★★★4-2
「なんて素敵な人・・!ジャスティンさんとは真逆のタイプ。恋人いるのかしら?」
アメリカから来たハムレットを見て、研修生のオリビアの目がキラキラと輝いた。
指を組んで祈っているようなオリビアのしぐさを見て、ミセス・ターナーは冷ややかな目を向けながら忠告した。
「―・・テリュースは結婚しているよ」 
「あ、そうなんですか・・・」
オリビアの淡い期待はあっという間に砕け散る。
「なーんだ」
側にいたオフィーリア役のカレンも、殆ど同時に声を上げた。
するとその会話を聞いていた研修生の少年が少し眉を寄せながら言った。
でも、二月の会食の席では独り身だとおっしゃってましたよ?独り身だから移籍後の住居の件はお構いなくと、リーチ監督と話しているのを小耳に挟みましたが」
少年の名はクリオネス。先輩団員にはクリオネとあだ名をつけられている。
品行方正で色白なその研修生は、むさくるしい劇団員の中で、ひと際透明感があったからだ。
「・・一年ほど前に死別したんだよ。スザナは劇団仲間で、才能のあるとても美しい女性だった・・。最後に会った時はあんなに元気で幸せそうだったのに。テリュースはまだ忘れてないね、そりゃそうだろ。私でさえ、まだ信じられないんだから」 
先刻握手をした際、ミセス・ターナーはテリィの左手薬指の指輪に気が付いた。
指輪をしている状況を、ミセス・ターナーなりに解釈したようだ。
年齢の割に多くの年輪を刻んでいるような新参ハムレットの境遇に、団員達は途端にしんみりとした。
「でも・・それなら、チャンスは有るってことよね?独り身ってことは子供もいないんでしょ?」
重い沈黙を破ったカレンの言葉は、ミセス・ターナーにとってあまりに不謹慎に感じた。
「・・欲しかったようだが、できなかったみたいだよ。カレン、公演が終わるまではかき乱さないでおくれよっ!」
「・・わかってるわよ、ミセス・ターナー」
「ああ~!?だからこっちへ来たんじゃねえのか?妻との思い出が詰まった劇団がつらいからっ」
首にコルセットをした青年が、悪意を込めた言い方で口を挟んだ。
「ナイル!軽はずみな発言はおやめ。そもそもテリュースの代役はあんたが起こした事故のせいだろ!?少しは反省したらどうなんだい。直ぐに駆けつけてくれたことに、感謝すべきだよ!控え役者でも手を抜くんじゃないよっ」
ミセス・ターナーが眉を吊り上げて叱責する。
「こんな首も回せない状態じゃ控えもクソもないだろ。監督はかかしの俺をさらし者にしたいだけだ」
「仕方がないよ、運転していたあんたが一番軽症だったんだ。まったく、キャストが揃いもそろって怪我をするなんて・・!ジャスティンの具合はどんな感じだい?」
「あいつなら悪化したって昨日入院しちまったよ。今期復帰は絶望的だ。明日にでも見舞いに行ってくる」
「・・骨折が悪化する事なんかあるのかい?」
「有るんだろ、知らねえよっ!」
小麦色の肌をしたアーモンドアイのこの青年――ジャックナイルは誰に対しても口が悪い。
ジャックナイフのような鋭い刃を伴った言動が目立つことから、ひそかにそう呼ぶ者もいる。
「喉の病気が流行り始めたようです。病院に行くのでしたら、十分お気をつけてナイル先輩」
研修生であっても今回の舞台の動向が気にならないはずがない。クリオネスは慎重に言葉を選んだ。
「それにしても、わざわざ海外の役者にオファーするなんて首脳陣も思い切りましたよね。主役は舞台の明暗を左右しますし、吉と出れば良いですが―」
冷静なクリオネスの発言に、ミセス・ターナーが緊張感のある声で付け加えた。
「大丈夫、実力や話題性からすればテリュースで申し分ないよ。それだけじゃない。彼にはカリスマ性がある。主役には大事な要素さ。後は残り三日間でどれだけ修正できるかだね」
「修正?修正も何もないだろ。奴はつい最近まで同じ演目を演じていたんだろ?そのままやりゃいいさ、この際多少のアメリカ訛りぐらい目をつぶってやる」
上から目線のナイルの発言に、ミセス・ターナーは刺すような目でナイルを睨んだ。
「何を言っているんだいっ!三ヶ月前のテリュースのロンドン公演をあんたは観なかったのかい!?」
「・・観てないよ。アメリカの野蛮なやつらの芝居なんて興味ないね」
本家本元のプライドが見え隠れしている。
「同じ演目でも、ロバート・ハサウェイの演出は革新的なんだ。伝統を重んじるうちの監督とは全く別の作品と言っても過言じゃないよ」
「・・・え!?そうなのか?」
ナイルがうろたえると、主要キャストの一人でもあるカレンも同調するように言った。
「そうね、演出が全然違ったわ。テリュース、大丈夫かしら・・」
会話を聞いていた他の団員達も一斉にざわめき立ち、舞台上の新参者を不安な目で追い始めた。

外野の視線に構うことなく、テリィは五年前に観た同じ監督のハムレットの残像と航海中に叩き込んだ脚本を念頭に置き、監督の指示を瞬時に体に取り込んでいく。
――この場面、ロバート・ハサウェイは睨んで拳を握るだけの静の演出だったと思うが、こっちは動だ」
「額がつくほど近寄って恫喝するんですね?その後の動きは?感情のピークは一連のセリフのどのあたりに?」
「それは君に任せるよ」

傍から見ると、テリィと監督が突っ立て、ひたすら話し込んでいるだけのように見える。

時々動きを確認するような動作が混じるが、まるでマリオネットのようにぎこちない。
巨匠と言われるリーチ監督とハムレットそのものと呼び声が高い俳優がこの難局をどう乗り切るのか。
研修生のクリオネスはその一部始終を目に焼き付けようと、打ち合わせに見入っていた。
「・・あの人、こくこくと頷いてひたすらペンを動かしてますね。・・修正、間に合うんでしょうか。三か月前に観た時、アメリカにはすごい人がいるな、って驚きましたけど、いざ目の前に現れて仲間になってくれるなんて、ちょっと感動します」
「ちっ、正義のヒーローかよ。クリオネっ、お前もあいつの公演を観たのか?どんな感じだったんだっ」
気になって仕方がない様子のナイルに、クリオネスはその呼び名はやめて欲しいと心の中で唱えながら答えた。
「遠慮のない言い方をしますと、ずるいなって思いました。だって持っている雰囲気が既にハムレットなんですから。舞台の上だけじゃないんです。普通に食事をしていても高貴で影があるというか、孤高の存在感っていうのか・・。柔和で陽気なジャスティン先輩と比べてしまうとやはり―」
親友のジャスティンを暗にけなされ、ナイルは面白くない。
「本当に・・やっぱりテリュースはすごいよ。アメリカ訛りが消えてる。この大局で、そこまで修正してくるとは」
感心するミセス・ターナーに、
というより、会食の時はアッパークラスのクイーンズイングリッシュを使っていましたよ?」
同じ方言をしゃべるクリオネスが、思わず意見した。
「坊ちゃまのお前が言うならそうなんだろ!!奴はアメリカかぶれのイギリス人か!?」
自分の話すコックニー英語にコンプレックスでも持っているのか、ナイルはますますかみつく。
舞台の下で団員たちが小競り合いを繰り広げている内に、第一幕の打ち合わせが終わったようだ。
「カレンもスタンバイしてくれ」
早速他のキャストを含めたハムレットのシーンを始めるという監督の言葉に、カレンが浮足立つ。
「すごいわ!オフィーリアとの絡みが楽しみになってきたわ」
大御所の俳優も若い研修生も磁石のように引き寄せられ、固唾を飲んで舞台上の新参者に刮目した。

 



「すげぇ・・、振りきった演技!あの若さで完全に役を自分のものにしている。経歴は伊達じゃないな」
「ああ、迫力が・・桁違いだ・・、声の通りが抜群にいいっ。セリフ回しも絶妙だ」
瞬く間に下馬評を跳ね除け、大御所の役者たちが舌を巻いている横で、研修生のクリオネスも感嘆の声を漏らした。
「・・す・・ごい、前見たハムレットと違う。一気に寄せてきたっ、リーチ監督のハムレットだ!ジャスティン先輩とは芝居の印象が違うけど、同じ動き・・、何故こうも早く」
すると昔からテリィの芝居に対する熱心な姿勢を高く評価していたミセス・ターナーは誇らしげに言った。
「テリュースはイギリス公演の際に、こっちの舞台も熱心に観に来ていたからね。数年前我々がハムレットを演じた時は、監督に頼み込んで脚本まで貰っていたよ。おそらく監督の嗜好が分かっているのさ」
「でもリーチ監督と組むのは初めてですよね?そんなことまで分かりますか?」
クリオネスが素朴な疑問をぶつけると、ミセス・ターナーは満面の笑みを向けた。
「フフン・・、実際に分かっているじゃないか。ああいう人物を天才肌って言うだよ!」
「ふんっ、役者バカとも言うさ」
吐き捨てるようにナイルは言った。


「変わらないな、君は―」
稽古の合間、旧友のアルフレッドはテリィに話し掛けた。
「常に自分の役どころに主眼を置き、他人に意見がある時は役者本人ではなく監督に進言する」
「・・・面倒が嫌いなのさ。俺はキャストの一人にすぎない」
「ハハっ、やっぱり変わってない」
アルフレッドは嬉しそうに言ったが、亡くなったスザナとテリィの関係を知っていたアルフレッドは、やはりその事が気になっていた。
「・・ところでテリュース、今夜食事でもどうだい?イギリスに禁酒法は無いよ」
稽古がこんな切羽詰まった状況では切り出すタイミングもないと、場外戦に持ち込もうとしていたのだ。
「残念だけど、今夜は代役の契約とお偉方との会食があってね」
「じゃ、明日にでも」
「う~ん、当面はまっすぐ帰らせてもらうよ。家には寂しがり屋の小猫も待ってるし」
アルフレッドは体格も鋭さに欠けていたが、性格も似たようなものだった。
(そうか、今は芝居に集中したいよな。しかし飼い猫まで連れてくるなんて、もしかしてあの噂は―)
テリィの言葉をそのまま受け取り、『噂』について続けて訊いた。
「代役は移籍の前座だって耳にした。・・そうなのか?こっちに正式にくるのか?」

だから飼い猫を連れて来たに違いない、というお粗末な想像力。
「ああ、七月から正式に。ま、その前に首にならないよう、この公演を成功させないと」
「・・だよなぁ。僕には二週間あったけど、君には今日を含めて三日しかない。いくら同じ演目でも、これだけ動きが違うんじゃ、さすがの君も混乱するんじゃないか?ロバート先生演出のハムレットを七年だろ?」
「・・だいぶ混乱するけど、リーチ・ジョンズの指導が的確で助かってる。お互い踏ん張りどころだな」
混乱など微塵も感じさせないテリィの冷静な口調に、アルフレッドは自分のたるんだお腹の肉を思わず掴む。
「後期公演、向こうではジャックがハムレットを演じるんだって?あのペーペーの研修生だったジャックに、ブロードウェーの主役なんて務まるのか?」
「プレッシャーなど全く感じない奴だ。大物の器だよ」
テリィの言葉を、アルフレッドはそのまま返したくなった。
それほどテリィの瞳は湖のように穏やかに見える。
「ジャックとテリュースじゃ勝負にならない。この戦い、我らRSCの勝利だな!」
激励の意味を込めたアルフレッドの言葉に、テリィはフッと顔を緩めた。
「目指している芝居が違うんだ、勝敗なんて鼻からつかないさ。ブロードウェーでの上演を想定して脚色している向こうと違い、こっちは数百年前シェークスピアが思い描いただろうハムレットを再現しようとしている。俺達はその意向を汲み取り、一丸となっていい芝居を見せる。それだけだ」
テリィの言葉は、密かに聞く耳を立てていた多くの団員の心を捕えた。
アルフレッドは少し驚いたように、目を丸くした。
「・・テリュース、変わったか・・?」
人一倍自尊心が高く一匹狼だった昔のテリィを思い出したからだ。
「・・さあ?」
テリィは自分でも分からなかった。 

 

 

4-2  新参者     

 

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