★★★2-23
出航は明日の早朝―
発つ前に、故郷の人たちに手紙を出したいと思った。
列車事故に巻き込まれたのではないかと心配しているかもしれない。
「構わないよ。俺の部屋に一式揃っているから使ってくれ」
テリィは快く机を提供してくれた。
私への手紙もここで書いていたのかと思うと、くすぐったい気持ちになる。
「パティにも書きたいけど、住所が分からないわ・・。先生に頼んでアドレス帳を送ってもらおう。それから医学書とシスター・グレーからいただいた聖書と~、シーザーとクレオパトラの世話も誰かに―」
早く寝ないといけないのに、あれこれ考えていると余計に頭がさえてくる。
キャンディは、ベッドをちらっと見た。
レディをソファで寝かせる訳にはいかないと、テリィは頑なに言い張った。
仕方なくお言葉に甘えることにしたものの、そうなるとテリィがソファに寝ることになる。
そんな事を考えていると、ドアをノックする音が響いた。
「もう手紙は終わった?・・ごめん、俺のトランクを回収に。いいかな」
「あ・・、どうぞ。ちょうど寝ようと思っていたところよ」
テリィがトランクの上にあった台本を中に入れ、蓋を閉めようとする様を見て、キャンディは訊いた。
「・・そのハムレットの台本持って行くの?何年も前の物みたいだったけど・・?」
「あ、いや、今はこれでいいんだよ。新しいのはまだないから、向こうへ着くまではこれで稽古をする」
不思議そうな顔をするキャンディを見て、テリィはピンときた。
「あ?まだ言ってなかった?俺、向こうの後期日程でハムレットを演じるんだ。ピンチヒッターで突然決まった。五月十一日が初演だ」
「・・え!?・・え――!!!」
そんな大変な事態になっていたのに、自分は知らないばかりか、目の前の当人はいたって冷静だ。
「あ、あと十日しかないじゃない!到着は間に合うの!?新しい劇団でしょ、大丈夫なの!?」
目を白黒させているキャンディに、テリィはクスッと笑った。
「落ち着け、間に合うよ。大丈夫だから受けたんだ」
余裕なテリィの態度に、キャンディは胸をなでおろした。
「慣れている役だから問題ないのね・・?」
「まあ、たしかに慣れてはいるけど、演出家や脚本家が違うと、解釈がそれぞれだから結構違うんだ。簡単じゃないよ」
一転、キャンディの顔は不安でいっぱいになる。
「・・どうするの?向こうで稽古する時間なんて殆どないじゃない」
「船の中で稽古するさ。幸い以前のイギリス公演の時に入手した、同じ監督の脚本が手元にあるんだ。今回の舞台はおそらくこれの焼き直しだ」
テリィは手に持っていた五年前の脚本をかざした。
「脚本って?台本と何か違うの?」
キャンディは素朴な疑問が浮かんでくる。
「いい質問だね。戯曲はそもそもセリフとト書きしか書かれていない。いわゆる台本と同じさ。脚本は舞台そのもの、全部書いてあるんだ。ま、他の世界はどうだか分からないけど、少なくともRSCではそうさ」
「 ・・全部って?」
「全部だよ。セリフだけじゃなく、心情や表情、動作、時には舞台セットの種類とその位置、照明の動きや色まで。だから脚本があれば舞台全体を客観的に見渡すことが出来る」
「・・役者はそんなことまで頭に入れる必要があるの?」
するとテリィは脚本をぱらぱらと捲りながら答えた。
「必要ないけど、体感で覚えちまうな。他の役者のセリフだって頭に入っちまうぐらいだから。脚本を貰ったのは単に俺の趣味。最初のイギリス公演の時、向こうの劇団のハムレットを観劇する機会があってね。あまりに俺たちの芝居と違ったから、何がどう違うのか比較したくて頼み込んだんだ。リーチ・ジョンズ監督はそれを覚えていて、今回俺に白羽の矢を立てたのかもしれない。1920年秋か、・・もう五年前になるんだな」
芝居の事になると熱く語り出すのは、昔のままだとキャンディは思った。
「あの時、向こうのハムレットを観ておいてよかったよ。船でイメージトレーニングが出来る」
心底助かった、というようなテリィの口ぶりに、キャンディは目をパチパチさせた。
「一度見ただけで覚えたわけじゃないでしょ?」
「大丈夫、この通り書き込みもあるし、忘れてない」
テリィは脚本を開いて見せた。
昔スコットランドで見た時のように、所々にラインが引かれ、手書きで文字が書きくわえられている。
「この脚本を基に、体に染みついたロバート・ハサウェイのハムレットを全て塗り替える。動作、表情、口調、イギリス英語、航海中にみっちり叩きこむさ。修正と仕上げ作業は現地で三日もあればなんとかなるだろう。―たぶんね」
心配するなとウインクするテリィに、キャンディは棒立ちになった。
何も知らずに浮かれていた自分が情けない・・。
「ピンチヒッターってことは、期間があるって事・・?帰るって言うから、私はてっきり―」
「あ、いや、いずれにしても拠点は移る。七月にはその劇団に移籍する事になってるんだ。代役の期間は俺にも分からない。行ってみないと。一週間なのか一ヶ月なのか、フルの場合は二ヶ月間だな」
「・・七月に―、・・・そう、そうよね。分かった―」
言葉を溜めるようなキャンディに、テリィはピンときた。
「わずかな日数でも、アメリカに戻る時間がとれそうなら戻るつもりだ。―・・お互い、やり残したことはあるだろうから。――じゃあ、お休み」
部屋を出て行こうとする声に、キャンディはハッとした。
「待って!ベッドはあなたが使ってっ、風邪でもひいたら大変だわ!」
テリィはきょとんとしながら
「大丈夫さ、俺のベッドは普段からソファみたいなものだ」 
お気遣い無用とばかりに立ち去ろうとするテリィの腕を、キャンディは咄嗟に掴んだ。
「駄目よ!あなたはこの数日無理をしていたはずよ。ゆっくり体を休めてっ、体調を崩したら大変だわ!」
キャンディは心配になって声を荒らげた。職業柄か、風邪だって侮れないと思ってしまう。
たしかにテリィの体は疲れがたまっていた。夜通しのシカゴまでの往復、徹夜の列車事故。自覚はある。
けれど紳士のプライドがキャンディの申し出をかたくなに拒む。
「・・君を二日連続ソファで寝かせるわけには―」
キャンディに手首を握られたテリィは、妙な気分になっていた。
無防備なネグリジェ姿のキャンディ。白桃のような胸元が、否応なく視界に入ってくる。
「お願い、ベッドで寝てっ、私なら大丈夫だから・・!」
なのにキャンディときたら、全くお構いなしに体を接近させ、紛らわしいセリフを吐きながら子猫のような瞳で訴えている。
テリィは高ぶりそうになる感情を黙らせよう
とキャンディから目線を外し、はぁ・・と息を抜いた。
「・・わかった、名看護婦の助言に従うよ」
ホッとしたキャンディが「じゃあ、私は一階に」と、退室しようとした時、今度はテリィがキャンディの手首を掴んだ。
「但し、君も一緒だよ。それが条件。レディをソファで寝かせるわけにはいかない」
キャンディの顔はみるみる赤くなり、声が上ずった。
「テ・・テ・・テッ・・っ」
「テリィって言いたいのかい?俺の意思は変わらないよ。どうするかは君が決めろよ」
気が付けば、両手首をテリィに握られ、向かい合っている。
徐々に早くなる鼓動を感じながら、キャンディはベッドの方に視線を移した。
比較的ゆったりとしたサイズのベッド。

・・ダブルベッドだ。
(・・うッ・・・でも、・・端と・・端なら・・)
キャンディはテリィの体調を一番に考え妥協することにした。
「・・分かったわ。だけど、ふざけないでね?」
念を押すキャンディに、ふざけるって何だよ、と思いながらテリィは苦笑した。
「大丈夫。これでも信心深いんだ。結婚するまで手は出さないよ」
「えっ・・」
突飛な発言にどう返していいか分からず、戸惑っていると
「じゃ、早く寝よう。明日は早い」
直後テリィはキャンディを道連れに、無遠慮にベッドに寝転がった。
「キャっ・・!」
動揺し、思わず声を上げたキャンディに、テリィは毛布をかぶせ、軽くおでこにキスをした。
「――おやすみ・・キャンディ」
「・・・・・おやすみ・・なさい・・・」
テリィの視線を避けるように、キャンディは毛布で顔を隠した。
顔をあげられない。何故か視線を感じる。息を呑み込むわずかな音さえ躊躇ってしまう。
(・・早く眠ってよ、テリィ・・)
こんな緊張状態ではとても眠れないと背を向けようとしたが、毛布の上にあるテリィの腕のせいで思うように動けない。
「・・あの、テリィ・・、腕・・中に入れて・・肩を冷やすと―」
「肩を冷やすと、明日の投球に影響する・・?」
テリィはクックと笑いながら腕を入れると、キャンディの体をグイッと自分の方へ引き寄せた。
「――えっ、・・あの、・・ちょっとっ・・」
「・・大丈夫、・・あったかいよ・・」
身体が近すぎる状況に、キャンディの心臓は強風に煽られる釣り鐘のように鳴り始めたが、
「・・あした・・寝坊するな・・よ―・・・・・」
さすがのテリィも、前日の徹夜には勝てなかったようだ。
「・・・――テリィ?」
あまりに早いテリィの寝落ちに、キャンディはあっけにとられるばかり。
(・・もう、こんなに人を振り回して、自分だけさっさと夢の中?)
キャンディをぬいぐるみとでも思っているかのように、キャンディの頭に顎をのせ、キュッと抱きしめている。身動きが取れない息苦しさと葛藤していると、スースーという静かな寝息に混じり、ドクン・・ドクン・・とテリィの心音が聞こえてきた。
ゆっくりとした脈に同調するように、キャンディの肩の力も抜けていく。
どこか少年の面影を残したままの寝顔―
新聞や雑誌の写真では随分大人びて見えたのに、素顔はやはり昔と変わってない。
(・・疲れているわよね・・。ゆっくり休んで・・)
いつまでもこんな風に、テリィに安息を与えられる存在でいられたら―・・
そう思いながら、テリィの首筋に顔をうずめた。

 


 2-23 添い寝  

 

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