★★★2-20
猛スピードで家に戻る車内でキャンディは気が付いた。
「・・ねえ、このガタガタ聞こえる音は何・・?」
「ああ・・、鉢だよ。後ろの座席にあるんだ。倒れてないかな」
「鉢・・?」

家に着いた途端、テリィは階段を駆け上がった。
部屋の机の上には今朝書いたキャンディ宛の手紙と共に、小さな小包が揃えるように置かれている。
「手紙はもう用済みだな・・」
テリィは手紙を破くと、小包を手に取った。

後部座席を覗いていたキャンディは、鉢の苗を見て目をゴシゴシとこすった。
「これ・・、スウィート・キャンディ?」
つぶやくキャンディの声を、外に出て来たテリィが拾った。
「それ、この前シカゴに行った時に渡されたんだ。アルバートさん、俺にお土産を二つくれて」
キャンディの目はまん丸になった。
「テリィに苗!?育てるの?・・まさかねっ、・・これ、どうするつもり?」
「イギリスに持って行く。アルバートさんにもそう伝えてくれ。きっと大笑いするな」
「・・笑ったりしないと思うけど・・。この庭でも育つと思うわよ?」
「枯らすわけにはいかないから。君、村で診療所を始めた頃、ポニーの家にこのばらを植えたんだって?本宅のばら園も見させてもらったよ。おかげでアンソニーの事もばらの事も大分知識が増えた」
「そうなんだ・・」
キャンディは不思議な気持ちになった。
テリィが穏やかな口調でアンソニーのばらの事に触れている。
いったいアルバートさんはどんな魔法をテリィに掛けたのだろう・・。
「・・もう一つのお土産は何だったの?まさか肥料・・?」
「これさ。これを君に―」
テリィは自分の部屋から持ち出した薄い小さな包みをキャンディに差し出した。
包には『キャンディへ』とテリィの筆跡で書かれている。

「・・・テリィが貰ったお土産なんでしょ?どうして私に?」
「最初から君に渡す約束になっていたんだ。でも今は開けないでくれ」
「・・え、・・さっきは今じゃないとダメだって言ってなかった?」
キャンディは一瞬言葉の迷路に迷い込んだ。
慌てて取りに戻るほどの物でもないように思える。
(軽いわ・・、手紙かしら・・?)
「村に着いたら開けてくれ。アルバートさんとの約束なんだ」
キャンディはハッとした。どこかで聞いたセリフ―・・


 ――ウィリアム様からです。ニューヨークに着いてから開けて欲しいとの事です。

思い出した、出発前のジョルジュの言葉。
「忘れてたっ・・!」
キャンディは慌てて荷台の方へ回った。
「このトランクにアルバートさんからの贈り物が。ニューヨークへ着いたら開ける様に言われていたの。・・たぶん、テリィと会ってからって意味だと思うわ」
キャンディの言葉に、テリィは深く考えるような素振りをし、
「OK、今トランクケースを運ぶから、部屋で開けよう」

ガソリン臭のする場所で立って見るべきではないと判断した。

 


ずっしりと重い白い包みを開けると、それは日記帳だった。
茶色い革表紙、金箔で描かれたキャンディス・ホワイト・アードレーの文字。
一人の少年への恋心に溢れたその日記帳は、セントポール学院の特別室、机の傍らに常に置かれていた。
「・・てっきりテリィに関係している物だと思ったのに、―・・なぜ今、これを・・?」
学院を去る時に大おじさまに送ったのだ。学院を離れる理由を分かって貰おうと。
「・・君の日記?」
床に座り込んで呆然としているキャンディの後ろからテリィが覗き込む。
「学院にいた時に書いていたものなの・・」
「じゃ、中身は俺の事で一杯だな」
テリィはからかうように言ったが、返事をしないキャンディを見れば、図星なのは明らかだった。
「・・前にも一度返されたことがあるの・・。だけど、いちミリも開くことが出来なかった。・・でも捨てることもできなくて・・。・・だからまた、アルバートさんに託したのに」
懐かしいと笑って読める日が来るまで、持っていて欲しいと―・・。
こうして手にするだけで思い出す。日記の最後の言葉――


  ・・テリュース あなたが大すき。・・他の誰よりも 

もう十年以上も前に書いた言葉だ。
次に会えた時に直接言おうと思っていたのに、結局言えずに終わってしまった。

読めない理由も、託した理由も想像できたテリィは、古傷がうずくようにうつむいてしまったキャンディに、言葉を掛けられなかった。
「・・この日記帳を開くことは、もうないと思ってた・・。そんなことが、もし、あるとしたら―」
――テリィが、同じ想いを返してくれた時だけ。
テリィはキャンディの声が聞こえた気がした。
「・・開く日が近い?」
「・・分からない・・、・・分からないけど、アルバートさんはそう思って私にこれを?」
それほどまで貝のように固く閉じている日記帳なら、開くのは容易ではないのだろうとテリィは思った。
「持っているのが辛いなら、俺が預かろうか?」
しかしそんなテリィの気遣いに、乙女心が抵抗する。
「い、いやよ・・!もし見られたらっ!」
「見ないよ。俺の事が書いてあるなら、たらい回しにされるのはあまりに忍びない。捨てられるのはもっとご免だ。俺に見せてもいいと思えるぐらいまで傷が癒えたら、・・返すよ」
「・・テリィに・・・?」
預けようか、キャンディがそう思った時、「あれ・・?この手紙、アルバートさんからじゃないのか?」
床に落ちていた紙に気付いたテリィは、拾い上げてキャンディに渡した。
「アルバートさんの字だわ、日記に挟んであったのかしら?いったい何――」
紙を開いた直後、キャンディの顔色が変わったのがテリィには分かった。
「・・・何・・?これ・・」
紙を持ったまま呆然としている。
「・・何?・・アルバートさんは何を言ってるの・・?どうして・・?どうして、そんなこと」
キャンディの瞳が潤んでいるように感じ、
「アルバートさん、何だって?」
テリィは思わず聞いたが、キャンディはギュッと日記を抱きしめ、うずくまるようにしばらく言葉を発しなかった。

「キャンディ・・、やっぱり日記帳は俺が」
そう言いかけた時、
「――大丈夫、私の日記帳だもの。テリィには読ませてあげない」
顔を上げたキャンディが微笑んだので、「ちぇ、信用ないな」と言いながらテリィはホッと息をついた。
テリィにはもちろん、メモの内容は分からなかった。
しかしアルバートさんのことだ。励ましの言葉であることは想像に難くない。
テリィはシカゴを訪ねた時の事を思い出し、おもむろに言った。
「・・お土産に持たせてくれたあの苗、一度断ったんだ。育てられるとも思えなくて」
「・・本当に、アルバートさんってば何を考えているのかしら。テリィにスウィート・キャンディだなんて」
「スウィート・キャンディだから、だったみたいだよ?・・理由を聞いて驚いた。アルバートさん、豪快に笑いながらこう言ったんだ」


『ハハ、違うよ、君にじゃないよ!・・キャンディを、イギリスへ連れて行くつもりなんだろ?』

瞬間、キャンディの心臓はドクンと大きく波打った。
「そんな風に言われて、断れると思うかい?君の門出を予感して俺に託したんだろうけど、今頃アンソニーは草葉の陰で文句を言ってるな、テリュースは速攻枯らすだろうって。ハハっ・・!」
可笑しそうに笑うテリィを見て、キャンディは目に溜まった涙を手でぬぐった。
「・・ほんと、テリィに任せたらあっという間に枯れちゃうわ。それで、・・もう一つのお土産がこれね?」
キャンディはテリィから手渡された薄くて軽い小包を見つめた。
「・・これ、どうして今見ちゃ駄目なの・・?」
上目づかいに言うと、テリィはキャンディの瞳に言い聞かせるように言った。
「村に着くまではだめだ。アルバートさんとの約束だから」
「・・それ、矛盾してない?アルバートさんは、私が村に戻ることなんか――」
キャンディは何か引っ掛かりを感じた。
「・・・二人とも何を隠しているの・・?」
「・・べつに隠してないさ」
「嘘よ、隠してる。中身は何?」
キャンディが開けるふりをすると、テリィは慌てて奪いとり、グランドピアノの上に置いてしまった。
「物の力を借りたくないんだ!衝動的に出した答えじゃないと証明する為さ」
キャンディにはこんな小さな物に、それほどの威力はあるとは思えなかったが、テリィの気迫に押されるように、追及の手を止めた。
「駅で渡す・・。アルバートさんとの約束、君も守ってくれ」
テリィはピアノに肘をつきながら、テラスから見える海に目を移した。
さっきまで白かった海がもう茜色に染まり、今日という日を終える準備を始めている。
「・・短い一日だな・・・いや、長かったのかな・・」
窓から風が流れてくる。
キャンディのブロンドの髪が陽に透けて揺れている。緑色の瞳も心なしか揺れて見える。
「・・心の揺れは、時の歩みを遅らせるな・・――いっそこのまま・・」
このまま、時が止まってくれればいいのに。
テリィがそう思った時だった。
「・・それなら、村に帰らないって言ったら、今見てもいいの・・?」
テリィは一瞬耳を疑った。
「・・返事が、変わる余地があるのか?」
「・・あるわ・・」
キャンディはテリィに目線を合わせる様に、ゆっくり立ち上がった。
「このままイギリスへ行くって言ったら、教えてくれる・・?」
一時の気まぐれで言っていないか――
テリィはキャンディの言葉が信じられず、試すように問いかける。
「・・教えたら、もう返事は変えられない。村には帰さない。・・そういうことだぜ?」
「何が出てきても変わらないわ、何があっても・・、私、・・神様に誓うわ」
テリィを真っ直ぐに見つめるキャンディの目は、もう何の迷いもないように見えた。
すると直後、その瞳から大粒の涙がこぼれた。
重さに耐えきれず落ちてきたその涙を、テリィは拾うように指でぬぐうと、やさしく微笑した。
「・・そんなに心配しなさんな、・・悪い物じゃない」

・・・君の、パスポートだよ・・・

瞬間、大きく見開いたキャンディの瞳から次々に涙がこぼれ落ちた。
「もう、・・何それ・・!二人ともひどい・・っ」
「行くのか行かないのか、返事がまだだぜ?」
キャンディは涙に声を詰まらせながら、必死に答えようとする。
「・・・答えなんて、・・最初から・・決まってるわ。・・・追いかけるのは・・・もう、イヤよ・・」
「・・・それはこっちのセリフだ」
答えなど、テリィにはもうどうでもいい気がした。
お互い追いかけたくないのなら一緒に行く。それだけだ。
「一緒に行こう、キャンディ」
テリィはキャンディを引き寄せ、思いっきり抱きしめた。
もう遠慮もためらいもない。二度と離さない。
背中を握り返すキャンディの腕が、声より先に答えてくれる。
「・・・・・つれ・・てって・・」
森に混沌と湧き出てくる源泉のように、ひたすら涙が溢れてくる。
十年分の想いと共に――
「――そんなに泣くなよ。君には笑顔でいて欲しい・・ずっと、俺のそばで・・」
はにかみむようなテリィの声が、すぐ側で聞こえる。
海のように澄んだ青い瞳。
ずっと会いたかった大好きな微笑・・。
「・・泣いてなんか・・ないわ・・。目から水分が勝手に――」
テリィはその先は言わせなかった。

(・・・・強引なところも、相変わらずなのね・・)

十二年ぶりの口づけは、海のように深く、そしてしょっぱかった。




 キャンディ

ようやくこの日記帳を返せる時が来たと思っている。
君はこの日記を書いた時と少しも変わらない。
もう分かっているだろう・・?

だけど僕は知っている。
日記の最後に登場する少女は、全てを置いてテリィを追って行ったのに
25歳の君は、そんな自由を許さない。
その決断の根拠が、残される者への配慮だと言うのなら、それは無用だと言っておく。
僕たちは何よりも君の幸せを願っているのだから。

君にとって一番大切なもの、それが分かっているなら、その気持ちに素直になって欲しい。
これはテリィが僕に言った言葉だが、全くその通りだと思う。

後の事は何も心配はいらない。その為にジョルジュを残した。
・・幸せになるんだよ。

 アルバート

 


 2-20 返された日記

 


©いがらしゆみこ・水木杏子 ※画像お借りしました

 

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ワンポイントアドバイス

実際のキャンディの日記の最後の言葉は、以下の通りです。

 

自分の生きる道は、自分でつかみたい――

それを教えてくれたのは、あなたです。

T・G、ありがとう!

そして、大きな声で言いたかった。

テリュース、あなたが大好き、だと。ほかの誰よりも・・・・。

 

下巻P143

 

パスポートについて ※2024年1月7日追記

1925年1月1日 当時の米国務長官はアメリカ国民が出国する時にパスポートを携帯することを義務付けるという大統領令を出し、同年4月22日この命令を発効しました。

同年7月 国籍法が改正され、パスポートの所持が義務ずけられました。

 

この回は1925年5月1日です。

 

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