★★★4-20

 


 

「シカゴのアードレー家と言えば、アメリカでも屈指の大富豪。国王と同じ出入り口を使うなんて普通じゃないと思って警備関係者に確認したら、どうやら正真正銘アードレー一族の総長のようだ」
アメリカの事情には明るいミセス・ターナーの説明に、劇団員は固唾を飲んで耳を傾ける。
「それが今あそこでダンスをしている人物なんですね?」
「ほら、出入口付近にアタッシュケースを持った黒服の男がいるだろ?あれは凄腕のSPか秘書だね」
ミセス・ターナーが指をさす方向に一同は一斉に刮目する。
パーティ会場の入り口付近にいる直立不動の黒服の男。その銅像のような様がひときわ目を引く。
どうやら遠目に主人の様子をうかがっている様だ。
「――そして『彼女』はそのアードレー家のご令嬢。ということは、グレアム先輩は大富豪の跡取り婿?」
パニックに陥って頭が回らない一同に変わって、研修生のクリオが相関関係を整理する。
一同が注目する男女は今、劇場内の別室に設けられたパーティ会場でダンスをしていた。
『彼女』の甘えるような眼差し、それを包み込むような『父親』の笑顔、息がピッタリと合ったダンス。
どう見ても恋人同士にしか映らない。
オフィーリア役のカレンが思わず言った。
「・・テリュースは説明を間違えてない?あの二人、とても『親子』に見えないわよね?」
「見えようが見えまいが事実は事実です。あの女性の父親が誰であろうと、夫はグレアム先輩です!」
差し出がましいと思いつつ、クリオはきっぱりと言い切った。
「クリオ、あんた楽屋に靴を届けたんだろ?どんな様子だったんだい?」
興味深々のミセス・ターナーが質問すると、クリオは急に顔を赤らめ口調が乱れた。
「それが、・・ああ~、デンマークの王子そのものだと思っていたのに・・おとぎの国の王子というか―」
「・・確かに、さっきの何の躊躇もないテリュースの態度は、そんな風にも見えたね・・」
ミセス・ターナーは先刻見た光景に失望したように、ふくよかな肩をガックリと落とした。


テリュース・グレアムの口から飛び出した突然の家族関係の告白に、舞台裏は大道具崩壊の時よりも騒然としていた。とにかく突っ込みどころが満載だったのだ。
しかし、そんな事はどこ吹く風とばかりに、テリュース・グレアムは直ぐに妻を抱き上げ、「一旦失礼します」と、脱げたハイヒールを探そうともせず、さっさと自分の楽屋に引き上げてしまったのだ。
「悪い、クリオ。キャンディの靴と鞄を探して届けてくれ」
その言葉だけ言い残して。
言われた通りクリオは物が散乱する現場から急いで目的の物を探し出し、楽屋をノックした。
すると中から「君は闘牛か!?」怒号に近い声が漏れてきた。
ノックがかき消されたのか、返事がない。
「失礼します・・」
クリオは小声で言いながら恐る恐るドアを開けた。
花束で埋め尽くされ、むせそうなほどフローラルな香りが漂う空間―。
(さすが、主役の楽屋だ・・)
クリオがその空気に圧倒されていると、再び怒鳴り声が響いた。
「突進するしかできないなら、牛と同じだっ、さっきのはタイミング的にアウトだろ!何故そんな無茶をする!いざこざに巻き込まれたなら俺を呼べよ!」
感情むき出しの姿など見たこともなかったクリオは、見てはいけないものを見てしまったかのように、一歩も動けなくなった。
「呼ぶ前に倒れてきたのよ・・。大したことじゃないわ。ターザンは許すのにおかしいわ」
「なら、ターザンも禁止だ!」
「何よ、テリィの昼寝の方がよっぽど危険じゃない!せめてリンゴにしてほしいわっ」
「実のなる木でできるかっ」
「ナラだってどんぐりがなるじゃない。オフィーリアのように川に落ちて死にたいの!?どうしてもあの木だって言うなら枝を切るわよ!」
クリオには二人が何の事で言い争っているのか、分からなかった。
「・・あなた達、いったい何の話をしているの?」
母親らしい女性の声が、クリオの疑問を代弁している。
「二人はのろけているんですよ。自分らしく生きることは認めてあげたいが、危険な行為を黙認するのは、身をちぎられるようだ、・・と」
父親らしい男性の声がざっくりと意訳したとき、一瞬、その場が静まった。
ドアの所から動けずにいたクリオは、この機を逃すまいと声を掛ける。
「・・あの・・グレアム先輩・・。頼まれた物をお持ちしました・・」
「ああ、ありがとうクリオ」
来客に気付いたテリィは何事もなかったように靴を受け取ると、ヒールを点検でもするように目線の近くまで持ち上げた。
すると今度は、長いソファに足を投げ出すように座っている妻の踵に手を添え、タオルで拭きはじめた。
「・・くすぐったいわよ・・ふふ・・」
鈴が転がるような笑い声が漏れると、テリィの表情が途端に緩み
「所構わず裸足になるのは、モンキーの名残りかい?」
一転、おどけた声に変わり、流れるような所作で妻の足にハイヒールを戻したのだ。
――なんて紳士的なのだろう。
クリオは鳥肌が立った。こんなことを平然としてしまう男性を、かつて見た事があっただろうか。
見たとしたら、それは絵本の中だ。
「テリィ・・。心配かけてごめんね」
「謝るなよ。悪いことをしたわけじゃないんだ。・・ただ、素足になるのは寝室だけにしてほしいね」
ささやくように耳打ちする声を、側にいたクリオは拾ってしまった。
とたんクリオの顔はバーナーの火が点火したように一気に真っ赤になる。
どこの国の王子でもない、喜怒哀楽を持った生身の男性だ、とクリオは実感したのだ。
退出するのを忘れて突っ立っているクリオに、テリィはもう一つ依頼をした。
「度々悪いけど、三人をパーティ会場まで案内してやってくれないか?俺はまだ最後の仕事が残っている」

 


 ©水木杏子・いがらしゆみこ

「日記受け取ったわ。でもあのタイミングで返すなんて、どうして?」
アルバートとダンスをしながら、キャンディはおもむろにきいた。
「ちょうど潮時かな、と思ったんだよ。あれ以上僕が持っていても仕方がないだろ?ポニーの丘で会った時大分混乱していたようだったから、昔の気持ちを取り戻してもらう為にも、返すことに決めたんだ」
「・・・そうだったの。それなら苗はどうして?何か意味が有ったの?」
「ああ、スウィート・キャンディは―・・・キャンディ?君はテリィに秘密を持ち過ぎだよ」
キャンディは瞬間ドキッとして、うろたえる。
「ひ、秘密にしていたわけじゃなくてっ・・、話す機会がなかっただけよ・・」
アルバートは、やれやれ、といった表情を浮かべた。
「伝えておく必要があると思ったんだ。アンソニーの事も含めてキャンディだってね。無神経だと思われようと、キャンディと結婚するつもりなら、アードレー家の一員になるなら、アンソニーは避けて通れない道だ。養父として当然のことをしたまでさ」
楽しそうに話すアルバートをみて、キャンデの口はぽかんとなった。
「・・通過儀礼ってこと?もう、おかげでテリィは苗をすごく大事にしてるわよ。ママを監視役に任命してまで」
キャンディは頬を膨らませた。
「ハハ、聞いたよ。ニューヨークの庭に植えたって?それでいいんじゃないか?キャンディがテリィを一番に思っていることは伝わったよ」
いたずらっぽくアルバートはウインクする。
「もぉ、ひやかさないでよっ」
「――それよりキャンディ、テリィから聞いたんだろ?スザナの事。悩みはすっきり晴れたかい?」
「・・それも養父の仕事?」
急にしょんぼりしたキャンディの表情で、アルバートはハッとした。
「・・スザナを愛したことはないって。ただ支えていたってことだけ」
「何だい?その奥歯に物が挟まったような言い方は。気になるなら、いつものキャンディらしくズケズケ聞けばいいのに。それとも、恋する乙女は急に無口になるのかな?」
「時期が来たら話すって言われたの。・・でも未だにマーロウ家での事は一切話してくれない。何か―・・あるのかしら」
「一切?・・う~ん、それはいい傾向じゃないなぁ。よし、それなら君に代わって僕がきこう。テリィ、スザナとはキスしたか?寝室はどうなっていた!―って、こんな感じでいいかい?」
「わ~!!やめてよ、バカバカっ、そんなこと絶対言わないでっ!!」
「バカはひどいな、娘を助けようとするのは、いわば親の習性だ」
「娘の恋愛話に首を突っ込む父親は嫌われるのよっ」
キャンディは容赦ない一撃をお見舞いした。
「参ったなっ、、」
アルバートはバツが悪そうに眉を下げた。

「・・ジョルジュが来たようだ。時間切れみたいだね。もう出ないとダメかぁ・・」
ダンスの曲がちょうど途切れたタイミングで、アルバートは名残惜しそうに言った。
「え~、もう?アルバートさん、仕事のし過ぎよ。テリィがまだ来てないわ、会わずに行くの?」
「さっき会ったじゃないか、それにまた次があるよ。今日中に北に移動しないといけないらしい。あ、やばい、ジョルジュがしびれをきらしてるっ」
キャンディは遠目にジョルジュの方を見た。
「――いつもの顔だわ。彼はホワイト仮面だもの。滅多な事では崩れないわ」
「あれは怒っている顔だよ。キャンディはまだまだだな。ミス・ベーカーは僕が送っていくから、君たちはゆっくりパーティを楽しんでくれ」
アルバートは片手を上げ別れを告げると、他の招待客と談笑していたエレノアに駆け寄った。
「今度はニューヨークで会いましょう。キャンディ、テリュースを頼むわね」
アルバートにエスコートされ、エレノアも去っていく。
長身の二人が腕を組んで歩くさまは、まるで何かの授賞式のように絵になるとキャンディは思った。
「・・恋人同士に、見えなくもないわね。フフっ・・」

同じようにそんな二人の退場を、会場にいた人々は密かに注目していた。
「グレアム先輩の『両親』ですよね・・。有り得ないほどお若いですね。それに美男美女です」
研修生のクリオはため息をつく。
「信じられない・・、噂は本当だったんだね。まさかこんな所でエレノア・ベーカーに・・」
ミセス・ターナーは興奮を隠すように口元を押えている。
「ご存知なのですか?」
「アメリカで絶大な人気を誇る女優さ。何度も大きな賞を受賞している」
ミセス・ターナーの解説を聞いた一同は、慌てて女優の後ろ姿を目で追った。
「じゃ、あいつは二世俳優ってことですか。ふーん、・・・親の七光りね・・」
ジャスティンは若干口角を上げながら反射的に言った。
「それは違うね。二人が親子であることは私もさっき知ったのさ。昔はそんな噂もあったけど、結局他人のそら似だろうって誰も言わなくなったね。それ以上に彼は話題に事欠かない人物だったから」
意味ありげなミセス・ターナーの発言にジャスティンは耳をそばだてた。
「話題?どんな?」
「過去の事さ。もう関係ない」
ミセス・ターナーはそれ以上答えなかった。
  

 

     

4-20 華麗なる両親


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