★★★2-4
急病人を乗せた車は午前中の早い時間に村を離れ、病人の身体に障らない瀬戸際のスピードで北上した。
町はシカゴとは全く逆方向だった。
テリュースの心中は穏やかとは言い難かったが、子供の命には代えられない。
マーチン先生の事前連絡の甲斐あって、町の病院は直ぐに母子を受け入れた。
ここまでくれば直接旦那を捕まえられるから大丈夫とアンに言われ、多少心残りはあったものの、テリュースは直ぐさまハンドルを反転させた。
「テリィ・・さん、あなたは命の恩人です・・、ありがとうございます!」
去り際アンから言われた一言が新鮮だった。こんな風に言われたのは初めてだ。
少しだけだがキャンディの仕事の奥深さを垣間見た気がした。


ニューヨークに次ぐ大都会シカゴ。
テリュースがその街に着いたのは、ちょうど正午を過ぎた頃だった。
マーチン先生の助言通り、通行人にきいたら直ぐに本宅の場所は判った。
この先にある小さな湖を目指せばいいらしい。
湖の中にアードレー家があるとも思えないが、とにかく行けば分かるのだろう。
シカゴ駅を過ぎると、走っている道路のすぐ脇に線路が並行していた。
もくもくと蒸気を上げて後方から迫ってきた列車が、スピード自慢の自分の車を追い抜いて行く。
青空に灰色の絵の具を落としたように滲んでいく列車の煙を見ていたら、遠い昔、この街であった出来事がふと蘇った。


 テリィー―! テリィー・・・・

 

©いがらしゆみこ・水木杏子  画像お借りました


大きく手を振りながら俺の名前を呼んで、必死に列車を追いかけてきたキャンディ。
足を引っかけたのか、体勢を崩ししゃがみ込んだ姿がかろうじて見えた。
姿が見えなくなっても、まだキャンディが列車の方を見ているような気がして、俺はデッキから離れられずに、過去のものになっていく線路の先をずっと見つめていた。
次に会う時は、永遠の時を約束したいと心に誓って。
(・・なのに―・・まさか別れを決めることになるなんて―)
記憶の片隅にあった古い感情が、街の景色に誘発されるように次々に呼び起されていく。
――病院の前でキャンディを待ちながら、一晩中星を見上げた夜風の匂い。
会えずじまいで引き上げた荒涼とした白い街、湿った朝霧の重さ―
「・・あの時、キャンディも街のどこかで俺と同じように・・―」
後の手紙で知った事実―
(あんなすれ違いは、二度とごめんだっ・・!)
酸っぱいレモンのような感情に包まれたその時、テリュースは視野の遠方に湖をとらえた。
城のような屋敷も見える。
「あれがアードレー家か?・・敷地の中に湖があるのか?」
想像を超えるスケールに、さすがのテリュースも息を呑む。
「さすが、女子寮の特別室を使える家柄だ。・・半端ないな」
そうつぶやいた時、いつの間に現れたのだろう。
高い鉄の柵が道路に沿って延々と続いていることに気が付いた。
しばらくその柵沿に車を走らせていると、まるで王宮を思わせるような大きな門扉が見えてきた。
目の前の広大な景観に固唾をのみながら、その奥にそびえ立つ大邸宅を見つめる。
「あそこに居るのか、キャンディ・・!」

 

 

 

 

「お引き取り下さい!!」
だがアポイントも取っていないような人物を、門番は取り次ぐはずもない。
「キャンディは中にいるんだろ!?俺の名前だけ伝えてくれればいいっ」
「私はそのような任務にございません。許された人をお通しするだけです」
名家という思わぬ伏兵に阻まれ、しばらく門前で言い争っていたものの、全く進展しないやり取りに、テリュースは憤慨しながら縁石に座り込んだ。
自分と同年代に見えるその厳つい門番は、警備も兼ねているのだろう。
警官のような制服姿で、腰に付けた拳銃が鈍い光を放っている。
真昼間―、強引にこの高い柵を乗り越え侵入したら、まず撃たれるだろう。
庭園内に身を隠すような木々も見当たらない。
花壇と噴水が美しい、見晴らしがよすぎる庭園はまるでベルサイユ。
しかも屋敷まで相当距離がある。侵入はまず不可能だろう。
だからと言って夜の闇を待てるほど、時間に猶予はない。
キャンディを目の前にして何もできないもどかしさに苛立ちが増し、

「ちきしょうっっ―!」

テリュースは乱暴に地面を蹴った。

結局ここで待つしかなかった。
(・・出てくるだろうか、いや、キャンディじゃなくても誰か―)
「アニー、いや、ステアとアーチーは!?中にいないか!?」
思い立ったように声を上げたテリュースを門番はチラッと見た。
「なら、イライザ!ニールでもいいっ。ラガン家の人間は住んでいないのか!?」
門番は少し動揺した。親戚筋の名前を次々に連呼するこの若者は何者だ、と。
「・・私はそのようなことを答える任務にはございません」
「キャンディが中にいるのかいないのか、そのぐらい教えてくれてもいいだろ!」

「お答えしかねます」

その返答聞いて、さすがのテリュースもこれ以上の説得は無理だと感じた。
だんまりを決め込み、直立不動の門番の様は、まるで英国王宮の近衛兵のようだった。
突然やってきたこの不審者を門番が無理に排除しなかったのは、言い知れぬ不安を感じていたからに他ならない。
横付けされたハデな車は滅多にお目に掛かれないような外国車。
・・なのに、車体やホイールには泥がはね、汚れが目立つ。
車の窓に脱ぎ捨てられたテーラードの上着には、ブルックスブラザースの羊のロゴが見えている。
・・なのに、しわしわでよれよれだ。
縁石に座り込み頭を抱えている青年は、眉目秀麗でスタイルも抜群。
・・なのに、文字通り門前払いうこの惨めな有様。
とにかくこの不審者は一般人には全く見えず、この家の賓客かもしれないという疑念がぬぐいきれない。

お嬢様が屋敷の中にいるのかいないのかは分かっていたが、門番はそれを答える職務では無い。
つい喉から出そうになる言葉をぐっと呑み込んでいた。
何よりこの不審者はアポイントを取っていない。門番にとってそれが全てだ。


持久戦に突入した門番とテリュースの睨み合いが三十分ほど経った頃、黒い車が門の外側に止まった。
(キャンディ、いるのか!?)
勢いよく立ち上がり、期待を込めて車の中を凝視したが、黒服の運転手と軽く目が合っただけで、スモークガラス越しに人の影はない。
「イリノイ州ナンバーのキャデラック・・」
吸い込まれるように門の中へと入って行く車に、テリュースは見覚えがあった。
スザナの葬儀の日、マーロウ家から走り去った黒い車。
(やっぱり、あの時の花束は君だったのか?・・キャンディ――)
テリュースは固く閉ざされた門越しに、その車が麦殻ほどの大きさになるまで見詰めていた。

 

「・・・参ったな・・」
時計の振り子がカチカチと鳴る音が、どこからともなく聞こえてくるようだ。
止めることの出来ない時の流れに、焦りばかりが募っていく。
足元がたばこの吸い殻でいっぱいになった時、テリュースは再び門番に話しかけた。
「夕方には発たなきゃいけない。もしキャンディに会えなかったら、手紙を託してもいいか?どうしても伝えたいことがあるんだ」
すると門番は座り込んでいるテリュースを一瞥し、顔色を変えずに言った。
「私に託しても無駄です」
「――そのような任務にございませんので、ってところかい?君は優秀な門番だな。恐れ入るよ」
深く息をついた時、今度は屋敷の奥から数台の車が連なってこちらに向かってくるのが見えた。
「キャンディか―!?」 
最大級の期待を込めて立ち上がったが、そんなテリュースを冷笑するように、タイミングよく開かれた門の前を三台の車が通過していく。
要人と思われる数人の大御所。若い女の子などは乗っていない。
「・・いない・・」
落胆しかけた時、最後の一台がゆっくりと門前で停止し、黒服の運転手が下りてきた。
「グランチェスター様ですね。お久しぶりです」
テリュースが驚いたのは無理もない。アメリカに来て、その名前で呼ばれたのは初めてだった。
更には、自分に『久しぶり』と言うこの人物に、全く心当たりがないのはどうしてか?
そんなテリィを見てピンときたのか、運転手は顔色一つ変えずに言った。
「私は秘書のジョルジュ。以前イギリスへ向かう船の中で、あなた様をお見掛けしたことがございます」
「――ああ・・・、そうでしたか」
必死に記憶をたどる。そういえばあの時キャンディは独りではなかった。
(そうだ、この人に取り次いでもらえば・・っ!)

テリュースが一瞬、希望の光を見出した時、
「キャンディス様はお屋敷にはいらっしゃいません。午後一番の列車でお帰りになりました」 
「・・なん・・だって・・?」
全身の力がガクっと抜け、テリュースはその場にしゃがみ込んだ。
(列車を追って、もう一度あの村に―?・・・そんな時間があるか・・!?)
気力を振りしぼって計算しようとしても、気が動転して頭が回らない。
気力も体力もとっくに限界にきていた。
するとそれを見透かしたように、ジョルジュは言った。
「アニー様がオーダーされたドレスをお店に受け取りに行ってから、研修の一環で手術に立ちあうとの事です。店も病院の名前も私は伺っておりませんが、手術が終わらないと、病院の夕飯にはありつけない、とおっしゃっておられました」
「・・・夕飯―・・?」
あまりにキャンディらしい発言の意味する先は非情な現実。
この旅全てが無駄に終わったのだ。

テリュースは受け入れられない現実を拒むように両手で顔を覆い、込み上げてくる落胆をごまかすように、クックと嘲笑の声を自分に掛けた。

「・・ハハっ・・とんだ独り芝居だ!」

そんなテリュースを見て、ジョルジュは携帯していた言葉を即座に提示した。
「――少しお時間はございますか?ウィリアム様が、あなた様にお会いしたいとの事です」
顔を覆っていた手の隙間からテリュースの瞳が大きく見開いた。
「・・・ウィリアム・・、大おじさま?」
信じられない人物の名が突然耳に飛び込んで来た。

 

 

  2-4  門番

 

 

次へ左矢印左矢印

 

。。。。。。。。。。。。。。。

ワンポイントアドバイス

 

完全に裏設定ですが、テリィの車を追い抜いた列車にキャンディが乗っていました。

ジョルジュはキャンディをシカゴ駅に送り、帰ってきたところだった、という状況です。

 

作中の「ちきしょうっっ―!」という言葉について。

ちくしょう(畜生)」の音変化。正しくは「ちくしょう」。

 

画像のお城はこちら★イギリスのカースル・ハワード城です。

このブログにこの画像を使っている事は、第13代カーライル伯爵Jrの知り合いというフォロワーさんによって、間接的に許可を得ています。マジか汗

5人を介せば世界中の人と繋がるというスタンレー・ミルグラム(米国・社会心理学者)の学説より早かったですね(笑)

 

 

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