★★★4-23
「フハっ・・―、ハハハッ・・!」
深夜のリビングに笑い声が響く。
帰宅してもまだ笑いが収まらないテリィは苦しそうにお腹を抱えている。
「ククっ、俺たちが駆け落ちだって!?どうしてそんな話になるっ」
お酒も入っているせいか上機嫌だ。
「どうして否定しなかったのよ!あんな風に答えたら、まるで本当みたいじゃないっ」
真相を確かめようとクリオが伝説の内容をキャンディ達に話した時、それはたぶん俺たちの事だ、とテリィは可笑しそうに答えたのだ。
「噂なんていい加減なものさ。大げさだったりねつ造だったり、好きに言わせておけばいい。だけどあながち学院の伝説は間違いじゃない。君と俺は恋人で?厩で会っていたのも本当だし、お互いを想って学院を出たのも事実だからな。――でも、駆け落ちじゃなくて、君は密航だったけどね、プっ、ハハっ・・!」
まだ笑いが収まらない。笑い過ぎて涙まで出している。
「もう、酔っているのね。あ~、もうこんなに飲んじゃったの?ちょっとペースが早過ぎよ。いくら明日から休みだからって」
キャンディがシャワーを浴びている間に、既にボトルの殆ど空けてしまったようだ。
「今夜ぐらい好きにしたっていいだろ?明日の体調を考えなくて済むんだ。つかの間の自由だよ。君も飲む?これアルバートさんからの差し入れなんだ。ジョルジュの故郷のワインだって」
カウチにバスローブ姿でくつろぐテリィは、開放感で一杯だ。
「ジョルジュの?・・じゃあ、一口だけ・・」
キャンディは髪を乾かしていたタオルを置き、テリィのグラスから一口だけ味見した。
「どう?禁酒法を破った気分は」
「非国民って感じ・・。私はやっぱりアメリカ人ね」
キャンディはペロッと唇をなめた。
久しぶりだからなのか、一口のアルコールで一気に体が熱くなる。

今夜のリビングは普段と様子が違っていた。テリィが持ち帰った花束で室内は埋め尽くされている。
「今度からは持って帰って来てね。こんなにきれいに咲いているのにもったいないわ」
「・・ブロードウェーでもずっとそうしていたから、思い至らなかった―」
直ぐ枯れるようなものを持ち帰っても、マーロウ夫人はいい顔をしなかった。
女優の夢が断たれたスザナへの配慮もあった。
舞台を思い出させるような物は、極力避けていた時期があったからだ。
「・・持ち帰っても君の手を煩わせるだけだろ?俺は枯れない花の方がいいな」
テリィはごまかすようにキャンディに手を伸ばす。
「あら、私を気遣ってくれてたの?面倒くさがっていただけかと思った。きちんと管理すれば長くもつわ。ファンの人がどういう気持ちで渡しているか、考えたことはないの?」
キャンディはテリィの手を跳ね除け、花を花瓶に活け始めた。
「ファンの気持ち?・・お芝居、よかったです。応援しています―・・ってところかな」

鼻歌を歌いながら作業するキャンディは一見すると上機嫌だが、テリィには分かっていた。
「そうね、確かにその通りだけど、中には――」
赤いばらの花束を手にしたキャンディの声が一瞬詰まったのを感じ、テリィの胸はチクリと痛んだ。
「花束、受け取れなくてごめん・・せっかく用意してくれたのに」
「・・いいのよ、テリィのせいじゃないわ。私が渡さなくても、これだけ花束があるんだもん」
口ではそう言っていても、潤んだキャンディの瞳は正直だった。
――何をそんなに憂いでいる?
花束を渡せなかった事か、ばらが潰れてしまったことか――
アンソニーが関係しているのかもしれないと思ったテリィは、おもむろに言った。
「・・・ニューヨークの苗、こっちに移すか?」
キャンディはハッとして、慌てて言った。
「いいの、違うの。苗はあのままでいいわ」
「だけど、ポニーの家でも育てていたんだろ?」
「・・あの苗は誰もいなくなったレイクウッドの屋敷から分けてもらったの。まだそこにアンソニーがいる気がして。私の門出を応援してもらえれば心強いなって。でも今の私には・・テリィがいるから」
キャンディは気持ちを切り替える様に赤いばらを花瓶に挿し始めた。
「――なら、違う品種のばらを植えたらいい」
意外な提案をするテリィにキャンディは目をパチパチさせた。
「・・・どうしたの?お母様に手紙でアドバイスしている内に、ばらづくりに興味が湧いてきた?」
「別に、この家の庭があまりに殺風景だからさ。ばらは国花でもあるし、ラッパ水仙の後に咲くのなら丁度いい。アードレー家の裏庭のようにするのは無理かもしれないけど、好きに造って構わないよ」
どこまで本心かは分からなかったが、テリィの言葉が嬉しくて、キャンディもその気になってきた。
「じゃあ、赤が良いわ!」
「・・赤?・・君この前、ピンクが好きだって言ったよな?」
「好きよ。・・でもテリィには赤いばらの方が・・」
「何だよ、またそれか?アンソニーのばらがピンクだから、俺に侵食されるのが嫌なのか?それ、新手の嫌がらせだぜ」
ふて腐れているようなテリィの口調に、キャンディは焦りを感じた。
「アンソニーは関係ないわっ!・・私は―・・・・あなたを・・愛してるから・・」
「取り繕うように言うなって、もう遅いよ」
「・・赤いばらの花言葉が・・・そうなの。テリィに贈るのも、育てるのも、赤しか考えられない」
瞬間、一気に酔いが回ったテリィは、手に持っていたワイングラスを思わずテーブルに置いた。
「だからなのか・・?昔、手紙に書いて寄こした時も・・?」
そう言われ、古い手紙に赤いばらの花束を渡したいと書いたのを薄っすら思い出したキャンディは、
恥ずかしさで正視できなくなった瞳を伏せるようにテリィの胸に顔をうずめた。
「あなた昔、ファンの女の子達に向かって赤いばらを投げたことがあったわ。そういうの、もういや・・。テリィが赤いばらを貰うのも、・・正直、妬けちゃう・・」
「・・妙に素直だな、・・酔っているのか?顔が真っ赤だぜ?」
「・・少し、酔ってるのかな・・」
キャンディはお酒のせいにするように、自分の唇をそっとテリィの唇に寄せた。
「・・渡せなかった花束の代わり・・・」
マシュマロのようなふわっとした口づけに、テリィが半ば放心していると、キャンディはそのままテリィの広い肩に顔をのせた。

「・・・・」
花より香るお風呂上がりのキャンディの肌、濡れた髪―・・
「酔わせるなよ・・。あと一口残っているけど、飲む?」
「・・いま貰ったわ。・・香りだけ」
キャンディは時々蠱惑魔
(こわくま)になる。
計算しているわけではなさそうなので、余計にたちが悪いとテリィは思う。
振り回されるのは自分ばかり。
意地悪の一つもしたくなり、テリィは最後の一口を口に含むと、そのままキャンディに口づけをした。
「―・・ん・・・」
何の抵抗も無くキャンディの喉がゴクンと鳴り、あまつさえテリィの口に残った最後の一滴を味わっている。
「・・赤は・・恋の味ね・・。イチゴソーダのように甘そうなのに、ほろ苦くて、熟すほど・・深くなる。もっと欲しいと感じるのは・・酔っている証拠かしら・・?」
ゆっくりと唇を離したキャンディのセリフに、テリィはさらに酔いが回る。
「―・・なら、次は白を・・貰おうかな。かわいいオフィーリア」
「もうだめよ。ねぇ、そろそろハムレットの気持ちを教えて。約束でしょう?」
「ハムレットじゃなくテリュースの気持ちを聞きたくない?」
「・・聞かなくても分かるわ」
「いや、君は全く分かってない」
「分かってるわ。あいにくだけど、これ以上ワインは・・!」
やっぱり君は分かってない。俺はとっくに酔っている。
そしてキャンディ―・・今夜は君を滅茶苦茶に酔わせたい。

 


 

4-23 赤いばら

 

 

 
 

 

 

4章 ハムレット 完

 

 

次は「中書き・解説」「考察」を挟みます。

 

次へ左矢印左矢印

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村