★★★2-6
それは先ほど眺めていた、緑の瞳を持つ女性の肖像画だった。
「ローズマリー・ブラウン。歳の離れた僕の姉だ」
歳が離れていると言われてもテリュースにはピンとこなかった。
二十代に見えるこの貴婦人がアルバートさんの姉だという事だけを頭に入れた。
「姉は幼いアンソニーを残して若くして亡くなった。ばらを愛する優しい女性で、自慢の姉だった」
「亡くなった・・? アンソニー・・?」
どこかで聞いたことがある名前―・・・。少し考えてテリュースは思い出した。
夭折したキャンディのばらの君―
なんども比べられ、激しく嫉妬した自分も同時に思い出す。
「アンソニーは僕の甥にあたる。アンソニーも僕も、おそらくキャンディの中にローズマリーを重ねていた。そしてジョルジュも少なからず・・。だから幸せになってほしいと思ったんだ」
アルバートは寂しげに微笑んだ。
その肖像画の隣にはローズマリーが小さな子供を抱いた肖像画が掛けてあった。

 



「・・彼がアンソニーですか?」 
「ああ、かわいいだろ?」
顔がゆるみ、叔父の顔になる。
テリュースは、ふとある違和感を覚えた。
(・・・金髪?)
肖像画をもう一度よく確認する。
「アンソニーは金髪だったんですか?大人になっても・・?」
「そうだよ。僕と同じサンディブロンド。いや、彼の方がもっと明るかったかな。ちなみに隣の肖像画は僕が17歳の頃のものだけど、皆アンソニーと間違えるんだ。もうこの際、アンソニーってことでいいか、って思ってしまうよ」
参った、という顔をしてアルバートは笑ったが、テリュースは不可解過ぎてそれどころではなかった。
スコットランドの民族衣装キルトを着た凛々しい青年の肖像画―
これがアンソニーにそっくりだと言うのなら、当時何度もアンソニーと俺を見間違えていたキャンディは、いったいどこに目をつけていたのか。

 

©水木杏子・いがらしゆみこ 画像お借りします

 

「――僕とアンソニーは似ていますか?」
似ても似つかないじゃないか、とテリュースは眉間にしわを寄せながらきいた。
「いや、全く。君は唯一無二だろ。その顔が二つとあったら大変だ。体格も性格もまるで違うな」
アルバートは苦笑しながら答えたが、今更何故そんなことを言うのか、少し気になった。
「君は昔、アンソニーに嫉妬していたってキャンディから聞いたことがあるよ」
テリュースの複雑そうな表情を見て、アルバートは半ばからかうように言うと、テリュースはハッと我に返り、

「今でもこのありさまです」と両手で軽く天を仰いだ。
(アルバートさんにはバレバレだな・・)
「・・アンソニーは君のライバルではないよ。そろそろ認めてやってくれないか?」
意表を突くアルバートの言葉に、テリュースは一瞬どう返していいか分からなかった。
するとアルバートは目を閉じて静かに昔の事を回想し始めた。

 


「・・僕はね、君とキャンディを引き合わせたのはアンソニーだと思っている。アンソニーが生きていたらキャンディはイギリスへ行くことはなかった。アンソニーが亡くなったからこそ、イギリスへ行くことになったんだ。だから君とアンソニーは同時には存在しない。・・アンソニーは君にバトンを託したのだと、僕は思っている」
「・・バトン?」
イギリス留学のくだりは初耳だったが、キャンディの留学を決めた他ならぬ大おじさまからの告白だ。

真実であることに疑いはない。
「アンソニーの死後、皆それぞれが罪悪感に苦しんでいた。直接関係のないステアやアーチーでさえ・・。まして当事者であるキャンディの苦悩は、新天地に行って払拭するしか打つ手が無かった」
「・・当事者?彼は落馬して亡くなったのでは―」
「――そうか、君は知らないか。それはそうだな、キャンディが話すわけがないか・・・」
何事か考え込むようなアルバートの姿に、テリィの心はざわついた。
(・・キャンディは、アンソニーの死因と何か関係があるのか・・?)
するとアルバートは腹を据えたように切り出した。
「あの事故は、養女になったキャンディのお披露目を兼ねた催事で・・起きてしまったからだよ」
背筋がゾクッとしたのを最後に、テリュースは一心にアルバートの話に耳を傾けた。

「・・あの日アンソニーはキャンディと行動を共にしていた。誰よりも大きなきつねを仕留めて、賞品をプレゼントしようと張り切っていたらしい」


 『キャンディ、ぼくがきみにルビーを贈るよ!』

「笑顔を向けながらそう言った直後、キツネ狩りの罠に掛ってしまった彼の馬は大きくのけぞり、アンソニーは頭から地面に叩きつけられた。キャンディの目の前で、キャンディだけが見ていた。
――即死だった。
あまりに儚く一瞬で消えた命を目の当たりにし、キャンディの心と体は耐えられなかったのだろう。
アンソニーに折り重なるようにキャンディは倒れ、その後数日間昏睡状態が続いた。
目が覚めた瞬間からキャンディは自分を責め続けた。
自分が養女にならなければ、こんなことにはならなかったと―。
そんなキャンディを慰めながら、僕自身も自分を滅茶苦茶に叩きたいほど悔やんでいた。
キツネ狩りさえ開かなければ―・・そう、それを企画したのは総長である僕だった」

 

 ©水木杏子・いがらしゆみこ

瞬きも忘れ、過去の惨劇を目の当たりにしたテリュースの意識は、ようやく現実世界に戻ってきた。
「・・知りませんでした・・・。そんな状況だったなんて・・」
(そうとも知らず、キャンディを強引に馬に乗せ、アンソニーを忘れさせようとしたなんて―)
「・・キャンディは君に馬に乗せてもらったことを、嬉しそうに何度も僕に話してくれた。それを聞いた僕も心から嬉しかった。僕の罪も許されていくようで・・。誰でも出来ることじゃなかったんだ。おそらく君にしかできなかった。君の想いの強さと、それを受け止めようとするキャンディがいたからこそ、馬への恐怖を克服できたんだ。君のおかげで僕とキャンディは救われた。・・ありがとう。今更だけど礼を言うよ」
アルバートの言葉に、テリュースは居心地の悪さを感じた。
例え結果がそうだったとしても、あの時はただキャンディに自分の気持ちをぶつけただけ。
評価されるような事ではない。
「学生時代はともかく、・・僕は結果的にキャンディを苦しめました」
うしろめたさが手伝い、テリュースは瞳を落とす。
「結果を口にするのは早すぎやしないか?君たちは生きている。未来がある。まだ何も終わってないよ。確かにキャンディは苦しんだ。・・だけど君の方が、もっと苦しかったんじゃないのかい?」
テリュースがハッとして顔を上げると、アルバートがやさしい眼差しを向けていた。
「よく頑張ったなテリィ。こんなに立派になって・・。背も随分伸びた。僕と殆ど変らないな。学院を抜け出して動物園に遊びに来ていたあの少年が、ハハハっ!」
アルバートの包み込むような温かさを感じ、テリュースは瞬間言葉を返せなかった。
(アルバートさん・・)
この人は全部知っている。
そう思うと、長年に渡り知らず知らず張っていた心のバリアが、剥がされて行くようだ。
アルバートはテリュースから余計な力が抜けたように感じ、目を細めた。
「キャンディの苦しみ、悲しみ、寂しさ・・それらは単なる副産物に過ぎない。離れている間、君はキャンディを想い続けてくれた。キャンディも君を忘れられなかった。・・十年の空白にあったのは、結局その感情だけだ。何よりも尊い」
――魔法でもかけたのだろうか、アルバートさんは・・
テリュースはその時そう思った。
そんなシンプルな言葉で片付けていいのだろうか・・。この十年の葛藤を――
自分の中の罪悪感がそう思いつつも、目の前のアルバートの微笑みが免罪符のように感じられ、心が軽くなっていく。

その時ドアをノックする音がし、ジョルジュが中に入ってきた。
「ウィリアム様、先ほどの物を―、それからアーチーボルド様が到着されています。玄関でお待ちです」
「ああ、分かった直ぐ行く。悪いね、どうやら別れの時間が来たようだ。アーチーと会っていくかい?」
アルバートの誘いに、テリュースは若干眉を下げ、「あいにくですが、今日は喧嘩をしている時間と体力がありません」と丁重に断った。
「君は時間の許す限りゆっくりしていくといい。これをお腹に収めてからじゃないと出発してはいけないよ?おおかた朝から何も食べてないんだろ?」
アルバートはテリュースに幾つかの伝言を残し、部屋から出て行った。


玄関先で待っていたアーチーは、見慣れない車が停まっていることに気が付いた。
「アーチー待たせたね。ジョルジュが別の案件に対応する事になった。悪いが、駅まで君の車で移動したいんだが、いいかい?」
ようやく出てきたアルバートは珍しい事を言いだした。
「移動は構いませんけど、ジョルジュなしで商談が進みますか?ケベック州ですよ」
「数日後には合流できるよ。それまで先方の機嫌だけとっていればいいさ。英語が通じないわけじゃない」
アルバートの器の大きさはいかなる時も変わらない。
「ふーん・・分かりました。ところであのニューヨークナンバーの車は?遠方から来客でしたか?」
自分の愛車の方がもちろんいいが、玄関先に停めてある斬新なデザインの車も気になった。
「大丈夫。問題ないよ。アーチー、知ってるか?ニューヨークのネズミはしつこいそうだ。ハハっ」
アーチーの車に乗り込みながら、アルバートは楽し気な笑みを浮かべている。
「ニューヨークに限ったことじゃないでしょ。それよりキャンディはもう帰ったんですって!?せっかく久しぶりに会えると思ったのにっ」
アーチーは車の持ち主の事など既に忘れたように、口を尖らせてぶつぶつ文句を言っている。
「キャンディはちょっと旅に出るらしい。支度が忙しいって、珍しく三時のおやつも食べずに帰ったよ」
「旅?どこです?」
アーチーは質問しながらエンジンをかけた。
「・・ずっと行きたかった所さ」
アルバートは運命が動き出す旅のスタートを静かに見守った。
イギリスのネズミは優しいといいな、と願いながら――

 


 2-6  本宅

 

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ワンポイントアドバイス

 

『キャンディ、ぼくがきみにルビーを贈るよ!』という、作中のアンソニーのセリフについて

これはファイナル・ストーリーから抜粋した、アンソニーの最期のセリフです。

漫画とは異なっています。

 

カナダのケベック州はフランス語圏です。

ジョルジュはフランス人なので、通訳兼秘書で帯同してもらう予定でした。

 

アンソニーの死をアルバートが慰めた、という作中の言葉について

漫画とアニメではアルバートがキャンディを慰めていますが、ファイナルではキャンディは自分でアンソニーの死を乗り越えています。上巻226

 

アーチーはアードレー家一族で、ステアの弟。

おしゃれで器用なアーチーは、キャンディに恋をしていましたが、自分に想いを寄せるアニーの想いを受け止めます。

ファイナルストーリ―ではレイクウッドで婚約式をしました。

この小説では、アニーと既に結婚し、アルバートさんの片腕として仕事をしている設定です。

 

 

 

 

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