💛前回までのあらすじ
再会した二人は、テリィの代役公演の登板に向け慌ただしくアメリカを後にした。イギリスへ着くなり結婚式をすると言い出したテリィは、母・エレノア・ベーカーから託されたウエディングドレスをキャンディに見せた。キャンディは戸惑いつつも受け入れ、二人は結ばれた。新居はテリィの移籍先の劇団があるストラスフォード・アポン・エイボン。その街には広大な森を擁するグランチェスター家の別荘があった。新生活を迎えた朝、キャンディは看護婦の仕事をしたいと申し入れた。テリィの新しい劇団でのデビュー公演は目前に迫っていた。

 


4章 ハムレット


★★★4-1
「・・何か忘れてないか?」
テリィが運転席から声を掛ける。
「書類と脚本、・・衣装は持ったでしょう?」
見送りにでたキャンディは首をかしげる。
「にぶいな、」
テリィはグイッとキャンディを引き寄せた。
「・・今日は無理するなよ。じゃ、行ってくる」
キャンディは半分夢心地になりながら、大きな笑みを浮かべ、
「行ってらっしゃい、お仕事がんばってね!」
高く腕を振り、車が視界から消えるまで見送った。
・・こんな朝を夢見ていた。遠い昔に描いた朝が叶ったのだ。こんなにも突然に。
唇に残ったテリィの感触を確かめる様に、そっと自分の唇に触れてみる。
あたたかい―・・
「はっ、いけないっ!洗濯、洗濯」
夢と現実の狭間で、新生活の一日目が始まろうとしていた。

 



門の外から車で十分ほど走った所に移籍先の劇団はあった。
劇団の拠点はシェークスピア・メモリアル劇場の敷地内の一角にある。
不測の事態で前期公演が中止となり、起死回生となる後期公演に向け、慌ただしく準備に追われていた。
駐車場に車をとめたテリィは、脚本家兼演出家でもある監督の部屋にまっさきに向かった。

「おおっ!!よく来てくれたテリュース・グレアム!待ちわびたよ!!」
「三ヶ月ぶりですね、リーチ・ジョンズ監督。こんなに早く再会が叶うとは思いもよらず、手土産の一つもないことをお許し下さい」
RSC(ロイヤル・シェークスピア劇団)の巨匠リーチ・ジョンズ。巨匠と言ってもロバート・ハサウェイと同じ歳だ。
シェークスピアとピッタリ三百歳違いなのが、一番の自慢らしい。

だからというわけではないが、面持ちもどこかシェークスピアを彷彿とさせる。
出会いは五年前のイギリス公演の時。公演後にいきなりRSCへ来ないかと勧誘された。
テリィがイギリス人であることを見抜いた人物は過去にもいたが、身分まで当てたのはこの人だけだ。
どうしてそう思うのかと尋ねたところ、リーチは笑いながら答えたのを覚えている。


『キャストへのクイーンズイングリッシュの指導は君がしたと聞いた。完璧なアッパークラスの言葉だったこともそうだが、さっきヨーク公爵殿下に挨拶しただろ?咄嗟にボウ・アンド・スクレープができる人間など、私の周りにはおらんよ。しかも妙に板についていた。大事なんだよ、そういうのが芝居においても。特にシェークスピアはな』

ボウ・アンド・スクレープ。英国貴族のお辞儀。
指摘されるまで気付かないとは、どれほど油断していたのか。
もちろん、それだけの理由で移籍を勧めるほど、リーチは単純な人物ではない。
同じようなタイプの団員がいないとか、ブロードウェーよりRSCの方が合っているとか、色々なことを言われた気がするが、それは五年前の事なのでよく覚えていない。
今回の移籍はむしろ押し売りに近い形で、自分から動いたのだから。

「すまんね。休暇中だということは承知していたんだが、上層部の連中が代役はどうしても君にと聞かんもんでね。まぁ実際のところ私も、君のハムレットを一度脚色してみたかったから、実現できて嬉しいよ」
「光栄です。それで、稽古はどんな様子ですか?」
「順調、と言いたいところだがね、主役なしではどうにも形にならん。今は控え役者のナイルがハムレットのセリフを読んで何とか進めている。君が絡まないシーンはどうにか完成させておいたから、本番までは君中心の稽古になるだろう」
そう言ってリーチは『1925年 ハムレット・春の公演 』と表記された脚本を差し出した。
「――以前頂いたこの脚本を頭に入れてきました。中身は異なりますか?」
テリィはアメリカから持ってきた五年前の脚本をかざすと、リーチは満面の笑みを浮かべた。
「ああ!!やっぱり持っていてくれたのだね。変わったのは表紙と大道具くらいさ。ロバート・ハサウェイとの演出の相違点は既にチェックしてあるから、早速稽古を始めよう。台本の読み合わせはどうする?」
「いえ、セリフは同じです。時間が惜しい、直接現場で指導を―」
テリィの内なるエンジンが始動した。


「テリュース!!本当に来たんだね!!」
「ミセス・ターナー、お久しぶりです」
稽古場に入った途端、テリィは年輩の女性と抱き合い、両手で包むように握手を交わした。
ミセス・ターナーはストラスフォード劇団の大先輩で、今はこの劇団に移籍して五、六年になるはずだ。
「こっちは大助かりだけど、向こうはテリュースの抜けた穴は大きいだろうね、大丈夫なのかい?」
「元々ダブルキャストでしたから。僕の休暇が無くなっただけです」
親子以上に歳は離れているが、彼女の大きな体と飾らない人柄に、テリィは親しみを感じていた。
ミセス・ターナーもまたテリィを息子の様に思っていた。

「代役を務めさせていただくテリュース・グレアムです。宜しくお願いします」
一同が会した稽古場で短めに挨拶をしたとき、同年代の若者が前に出てきた。
「テリュース、また一緒に仕事が出来て嬉しいよ!よろしく頼むな」
「やあ、アルフレッド!レアティーズ役だって?頼もしいな」
お互いの肩を叩くように挨拶を交わしたこのアルフレッドも、ミセス・ターナーと同様、数年前までアメリカで一緒にやっていた仲間だ。
気が優しく少しぽっちゃりしたその青年は、男版パティだとテリィは以前から思っていた。
「アルフレッド、少し体型が変わったか?」
「・・いやぁ、実は僕も代役でさ。レアティーズは剣の試合のシーンがあるだろ?毎日剣術の先生に絞られているんだ。先生にはレアチーズとか呼ばれちゃってる。君の足を引っ張らないか、正直僕には荷が重いよ・・」
アルフレッドは自信なさげに頭をかきながら、隣にいた剣術の先生を紹介した。
「君、テリュース君と言ったか、フェンシングの経験は?」
「そうですね、剣で人を殺したことはない、という程度です」
腕に覚えがありそうなテリィの言葉に、剣士の目がキラっと光った。
「私はオフィーリア役のカレンよ。よろしくテリュース。カレンって呼んで!」
「カレン?」
その名にテリィが反応したのをアルフレッドは見逃さない。
「ちょっと似ているだろ?ストラスフォード劇団にいたカレン・クライスに」
アルフレッドは耳打ちするようにささやいた。
「あ、ああ・・。本当に」
かつての同僚、スザナの代わりにジュリエット役を任されたカレンに、その女性はよく似ていた。
長く濃い色の髪、快活そうな雰囲気。口調までどこか似ている。
(オフィーリアとは真逆の雰囲気だな・・ハムレットの恋人、幼く柔和なオフィーリア)   

 

 

「この前のロンドン公演は見させてもらったわ。一緒にお芝居が出来るなんて嬉しいわ。私は代役五人衆に入ってないから、何でも聞いて」
「代役五人衆?」
テリィが怪訝そうな顔をした時、
「・・って事だ」
アルフレッドは手のひらを天に向けた。
(代役が五人いるってことか?・・いったい何があったんだ)
「・・よろしく、カレン。お手柔らかに」
カレンと握手を交わしたテリィは、さっそく監督と舞台に上がり打ち合わせを始めた。

「すごいぞ、間に合った!」「まだ分からないわ、これからよ」「全米のスターなんだろ?なんでまた」
その場にいた三十人ほどの役者達は突然現れた救世主に好奇な目を向け、劇団の事なら何でも知っていると言いたげな大御所の役者が、早速井戸端会議を始めた。
「前期公演の中止が決まった直後はチケットの払い戻しに追われ、一時はどうなる事かと思ったが、テリュース・グレアムの代役が公式に発表されたとたん、後期チケットが即完売したらしい」
「いったいどういう奴だ?俺は初めて聞く名だ」
「知らんのか?アメリカ側のもう一人のハムレットだよ。ほれ、例の両国同時上演の―、つい先日まで目の上のたんこぶだった奴さ」
「たんこぶ・・?・・そりゃまた、どういう意味だ?」
「今年初めにウエストエンドで行われた公演が大好評だったんだ。演目は同じハムレット。その余波が残った状態で同時上演が始まったもんだから、雑誌はアメリカのハムレットとジャスティン演じる我らRSCのハムレットを比較する特集を組み、ロンドン界隈では結構な盛り上がりを見せていたそうだ。ブロードウェーVSウエストエンドってね。昔からライバル意識が強いからな」
「へえ・・知らなかった。で、軍配は?」
「あっちの劇評の方が優勢。詳しい内容は知らんが演出の差かキャストの差か・・。とはいえ、そんな記事に信憑性なんかないさ。しかし―」
「こっちとしたら面白い話じゃないな」
「だろ?上層部の連中は評価を覆そうと躍起になっていた。両国で同時上演なんて、金輪際御免って言い出す者もいたそうだ。しかしだ、ジャスティンの怪我で前期公演の中止が決まった途端、それを逆手にとる方法を思いついたわけだ。それまでしのぎを削っていたライバル役者が、呉越同舟のごとく助っ人に入る。こんなエキサイティングな展開は滅多にないと、早速記者達は食いついた。代役内定の報道が出た途端、ロンドン公演を見た層、見逃した層が、限定チケットを求めてどっと押し寄せてきた。記者の中にはジャスティンは密かに下ろされたんじゃないかって面白おかしく書く者もいるそうだ」
「そいつは大したゴシップだ。そんな記事誰が信じるっ」
「それがあながちゴシップとも言えない状況になってる。ここまでの話、ジャスティンの怪我は全治一ヶ月だったのに、今日になって二ヶ月と修正された。テリュースが合流した途端にだ。偶然か?」
「後期公演は約二ヶ月・・。偶然・・・では無さそうだな・・」
「プライドを傷つけられたジャスティンが、今回の公演復帰を自ら放棄したって見方が有力だ。そりゃそうだろ、後期チケットの広告、ああ大々的にテリュース、テリュースと宣伝されたんじゃ。・・とにかくこの後期公演が既に話題をさらっていることは間違いない」
説得力のある大御所役者達のひそひそ話は、大音量のスピーカーを通してなされた様に、あっという間に拡散された。

 


 4-1 シェークスピア劇団 

 

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ワンポイントアドバイス

 

※ボウ・アンド・スクレープ=貴族社会の男性のお辞儀

 

原作を知らない方へ

カレン・クライスについて

漫画に実際に登場するキャラクターです。(3コマですが)

照明事故で舞台に立てなくなったスザナの代役で、ジュリエット役に抜擢されました。

アニメではカレンが絡んだお話が数話作られ、スザナのライバル的存在として描かれています。

明朗快活で負けず嫌いの性格です。

 

 

ミセス・ターナーのイメージ画

 

このおばさん婦人です。

漫画をお持ちの皆さん、絶対この人を想像してたでしょ?笑

 

 

リーチ・ジョンズ監督のイメージ画


CHANDOS3.jpg
シャイクスピアじゃん!という突っ込み、ありがとうございます。にっこり
リーチ監督のお誕生日は1864年4月26日。テリィより33才歳上の61才です。
(ちなみにシェイクスピアは1564年4月26日(洗礼日)との事です)

出生地はイングランド王国の旗 イングランド王国ストラトフォード=アポン=エイヴォン

 

 

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