★★★2-21
テリィはいくつか用事が残っているからと車で出て行った。
「絶対敷地の外へ出るなよ!?二階に行ってもいいけど、今日は木に登るなよ!」
そうキャンディに言い残して。
何をそんなに神経質になっているのか。とりあえず、言いつけは守る事にした。
キャンディはテラスから庭に出ると、苗を植えるのに最適な環境と土をじっくりと吟味し、苗を移した。
テリィはイギリスの家にも庭があるからと言ってくれたが、キャンディは置いていくことに決めたのだ。
最初は戸惑ったテリィも、最終的にはキャンディの意思に従った。
「・・ごめんねアンソニー。私器用じゃないから、あなたを連れて行けないわ。・・分かってくれるわよね?」
過去の事とはいえ、アンソニーの名前が出た途端豹変したテリィの態度が少なからず頭に残っていた。勿論今はそんな事を気にするとは思えなかったが、余計な事でテリィを振り回したくなかった。
逆に言えば、このばらは未だキャンディに色々な事を語りかけてくる。
「・・だけどアルバートさんはどうしてわざわざ苗を・・?何か意味があるのかしら・・」
キャンディは腑に落ちない点があったが、考えても分からない。
「ほんと、アルバートさんの思考は何歩も先を行ってるわ。テリィにパスポートまで渡していたなんて」
本宅に保管されていたパスポート。


 『密航してでもテリィについていく、くらいの覚悟を見たいんだよ。キャンディの確固たる返事を確認するまでは、絶対に見せちゃいけないよ』


アルバートさんはそう言ってテリィに託したらしい。
「おかげで今回は密航しなくても良さそうね」
キャンディはクスッと笑った。

肥料をまき、水をかけて作業がひと段落すると、キャンディは初めて室内をじっくり見まわした。
海が見える広いテラス、暖炉とグランドピアノ、ソファやテーブル、キッチンまでもが全て一つの空間に収まっている。どこに居ても家族を感じることができる素敵な部屋だ。
大きなコンソールの上に飾ってあるたくさんのトロフィーや盾や写真が、確かにここはエレノア・ベーカーの家だという事を証明していた。
著名な監督や俳優と撮ったたくさんの写真の他にも、母親と思われる、杖を突いた初老の女性との写真や、若い頃のグランチェスター公爵と三歳位のテリィの三人が正装している写真も飾られていた。

 


 

「わぁ、・・かわいい!」
海軍カラーの服を着た幼いテリィに目が釘付けになる。
仲睦ましい家族の写真。この後何があって三人はバラバラになってしまったのか。
「世の中ってなかなかうまくいかないわね」
キャンディは思わずため息をついた。
妻と息子にひたむきな愛情を注いでいるように見える写真の中の公爵。セントポール学院で見掛けた時とは印象が違う。
リビングにはテリィの私物らしい物は見当たらなかった。長く住んではいないのだろう。
生活拠点がずっとマーロウ家にあったことを示唆しているようで、キャンディの胸は少し疼いた。
「テリィの部屋には何かあるかしら・・。ちょっとなら、覗いてもいいのよね・・?」
生活の痕跡を見つけたかったのか、深呼吸する場所を探すように、キャンディは二階へと足を運んだ。
そこには三つの部屋があったが、二部屋は物置状態で、階段に一番近い部屋がどうやら寝室のようだ。
「割ときれいにしてあるわ・・」 
旅立ちの前日という事もあるだろうが、ベッドの布団はきれいに畳まれ乱れがなく、この部屋からも生活感は感じられない。
唯一テリィらしさが垣間見えるのは、文学本や台本がぎっしりと収められている本棚だ。
今更だがテリィは本当に役者なのだと実感する。
ふと、“スザナ・マーロウ著” と書かれたファイルが目に入った。
「・・『ナイトとイヴ』―スザナが書いたお話・・?」
キャンディはおもむろに取りだし、表紙を捲った。


――この物語を、私の愛するテリュース・グレアムに捧げる

瞬間、見てはいけないものを見てしまったように、慌ててページを送った。
「――ナイトはイヴを抱き寄せると、全身が熱くなるような口づけをし、そして言った。『僕は君の側にいる。これからもずっと・・』するとイヴは手を広げ―」
字面を追いながらキャンディには分かった。ナイトはテリィだと。
二人の婚約が偽装だったとしても、スザナがテリィを愛していたのは紛れもない事実―
それを正面に突き付けられた気がしたキャンディは、何とも言えない胸のつかえを感じ、パタンっとファイルを閉じ、元の場所へ戻した。
開かれたまま床に置かれている茶色のトランクケースには、礼服が何着も重ねられていた。

何かのレセプションにでも参加するのだろうか。その上にポンと置かれた冊子が、実にテリィらしい。
「ハムレットの台本―・・。何年も演じているのに、今更台本を読むことなんてあるのね・・・」


 ロイヤル・シェークスピア劇団  ハムレット 1920年 秋の公演

「ロイヤル・・イギリスの劇団?1920年・・五年前だわ」
表紙を見る限り過去の台本のようだったが、初めて見る劇団の名前が新鮮に映った。
「・・そういえばイギリス行きは突然決まったと言っていたわね。何があったんだろう・・。テリィはこの劇団に?」
何も知らない自分が急に情けなくなり、喝を入れる様に頭をこぶしで叩いた。
「いたたぁ~、もう、こんな調子でやって行けるかしら。しっかりしろ、キャンディ!」
ブロロロロ・・
エンジン音がする。テリィが帰ってきたようだ。

「お帰りなさい!」
急いで車に駆け寄ると、後部座席には大きなトランクケースが三つ。
「これは・・?」
「衣装だよ。楽屋から舞台衣装を全部回収してきたのさ。イギリスに持っていく」
テリィはいったい幾つトランクケースを持って行くつもりだろう。
「ねえ、腕がいくつあるか知ってる?二人でどうやって五個のトランクを持っていくのよっ」
「そうだなぁ~、君のお尻のしっぽに巻きつければいいんじゃないか?君のトランク軽そうだし」
「誰がモンキーよっ!!」
キャンディが両手を振り上げようとした途端、
「さあ、最後の晩餐へ出かけましょう、お姫様」
色気より食い気、いや怒りより食い気。

晩餐という魅惑的な響きを聞いたとたん、キャンディのお腹がぐ~うと鳴り出した。



 2-21 テリィの部屋

 

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