★★★4-18
劇場の係員にチケットを渡した時、エレノアはキャンディに訊いた。
「テリュースに会わなくていいの?」
「はい、開演前はもう役に魂が入っているから、終わってから楽屋に来てくれって。フフ・・役者って皆そうなんですか?あ、でも私たちが到着したことは耳に届いていると思います。さっきの案内係に伝言を頼んでおいたので」
妻らしい配慮を見せるキャンディに、エレノアは目を細めた。
「あの子がそうなだけよ。私は開演直前までおしゃべりをしているわ」
予約したバルコニー席に入るとアルバートの姿はなかった。
プライベート感のある小さな箱型の部屋。いくつかの座席が用意されている。
「・・私ちょっと外を見てきます」 
エレノアを残し、キャンディはアルバートを迎えに出て行った。


「賓客用・・ここだな」
観客席とほぼ直結している場所に賓客専用の出入り口がある。
ジャスティンがそこに到着した時、既に数人の団員が陛下の出迎えに並んでいた。
ミセス・ターナーの姿も見える。
「ジャスティン!怪我はもういいのかい?」
「はい。何とか歩けるまでになりました。次の演目から復帰できそうです」
ジャスティンがそう答えた時、大きな黒塗りのロールスロイスが目の前に止まった。
一同は体を強張らせ深くお辞儀をしたが、車から降りたのは国王陛下ではなく背の高い若い男性だった。
(・・ち、間違えた)
こんな時は誰でも気まずい。一同も一斉に舌を鳴らした。
「アルバートさん!!間に合ってよかったわ!」
聞き覚えのある声にジャスティンが振り向くと、その長身の男性に女性が跳びついていた。
「キャンディ!」「キャンディ!?」
二人の男性の声が同時に重なった。
「え?」
キャンディの動きが一瞬止まる。
担当患者のジャスティンがいることに気づいたキャンディは、アルバートの首に回した手をほどくと
「あら?こんばんは。あなたもお芝居を?」軽く会釈した。
「あ、ああ・・―」
ジャスティンはドレスアップしたキャンディの姿に目が釘付けになっていた。
制服では分からなかった粉雪のような白い肌。女性らしい体のライン。別人のように印象が違う。
「あ、今日が退院日だったわね。おめでとう!だけど羽目を外しすぎないでね。筋肉は未だ固いんだから」
――しかし間違いなく担当看護婦のキャンディだ。
「・・あ、・・うん、ありがとう。・・気を付ける。何かあったら頼むよ」
お互い担当看護婦と患者気分が抜けていない。
「キャンディ、開演時間は大丈夫?」
長身の男性の手がキャンディの腰に回った。
二人のただならぬ関係を察し、普段饒舌なジャスティンの口は真一文字に閉じられる。
「あ、そうね、行きましょうアルバートさん。じゃあ、あなたも楽しんでね・・!」
キャンディはドレスの裾をひるがえすと、くの字に曲げられた男性の腕にスッと腕を通し、立ち去ってしまった。

あまりに慣れたようなキャンディの振る舞いに、ジャスティンは面白くなさそうに床を蹴った。
「――・・・あの男、誰だよ!恋人がいるんだったら、最初からそう言えよっっ!」
同時に入院中に口説き落とせなかった自分の詰めの甘さを悔やんだ。

「難儀な仕事があってね、ロンドンを出るのが遅くなってしまった」
「あら、イギリスに着いた途端もうひと仕事したの?少しは手を抜かないと倒れちゃうわよ!」
「いつもほどほど抜いているよ。今日は滅多にない本気の仕事だったけどね。それよりキャンディ、見違えたよ。どこから見ても大人のレディだ。テリィのおかげかな・・?」
一段と美しく、幸せそうなキャンディの姿に、アルバートは安堵の笑みを浮かべた。
「やだ、アルバートさんってばっ、アルバートさんこそ相変わらずタキシードが決まっているわ!」
「そうかい?昨日までずっと作業着だったからね。タキシードの着方を忘れてなくてホッとした」
「あら、蝶ネクタイの上下が逆さまよ!」
「あ、そうかい?」
アルバートが直そうと手を掛けた時、キャンディはニッと笑った。
「ハハハ・・!相変わらず意地悪だな。さ、急ごう」
二人はじゃれ合うように話しながら、バルコニー席へ入った。



エレノアは、アルバートを見るなり体が固まった。
よぼよぼの紳士かキレキレの大御所―・・ではない。
「ウイリアム・A・アードレーです。初めましてミス・ベーカー」
なんと清々しい金髪の青年。キャンディが恋人を連れて来たのかと一瞬思った。そんなはずもないのに。
息子とキャンディは重要なことを伝え忘れている―ことに気付いていない、としか思えない。
持ち前の女優魂で「・・お会いできて、光栄ですわ・・」と、声もからがらエレノアは応じたが、そんな大女優の心中など露知らず、アルバートは子供のように手すりから身を乗り出し、劇場を見回した。
「へえ、これは面白い構造の舞台ですね。こんなにせり出している」
三方向からの至近距離で役者を見ることが出来る構造は、アメリカの舞台とは明らかに異なっていた。
「舞台の隅々まで活用できますから、観客はより臨場感を味わえるんです。演出や役者の腕の見せ所でもありますが、全てが丸見えなので些細な失敗も隠せませんわ。役者泣かせではありますの。あの子も動きの違いには苦労したんじゃないかしら」
「なるほど、確かに。しかしプロに解説してもらえるとは、なんて贅沢だ。ね、キャンディ」
「・・・そう・・ね」
義理の両親たちの会話を耳にしている内に、キャンディの体は次第にこわばってきた。
(セリフが飛んだりしないかしら・・・)
妻として夫を案じる。四時間という長丁場を滞りなく終演できるのだろうか。

 


 

 

「ねえ、ロイヤルシートのお隣の招待席、今日はテリュースさんが抑えているんですって」
舞台の袖で作業をしながら研修生のオリビアは言った。
「グレアム先輩が利用するのは初めてですね。ご家族ですかね?・・もしかしてこの前の女性も―」
興味ぶかそうに研修生のクリオが言うと、二人は舞台のそでからお目当てのシートを覗き見た。
男性にエスコートされた女性二人。
「わあ、なんて美しい人達!きっとご家族だわ。ねえクリオ、あの金髪の女性って―」
「あ、そうです!なんてスウィートなんでしょう」
二人が食い入るように眺めていると、スタンバイ中のキャストのカレンが
「テリュースの家族?どれどれ・・?」と割り込むように覗いた。
「あら・・?極上の男が一人。テリュースがダメだったらこっちでもいいわね・・」
独り言のようにぶつぶつ言うカレンに
「・・カレンさん、今日告白するって噂が流れていますけど、そうなんですか?」
告白相手に本命がいることを知っているオリビアとクリオは、罪悪感がチクチクする。
「ええ、その予定よ!やっと解禁日ってところかしら。・・でもあの二人の女性が気になるわね」
眉間にしわを寄せるカレンを見て、好機とばかりにクリオは遠まわしに現実を知らせる。
「あの女性、あの時の牧場の娘さん・・ですよね?・・きっとグレアム先輩の大切な人、・・ですよ」
「え!?まさか、あの時の」
カレンが声を上げた時、開演時間が迫り会場が暗転した。
強制的に会話が中断された三人はそれぞれの持ち場にそそくさと移動すると、その会話を小耳に挟んだナイルが、ちょうど車寄せから引き揚げてきたジャスティンに、吐き出すように言った。
「テリュースが例の愛人を連れて来たってさ!最終日に呼ぶなんてどうかしてるぜっ」
そんな礼儀など無いのだが、何かにつけて因縁を付けたいほど、今日のナイルは気が立っていた。
ジャスティンはジャスティンで、さっきのキャンディの事でむしゃくしゃしていた。
「・・本来なら俺がハムレットを演じているはずだったのに、お前のせいだナイル」
「何だよ!俺だってこんなチョイ役じゃ、全く役不足だ」
「自業自得だろ。お前の運転が下手だからこんな事になったんだ!自称レーサーが聞いてあきれる」
「家まで送れと言ったのはおまえだ!俺が泥酔していると知っていたくせに!」
一触即発の空気になったが、「おい!そこの二人、下がれ!開演五分前だ」
スタッフの声に促され、しぶしぶと裏方へ移動した。


横に座るエレノアを見てキャンディは思い出していた。
以前送られてきたハムレットの招待券―
結局使うことはなかったが、今もポニーの家の宝箱に大切に保管されている。
同じことを思ったのかエレノアがキャンディに言った。
「キャンディは・・ハムレットは初めて?」
「はい、その・・」
「私も本家は初めてなの。生誕の地よ、観客の目も肥えているわ。あの子がどう演じ分けるか楽しみだわ」
女優の一面を覗かせた後、エレノアは言いにくそうに切り出した。
「・・以前に贈った招待券、あなたの気持ちも考えずにごめんなさいね。出過ぎた真似をしてしまったわ。―最初は・・贈るつもりはなかったの。でもプレビュー公演を観た時、あの子はキャンディに向かって演技をしている、そう思えたの。あなたに見て欲しいんだろうな、と思ったら、たまらなくなって―・・」
そうだったのか、とキャンディは少し切なくなった。
あの時―・・断りの手紙を書いた時は本当につらかった。
許されるなら、別人に成りすましてでも観たかった・・。
花束を直接渡せなくてもいい。選んだ花束が少しの間テリィの側に置いてもらえるだけでも―・・。
「・・・やっと観られます。しかもママとアルバートさんと一緒だなんて夢みたい。‥これが最後の公演なら、一番完成度が高いのかしら。それを観られるなんて、今まで我慢した・・・・かいがありました」
キャンディは感極まる自分を押し隠すように、エレノアに微笑んだ。
「・・キャンディ―」
こっそり観に行くこともできただろうに―
スザナ・マーロウとの約束を頑なに守ったことは、キャンディの光る目じりからうかがい知れた。
まるで鍾乳石のように滑らかで強い心を持った女性。
エレノアは、息子がキャンディに惹かれる理由がまた一つ分かった気がした。
「――ちょっと心配になってきたな。テリィ、今日はこのボックスシートの方向にしか顔を向けないんじゃないか?キャンディ、まばたきする暇もないかもしれないよ」
湿った空気を乾かそうと、アルバートは茶化すように言った。
「や、やめてよ!私を気にしてお芝居する余裕なんかないはずよ」
「実際どうなんですか?ミス・ベーカー。どうしてキャンディに向けて演技をしていると思われたのです?キャンディが劇場にいたわけでもないのに―」
「フフ、キャンディの言う通りお芝居が始まってしまったら、そんな余裕はございませんわ。死体の役でも一秒たりとも気が抜けませんから。ですが、本番前、そう今ですね。楽屋であの子が集中しているとしたら、一番観てもらい人の顔を思い描いているに決まっているじゃありませんか。カーテンコールの時も同じです。いの一番に、その人を探すものです。・・・あの子がこの十年、何を考えていたかは分かっているつもりです。これでも母親ですから」
エレノアは思い出していた。
ブロードウェー関係者だけが招待されたプレビュー公演のカーテンコールに、息子が現れた時の事を。
ジャッジを仰ぐように真っ先に私の席に顔を向けた息子。
まずは同業者として、身振りで評価を伝えると、息子の顔は途端にほぐれた。
「・・親ばかだと思われるかもしれませんが、初演の時のカーテンコールでは、誰よりも先に笑顔を向けてくれたんです。あの子の笑顔を見たのは初めてで・・、分かりました。この笑顔を作ったのは、キャンディだと」
(――そう、同じ会場にいたスザナではなく・・)
「・・そんな、・・私は、何も―・・この十年、一通のファンレターさえ出さなかった無礼者です」
真っ赤になった頬を隠すように手をあてるキャンディを見て、エレノアは何かが引っ掛かったような、逆に通ったような気持ちになった。
「・・そう・・、よね・・・」
そう呟くエレノアの脳裏に、かつて息子のアパートを訪ねた時に見た光景が蘇った。
テーブルの上に散乱した薄ピンク色の封筒――
芝居関連の物一色に染まったような部屋の中で、 テーブルの上だけが異彩を放っていた。
息子はバツが悪そうにかき集め、読み返していたわけじゃない、と言ってうつむいた。

嘘をついているのか、嘘でないなら、最近届いた手紙ということなのか。

――そう、あれは・・スザナとの婚約報道があった時だ。
「・・・キャンディは何もしてないつもりでも、役者ってね、自分の経験した感覚を役に落とし込んで芝居を作り上げることがあるの。芸の肥やしにしてしまうのよ。あの子の経験したことは、ハムレットを演じる上で大きなアドバンテージになったわ。過去の経験が役に活かされたってことなの。キャンディにはきっと、他の観客には見えないものが見えるはずよ」
エレノアの言葉に、キャンディは胸を何かで打たれたような衝撃を感じた。
(私との経験が役作りに活かされた?・・そんなことがあるの―!?)
開演のベルが厳かに鳴り響くと、さきほどまでとは違う緊張感にキャンディは包まれた。


4-18 開演

 


  ©水木杏子・いがらしゆみこ


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ワンポイントアドバイス

エレノア・ベーカーを見て全く動じなかったアルバートさんについて

アルバートさんはテリィとエレノアが親子であることをいつ知ったのか、とご質問を頂きました。

アルバートさんはキャンディのセントポール学院時代の日記を読んでいます。

日記に書かれていたので、とっくの昔に知っていた、という設定になります。

 

エレノアが観劇の際に着ていたドレスのイメージ

お好みで、お選びくださいむらさき音符

 

 

 

 

 

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