★★★2-3
「そろそろ本宅のばらは咲き始めたかしら」
同じ頃キャンディはシカゴへ向かう列車の中にいた。
アルバートが出張で長期不在になると聞き、仕事帰りにそのまま列車に乗り込み、シカゴの本宅へ向かったのだ。
近況報告はもちろんだが、町の病院から交代要員の看護婦を手配してくれたお礼も言いたかった。
町の病院はアードレー家の資本が入っていた。
これにはキャンディが看護婦であることと、アルバートの過去の経験が深く関係している。
アフリカという辺境地で行った医療活動、記憶喪失という病との戦い。
医療の拡充、研究を支援したいと考えたアルバートは、ハッピーマーチン診療所の開設を機に医療法人を立ち上げた。その後製薬会社を買収したり医療機器メーカーを設立したりと医療関連分野への事業を拡大し、今年に入りニューヨークを拠点に医療財団を設立する準備を始めていた。
この頃のアードレー家は、既存の金融や不動産、レジャー、観光業の他に、多角的な事業に乗り出していた。


夜通し車を走らせたテリュースは、多少の眠気と疲労感を伴いつつも朝方にはキャンディの村に到着した。
「八時半か・・。順調だったが、時間は結構掛ってしまったな。もうポニーの家は出たんだろうか」
キャンディの通勤ルートなど知らない。すれ違って余計なロス時間を増やしたくはない。
ここからは慎重に行動しようと、緩みかけた緊張感を再び呼び覚ます。
荷馬車の方がまだ主流の田舎の一本道。
のろのろと車を走らせながら、すれちがう村人の顔を一人一人丁寧に確認する。
「なかなか君のようなキュートな子はいないな・・」
つい本音が漏れる。
「ま、ニューヨークにもいなかったからな」
思わず微笑する。
抜けるようなブロンドの髪、底抜けに明るい笑顔、変幻自在なそばかす顔。
エメラルドグリーンの瞳がキラキラと輝いて見えたのは、色のせいだけではなかっただろう。

 



しばらく走ると村の中心と思われる集落に入った。
  “ハッピーマーチン診療所 ”
屋根の上の大きな看板が目に留まる。
「――ここだ!」
無造作に車を停め、逸る気持ちを抑えられず車から跳び下りたが、診療所を見上げた瞬間、何とも言えない懐かしさがこみ上げてきた。
この診療所に何故このような郷愁を感じるのか、テリュースには分かった気がした。
建物に感じているのではない。
キャンディを想って建物を見上げた、あの感覚を思い出したのだ。
公演の夜に訪ねたシカゴの病院、無性に見たくて訪ねたポニーの家――。
「・・またこんな気持ちが味わえるとは、・・奇跡だな・・」
テリュースはゆっくりと診療所のドアを開けた。

年輩の女性が大あくびをして座っている。膝には缶のような箱。漂うバターの匂い。
テリュースはそれが誰か一瞬で見抜くと、つい「ステラおば・・」口が滑りそうになったが、寸でのところで「ステラさん・・?」と言い直した。
都会的な美男子に突然声を掛けられたステラは、大きくあけていた口を慌てて閉じた。
「・・どなた?」
ステラは真っ赤になりながら、妙によそ行きの声を発する。
思わずテリュースはハッとした。
そうだった。手紙であれこれ聞いて一方的な親近感はあるものの、全くの初対面なのだ。
「失礼しました。先に尋ねた無礼をお許し下さい。僕はテリュース・グレアムと申します」
そう言うと、流れるような動作で騎士のようなお辞儀をした。
ステラはそのまま硬直してしまった。こんな美しい所作は見たことがなかったからだ。
テリュースがマントを羽織っていたこともあり、その動作は一層優雅なものに映った。
この段階でテリュースは既に二つのミスを犯したことに気が付いた。
一つ目はうっかりしてしまったお辞儀である。アメリカ人はお辞儀などしない。
英国貴族の出自だからか、劇中の役柄の影響かは定かでないが、このような気が動転している場面では、身に染みついた所作が無意識に出てしまう。
二つ目はつい名乗ってしまった名前だ。
プライベートでは自分が誰であるか常に伏せてきたのに、自ら発信してしまうとは痛恨のミスだ。
妙に丁寧な挨拶を境に急に黙ってしまった若者を、ステラが不思議そうに見ていると
「ステラおばさん、おはよ―・・おや、君、どうしたのかね?」
診察室から出てきたマーチン先生は、およそ患者には見えない、見知らぬ男性に気が付いた。
村に移り住んでもう八年。村人の顔と名前ぐらいとっくに頭に入っている。
「・・マーチン先生?・・ですか」
あまりに想像通りのマーチン先生の登場に、テリュースの口元は緩んだ。
「いかにもマーチンだが。患者ではなさそうだな、ちょっとそこで待っていなさい、先にこの人を―」
背を向けようとするマーチン先生に、テリュースは慌てて言った。
「あ、いえっキャンディに・・、キャンディス嬢に会いに・・!」
テリュースは咄嗟に診察室の方を覗き込んだ。しかし中までは見えない。
「・・・キャンディに?」
(あぁ、アードレー家の人間か。どうりで華があるわい)
「キャンディなら、あいにく今日は休みじゃよ」
「休み!?」
テリュースは一瞬動揺したが、休みならポニーの家に行けばいいのか、と直ぐに思い直した。
「そう・・ですか、それは失礼しました」
そう言って出口の方へ足を向けた時
「ポニーの家にはおらんよ。泊まりでシカゴの本宅に行くと言っていたから。明日ならおるがの」
先生の情け容赦ない言葉が耳を貫いた。
「シカゴ・・・ですか?」
テリュースはあまりのタイミングの悪さに言葉を失った。
(突然来た俺が悪いとはいえ、タイミングが悪すぎるだろっ・・!)
握ったこぶしが力のあまり震え出す。
(―・・落ち着け・・、、、)
冷静さを取り戻そうとテリュースはきつく目を閉じた。
(明日まで待つことはできない。追ってシカゴに向かわなければ―)
どっと襲い掛かる長旅の疲労感を振り払うように、テリュースは計画を練り直す。
(来た道を一時間ほど南に戻り、更にニューヨークとは反対方面に進むことになるのか。・・帰りのルートが少し大回りになるだけだ。大した時間のロスにはならない・・!)
無理矢理納得して自分を奮い起こし、直ぐにシカゴに向かう決心をする。
「あの、アードレー家の住所をご存知でしたら、教えて頂けますか」
「シカゴへ行くのかね?」
(・・なんじゃ。アードレー家の人間ではないのか・・・。となると―)
「住所は知らんが、シカゴ駅周辺で通行人に聞けば分かるだろう。・・あ、もしかして君、キャンディの―」

(政略結婚の相手かい、と訊くのはあまりに失礼か)と、咄嗟に言葉を止め
「・・結婚相手かの?」と訊いた。
「――えっ・・―」
唐突な言葉にテリュースは激しく動揺する。
「いっ、いえっ、、まだそんな話にはっ」
まんざらでは無さそうな答えに、マーチン先生はしげしげとテリュースの顔を覗き込んだ。
「う~む、君は若いし実にいい男だ。あれだけの家柄じゃから迷う気持ちも分からんでもないが、斟酌(
しんしゃく)などしとらんで一番を選ぶべきだ。二番なら止めなさい、二番なら」
「はぁ・・・」
話の展開はよく分からなかったが、言っていることは正論のような気がしたので、
「――そのつもりで来ています。では」深く考えず返事をした。
「ほお?」
(・・なるほど、縁談を断りに来たという訳か―・・それもちょっと惜しい気がするの)
踵を返そうとするテリュースに、マーチン先生は引きとめる様に手を伸ばした。
「少し休んでいったらどうかねっ、お前さん、少しお疲れのように見えるぞ?」
「あ、いえっ、先を急いでいますので、お構いなく」
「水分を摂るぐらいの時間はあるだろう。キャンディはいつもこの待合室でお茶を飲んだりクッキーを食べたりしてくつろいでおるわい。診療所をお茶会サロンかなんかと勘違いしていなければいいがの」
マーチン先生の言葉に、テリュースの張りつめていた心がフッと緩んだ。
待合室を見渡すと、開いた窓に薄ピンク色のカーテンが風を含んで揺れていた。
(あいつが選んだんだろうな・・・・ここに居るんだな、いつも・・)
慌て者の声が遠くに聞こえる気がする。春風のような少し甲高い、キャンディの声・・。

 


©水木杏子・いがらしゆみこ 画像お借りしました

 

「・・お気持ちだけ有難く。突然お邪魔して失礼しました。ごきげんようマーチン先生」
マーチン先生は礼儀正しい青年の後ろ姿をじっと見送った。
(・・はて・・?どこかで見たことがあるような・・?)
テリュースがドアに手を掛けた時、診療所の扉がギギギ・・と鈍い音をたて、ゆっくり開いた。
若い女性が幼児を抱きかかえ、息をハァハァと上げている。背中にも乳児をおんぶしているようだ。
「マーチン先生、ポールが・・、お腹が痛いって」
「アンか。ポールの具合が悪そうじゃな、どれ」
マーチン先生は母親の胸元でぐったりしているポールの額を触った。
「微熱か・・。とにかく診察室のベッドに移そう。下痢や嘔吐はあるかね?」
「今のところないわ。とにかくお腹が痛いって。変なものを食べたのかしら・・」
マーチン先生は移る病気だと厄介だからとステラおばさんに帰宅を促し、ポールをベッドに寝かせると、体のあちこちを押し始めた。
「いたいっ―!!」
ある部位を押した時、ポールは奇声を上げた。
「――これは・・虫垂炎
の可能性があるの。ここでは処置は無理だ」
(アンとポール?・・キャンディが手紙に書いていた親子か?)
全開のドアから会話の一部始終を計らずとも聞いてしまったテリュースは、その場から動けなくなっていた。
「・・仮にそうなら手術が必要だ。町へ行けるかの?電話して連絡をつけておくが」
「あー、それがトムはいないのよ。町へ行ったきり昨日の雨で足止めなの。川の水が引けば馬車も通れると思うけど・・帰宅は―」
「期待せん方がいい、遠回りになるが東のルートで向かうといい」
「わかったわ!」
思わず飛び出しそうになるアンに向かって、マーチン先生は慌てて手を伸ばした。
「待ちなさいっ、赤ん坊連れで一人で行くのは無謀だ。預けるか、誰かに馬車を出してもらいなさいっ」
張り上げるような声にびっくりしたのか、赤ん坊はギャンギャンとすさまじい声で泣き始めた。
「・・授乳の時間・・、忘れてた・・」
「とにかくお乳をあげて、全てはそれからだ」
診察室から漏れてくる声に、テリュースの足は一歩も進まない。
「先生、この子今日一日預かれる?」
「いやぁ、さすがにわしにお乳はでんよ。ポニーの家にお願いしたらどうかね?」
「あ、そうね、それが良いわ!先生、キャンディは?」
「タイミングが悪いの、今日は休みで遠出しとる。キャンディがいれば馬車も含めて話も早かったが―」
テリュースの心臓がドクンと大きく打った。


  ――私は単なる便利屋なのかと思う時もあるわ


(・・本当だな)
乗り掛かった船だとテリュースは思った。
キャンディが乗るはずだった船・・。見て見ぬふりをすることなど、とてもできない。
「町はどこですか?僕が送ります」
「・・え・・?君が?」
マーチン先生とアンは思いもよらぬ申し出に、目を丸くした。

診療所の前に停められた独創的な形の派手な車。
大金持ちが乗る黒塗りの高級車なら見慣れていた村人も、こんな車は見たことがない。
車に吸い寄せられた村人がいつの間にか寄り集まり、診療所の前はちょっとした人だかりができていた。
いったいどんな人物が乗ってきたのかと興味津々の所へ、持ち主らしい青年が姿を現す。
想像通りの人物の登場に、誰もが一斉に息を呑んだ。
(この車で来るんじゃなかった―)
人だかりを見て、テリュースは愛車アルフォロメオを一瞬恨んだ。
群衆に囲まれるのには慣れてはいたが、今日ばかりは勘弁してほしい。
「急患がいますので、空けてください」
子供を抱いた母親をかばいつつ、テリュースは人をかき分けながら進む。
「エンジンをかけますので離れてください。では急いでいますので」
周りに一言声を掛け、イタリア車独特のマフラー音をとどろかせ走り去って行った。

残された人々は興奮した様子で “今の男は誰だ”と、議論を始めた。
松葉づえをついた農夫は「映画俳優みたいだったのう・・」と惚れ惚れしている。
マーチン先生は「キャンディの知り合いだよ」と、どこか釈然としない様子で説明する。
クッキーの缶を持ったおばさんは「キャンディの恋煩いの相手よ。間違いないわ・・」と夢心地で語った。



テリュースとアンは車中簡単な会話を交わした。
「・・あの、あなたは村の方じゃありませんよね・・?どこかでお見掛けしたことが有るような・・」
ようやく平常心を取り戻したアンは、首をかしげながらきいた。
「通り掛っただけです。あなたと会うのは初めてです」
「そう・・ですよね・・。私はアンって言います。アン・スティーブ」
「はい。存じ上げています。名前の最後にEが付くことも、子豚のキングのことも」
テリュースはふっと笑った。
「は―?」
アンは意味が分からなかった。
「・・古い友人は、僕のことをテリィって呼びます。愛称ですけどね」



 2-3  急病人

 

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ワンポイントアドバイス

 

※虫垂炎=いわゆる「盲腸」です。

 

今テリィは丸レッドにいます。シカゴに行くには湖に沿って南下する必要があります。

NYは向かって右です。

 

 

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