★★★2-12
その町には大きな病院がいくつかあった。
搬送されるけが人で次々に一杯になっていく。
重症患者だけでなく、軽症な人達も宿代わりに一時的に身を寄せ、廊下まで人で溢れかえっていた。
キャンディと先生は病院に併設する看護学校の医務室を提供され、命には別条ないと振り分けられた患者の処置を任された。
連綿と続く診療に薬や包帯などの医療物資も直ぐに底を突いたが、乗客に呼びかけ、エタノールや包帯の代わりになりそうな物、患部の固定に使えそうな物は何でも使った。
祝い用に贈るはずだったウォッカ、真新しいタオル、誕生日プレゼントに買った靴下。
診療にようやく終わりが見えだした頃、急に気が緩んだのかキャンディのお腹が鳴りだした。
「はあ~・・っ、お腹がすきましたね、先生。血を抜くとお腹も減るんでしょうか・・」
先刻、重体患者の手術に大量の血液が必要との要請に、キャンディは応えていた。
「少し横になったらどうじゃ。貧血で倒れたら元も子もない」
「いえ、あと数人ですから。やだっ・・!外はこんなに真っ暗。どうりで寒いはずだわ」
カーテンを引こうと手を掛けた時、ふと今夜観るはずだったお芝居の事が頭に浮かんだ。
赤くて厚いベルベットのカーテン。

本当なら今頃、テリィと会えていたはずなのに。
(・・テリィ、どうしただろう。ちゃんと劇場に行ったわよね・・)
舞台の幕は上がっただろうか、それともとっくに下りたのだろうか。
脇目も振らず救護にあたったせいで、時間の感覚が全くない。
「・・・今は、何時頃でしょうね」
「上弦の月が空に残っておる。今日はまだ終わっていないらしい」
先生は月の形と位置で時間が分かるようだった。
「・・そうですか。長い一日ですね」 
半月が山際近くに見えていたが、それが東なのか西なのかキャンディには分からない。
「・・ニューヨークはどっちの方向でしょう。・・こんな時でも、月は何事もなかったように静かですね。心なしか昨夜より太ってきれいです。私とは正反対」
お腹と背中がくっつきそう。服はほころび、患者の血があちこちについている。
「ほう、君は詩人だな。こんな時でも好きな男性を想っているとは」
突然先生から言われ、キャンディは激しく動揺した。
「そ、そんなこと一言も言っていませんよっ」
しかし図星である。
「ハハ・・、私の国では、月がきれいというセリフは、あなたを愛しているという意味なんだよ。あ、いや、母国の英語教師が I LOVE YOU をそう訳したとか、しないとか」
「はぁ・・。それで相手に通じるとは、とても思えませんけど・・」
キャンディが眉を八の字にして言うと、先生は楽し気に笑った。

「私の妻はアメリカ人だが、通じた試しがない」
「じゃあ、イギリス人ならどうでしょ?試してみる価値ありますね?フフ・・」
恋の話題は万国共通盛り上がるようで、診察室に小さな活気が戻ってきた。
「――さぁ!空腹なんかに負けないわよ」
キャンディはシャッとカーテンを閉め、エネルギーを充てんするように、ポニーの家の子供たちから貰った飴を口に放り込むと、「どうぞ」と先生にも渡し、二人は診療を再開した。

次の患者は腕を骨折していた。
だがしかし、包帯も三角巾ももう無い。
「困ったわ、、あのカーテンを破いたら怒られるかしら・・」
室内を見回すと今しがた少年の手によって届けられた自分のトランクが目に入った。
「トランクの中に何か・・」

 



 

テリュース・グレアム主演によるハムレットの最終公演は大盛況で幕を閉じた。
感動で一杯の観客は何度もカーテンコールをし、キャストもそれに応えた。
最後のコールのカーテンが床を擦った瞬間、団員は一斉に抱き合い、互いを称えあった。
その歓喜の嵐に交じることもなく、テリュース・グレアムはスッといつの間にか姿を消した。
興奮がひと段落した頃、「さて、っと、テリュース、――テリュース?」
団長のロバートが辺りを見回した。
「今日は遠慮したいとの事です。前々から言っていました。さすがに明朝出航ですし」
舞台袖にいた後任ハムレット役のジャックが、眉尻を大きく下げて答える。
「祝賀パーティをやろうって言うんじゃない。一杯ぐらい門出を祝ったっていいだろ。私の部屋からシャンパンとグラスを持ってきてくれ」
「・・さっきのあの感じだと、もういないんじゃないですか?ミシガン州の恋人と落ち合ってますよ」
「ミシガン州?何をふざけた事をっ、よろしい、私が呼んでこよう」
スタスタと歩きだしたロバートの後を、ジャックは慌てて追い掛けた。
「ふざけてませんってば、何日か前にも血相を変えて飛んでいきましたから~」
「テリュースが女の事で取り乱すはずがなかろう。あの無関心ぶりに、歴代の相手役がどれだけ涙を呑んだか知らんのか。つい半年前だって新人のオフィーリアが」
「団長こそご存じないんですか?過去にテリュースさんを乱した女性がシカゴにいるらしいって」
ロバートには覚えがあったのか、ピタッと足を止め肩越しに振り返った。
「まさか・・、もう相当昔の事だぞ?」
「でも移籍の理由、本来いるべき場所へ還りたい、でしたよね?つまりそういう意味じゃないんですか?ミシガン州から戻ってきた時、車の助手席にばらの花がありましたし、間違いないですって」
「――ジャック・スプリングス、本当にお前はいつも春だな。男が女から花を貰うか?そもそもシカゴはイリノイ州だ‼」
テリュースの楽屋の前までやって来ると、ハリケーンでも通過したかの如くドアが開いていた。
空っぽの楽屋を見て、ジャックの鼻の頭が高々と上がった。
「ほ~ら、ミシガン州の恋人で決まりですっ!」
「・・いや、私服が掛っている。まだ劇場の中にいるはずだ。探して来い」
「いませんよ~、車がなかったです」
「なんの、直ぐに戻ってくるさ」
「戻って来ませんってば。シャワーも浴びずに出ていくなんて、今まで無かったじゃないですか」
「では、残されたこの衣装の数々はどうなる?あいつは向こうで、裸で演じるつもりか?」
「あ、いいですね。裸のハムレットってタイトルに変更します?」
ジャックとロバートが言い合っていると、事務員のおばさんが慌てた様子で走ってきた。
「あらっ、テリュースさん、いないんですか!?至急お知らせしなくちゃいけない事があったのに!」
「至急・・?向こうの劇団の事か?」
「いいえ、実は――」


                                      

 2-12 千秋楽

 

次へ左矢印左矢印

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村