★★★2-5
黒い車に先導され赤い車が後に続く。
大きな正面玄関のすぐ脇に車を停めると、玄関を入って少し進んだ所にある部屋に通された。
大きなガラス越しに手入れの行き届いたトピアリー、色鮮やかな花壇や噴水が見える。
部屋の奥にある大きなデスクと革張りの椅子が、いかにも大富豪の執務室といった趣で、中央には大きなソファがローテーブルを挟んで向かい合っていた。

 

 


「こちらでお持ち下さい。お口に合うか分かりませんが、そちらのドリンクと食べ物をご自由に」      
ジョルジュは退室し、一人残されたテリュースはソファに浅く腰掛けた。
テーブルの上にはコーヒーとサンドイッチが用意されていたが、喉に押し込む余裕はない。
昨夜から使っていない胃袋はとっくに空だというのに。
いかに経済界には疎くても、アードレー家がどれほどの財を成しているかは分かっているつもりだ。       その総裁が自分をわざわざ呼びつけた。当時のキャンディでさえ、お目通りが叶ったことが無いと嘆いていたのを覚えている。
「・・俺に何の用だろう・・。養女に群がるハエを追いはらいたいのか―」
壁に不規則に飾られた大小の肖像画を落ち着きなく眺めていると、中央に飾られた肖像画に目が留まった。
「・・キャンディ?」
ウェーブのかかったブロンド、緑色の瞳、微笑を湛えたこの女性は、どこかキャンディに似ている。
(今のキャンディなのか?・・・いや、少し雰囲気が違う)

 

  

©水木杏子・いがらしゆみこ 画像お借りしました


「――似ているだろう?キャンディに」
突然声がしたと思うと、長身の男性が部屋に入ってきた。
「やぁ、久しぶりテリィ。こんなに早く君に会えるとは思わなかった。嬉しいよ!」
パリッと高級スーツを着こなしたその男性は、親しみを込めた口調で握手を求めてきた。
反射的に右手を出したテリュースだったが、目の前の人物が誰なのか思い出せない。
(どこかで会った気がする・・。どこだったか―)
その様子に気付いた男性は、思わず顔を崩しながら笑った。
「ひどいなぁ、分からないのかい?僕だよ、アルバートだよ!イギリスの動物園で会っただろ?」
「・・えっ―・・アルバート・・・さん?」
サングラスを掛けていない姿を見たのは初めてだった。
見た目の印象は全く違うが、そのやさしい声、笑った口元は変わらない―
「ア、アルバートさん―!? 本当に!?記憶が戻ったんですね!」
テリュースは咄嗟に両手を添えて、思いがけない再会に握った手を力強く振った。
(髪の色は違うが、確かにアルバートさんだ・・!)
記憶をなくし、このシカゴでキャンディと共に生活していた。
それがテリュースの記憶に残る最後のアルバートだ。
テリュースはハッとした。
「・・なぜアルバートさんが、ここに?」
シンプルな疑問が突如浮かび上がると同時に、一つの考察が急浮上する。
(―!! まさかキャンディと―っ)
テリュースの顔色の変化をアルバートは見逃さなかった。
「キャンディから何も聞いてないのかい?・・やれやれ、しょうがないなぁ、キャンディは」
あきれ顔で頭をかくアルバートを見て、テリュースが最悪の結末を覚悟した瞬間、
「僕はアードレー家の総長なんだ。つまり僕がキャンディの養父さ!」
思いもしなかった言葉がアルバートの口から飛び出した。
「・・・・な、な・・っ・・なんですって――!?」
あまりの衝撃的な告白に、今日一番の声が出る。
自分と大差ない年齢の、この爽やかな青年がキャンディの養父―?いったいどうしてそうなるのだ。
混乱しながらも、そう考えてみると数々の出来事が一本の線でつながる気がした。
「だからあなたはあの時イギリスに?・・・アルバートさんが、大おじさま―・・・知らなかった」
(キャンディが言っていた『驚きの真実』とはこれか・・)
「知らなくて当然だ。僕に関しては軽く報道規制が掛かっているからね。ま、それも今日までかな」
「・・?どういうことです、報道規制と僕に何の関係が・・?」
「何というか・・、そうだな、ほら、企業のトップは命を狙われるだろ?外科の看護婦が帯同しているから安心って訳でもなくてね」
「はぁ・・・―?」
なんか、話をはぐらかされたか?

(訊いてはいけないことだったのか?)と思った瞬間、テリュースは気が付いた。
「――あっ!・・もしかしてあの時―・・マイアミのホテルに、いた・・?親族って­」
「ああ、そうだね、あの時も会ったね。その後にも一度会ったかな、ニューヨークのパーティで」
アルバートはにこりと笑った。
こんな種明かしが待ってようとは。テリュースは狐につままれた気分だ。
「・・パーティ会場をいくら探しても大おじさまがいないはずだ・・。あなたは今すぐ役者になれますよ」
参りましたと破顔するテリュースに、「君に言われるとは光栄だ」と、アルバートはご満悦だ。
「ところで今日はどうしたんだい?ニューヨークにいるはずの君が、どうしてこのシカゴに?」
とたん、旅の目的を思い出したテリュースは、神妙な面持ちに変わった。


                                                    
「へえ、代役で急きょイギリスへ。そういうの、よくあることなのかい?」
「あると言えばありますが、・・僕が誰かの代わりに演じるのは、・・この何年もありません」
「そうだよな、テリュース・グレアムを代役に起用するなんて、贅沢極まりない」
可笑しそうに言ったアルバートだったが、テリュースの切羽詰った表情がどうにも気になった。
「・・決断しておきながら随分腰が重そうだね。気がのらないのかい?」
「芝居は、一人でも欠けたら形になりません。影響の大きさを考えたら、我を通すわけにもいかず―・・他に代わりがいるのなら断りたかった。・・それも分からない状況で、やむをえず―」
「我を通すわけにはいかない、か・・。我を通しっぱなしだった君がね~、実に感慨深い」
それを言われるとテリュースは立つ瀬がない。
「君も大人になったなぁ。うん、それでいいんじゃないか?キャンディには僕から伝えておくよ、と言いたいところだが、あいにく今日からしばらく出張でね。なあに、キャンディも分かってくれるさ。ぶーぶー文句は言うだろうけど、一日は一緒に過ごせるわけだし。直ぐ戻って来るんだろ?」
「・・いえ、実は―・・二か月後にイギリスの劇団への移籍が決まっていて・・既に今年初めに仮契約を―」
歯切れの悪いテリュースの口調で、アルバートはピンときた。
「まさか、キャンディも連れて行きたいとか、・・そういう事かい!?」
返事をしないテリュースに、アルバートは全てを悟った。
「ああ、だからこんな所まで、ハハっ!少しは大人になったかと思えば、君は相変わらずだな」
褒められているのか貶されているのか。アルバートの前では瞬く間に十六歳の少年に戻ってしまう。
「・・無理は承知です。ただ、可能性があるなら、・・少しでも・・考えてもらいたくて―」
「考えるまでもないと思うよ。キャンディの気持ちがどうあれ、戻って来られるか分からない渡英に付いていくことなど、今のキャンディには直ぐには無理だ。学院にいた時とは違う」
きっぱりと言い切られると、自分の甘さが露呈し、テリュースの頭は自ずと下がってくる。
「それともキャンディは君と結婚するとでも言ったのかい?何があってもついていくと」
「・・・いいえ、何も」
手紙は十年前と同じ日常報告のみ。甘い言葉など一切書かれていない。
「それなら尚更、まずは会って話して育んでからじゃないか?そんなに事を急がなくても、キャンディは逃げたりしないよ。イギリスは遠い所じゃない。移動だって数日で――」
うつむき黙ったままのテリュースを見て、アルバートは言葉を止めた。
ニューヨークの大劇場で連日公演をしているはずのテリュースが、千二百キロも離れたこの地に、着の身着のままやってきたのだ。自分の言っていることなど、百も承知だろう。
正論を振りかざしても意味がないとアルバートは思った。
テリュースもアルバートの言いたい事は十分すぎるほど分かっていた。
会ってしまったら二度と手放せないという漠然とした想いと、離れてしまったら二度と会えないのでは、という根拠のない不安だけを理由に、単に連れて行きたいのだ。ひどく子供じみている。
キャンディを学院に残して旅立った十六歳の自分の方が、よほど大人だ。
「・・訊いてもいいかな。君のイギリス行きは元々二ヶ月先の予定だったようだが、二ヶ月後なら、キャンディは君に付いていくと思ったかい?」
テリュースは冷静さを失っているのだろうか、それとも悟りを開いたように冷静なのだろうか。
今一つ分からないアルバートは、試すように質問した。
「・・キャンディの気持ちが僕にあるなら、離すつもりはありません」
「もし一緒にいきたくても、いけない事情があるとしたら・・?」
「連れて行きます。・・一番大切なものを優先したい。もう―・・いいかげん」
俯瞰
(ふかん)したような答えに、アルバートは泡を食らった。
「――き、君はキャンディより芝居を優先させているように見えるが?」
「移籍に関しては違います。芝居が最優先なら、ブロードウェーで続ける方がはるかにいい」
「移籍はキャンディの為だとでも?手紙を出す前から決まっていた事なのに?」
「――遠からず。僕の想いは変わっていませんから」
青い炎が見えるような静かで熱いテリィの気迫に、アルバートは押されてしまった。
「・・・分かった。移籍の理由を聞かせてもらおう」

 



「ハハハッ、そりゃ、すごい見切り発車だ!なんという皮算用!君は変わってないなぁー!」
テリュースの話を聞いたアルバートは、屋敷中に響くほどの大声で爆笑している。
真面目に答えたのに、そのリアクションはあんまりだな、と言いたいところをグッと呑み込んだのは、自分でもかなり見切り発車だと思うからだ。
「ハハっ、十年も会ってないのに、どうしたらそんな決断ができる?君は自分を疑うってことをしないのかい?再会した時、昔と同じ恋心を抱けるかとか、考えないのかい?」
考えたこともない、と言うと再び失笑されるのか?
テリュースが何とも言えない気恥しさを感じていると、アルバートはニヤリと口角を上げた。
「会ったら幻滅するかもしれないよ?キャンディの体重が二倍になっていたらどうする?僕が見る限り、君だって大分変った。一流の役者に成長し、体は昔より一回り大きい。顔もずいぶん大人びた。キャンディだけは昔のままだなんて、どうして思える?」
「外見に惹かれたわけじゃありません。容姿なんて変わって当然です。そんなことは大した―」
「――何より、君が移籍を決断した理由は、ただ芝居をする為にアメリカへ来た十年前とは全く違う。君を取り巻く事情も君自身の考え方も十年前とは変わっているのに、キャンディだけは変わらないなんて、思わない方がいいな」
それを聞いたテリュースは厳しい現実を突き付けられたように感じた。
「・・キャンディは、変わりましたか?」
「・・・変わったよ。君と別れた時はまだ十五歳。変わって当然だろ?向こう見ずに走り回っていた少女は、いつしか村人やポニーの家の先生たちを安心させたいと故郷に診療所をつくった。屋号こそマーチン先生になってはいるが、あの診療所の代表はキャンディなんだ。村で起こり得るあらゆる事態に対応できるよう、町の病院にも研修に通い、助産や薬学、栄養学の知識も身に付けた。診療所の利益はポニーの家の運営や子供たちの奨学金に充てている」
「子どもたちの奨学金・・?」
「そう。お金が原因で夢を諦めることのないようにとね。以前ポニーの家に画家を夢見ていた少年がいてね、でも結局その子に何もできないまま別れてしまったことを、キャンディはひどく悔やんでいた。だから出来る限り子供の夢を支援したいそうだ。ポニーの家の母体は教会だから、キャンディは今やシスターに準ずる存在だ。二十人近い子供の未来を背負っていると言っても過言ではない。ポニー先生もお歳を召してきて、・・身体も弱くなってね。いずれはキャンディを後継者に、と考えているようだ。患者の包帯を巻いていればよかった十五歳の少女のままではないな」
テリュースは黙ってアルバートの話に耳を傾けた。
確かにキャンディを取り巻く環境は変わったようだ。
そんな状況で、直ぐにイギリスへ行こうと手を引っ張っていくことなど許されるだろうか。
いや、強引に手を引いたところで、振り払われるだろう。
自分の考えは浅はかだったと思い知らされる。
だけど――
「・・僕はただ、・・自分の気持ちに素直になりたいだけです。自分を押し殺すようなことは、・・もう、したくない。・・ですが、なにも誘拐しようってわけじゃありません。キャンディの気持ちは一番に尊重されるべきだ。玉砕されても、潔く受け入れます」
テリュースは雑念を断ち切る様に重い瞼を閉じた。
まるで荒涼とした赤い大地に、一人佇んでいるような孤独を感じる。
「―・・素直に―・・。・・そうだね、それが一番だ。君は・・、君の想いをキャンディに伝えてくれたまえ。決めるのはキャンディだ。君を試すような質問をしてすまなかったね。これでも一応、彼女の養父だから」
容認するようなアルバートの言葉に、テリュースはパッと目を見開いた。
「僕のしようとすることを、止めないんですか・・?」
「止めたって、止まらないのが君たちじゃないか!ハハっ、夜通し車をすっ飛ばしてニューヨークから来るなんて、劇団関係者が知ったら卒倒するぞ!君の無茶は相変わらずだな、ハハハ!」
アルバートは豪快に笑った。
夜のロンドンの酒場、酔って多勢相手に喧嘩をし、アルバートに助けられた遠い過去を思い出す。
あの時の無鉄砲な少年のまま自分は全く成長していないように感じ、多少の気恥ずかしさを覚えながら、アルバートの優しい笑顔を見つめた。
(・・・アルバートさんはアルバートさんのままだな・・)
「・・安心してくれテリィ。キャンディは二倍になってないし、性格もあのままだ。・・とても美しく成長した。・・女の子は、恋をするとあんなにきれいになるんだな」
特にこの一か月の変化は、目を見張るようだとアルバートは思った。
(・・恋?)
にわかにテリュースの心はざわついた。
十年経っているのだ。恋の一つや二つは当然だろう。
「ジョルジュ!頼まれてほしい」
アルバートは突然ジョルジュを呼びつけた。
「僕の部屋のデスクに白い包みが。それからキャンディの部屋、・・確かチェストの中に―」
漏れてくる声を、テリュースは思わず拾ってしまう。
「・・キャンディの部屋?」
不思議そうに言うテリュースに、アルバートは反応した。
「ここはキャンディの家だよ。部屋があって当然だろ?そして彼女は、どこに出しても恥ずかしくないアードレー家の、僕の自慢の娘だ。忘れて貰っちゃ困る」
一瞬だけハンターのような鋭い目つきになったアルバートに、テリュースの心が乱れた。
キャンディを包み込むようなアルバートの大きな愛は、先ほどからの会話の中で感じ取っている。
もしこの人が本気で何かをしようとしたら、自分などとても太刀打ちできないだろう。
テリュースはにわかに確認したくなった。
「アルバートさん、・・あなたは、キャンディのことを――」
そう言いかけた時、アルバートは一枚の肖像画に視線をずらした。
誘導されるようにテリュースもその方向に視線を移した時、ジョルジュが部屋から静かに出て行った。

 

 


 2-5  大おじ様

 

©水木杏子・いがらしゆみこ ※画像お借りしました

 

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ワンポイントアドバイス

 

テリィとアルバートさんの関係について(漫画を知らない方の為に)

 

セントポール学院時代、夜の町で喧嘩をしていたテリィを、アルバートさんが助けた事が出会いです。

以来テリィはアルバートさんの勤務先の動物園に何度か通っていたと小説版には書かれています。

テリィはサングラスを掛けた姿(髪色は当時の茶色で、髪も長かった)しか見た事がありませんでした。

 

 
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