★★★4-22
あれはワルツなのだろうか。
基本のステップを守ってはいるようだが、だいぶアレンジが効いている。
踊っているカップルは気付かなくても、踊りを眺めているだけの人間には丸見えだ。
「ワルツってあんな風に自由に踊っても様になるものなんですね~」
愛を語らっているような二人の舞いに、感嘆のため息を漏らす者もいたが、多くの若者は全く邪道な理由でそんな二人に釘付けになっていた。
「足がまた止まった、何かするぞ」「今度のキスはどこだっ」
若者ほど、些細な事が気になるようだ。
「・・彼女、さっきと全然違うわ。やっぱり『お父様』ではなくこっちが本命ね。自分で言っておいて、馬鹿らしくなるセリフね。・・それにしても、テリュースってばいつの間に再婚したのよっ、公演が終わった途端あんな屈託のない笑顔を見せるなんて、ギャップ有り過ぎよ!」
会場の隅、劇団員たちがかたまっている一角で、カレンは当たり散らすように言った。
「公演は関係ありません。笑顔の原因はキャンディスさんだと考えるべきです。グレアム先輩はキャンディスさんの前では怒ったり笑ったり、まるで別人になるみたいです。いえ、むしろそっちが等身大のテリュース・グレアムなのでしょう。僕たちはハムレットの術中に嵌っていただけなのかもしれません」
ため息を漏らしながら説明するクリオに、ミセス・ターナーが質問した。
「朝っぱらから情熱的な抱擁をしていた、あの時の牧場の娘かい?ちょっと印象が違うね」
「牧場の娘さんですよ、いえ、実際はシカゴのご令嬢なんでしょうけど、とにかく同一人物です。髪の色と骨格が同じです」
その会話を横で聞いていたジャスティンは、苛立ちを隠せなかった。
(情熱的な抱擁・・?何だよ、それっ!なんで恋人だと思われた男が父親で、馬が夫なんだよ!)
もはやテリィを人として扱いたくないほど、ジャスティンの頭は沸騰していた。
「キャンディは看護婦だよ!俺の担当看護婦だったんだ。大富豪の令嬢でも牧場の娘でもないさっ!」
キャンディが牧場の娘でも令嬢でも、そんなことはどうでもよかった。
純朴で無垢のキャンディが、いつのまにか寡夫の餌食になっていた事が我慢できない。
(・・なんでキャンディが人妻なんだっ!告白だってされたことがないって言ってたのに!)
そんなジャスティンの苛立ちなど全く気付かないオリビアは、浮足立って答えた。
「担当看護婦さん!?奇遇ですね!ジャスティンさんも同じ呼び方をするんですね。本名だったなんてかわいすぎです。テリュースさん、『キャンディ食べちゃうよ』なんて言って、もうラブラブで。キャ~!」
口にするだけで、オリビアはドキドキしている。
「違います、あの時は『今夜はキャンディを噛まない』って言ったんです。そこは間違えちゃ駄目です」
聞くに堪えないオリビアとクリオの話に、ジャスティンは行き場のない感情をぶつけ始めた。
「お前たち、前から知っていた感じだな?何故黙っていた。口止めでもされたのか!?」
「口止めなんかされていません、ご本人も隠している素振りはなかったです。むしろ堂々と―」
「じゃあ、なぜ誰も知らなかった!?お前ら何か月奴と一緒にいた!?二か月だぞっ!」
それを突かれると、一同も立つ瀬がない。
「・・おっしゃる事はごもっともですが、先輩も舞台に集中していましたし、自ら話すようなお人柄でもないですし。・・訊かれなかったから、答えなかった程度のことかと―」
そうそう、とその場にいた一同はクリオの言葉に相槌を打つが、ジャスティンはまだ納得できない。
「それならなぜ訊かなかった!気になっていたんじゃないのか!?」
「・・それはそうなのですが、・・前妻が亡くなって、まだ日が浅いという話でしたので、訊き難かったというか、皆さん余計な気を回してしまって、その話題は極力避けて・・」
「日が浅い?・・・どのくらいだ?」
「一年ほどだと、ミセス・ターナーは言っていました・・」
クリオは助けを求めるようにミセス・ターナーの方をちらっと見た。
「・・私はスザナの葬儀には行ってないよ。最後に会ったのは結婚式の招待を受けた時だったから、もう何年も前さ。あの時はあんなに幸せそうだったのに、何が起こるか分からないもんだね」
ミセス・ターナーは胸中穏やかで無さそうに胸を抑えた。
「結婚式に出たんですか?――スザナって、前妻ですか?」
初めて聞く名前にジャスティンは反応した。
「渡英の時期と重なってね。でも、アルフレッドは結婚式に出たんじゃないかね、同期だから。ほら、この劇団にも言い伝えがあるだろ、ロミオとジュリエットを演じた二人は結ばれるって。どこに行くにも一緒で、スザナの体調不良を理由に舞台を休んだことも一度や二度じゃないよ。本当にお似合いだったね」
ジャスティンはますます気に入らなかった。
同業者である前妻の死からわずかな時間で他の女に乗り換えた、尻軽男のテリュース・グレアム。
「・・キャンディは・・あんな移り気な奴のどこがいいんだ。ただの女狂いじゃないか」
つい本音がこぼれたジャスティンの言葉を聞いて、オリビアはテリィを庇う様に言った。
「そうでしょうか、テリュースさんに不実さは感じられません。ジャスティンさんがいなかった間、様々な提案もして下さいました。舞台の事はもちろん劇場の運営に於いても。なにより素晴らしい役者です。お二人が揃えば鬼に金棒だと私は思います」
頬を染めるオリビアに、半ばやけになってジャスティンは言った。
「そうか、君も信者だったっけ。次の演目、『テリィ』の相手役に選ばれることを祈ってるよ。おっとその前に、奴が主役とは限らないけどね」
「――テリィ・・?」
クリオは何か引っ掛かりを感じた。
「なんだろう・・。・・テリィとキャンディ・・。どこかで聞いた気がする・・?」
クリオは額に指をあてて考え込んだ。


「・・テリィ、手の位置・・そこじゃないでしょ・・」
ダンス中のことだ。テリィがキャンディのドレスのスリットから手を入れている。
「人聞きが悪いな・・。点検しているだけだ。下着をつけてないってさっき言ってたから―」
「言い訳をしているつもり!?」
「バカっ、ちがうよ。スリットの位置、元からここか?」
触っているのは正義とばかりに言い返すテリィに、「――あっ」キャンディは即座に反応した。
確かに家を出た時より切れ目の位置が高くなっている。
「やっぱり。さっきの決死のダイブで広がったな。君はドレスを破くのが本当に好きだね。何回目?」
「全て人命救助の為よ。破くのが趣味みたいに言わないでっ」
「ウエディングドレスの時は転んだって言ってなかったか?」
「・・もういいでしょ。それよりこれどうしたらいい?目立つかしら?」
キャンディはスリットの破れ方が不自然かどうか気になり、頻繁に目をやる。
「大丈夫、蝶の羽が死角になって誰も気付かないよ。でも今夜は他の男と踊るなよ」
「――テリィが他の女性と踊らないって言うなら、考えてあげてもいいわ」
それが通用する状況とは思えないけど、とキャンディは会場をちらっと見た。
テリィの順番を待っているような女性たちの視線。――少し痛い。
「・・誰かと約束したのか?・・まさかあのハムレットの前任者じゃないだろうな。あいつとどこで知り合ったんだよ。病院か?」
テリィの嗅覚は鋭かった。ジャスティンとキャンディの会話を聞いた時から、嫌な予感しかしない。
「前任者?誰のことか分からないけど、約束なんてしてないわよ。・・それより早く手を元に戻して」
キャンディはスリットから戻ってこないテリィの手が気になっていた。
「・・君は男心が分かってないな、背中に戻す方がよっぽど危険だって分からない?全く・・、母さんみたいに男心を知り過ぎているのもどうかと思うよ。俺を手玉にとって楽しいのかね」
「男心?・・何よ、それ」
「前門の虎、後門の狼って心境なんだ」
キャンディはきょろきょろと周りを見渡す。
「―・・誰かいるの?みんな楽しそうにダンスしているけど」
「・・君だよ。前門の谷間、後門のホック。背中のホックが外れたら、このドレスはどうなる?」
いたずらっ子のような顔をするテリィにキャンディはギクっとし、思わず背中を覗き込む。
「えっ・・、壊れてないわよね?外れたらスリットどころの騒ぎじゃないわ。テリィ、お願いね」
「俺は何をお願いされているんだ?外れたら、ドレスが脱げ落ちる前に抱きしめろって?」
「違うわ、外れないように―」
「見ていればいいのか?君、分かってる?俺は今すぐにでも外したいんだぜ?指が勝手に動くかもしれない」
「・・ふざけないで、ここはパーティ会場よ」
「じゃあ、俺の楽屋に行くかい?二人っきりになれる」
テリィはニヤリと笑い、キャンディの背中のホックにわざと爪を立てた。
「テ、テ、テリュース・・、もう、さっきから―・・!」
わなわなと震え出したキャンディの真っ赤な拳が、空を舞った。
「おっとっ」
テリィは体を反らし余裕でかわすと、二人のダンスは中断され、追いかけっこが始まった。


「あれ・・?どこへ消えた?」
ダンスホールから姿を消した二人にジャスティンは気が付いた。
「・・ダンスから夫婦喧嘩に発展した模様です。グレアム先輩がキャンディさんの背中を・・撫でたのが原因のように見えましたが・・」
一部始終を見ていたクリオが恥ずかしそうに解説すると、
「さっきから何だ、あいつ・・!ここは無法地帯か!?」
ジャスティンの顔は烈火のごとく変化した。
「妻の背中に触って罪になったら世も末じゃないですか?あのご夫婦のことです。喧嘩に見えて、単にじゃれ合っているだけかもしれません」
クリオが冷静に説いた時、息を切らせながらナイルが一同の元へ駈け込んで来た。
急いで着替えたのか、タキシードの蝶ネクタイがかなり曲がっている。

そして開口一番、興奮した様子で言った。
「・・・す、すごい事実が―・・判明したっ・・!奴は、アメリカ野郎なんかじゃなかった・・!イギリスの、公爵家の子息だ!」
きょとんと顔を見合わせる団員達の中で、誰よりも早く反応したのはジャスティンだ。
「アメリカ野郎・・テリュースの事か!?その根拠は何だ、あいつがそう言ったのか?」
ナイルは偶然耳にしたと言って、国王陛下と当該人物のその時の会話を話して聞かせた。


『今日の芝居、大変結構だった。息子が来たがっていたのだが、私が来たよ』
『光栄でございます。ヨーク殿下には是非次の機会にと』
『・・今回の公演、リチャードは、グランチェスター公は見たのかね?』
『はい』
『それは彼もさぞ鼻が高かろう。親孝行だな、テリュース』


一同は妙な納得感と、少しの猜疑心を持った。
根強い階級社会が残るイギリスにおいて、貴族の家柄を隠す理由など普通では考えられない。
むしろ誇示する人間ばかりなのだ。それが最高位の公爵家なら尚のこと。
しかし確かにナイルの推測には一理あった。いや、むしろそれ以外の結論はないと言っていい。
「公爵家―・・グレアム先輩が?」
クリオも驚きのあまり、棒立ちになった。


「待ちなさいっ、テリィ!」
「走るなって、キャンディ。また靴がぬげる」
ワルツの音楽が途切れた時、二人の声が一瞬会場に響いた。
一同が声のする方に目を向けると、追いかけっこをするような二人の姿が柱の影から見え隠れしている。
間違いなく単にじゃれ合っているだけのようだ。
「キャンディ・・・テリィ?・・テリィ・・キャンディ」
どこかで聞いた名前だと、先刻から頭に引っかかっていたクリオは
「あーーーーー!!思い出した!『伝説のテリィとキャンディ』だーー!」
ようやくその名前の出どころを思い出した。
あまりの大声に、近くにいた団員が一斉にひるんだ。
「何よ、突然大声を上げないで」
おもわず胸を押さえたオリビアを無視するように
「・・・本人なのか・・!?――まさか、・・でも、反省室・・シスター・・、きっとそうだ!!」
クリオの目はキラキラと期待に満ち、まるで神にでも祈る様に指を組んだ。
「・・・な、何だ?伝説? おい、説明しろ、坊ちゃんよ!」
ナイルだけでなく、そこにいた全員がその伝説とやらに無性に興味が湧いた。
クリオには何の確証もなかったが、そう急かされると教えないわけにはいかない。
もしかしたら別人かも、と前置きした上で伝説の内容を語り始めた。
「――僕が卒業したセントポール学院には、いつの頃からか伝説があるんです。アメリカからきた大富豪の娘のキャンディと、貴族の家柄なのに問題ばかり起こしているテリィの」
一同はごくりと息を呑んだ。 なにやら先ほど仕入れた情報とかなり符合しているではないか。
「問題児・・?テリュースは硬派な優等生じゃないのか?おいナイル」
「そんなこと、今はどっちでもいいっ、それよりその二人はどうなる、色恋なんだろ?」
ナイルはその先が知りたくてわくわくしていた。
「はい、ご期待のとおりです。二人は瞬く間に恋に落ち、ある夜厩で逢引しているところをシスターに見つかってしまいます。地下牢に閉じ込められた二人は、厳しい処罰が下る前に脱走し、手に手を取り合ってアメリカへ駆け落ちしてしまったのです。それ以降二人が使っていた寮の特別室は、奇をてらうのを避けるように入居希望者がなく、当時のまま時間が止まっていると聞きます」
男女交際には厳しい校風ゆえに、学院創立以来の大恋愛として今も生徒の間で密かに語り継がれているのだとクリオは付け加えた。
「・・特別室の恋・・って副題がつきそうだな。いや、厩の愛か・・?いや、地下牢の誓いってのも―」
ナイルの想像力はどこまでも暴走し、顔がにやけだす。
「素敵!まるで戯曲のようだわ。もしそれが今あそこで追いかけっこしている二人だとしたら、テリュースさんは劇作家にもなれそう!」
オリビアは乙女の妄想に浸り始める。
すると水を差すように、ミセス・ターナーは冷ややかに言った。
「駆け落ちなんてありえないね。私は彼が十代だった入団直後から知っているが、前妻のスザナとはその頃から噂になっていた。二人の『ロミオとジュリエット』は上演前から話題の的だったさ」
一同は一気に現実に引き戻された。
「・・・やっぱり別人・・でしょうか―」
クリオが自信なさげに言うと、何の根拠も持ち合わせていないジャスティンも、自分に言い聞かせる様に強い口調で否定した。
「そうだ、あり得ないっ、別人だ!」
しかし性懲りもなく追いかけっこを続ける夫婦と、伝説の二人とのマッチング率は無視できない。
モヤモヤとした空気が一帯を支配し、音楽とダンスで盛り上がる華やかなパーティ会場のこの一画だけがまるでお通夜のようだ。

二人の追いかけっこは、いつの間にかかくれんぼに変わっていた。
「ちょっと、どこに隠れたのよ・・」
キャンディが一同の方へ近づいてくると、その様子を目で追っていたクリオが堪えきれず口火を切った。
「――ご本人に確認してみますか・・?」
一同はギクっとしながらも、暗黙の内にそれが一番の解決策だと悟った。
「――キャンディっ!」
せっかちなジャスティンが呼び止める。
「あらジャスティン。・・ねえ、テリィを見なかった?」
そんなキャンディの様子を物陰から見ていたテリィが、気にならないはずがない。
ガードするようにキャンディの背後に姿を現した。
ジャスティンに露骨な警戒心を向けるテリィとは対照的に、
「あ、捕まえた!」
無邪気な笑顔を夫に向けるキャンディ。
そんな二人の様子に、ジャスティンの苛立ちは一気に臨界に達した。
「君!!セントポール学院を知っているかい!?」 
キャンディとテリィはきょとんとした。
唐突な質問を不思議に思いつつも隠すことでもないので、二人は同時に答えた。
「セントポール学院なら、私たちの母校よ―俺たちの母校だ」


 

4-22 伝説

 

©水木杏子・いがらしゆみこ 画像お借りしました

 

次へ左矢印左矢印

 

。。。。。。。。。。。。。。。

ワンポイントアドバイス

漫画をお持ちではない方へ

上のイラストがセントポール学院の制服です。

ファイナル・ストーリーでは白地ではなく灰色です。

礼拝用の制服は黒地に茶色のリボンですハート

 

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村