★★★2―22


 

マンハッタン区。路地裏の隠れ家的なレストラン。テリィの馴染みの店のようだ。
窓際のテーブルに向かい合って座った時、キャンディは気が付いた。
「あら、変装してなかったのね。もういいの?」
「変装なんかする気は無いって言っただろ。事実を撮られたところで痛くもかゆくもないね」
今日一日散々変装していた人のセリフかと、キャンディは半笑い。
「それに帽子やサングラスをしたままで食事なんかできるか?マナーに反する」
テリィはすました顔で答えた。
「マナー?」
学院の礼拝堂の机を土足で踏んだ人物は誰だったか。キャンディはプッと吹き出した。
「じゃあ、野球を観戦しながら食べるホットドッグなんて論外って感じなの?」
「観劇であれをやられたら、俺は即刻舞台を下りる」
「なるほどね~、あなたは結局アメリカには馴染めないってこと?だからイギリスに戻るんでしょ」
キャンディは歯をむき出して意地悪っぽく言った。
直ぐに反撃が来るかと思ったが、一拍ほどおいてテリィは答えた。
「・・そうかもな、結局俺は英国紳士だってことさ」
予想外の答えに拍子抜けする。
「・・それが理由でイギリスに?台本に書いてあったロイヤル・シェークスピア劇団・・に入るの?」
「俺の部屋に入ったのか?二階に行ってもいいとは言ったけど、部屋に入っていいとは言ってないぜ」
勝ち誇ったような顔のテリィに、キャンディの顔は真っ赤になった。
「屁理屈言わないでっ、二階にはテリィの部屋しかないじゃない・・!」
テリィの顔に軽く手を振りかざした時、どこからかパシャと閃光が走った。
「―!!なに?」
窓の外から、カメラマンのような人物がパシャパシャと自分たちを撮っている。
「テリィ・・!」
何が起きているのかは直ぐに分かったが、初めての経験にキャンディの身体は反応できなかった。
「さっきも言ったぜ?今夜撮られたところで俺は全く構わない。・・でも、まぁ確かに――」
スクッと立ち上がったテリィは、窓に取り付けられたブラインドをピシャっと勢いよく閉めた。
「無断でレディを撮るのは無礼だな。・・うるさいネズミめ」
こんなことには慣れているのだろう。テリィは至極落ち着いた様子で再び着席した。
「・・こういうの、日常?イギリスに行っても続く?せっかくのお料理も味を感じそうにないわ」
キャンディが不安を口にすると、
「俺はイギリスでは路傍の石と同じ、無名に近い。しばらく自由でいられるはずさ」
そう心配しなさんな、とテリィは軽くウインクした。
「無名ねぇ・・。アメリカではこんなに有名なのに不思議」
「無名も悪くないよ。実力を測り直すことができる。アメリカでは俺はもう余計な色がつき過ぎてる。無色透明な目で芝居を観てもらうのは難しい。客は芝居を見に来ているのか、俺を見に来ているのか」
「・・同じでしょ?・・何がダメなの?」
「ダメじゃないさ。それも役者の宿命だ。ただ、舞台俳優は画家や芸術家と違って、自分の作品を鑑賞できないだろ?観客の反応だけが唯一の手応えなんだ。だけどその声援が、果たして演技に対してなのか。・・俺が何かの賞をとっても、演技ではなく私生活の方ばかり注目される。少なくともいま記者連中が追い回しているのはハムレットじゃなく、俺だろ?・・・数奇な遍歴を持つテリュース・グレアム―」
テリィの舞台を殆ど見たことのないキャンディには、テリィの言っていることがピンとこなかった。
「―・・だからイギリスへ帰るわけじゃ、・・・ないわよね?」
キャンディの問い掛けに、テリィは黙ったまま答えなかった。
「確かにあなた、学院の森のどこにでも石ころのように寝そべっていたけど・・テリィは石じゃなく花よ。昔から黙っていても注目を集めてしまう人だったわ。人はつい足を止めて見入ってしまう、摘みたくても手が出せない。生来の高嶺の花なのよ。そんな人がこんな派手な場所であれだけ目立つ事をやっちゃうんだもの。高嶺の花に天然記念物の蝶が止まっているようなものね。ほっといてくれって言ってもムリムリ。追い回されるのが嫌ならアフリカにでも行ったら?追いかけてくるのは、きっとライオンだけよ」
皮肉を言ったわけでもなく、慰めたわけでもない。
淡々と思ったことを言うキャンディに、テリィの口元は自然に緩んだ。
「フっ、毒にも薬にもならない意見だな。・・でも君は、その高嶺の花を摘んだんじゃないか?」
ニヤっとするテリィに、キャンディはニッと歯を出した。
「モンキーキャンディ様には、高嶺でも岩壁でも関係ないものっ」
――しまったっ!
自らの発言に、キャンディは慌てて口元を抑える。
「プっ、ハハ・・!まさしくその通りだ、君はモンキーだったな!」
春風のように会話が心地よい。

こんなに心を軽くして話せる相手がいることが、テリィには奇跡に感じた。
「だけど、君もかなり珍しい花だよな?」
「わ、わたしは、ただの多年草っ、花が枯れても根だけは生きてる、どこにでもある野草よ・・!」
「違うだろ。・・君はスウィート・・・キャンディ。・・出会ったことのない、新種の花―」
テリィが思わずキャンディの頬に手を伸ばした時、
「お話し中失礼いたします。オーダーの前に奥の個室に移動されますか?ミスター・テリュース・グレアム」
甘いムードをぶち壊すように、ウェイターがメニュー表を差し出した。

入店早々、窓のない個室に移動したキャンディは辺りを見回しため息をついた。
「・・こんな所に閉じ込められちゃって、まるで反省室ね」
テリィは久しぶりに耳にしたその言葉に、思わずふき出した。
「反省室・・!そいつはいい。反省室の方がましだな、あそこは窓も大きかったし、眺めも良かった」
「・・そうね、ここは窓もないし・・どちらかというと学生牢かしら」
キャンディの何気ない一言に、テリィの顔は強張っていく。
(・・学生牢――)
学院の規則を破ってばかりいた自分でさえ送られたことはない。
北の塔、暗い地下にある学生牢。そこにキャンディを入れてしまったのは、自分の失態――
イライザとニールが書いた偽の手紙におびき出され、まんまと夜の厩に行ってしまった。
大事な話があるというキャンディに会いに、そして同じ手紙を手にしたキャンディも俺に会いに。
ひたひたと忍び寄る大勢の足音に気付いた時は既に手遅れだった。
退学処分を受けたのはキャンディだけ。あまりに不公平な処分。


『何でぼくも退学にしないのです!どうして学生牢に入れないのです!?』
『あの娘は問題児です・・。女性としてのたしなみに欠けています』
『だったら僕も問題児だ!はっきり言ったらどうですか、この件でまた父に寄付をせびるのだと。あれは罠だったんです・・!そのことを調べて下さい!』
『罠であろうとなかろうと、あなたたちは夜遅く厩で会っていました。その事実は曲げようもありません』


シスター・グレー院長の冷たい言葉に、最後の切り札を切るしかなかった。

 ――どうしても彼女を退学にするなら、ぼくが代わりになります・・!
グランチェスターの名は今日限り捨てます・・!


「・・あの時は―」
テリィが謝ろうとした時、
「ほら、いつも大きなホールで大人数で食べるでしょう?毎日がニューイヤーパーティみたいなの!必ず誰かがコップをひっくり返すし、おかずの奪い合いは始まるし、歌い出す子も踊り出す子もいて。こんな暗い密室で静かに食事なんて、何かのお仕置きかと思っちゃう」
無邪気に笑うキャンディを見ていると、自分の謝罪など全く場違いのような気がしてくる。
「暗いって、ムードがあるって言って貰いたいな。俺と一緒で、しかも御馳走付きだぜ?お仕置きじゃなくご褒美の間違いだろ」
「それもそうね。食べ物が自動で出てくるんだもの、天国だわ!」
にんまりと笑うキャンディに、テリィは思わず目を細める。
(・・おてんばな君には、野球場のような広い場所でホットドッグを食べる方が似合いそうだな・・)
「さて・・と。再会を祝して何か」
テリィは一枚のメニュー表を手に取った。この店の裏メニュー。
どうやらこの街では禁酒法など
Pie in the skyのようだ。※空に浮かぶパイ=絵に描いた餅
「運転手さん、お酒はダメよ?今夜はぶどうジュースで乾杯ね」
「酒は百薬の長とも言う」
薬だから問題ないとテリィは言いたげだ。
「アルコールは判断力を確実に鈍らせるわ。テリィは私やハムレットを大事にするつもりがないのね?」
「・・名看護婦の助言に従うよ・・」
テリィはしぶしぶメニュー表を伏せた。

運ばれてきたメインディッシュに舌鼓を打ち始めると、テリィはおもむろに訊いてきた。
「・・ところで君、母さんと最近会った?」
キャンディはドキッとした。
最近ではないが、確かにテリィの知らない所で一度会っている。
春先のロックスタウン。もう何年も前の事だが、何となく秘密にしておきたい。
「・・いいえ、どうして?」
ごまかすように返事をすると、テリィはどこか釈然としない、という表情を浮かべた。
「劇場に行った帰りに母さんの家に寄ったんだ。明日キャンディと出航することを伝えに・・」
「そうだったの!?私も会いたかったな、お礼も言いたかったし―」
「お礼――?何のっ!?」
読みが当たったとばかりに、テリィの声のトーンが上がった。
「あ・・いえ、何年か前にハムレットの招待券を贈ってくれたの。結局使わなかったけど・・」
「招待券・・!?母さんが君に?」
予想外の答えに、テリィは面を食らった。
「・・それに、毎年クリスマスになるとポニーの家に匿名でお菓子が送られてくるの。たぶんそれも―」
キャンディの考えている事と同じことをテリィも思った。
母さんはキャンディをずっと気にかけていたのだ。
さっき渡されたあの荷物も、その延長線上にあるのだろうとテリィは思った。
「・・・実は、君の居場所を教えてくれたは母さんなんだ」
「お母様が?」
その言葉はキャンディの中にストンと落ちた。所在を把握しているからこそできる行為なのだろう。
「君に会いたがっていたよ。豚みたいになってないかと訊かれたから、年齢しか変わってなかったって正直に答えておいた」
「もう、失礼ねっ、あなたよりは変わったと思うわよっ!ちょっと今は思いつかないけど」
頬を膨らませるキャンディに「君ね、俺のこと変わってないって言うけど、本当は?・・正直に言えよ」
両肘を立てじっとキャンディを見詰めるテリィの顔は、まるでお芝居のポスターのように崩れがない。
「・・・少し、変わったと思うわ・・・」

目を合わせると心の中を見透かされてしまいそうで、キャンディは思わず瞳を伏せた。

――胸がジリジリと焦げるように熱い。
「どこが・・?」
「・・昔はそんなに素直じゃなかった」
(それから、・・・随分大人っぽくなった・・)
「ハハ・・!今日だけさ。今日ひねくれていたら何も進まない。明日から元に戻るから覚悟しろよ!」
「明日・・?」
テリィと明日を迎えられる日が来るなんて―・・、明日だけじゃない。明後日もその先もずっと一緒に・・
そう思うとキャンディの胸は詰まった。
「――なんだか、お腹いっぱい・・」
キャンディは不意にナイフとフォークを置いた。
「全然食べてないじゃないか。どうした?好みに合わない?」
「私だって、食欲が無くなる時だってあるわ・・」
「分かった、俺に恋してるんだろ?」
ニヤッと口角を上げるテリィに「・・テ、テリュース!!」キャンディは真っ赤になって、思わずフォークを振り上げた。
「ハハっ!なんだ、食べる気満々じゃないか」
にせポニーの丘の上にいるのかと錯覚してしまいそうな程、二人の間に流れる空気は当時のまま。
キャンディの弾けるような笑顔も、コロコロ変わる表情も何も変わらない。
その一方で確実に大人の女性になった二十五歳のキャンディ。
テリィは今朝木の上で感じたキャンディの変化を思い出していた。
「君も変わったぜ・・?」
「え、なに、なにっ、どんなところ!?」
(そんなこと、言えるか・・っ)
「木登りが下手になった・・!落ちたもんな、ハハッ・・!」

アメリカでの最後の晩餐を終えた二人は、従業員用の裏口から店を出ると、駆け足で愛車に乗り込み、鮮やかなステアリングさばきでパパラッチをあっさり巻いた。

 


 2-22 最後の晩餐

 

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ワンポイントアドバイス

作中に登場したテリィとシスターグレーの会話は、ファイナルからの抜粋です(実際の会話です)

 

 

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