★★★3-16


これは幻なのか。
あんなに遠くにいた君が、俺の腕の中にいる。俺は君の中にいる。
・・これは うたかたの夢か・・?


・・・テリィ・・まだ・・そこにいて

・・キャンディ・・。いるよ・・

――心音がすごく速いわ 苦しい・・?

・・じきに落ち着く きみの鼓動も感じる・・
あぁ・・ 俺たちは生きているのか――


・・・テリュース 私はここよ ここにいるわ

スザナ―・・?・・どこにいる・・?

さあ帰りましょう・・・わたしたちの家に・・・
「・・スザナ・・・おれは、キャンディを」
いやよ、テリュース ・・渡さないわ――
「・・よせ!スザナ」



「スザナっ・・!!」
テリィはハッとして目を開けた。
「・・・夢か・・」
レースのカーテン越しに差し込む柔らかな光が、朝の訪れを告げている。
目じりに残る涙の跡を不思議に思いながら、ぐるっと辺りを見回す。
(知らない部屋・・。ここはどこだ・・?)
そう思った瞬間、わっと現実に戻る。
「ここはイギリス・・そうだ、キャンディ」
隣にいるはずのキャンディを探すが、空っぽのベッド、冷たいシーツの波・・。
(昨夜のあれは夢か・・?)
強い不安に駆られ勢いよく体を起こした時、カシャッ・・と、ベッドサイドから何かが落ちた音がした。
「キャンディのバッジ・・」
――キャンディはこの家にいる。
拾い上げた銀のバッジを見た時、テリィはようやく平常心を取り戻した。
耳を澄ませると下のキッチンに人の気配がする。かすかに聞こえてくるキャンディの鼻歌。
陶器のガチャガチャという音と共に届くベーコンの香ばしい匂い。
(いい加減慣れろ、テリュース。・・キャンディはいなくなったりしない・・)
額に手をあて、しばらく頭を冷やしていた。

 



「おはよう、早いな」 
「あら?いつもお寝坊なあなたがどうしたの?さすがにお仕事一日目は気合が違うみたいね」
キャンディは平静を装ったが、昨夜の事が頭をよぎり、恥ずかしさで目を合わせられない。
昔よりずっと太くなった首筋、厚くなった胸板。・・そして、初めて聞いた吐息交じりの声――
(―!!やだ、私ったら何を考えてっ)
キャンディは顔を真っ赤にし、朝食の準備に逃げるようにフライパンを握る。
そんなキャンディを見透かすように、テリィはカットフルーツをつまみ食いしながら
「まだ俺の夢を見ているのかい?君もお仕事一日目だね、ミセス・グレアム」
キャンディの口にもカットフルーツを放り込む。
「――ミセス・グレアム?・・私のこと?」
もぐもぐと口を動かしながらきょとんとする。
「君以外に誰がいるんだい?俺たちはもう夫婦だろ」
テリィは使用中のキャンディの口を避けるように、おでこに小鳥のようなキスをした。

 

illustration by Romijuri 

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「――夫婦・・」
天と地から公認を得たような響き。
キャンディは夢心地で自分のおでこに手を当てたが、現実に戻ろうとブンブンと首を振った。
「こ、この後洗濯するの!あなたのそのバスローブもそろそろ洗濯してあげるっ!」
帯に手を掛けた時、「キャーっ!」キャンディはパッと背中を向けた。
「なっ、、なんで、何にも着てないのよ!」
「バスローブはそういうものだろう?」
テリィは平然と答えた。
そういうものかどうかなんて知らない。共同生活は、お互いの常識の上書きから始まる。
そんなことを考えていると、パンの焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。

 



「これ、クッキーがくれた特製クロワッサンだよな?」
ハムエッグとサラダのカラフルな色彩が、炭のような黒い塊を一層際立てている。
「・・あなたのせいよ。表面の層をむけば、・・いけるわ」
テリィはクスクス笑いながら、ビシソワーズの涼しげな色で目を休める。
「おかわりならあるわ。黒いのと白いの、どっちがお好み?」
「ホワイトが好きかな」
「それはつまり、私のことかしら?」
からかうように聞くと、テリィはクスッと笑った。
「君がそう思うなら、それで構わないよ」
テーブルの上には、すずらんに似た小さな白い花が飾られている。
キャンディがいるだけで、殺風景だったかつての食卓とは何もかも違う。
「かわいいお花でしょ?テラスの脇の低木から摘んできたの。何の花かしら?」
「折ってきたって言うんだよ。川沿いの木は記念樹らしいから、実のなる木じゃないかな」
「うわっ、楽しみ!!今花が咲いてるってことは、もうすぐ実になるのかしら?果実だといいな」
少し皮肉を込めた言い方になってしまったのは、テーブルに並ぶ前にフルーツが無くなってしまったからだ。
「木になるのは百%フルーツだろ?それとも君の故郷では木に野菜がなるのかい?」
「栗かもよ?あなた栗はフルーツだって言うつもり?」
ニッと白い歯を見せるキャンディに、テリィは自分の負けを認めたくない。
「せいぜいバナナの木であることを祈っておくよ。モンキーには死活問題だろうから」
「んまぁ!!テリュースっ!あなたのクロワッサン、全部むいちゃうわよっ!」
騒がしすぎて落ち着いて食べたい気もする。かつての食卓が少しだけ懐かしい。


「・・これ、昨夜は悪かった」
テリィはおもむろにポケットから銀のバッジを取り出した。
「・・もういいの。もう外したのよ。・・身に付けないわ」
それをキャンディに決心させたのは、自分の子供じみた態度のせいだとテリィは思った。
「・・俺のことは気にしなくていい。六歳からつけていたお守りなんだろ?」
「いいのよ、これからはテリィが守ってくれるから、これは名誉の引退。でもこれだけは信じて。これはアンソニーの物ではないわ」
キャンディはバッジのついたネックレスを握りしめた。
・・これ以上テリィの心をかき乱したくない―
丘の上の王子様のバッジだと話すのは、もう少し先にしよう。
テリィは複雑な心境だったが「分かった」と言って立ち上がると、キャビネットから何かを取り出した。
「これを君に・・。使ってくれ」
それは一目見て贅沢な造りだと分かる宝石箱だった。
小ぶりの宝石とマザーオブパールで装飾された象嵌
(ぞうがん)細工のその品は、公爵家に代々伝わる物だという。
「――貰えないわ、入れるアクセサリーもないし、こんなに美しくて高価な品は・・私には似合わないわ」
「別に何を入れても構わないよ。君の好きなように使えばいい。マザーオブパールには、家族の絆とか、母性愛とか、子宝とかそんな意味が有るらしい。本来なら祖母から父さんのパートナーに引き継がれる品だったみたいだけど、父さんが結婚する前に祖母が他界してね。そのままになっていたようだ」
「じゃあ、公爵夫人が持つ物なんじゃないの?テリィの義理のおかあ―」
「――この宝石箱、暖炉の上に無防備に置かれていたんだ。・・中には一通の手紙が入っていた」
「手紙?」
「・・ああ。エレノア・ベーカーに宛てた手紙だった」

 愛するエレノアへ

 

 この宝石箱は代々グランチェスター家の公爵夫人が持つものだ。

 これを君に贈る。 

 

 愛をこめて リチャード

「・・ここに残されていたという事は、母さんに渡さなかったのか、受け取ってもらえなかったのか・・」
物憂げに宝石箱を見つめるテリィを見ていると、キャンディの胸は詰まった。
「・・でも父さんは、夫人には贈らなかった。例え他の女性と結婚しても、心の中では一つの愛を貫き通していたのかもしれない。十七歳の俺だったら、この色ボケ親父って笑い飛ばしてたな。だけど、今は―」
――ああ、親子ってなんて似ているのだろう。
キャンディは心の中でつぶやいていた。
「ミセス・グランチェスター?どうか迷える宝石箱に救いの手を」
パッと役者調に切り替わり、優雅に騎士のようなお辞儀をするテリィを見て、キャンディは不思議な気持ちになった。
代々公爵夫人に引き継がれたであろう、この宝石箱を使うということは、まるでグランチェスター家の一員として迎えられたような気になってくる。
「・・なんだか私、テリィに貰ってばかり」
恵まれ過ぎて、少し怖い。
「俺も貰ってる・・。一番欲しかったものだ」

「テリィ・・・」
心臓が溶けてしまいそう・・。はにかむように言うテリィのそんな言葉は、朝には甘すぎる。

キャンディは気持ちを切り替えるようにシャキッと背筋を伸ばすと、ニコッと笑って両腕を前に出した。
「ありがとう、大切にするわ。じゃ、早速入れちゃおうっと!」
そう言うとキャンディは、ショルダーバッグからある物を取り出した。
「・・それ、俺の?」
ニューヨークで偶然見てしまった古い記事の切り抜き。
何を入れてもいいとは言ったが、真っ先に収まる物が宝石でもバッジではなく単なる紙切れとは。
「宝物なの。でも、今は本物がこんなに近くにいるんですもの!」
キャンディは長い間一緒にいてくれてありがとう、と記事にお礼を言いながら、満足そうに蓋を閉めた。


食事が終わる頃、キャンディは昨日言いそびれた事を切り出した。
「俺にお願い・・?何?」
宝石でもねだられるのかと思いきや、あまりに意表を突くキャンディのお願いに、テリィはあっけにとられた。

キャンディはジェイの店の前にある病院で働きたい、と言ったのだ。
「看護婦が全然足りないらしいの。短い時間でも構わないって言うのよ。ダメ?」
キャンディは手を合わせて懇願する。
「・・いつ・・そんな話を」
「え~っと、、ほら昨日ね、車で待っていたでしょ?その時求人広告が目に入って、、話を聞きに行ったら、是非手伝ってほしいって言われたの!そ、そしたら迷子になって転んで、、」
こんな支離滅裂の言い分はテリィの耳には入ってこない。
キャンディの行動にいちいち整合性を求めても無駄というものだ。
「一時でもじっとしてられないんだね、君は。・・・・回遊魚かよ」
キャンディの仕事を間接的とはいえ何度か垣間見ていたテリィは、頭ごなしに反対できなかった。

 ――君のような看護婦はますます必要になるだろう。ずっと続けて行きなさい

列車事故で出会った『先生』に、キャンディは『そのつもりです』と答えていた。
あの時キャンディの望みは理解したつもりだ。
キャンディは必要とされている。本人もそれに応えたいと思っている――
「わかった・・。いいよ」
テリィはため息まじりで承諾した。
キャンディはみるみる笑顔になり、テリィにお礼を言おうとしたが「ただし条件がある」とすぐさま切り替えされた。
「条件?何?」
キャンディが身構えた途端、テリィは一気に捲くし立てた。
「俺より早く出勤するな、俺より早く家に帰ってこい。俺が休みの日は出勤禁止だ。夜勤も絶対だめだ!それから―、、男の患者全員に自分が既婚者だと告げるなら、認めるよ」
無茶な条件ではないはずだ、と言わんばかりに列挙するテリィに、キャンディは開いた口がふさがらない。

わがまま極まりない条件だと思ったが、テリィの気持ちが伝わってきて、不思議と嬉しい。
「分かったわ。その条件のんだわ!」
キャンディはニコっと笑った。
(・・全く陸に上がったモンキーは手が付けられないな)
新生活の一日目は、波乱の幕開けだった。

 

 

 3-16 象嵌細工の宝石箱 

 

 

 3章 イギリスへ

 

(完)

 

 

次は「中書き・解説」、「考察」を挟みます。

 

次へ左矢印左矢印

 

。。。。。。。。。。。。。

ワンポイントアドバイス

 

象嵌(ぞうがん)細工

工芸技法の事で、一つの素材に異なった素材をはめ込んで模様を描く技法です。

こんな感じ。

キャンディの物は、小ぶりの宝石も散りばめられているようです。

 

★ロミジュリさんのイラストのタイトルは『お寝坊なテリュース』です♥

 

 

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