★★★4-21
アルバートと殆ど入れ替わる様にして、ハムレットの出演俳優たちが続々と会場に姿を現した。
真っ先にお偉方へ挨拶に向かう一行。その様子を遠巻きに観察している招待客達。
その視線を阻むように、テリィは挨拶が済むや否や移動を開始した。
タイミングを誤ると一斉に囲まれ、逃げ場を失うからだ。
(キャンディ達はどこに・・)
おとなしく壁の花に収まっているはずがないと思っていたが、案の定花の蜜に寄ってくるように、キャンディの周りには、目障りな蜂が一匹、二匹、三匹。
(ちっ、油断も隙もないな・・、)
苛立つようにキャンディの所へ向かい、いかにも旦那ぶるように声を掛けた。
「お待たせ、ミセス・ハニー」
テリュース・グレアムに気付いた男どもは、潮が引くように一斉に数歩下がる。
「テリィ、遅いわっ!」
思わず文句が出るキャンディを無視し、連れ去るように引っ張って行く。
「アルバートさんと母さんは?」
「今、ちょうど帰っちゃったわ。廊下で会わなかった?あなた遅れ過ぎよ!」
キャンディはむくれている。
「車寄せでジョルジュとはすれ違ったけど・・。ジョルジュ、なんか怒っていたな」
キャンディはまた少しむっとした。
(どうせ私はまだまだですよ!)
人の間を縫う様に移動しながら、テリィは振り向きざまにキャンディの頬をつんと指で押した。
「鳩みたいに膨れてるぜ。遅れて悪かったって謝っているだろ。キャストの最後のお役目でね、陛下のお見送りをしていたんだ」
「国王陛下がいらしていたの?」
「ああ、君たちの隣のシートだったんだぜ。気付かなかったのか?」
アメリカには王室がない。キャンディは急に体が引き締まった感じがした。
「・・それなら仕方がないわね、許してあげる」
バツが悪そうにキャンディがコホンと咳ばらいをした時、会場にワルツが流れ始め、周りの人たちが軽やかに舞い始めた。
いつの間にかダンスホールの中央付近に来ている。
「え・・?踊るの?」
キャンディは燕尾服も凛々しいテリィの姿が初めて目に入った。
「言い得て妙だが、静かに二人きりになれるのは、ここしかない。・・嫌か?」
「嫌じゃないけど―」
テリィと踊るのは五月祭以来、しかもここは丘でも森でもない。
「けど?」
テリィはいつの時代も注目の的。好奇な目が自分達に注がれているような気がする。
「リードして・・」
キャンディが甘えるように言うと
「承知しました、姫」
テリィは紳士らしくキャンディにお辞儀をし、おもむろに手を取った。
お互い、自分の言葉に少し嘘があったのを自覚したのは間もなくのことだ。
リードしてもらう気も、リードする気もまるで無い。
キャンディのステップはリードなど全く必要とせず、テリィの動きとピタリと合った。
ターンの度にドレスの裾が蝶の羽のように優雅に舞い上がる様を見て、テリィがきいた。
「・・これはどんな魔法?さっきまでとドレスが少し違う」
タイトなドレスだったはずなのに。
「ママがかけた魔法よ。いつ切れるか分からないわ。家に着くまでもつといいけど」
キャンディがクスッと笑うと、テリィもあどけなく笑った。
「切れたらどうなるんだい?服が消えるって言うなら、魔法が切れるまで踊っていようかな」
本当は今すぐにでも家に連れて帰りたかった。
アイリッシュハープのようなしなやかな体の曲線、抜けるように白い肩の稜線、白桃のような胸元や自分しか知らない背中のほくろも、今夜はあらわになっている。
母のセンスや腕の良さは勿論だが、あまりに愛くるしいキャンディの姿に、ある種の危機感さえ芽生える。
「スタイリストは母さん?ニューヨークモードもいいけど、こんな無防備な君は、ちょっと・・」
眉を寄せるテリィに、キャンディの自信はとたんに消えた。
「・・ママが、こういうドレスは自信を持って着なきゃダメだって。それとコルセットを付けないこととの関連性がよく分からないけど・・、なんだか落ち着かないわ・・・やっぱりイヤ?」
「いや、・・すごく好きだよ。コルセットもペチコートも要らないんじゃないかって、昔から思ってた。―でも、妻にされると・・・、こんな気持ちになるんだな」
それがどんな気持ちなのか、キャンディには分からなかった。
テリィの視線が気になって、知らず知らず距離を取ろうしたキャンディをテリィはグイッと引き寄せた。
「そんなドレスを着てるんだったら、堂々と俺を誘惑しろよ」
迫るように言うテリィに、キャンディは困惑する。
一刻も早く普通の会話に戻したくなり、まだ言っていなかったお芝居の感想を伝え始めた。
「・・ハムレット、すごく良かった。お芝居で手に汗握るなんてことがあるのね。・・感動したわ」
「君、泣いてたな。泣くほど俺が素敵だった?」
「あ、あれは、、、やっとテリィに会えたから、安心しちゃったのよ。・・だってテリィのお芝居を観にきたのに、始まった直後からテリィはどこにもいなくて、まるでハムレットに乗っ取られたみたいに見えたもの。あれほどのセリフを、あんなにスラスラと自分の言葉のように話すのよ?頭ではテリィだって分かっているから、あなたの中にあんな・・・狂気な部分があるのかと、怖くなったわ。・・今もちょっと変な感じ。本当にテリィだったの?」
不思議そうに見詰めるキャンディに、テリィは笑みを返した。
「最高の褒め言葉だけど、大げさだなぁ。まあ確かに、舞台上ではハムレットが少なからず乗り移っているのかもな。君が観てくれないから、七年以上演じる羽目になったし」
「あら、私の為に演じていたわけじゃないくせに」
「・・自分の為に演じられるほど、俺はナルシストじゃないさ」
意外なことを言うテリィに、キャンディはきょとんとした。
「・・そういえば、さっきママも似たようなことを言ってたわ、テリィは私に向けて演じてるって―・・まさか本当にそうなの?」
同じ役者同士、筒抜けだな、とテリィは若干眉を下げた。
「・・カーテンコールの幕が上がると、いつも観客席をぐるっと見回して、いないと分かっていても、君に似た人を探していた。――会えないのなら、せめて芝居を観て欲しかった。隣に愛する夫が座っていても構わないから」
(・・テリィ・・)
時々、不意に本心をさらけ出すテリィ。
伏し目がちに言うテリィを、キャンディは揺れる瞳で見つめた。
「俺はプロだから、観客一人ひとりに届くように演じているつもりだ。・・だけど、君がいないと分かった瞬間、心の一角でため息が漏れる。そんな自分に気付いていた。・・だから今日、キャンディの姿が見えた時、思わず手が―・・こんな事は初めてだ。舞台の上で俺はずっとハムレットであり、俳優テリュース・グレアムだったのに―」
こんなことを言われて、嬉しくないわけがなかったが、キャンディの胸はチクリと痛かった。
「――ごめん、観るわけにはいかなかったの。・・テリィとは会わないってスザナと約束したから」
「そんな約束を?いつ、、」
「あの時、病室で。・・身を引くと決めた以上、会わないのは当然だと思ったし、スザナに安心してほしくて―・・、そしたらスザナは言ったの。『それはお芝居も一切観ないと思っていいの・・?』って。・・わたしは・・甘い決意で言ったんじゃないと分かってもらう為に・・、頷くしかなかった」
それを聞いて、テリィは長く長く息をはいた。
「・・・来ないわけだ・・」
「・・本当は、すごく―・・観たかった。・・でも観たらきっと・・想いが、胸の外へ飛び出してしまって、会いたくなって、話したくなって、触れたくなってしまうから・・約束して良かったと思ってる」
「・・我慢させていたのか、俺は――」
観たくなかったと言われた方がましだったかもしれないとテリィは思った。
「何度かシカゴに公演に行ったんだ。劇場にはアードレー家の指定席がある事も知っていた。君らしき人は一度も現れなかったから、避けられていると思ってた・・・」
「変装して行こうかと、思わなくもなかったの。だけどテリィは、巡業にも常にスザナを連れて来て、二人はベッタリだって、イライザがご親切にもいちいち報告してくれるものだから」
「常に?」
キャンディの言葉に、テリィは薄笑いを浮かべた。
スザナがついてきたのは、殆どシカゴ公演の時だけだ。
(警戒していたのだろう。俺とキャンディが接触することを――)
「・・・キャンディ、触れていいよ、どこでも」
思わずテリィは、滑らかな背中に回していた腕を自分の方に強く引き寄せた。
「・・こんなにくっついたら、ターンが出来ないわ」
誘惑しているのはあなたじゃない、と言いたくもなる。
「ワルツの神髄は愛の語らい。・・文句があるならワルツの方に言ってくれ」
キャンディはクスッと笑うと、芝居中に感じた疑問について質問した。
「ねえ、ハムレットが乗り移っていたのなら、教えてくれる?ハムレットはオフィーリアを、どうして突然『尼寺へ行っちまえ』って突き放したの?本心?それとも嫌われようとわざと?突飛な発言で狂言者を装ったってこともある?盗聴している人たちに聞かせ為にわざと尼寺―」

「やめろ――」
矢継ぎ早に質問するキャンディの口を、テリィはキスで遮った。
スロー運転中だったキャンディのステップが一瞬止まる。
「――どうしてよ、、」
意図が分からないキャンディは、半ば振り払うように言うと、テリィはフッと笑った。
「尼寺、ってのは当時の―、いや、・・あのシーンは研究者の間でも見解が分かれているんだ。監督のリーチ・ジョンズとロバート・ハサウェイの解釈も違っていた。これを議論していたら一晩掛かる。踊りながら解説するのは無謀だよ」
殆ど初めて、演目の内容に興味を持ってくれたことがテリィには嬉しかった。
「・・ケチ。演じていたあなたの解釈をきいているのよ」
リスのように膨らませているキャンディの頬を、テリィは片手で包みこんだ。
「知りたいなら、一晩掛けて教えてやるよ。・・今夜は眠れないぜ?」
耳元でささやくテリィにキャンディはドキッとした。

子供のように素直になったと思ったら、不意に大人になって惑わせる。

テリィのこんな性格に慣れる時が、いつか来るのだろうか――

「オフィーリア、重いよ・・。これじゃリードも出来ない」
ほとんど止まっているキャンディの足元を見ながらテリィが言った時、その唇に一瞬だけ、キャンディの艶やかなロゼ色の唇が触れた。
テリィがハッとした瞬間、つま先立ちしたキャンディのハイヒールの踵がカツンと鳴った。
「・・ハムレット様、ステップを止めないでくださらない?リードしてくださるんでしょ?」
一瞬の事に思わずステップを止めてしまったテリィは、コホン、と軽く咳払いをする。
「何か通り過ぎた。・・気のせい?」
「妖精よ、きっと」
さっきのキスのお返しとばかりにキャンディはふふ・・、と笑った。
大丈夫、誰も気付いてない。周りで踊っている人たちは皆、各々のパートナーしか見えていないようだ。
二人は何食わぬ顔でワルツを再開する。
「あなたの唇に、私の口紅が移ってるわ。今夜はもうキスしないでね」
「それって一晩中って意味?君はそれでいいんだな?」
ニヤッと笑うテリィを見て、キャンディはジョーカーを引いてしまった気分になった。
いやよ、と言えばテリィの勝ち、いいわ、と言っても自ら破ることが目に見えている。

癪だが、この勝負はテリィの勝ちだ。
詰まった返事をごまかすように、キャンディはテリィの唇に人差し指を立て、「今はダメよ」と口紅の痕跡を消そうとした。
「待て、キャンディ」
瞬間、テリィはキャンディの手首を握り、白いグローブの甲に軽く口づけをした。
グローブに戻された淡い色のキスマーク。
「・・ぁ・・・、」
声とも言えない声が思わず漏れる。
「――お返しさせて頂きました。ご確認ください」
「確かに受け取りましたわ。以後お気を付けください?」
キャンディはターンをしながらすまして返す。
「しかと心得まして。そちらの妖精さんにもお伝えください」
二人は一段と自由にステップを踏み始めた。



4-21 ワルツ

 

。。。。。。。。。。。。。

ワンポイントアドバイス


「尼寺」は娼館だったという説があります。

だからテリィはキャンディの言葉を止めたのですね。

 

 

次へ左矢印左矢印

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村