりげなく映り込んでいた。
あんなに幸せそうな顔をしているスザナを見たのは初めてだった。
(・・公爵が反対しなければ、二人は結婚していたのよね・・)
「婚約指輪は何の石?」
キャンディの視線に気づいたのか、アニーが不意に訊いてきた。
「えっ、婚約指輪?え~と、だって私達、婚約期間がなかったから、、、無いのよ。結婚を決めてから式を挙げるまで一時間位しかなかったもの」
「今からでもおねだりすればいいじゃない。一生に一度だもの、テリィなら何でも買ってくれるわよ」
「・・一生に一度」
(そんな指輪をスザナに贈っていたテリィ・・。本気だったんだわ――)
胸の奥を針で刺されたような痛みを感じた時、
――婿って手もあったな。それなら貴族絡みのしち面倒臭い手続きも要らなかったし・・
先刻のテリィの言葉が頭をよぎったキャンディはハッとした。
――それって、マーロウ家の婿養子になれば、結婚出来たってことじゃない!?
(当時のテリィは実家を捨てていた。公爵の許可なんて、はなから必要なかったんじゃ―)
「・・え、――だったら、何故テリィは」
――結婚しなかったんだろう・・・? 婚約式までしておきながら。
(スザナの病気のせい・・?いいえ、疾患の特性を考えると発病はもっと後のはずだわ)
「タイミングを逃しちゃったのよ、きっと」
婚約指輪の話を続けるアニーの言葉に、おもわずキャンディは反応した。
(あ、そうか、タイミング!実家を無視できなくなったんだわ。戦時中に義弟が亡くなって跡継ぎ問題が降りかかって、・・・ああ、そうね、テリィが結婚の書類の依頼をしてきたのは、戦争中だったと公爵は言ってたし)
一旦納得し掛けた時、アニーは言った。
「誕生石なんかどうかしら?誕生石は幸福をもたらしてくれるって言うじゃない?」
心にさざ波が立ち始めたキャンディには、アニーのたわいのない話が邪魔になってくる。
「私はいいの、結婚指輪だけで十分よ。それよりアニー、少し―・・」
額に手を当てているキャンディを見て、アニーは心配になってきた。
「・・もしかして公爵様はこの結婚をよく思ってないの?明日もお見えにならないみたいだし」
「いえ、お父様は・・決してそんな―・・お父様は終戦直後に体を患って、、、」
「まあ・・、終戦から七年も経つのに、回復なさらないの?どんなご病気なの?」
「す、少しずつ回復しているわ。心配してくれて―・・あり・・が―」
(――七年?テリィが公爵の病気や義弟の死を知ったのは、七年前だったかしら?・・・もっとずっと後だった気が・・?)
「あ、あれ??いつだったかしら。ちょ、ちょっと、頭がぐちゃぐちゃに、、確か婚約したのは」
「婚約しなかったって今言ったじゃない。どうしちゃったの、キャンディ」
「あっ、、い、いいえ、ふ、ふつうは、婚約してから結婚するまでに、どのくらい期間があるのかなぁ~って」
目を白黒させているキャンディに、アニーは冷静に答えた。
「私は半年だったけど」
「・・・半年――・・そうよね。そのぐらいよね・・」
キャンディは何かが繋がっていないような気がしたが、疑問の全容が掴めない。
再び頭を抱えだしたキャンディを見て、アニーは大きなため息をついた。
「キャンディったら、相変わらずテリィの事で頭が一杯なのね。・・何かあったの?」
アニーが心配そうに近寄った時、
バタン――!!
応接間の大きなドアが外れそうな勢いで開き、アーチーが入ってきた。
「キャンディ!!説明してもらおうか!!」
すごい剣幕のアーチーにキャンディの身体が跳びあがり、頭に絡んでいたモヤモヤが一気に吹っ飛んだ。
「たっ、ただいま、ア、アーチー、、っ」
「キャンディはちょっとした旅行に行ったと聞いていたんだ!十二月にあいつと結婚したって!?どういうことだっ!!」
鬼の面をつけたように怒り狂っている。
テリィとは学院時代から犬猿の仲だったアーチーにとって、到底納得できる話ではない。
「アーチー、祝福してあげましょう。やっと二人は結婚できたのよ、認めてあげてっ」
アニーが必至にアーチーを説き伏せ始めた。
世間的な体裁を整えるため、式は十二月に挙げたばかりという台本になっている。
五月に式を挙げた事実を知っているのは、この家ではアニーとアルバートさんとジョルジュだけだ。
「ごっ、ごめんね、アーチー、、、テリィの仕事の都合で、・・イギリス行きが急に決まって―」
後ろめたさを感じたキャンディはつい小声になる。
「答えになってないっ!いったい君たちはいつ寄りを戻したんだ!どうして教えてくれなかった!」
「・・イギリスへ行く二か月くらい前に手紙で。教えるも何も、その時はまだ何も、、」
「たった二、三回の手紙のやり取りで決めたって言うのか!?あんな奴に騙されるなよ!」
テリィを悪く言い始めたアーチーに、たまらずアニーが仲裁に入る。
「アーチー、回数なんて関係ないのよ、大事なのは中身でしょ?!」
せっかくのアニーの助言にも、キャンディは苦笑いをするしかない。
手紙の内容はとりたてて熱烈ということもなかった。
今となっては豚の話題しか思い出せない。
「キザ貴族はどうしたっ!どこにいる!」
――キザ貴族
久しぶりに聞くあだ名に思わずキャンディは反応したが、今はそれを突いている場合じゃない。
「テリィはアルバートさんに呼ばれているの。今夜と明日に備えたミーティングですって」
「それで・・!?奴はなんで急に劇団を移籍したんだ。こっちで長い間やってきたのに!百歩譲ってキャンディと結婚するにしても、なにもイギリスへ行くことはあるまい!」
アーチーの疑問はもっともだ。ここはきちんと説明しなくては。
「結果的には急な行動になってしまったけど、その・・、わ、わたしと一緒ではアメリカには住めないって言うか・・?」
「何故だ!!」
「え~と、それは・・」
スザナの名前を出すとよけい面倒なことになりそうだと、キャンディは触れないことにしたものの、
「つ、つまり、放っておけなかったのよ、故郷と大切な人を。ステアと同じ心境だったみたい―」
元々色々な事情が少しずつ重なって起きた移籍劇。
うまく説明できないキャンディの言葉は、いたずらにアーチーの感情を逆なでしただけだった。
「あんな奴と兄貴を一緒にしてもらっちゃ困るね!!」
アーチーの一言に、キャンディは頭に血が上った。
「テリィはステアを今だって想っているわっ!その証拠に―・・!」
キャンディは言うべきかどうか一瞬迷った。
海に向かって花束を投げ、ハーモニカで讃美歌を吹き、半旗を掲げて追悼した事。
幸せになり器を直してくれたこと。
そしてピアノで幾度となく―・・
「テリィは――」
きっとテリィはアーチーには知られたくないだろう。
そう思うと、キャンディは喉まで出掛かった言葉をぐっと吞み込んだ。
「――テリィは、アーチーが思っているような人じゃないわ。・・優しくて、繊細な人よ・・」
6-2 コーンウェル家の応接間
©いがらしゆみこ 水木杏子 画像お借りしました。

