★★★2-11


ニューヨーク、グランドセントラル駅。まるで欧州の宮殿のような立派な駅舎だ。
壮大な吹き抜けのホールを持った巨大ターミナル駅には何本もの路線が乗り入れる。
三日三晩地面を濡らし続けた雨がようやく止み、この日は四日ぶりにお陽さまが顔を出していた。
「到着は三番ホームか・・・」
テリュースは十年前とさほど変わらない変装でキャンディを迎えに来ていた。
頭に深くハンチングをかぶり、サングラスをかけて顔を隠す。
「先頭車両からおりると書いてあったな。確かにこれなら探しやすい」
二十五歳のキャンディの姿を頭に描きながら、はやる気持ちを抑えようと建物の柱に寄り掛かる。
そばかすはまだあるだろうか、はじけそうな笑顔はそのままだろうか―
・・待つ時間というものは、どうしてこんなにも長く感じるのだろう。
内ポケットの懐中時計を度々取り出しては、全く進まない時間にため息がこぼれる。
「楽屋入りは午後二時・・。食事が済んだら、もう分かれなきゃいけないのか。芝居が終わって解放されるのは夜十時過ぎ・・・。夜にもう一度会うのは難しいかな」
イギリス行の件は、やはり午前中に話さなければいけない。胸がチクリとする。
(―・・明日発つと言ったら、怒るだろうな・・。顔を真っ赤にして、モンキーみたいに・・)
なぜか口元が緩んでいる自分にハッとして、ハンチングのつばを慌てて下げる。
「しかし遅れてるな・・」
一分一秒が貴重なテリィにとっては、落ちてくる砂時計の砂をすくいあげて戻したい気分だ。
到着予定時刻を三十分過ぎても何の変化もないプラットホームに、テリュースは組んだ肘を小刻みにたたき始めた。
(予定通りに到着しないことなど日常茶飯事だ・・、列車はシカゴから来るんだ。遅れて当然だ・・)
自分への説得が何度となく繰り返され、一時間が過ぎた頃、異変の兆候は突然現れた。
どうしたことか列車が到着しないだけでなく、各路線の発車も見合わせ始めたのだ。
乗客や付添い人で駅構内は次第にごった返し、雑音の波が重く広く波紋のように広がっていく。
「おい!列車はまだか」

「急いでいるんだ!早くしろ」

「この状況は何だ、説明しろ!」
罵声が飛び始めた構内に、駅員が慌ただしく動き回る姿がやけに目につく。
テリィは胸騒ぎが収まらず、走ってどこかへ向かおうとしている駅員の腕を掴み、問いかけた。
「何かあったのか?」
すると若い駅員は切羽詰ったような声で言った。
「・・事故です、、、列車事故が発生しました・・、今駅長から皆様にご説明が―」
テリュースは耳を疑った。
「――なんだって・・!?」
(キャンディの列車じゃないよな!?)
心拍数が一気に上がった直後、スピーカーを持った駅員が大声で状況を説明し始めた。
「脱線事故が起きました!シカゴ発ニューヨーク行寝台車つき特急列車と思われます。本日の運行は全て見合わせます。今から駅を閉鎖します!」
「―!!・・キャンディの列車―!」
奈落の底に一気に突き落とされたように、目の前が真っ黒になった。
テリュースは完全に我を見失い、気が付けば若い駅員の胸ぐらをつかみ怒鳴りかかっていた。
「場所はどこだ、教えろっ!!」
「落ち着いて下さい―」
駅員はゴホっと咳払いをし、消え入るような声を出した。
「・・ハドソン川を越えた、ニュージャージー州との州境、・・辺りだと・・・」
テリュースは急いで駅を出ると、近くに停めていた愛車目掛けて一目散に走り出した。
「――、、くそっォォ・・!!この世に神はいないのかよっ!!」
行き場のない怒りの矛先を、鼻の長い愛車のボディに激しくぶつける。
ボンネットは凹み、テリュースのこぶしも真っ赤に腫れ上がったが、痛みなど全く感じない。
スピードメーターが振り切れそうな勢いで、国道を爆走する。
「無事でいてくれ・・!大丈夫、キャンディはきっと無事だっ!」

しばらくすると国道と並行して走る線路が見えてきた。数日前に見た線路。
「まだかっ・・、どこだ―!」
更に走ると、テリュースの眼は事故現場と思われる惨状を捕えた。
起動部分と先頭車両は横転、大破し原型を留めていない。
鉄の塊がぐちゃぐちゃにつぶれた壮絶な地獄絵だった。
鼻をつく燃料の匂いが辺りに充満している。
荷物が散乱し、鮮血の滲んだ服を着た黒ずんだ人々が、線路脇や周辺に横たわりうめき声が上げている。
比較的軽症な人たちも、事故のショックからか興奮して怒鳴ったり泣きわめいたり、或いは呆然と座り込んでいた。
「ママー、痛いよ・・!」

「間に合わん、どうしてくれる!!」

「あなたぁ―、どこにいるの―!?」
我を失った人々の間をぬう様に、何台もの警察車両や救急車、消防車が無秩序に止まり、黒や白やオレンジ、さまざまな色の制服を着た人たちが懸命に作業にあたっている。
現場付近に車を停めたテリュースはキャンディの手掛かり探し始めたが、どこからか集まってきた野次馬に行く手を阻まれ、思うように動けない。


 ―― 先頭車両から降りることにするわ


キャンディの声がぐるぐる回り、渦潮に飲みこまれていくように、立っている感覚さえままならない。
「キャンディ・・、どこだ・・!キャンディ―・・!!」
自分の声が瞬時にかき消されていく。
(キャンディが先頭車両にいたとは限らない。だけど―)
悪い考えがよぎり、人の波をかき分けながら一心不乱にキャンディを求めた。

「危ないから離れなさい―!」
線路わきの警察官が怒鳴りながら必死で誘導している姿が目に飛び込んで来た。
見ると線路がえぐられたように大きく陥没し、川のように茶色く濁った水がしみ出している。
(脱線の原因はこれか?・・度重なる雨で?)
テリュースは先頭車両付近は危険だと判断し、比較的被害が少ない列車の後方で再びキャンディを探し始めた。
(・・キャンディ、・・なぜ、どこにもいない・・!!)
ぬかるんだ地面に足元がとられ、底なし沼に引きずり込まれていくように足が重く、冷たい。
一向に手がかりがつかめない状況に

(まさかさっき見た、寝かされた人の中にキャンディが―!?)
悪い考えがよぎった瞬間、打ち消すように首を振った。
(いやー、考えまいっ・・一通り探してからだ・・!!)
もはやテリュースには何の音も聞こえなくなっていた。
『キャンディ』と叫ぶ自分の声と、激しく脈打つ心臓の音だけがこの世の音の全て。
雑踏の人々の影をスローモーションのようにかわしながら、空虚な世界を行ったり来たりする。
違う、空虚であるはずがない。現場は芋を洗うような息苦しさだ。
もうイギリスへ連れて行くことなど、どうでもよかった。
――ただ生きてさえいてくれれば―!
気が遠くなるような焦燥感に襲われた時、わずかな視界の隙間に、一瞬キャンディの白いトランクケースが見えた気がした。
見覚えがあるトランクケース。十年前に自分の車に積んだ記憶が蘇る。


 ――昔から使っている白いトランクケースを持っていくことにしたの・・・

 


 

思い出した手紙の文面――
「――キャンディっ!!」
必死にそのトランクを目で追い、ようやくその人物の腕を捕まえた。

 


――それは浅黒い肌をした少年だった。
「・・君は・・!?」
( 見間違いか?キャンディの物ではないのか?)
あてが外れたと落胆しかけた時、トランク上部に刻まれたアルファベッドが目に映った。

 CW
「おい・・、これはキャンディの物だろ!?どこへ持っていくつもりだっ!」
カッとなったテリュースは、思わず少年を吊し上げ、叫んでいた。
少年は自分が火事場泥棒か何かと勘違いされたと思い、すぐに不快感を示した。
「なんだよ、お前キャンディの知り合いか? 手を離せっ・・!」
少年はテリュースの手を払いのけると、不機嫌そうに言った。
「キャンディの忘れ物だよ。慌てていたからトランクを置いてっちまったんだ」
テリュースは状況を飲み込めずに呆然としながらきいた。
「キャンディを知っているのか・・?無事なのか!?彼女はどこだっっ!」
高圧的なテリュースの言動が気に入らないのか、少年はフンっと顔をそむけ
「キャンディは先生と病院だよっ」つっけんどんに答えた。
「・・・病院・・!?怪我をしているのか!?どんな具合なんだ!!」
「痛てえよ、俺の腕を折る気かっ!無事だから落ち着けよ!」
少年にたしなめられ、ようやく我に返ったテリュ―スは、鷲づかみしていた少年の細い腕を離した。

「――無事、なのか・・?」
「怪我はしてたけど、元気だったよ。先生とキャンディは救急車が来るまで怪我人の手当てをしていたんだ。先生は救急箱みたいな大きなバッグを持っていたし、キャンディは看護婦だから―」
「・・怪我人の手当てを?ここで・・?」
「怪我人だけじゃないさ。心臓が止まった人を、人工呼吸と心臓マッサージで生き返らせていた。・・あーいうの、初めて見たけど、すごいな」
想像もしなかったキャンディの行動に、テリュースは胸が熱くなった。
(・・キャンディ、君は・・・)
「あそこに荷馬車が見えるだろ?隣町の病院まで乗客を移送している。キャンディと先生は怪我人を診る為に移動したんだ」
少年が指さす方を見ると、四頭立ての大きな帆のついた荷馬車に大勢の人たちが乗り込み、出発を待っている様子が見てとれた。同じような荷馬車があちらこちらに到着しているようだ。
「俺はもう行くけど、あんたはどうする?」
少年は荷馬車の方に体を向けながらテリュースにきいてきた。
「俺も行くよ」
そう言いながら、テリュースがキャンディのトランクを運ぼうと手をかけた時
「駄目だよ!俺が頼まれたんだ、俺が渡す!キャンディには借りが有る!」
少年は大声を上げ、テリュースからトランクを奪い取った。
「借り?」
「・・体調の悪かった俺に寝台車のベッドを譲ってくれたんだ。借りは返さないと男じゃない」
「・・そうか」
責任感のある少年だな、とテリュースは思った。
(・・そしてキャンディ。君も全く変わってない・・)
一刻も早く会いたい気持ちが抑えきれず、テリュースはその少年と足早に移動を始めた。
「――あんた、キャンディが言っていた・・演劇の人か?」
走りながら少年は、急に思い出したようにテリュースにきいてきた。
「演劇の人?」
その言葉を聞いた時、テリュースは重大な事を思い出した。
リハーサルが始まる時間が迫っていたのだ。
(そうだ、今夜はハムレットの最終公演。劇場にはたくさんの客が待っている―)
テリュースの足は一瞬止まりかけた。
(――いや、いまキャンディに会わないと、もう後がないっ!)
町はここからそう遠くないことは分かっている。
会ってから劇場に戻っても、本番までには間に合うはずだ。
本番前のリハーサルがなくても問題なく演じられる自信はある。もう何百回も演じてきたのだから。
(・・・――だけど、・・それでいいのか?)
キャンディはこんな時でも自分の職務を全うしている。
この少年だって――


「おい、突っ立ってどうしたんだ、早くしないと馬車が―」
少年が急かすように振り向いたとき、テリュースは静かに言った。
「――やっぱり、行けない。・・仕事が、、あるんだ」
少年は目をぱちくりさせた。
「仕事・・?そっちが優先なのか?薄情だな、あんた」
「・・夜には・・終わる―・・まだ、・・時間は残されてる―」
テリュースはこぶしを握りしめた。血がでそうなほど強く。
「キャンディ、あんたに会えるのを楽しみにしていたぜ?嬉しくて眠れないからって俺にベッドを譲ってくれたんだ。ま、嘘だってバレバレだったけどな」
テリュースは胸が詰まり、返す言葉が見つからなかった。
「――キャンディに会ったら伝えてくれっ、そこを絶対に動くなって!」
テリュースは断腸の想いで、事故現場を後にした。 

 


©水木杏子・いがらしゆみこ ※画像お借りしました


 2-11 事故現場

 

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