★★★1-13
母親からもたらされた情報に勇気づけられたとはいえ、実際に手紙を出すまでには、ニか月間のイギリス公演を挟まなければならなかった。
このタイミングでの渡英は当初もどかしく感じたが、これもまた運命と言うのか、イギリスでは数々の予想外の出会いがテリュースを待っていた。
それらに突き動かされるように、イギリスの劇団、RSC―ロイヤル・シェークスピア劇団と電撃的な移籍契約を交わすことになったのは、自分でも全く想定外の出来事だった。

帰国後テリュースは直ぐにキャンディに手紙を書いた。
移籍の時期を鑑みても、悠長に構えてはいられなかった。いや、そんな勢いでもなければ、書けなかったのかもしれない。
文面はイギリス滞在中から既に決めていた。
母親の情報を疑っていたわけではなかったが、例えポニーの家にいるとしても、キャンディの状況が全く分からない以上、伝えたい事だけを書こうと思ったのだ。
伝えたい事―・・それはキャンディへの想い・・ただそれだけ。
それでも実際ペンを取ると、その手に全く迷いがなかったと言えば嘘になる。


 天は自ら行動しない者に救いの手を差しのべない   シェークスピア

この数か月間、何度となく頭をよぎった言葉だ。
この言葉に後押しされるように手紙をしたため、投函する際もこの言葉の力を密かに借りた。
「・・気持ちを伝えるだけだ、心に決めた男がいようと関係ないっ・・!」
あとはひたすら返事を待つだけ。
どんな返事でも受け入れると男らしく腹をくくった。
返事を待った期間は、人生の中で最も長く感じた二週間だったかもしれない。
磨り減った神経とキリキリと痛む胃のせいで、煙草をくわえる気分にさえならなかった。
それなのに、時の流れはどうしてこうも不均等なのだろう。
返事が届いてからお互い手紙をやり取りした一か月余りの期間は、めまぐるしい速さで過ぎて行った。



元ターザンそばかす様

元気そうで何よりだ。
君が鬼警察官じゃなくて助かった。
隠していることが多すぎるので、墓場まで持っていこうと思っている。
――というのは冗談。
手紙では伝えきれないので、直接会った時に話すつもりだ。
君は心臓が強い方だったと記憶しているが、どんな衝撃にも耐えられるよう、今から鍛えておいてくれ。

俺は変わっていないと前の手紙に書いたが、それはただの謙遜だよ。
俺の方こそ、どこから見ても完璧な紳士に成長した。
君の背が伸びたといっても、きっと俺の方がもっと伸びただろう。
今度会った時に顔を崩して驚くのは君の方だ。
そばかすはもう消えてしまったのかい?『ターザンそばかす』と呼べないのはとても残念だ。
こんなことなら、もっと遠慮せずに言っておけば良かったな。

そんな君も今では一人前の看護婦なのか。想像できないが、心から嬉しいよ。
村に診療所を開くとは、君の行動力は相変わらずだな。
評価されるべき偉業だとは思うが、選択の余地を与えられず、君に手当てしてもらう羽目になる村人を思うと不憫でならない。
俺ならたとえ手遅れになっても、隣村の診療所のドアを叩くだろう。
いや、どうせ手遅れになるなら、君の腕の中で息絶えた方が本望かもしれないな。

しかし看護婦が豚の診察までしてしまうとは、さすが自由の国アメリカだ。
豚も人間も大差ないってことか?
子豚は治ったのだろうか。治せずに君が食べてしまっていないか心配だ。

ところで君と一緒に村へやってきたというマーチン先生ってのは何者だ?
ライバルだと思っていいのかい?
だとしたら彼に心から同情する。相手が俺では勝ち目はないだろう。
アードレー家の重大事件とはいったい何だ?全く見当がつかない。
俺の整った顔が崩れることはないと思うが、どんな驚きが待っているのか楽しみではある。

最後に芝居の話をさせてくれ。
君が知ってくれていた通り、今ハムレットを演じている。
何年も演じてきた役柄だが、演出や衣装が公演ごとに進化し、毎回やりがいを感じている。
今回の公演は7年の集大成とも言えるので、出来れば君に観てもらいたい。
俺の公演期間は4月末までなのだが、招待してもいいだろうか。
その後はしばらく休みに入るから、ニューヨークをゆっくり案内できる。
村で一人しかいない優秀な看護婦が抜けるのは難しいかもしれないが、・・会いたい。

T・G   3.24


想像していたよりもはるかに早く返事が届いた。
今回は半分以上冗談で埋まっているいつものテリィの手紙。
「ハムレットの公演っ!!私を招待してくれるの・・!?」
こんな急展開など誰が想像しただろう。
森の中の花々が一斉に開花したように、キャンディの心は舞い上がった。
「――でも集大成って??・・まるでファイナルのような言い方ね」



朝の診療所でキャンディはウフフっ、と浮かれた声でテリィの載った雑誌をマーチン先生に見せた。
「ね、先生?この人どう思います?世界いちカッコいいと思いません?」
「ふむ、例のキャンディの好きな役者か。間違いなく色男だな。わしの若い頃とそっくりだ」
先生の戯言など今は耳に入らない。キャンディは早速相談してみる。
「ニューヨークに会いに行きたいんです!だからお休みが欲しいなぁ~って、どうでしょう?」
往復に掛る時間と滞在日数を考えると、どうしても一週間は必要な計算だ。
「ほう、会いに。三日ぐらいならわしも頑張れるが。・・芝居を観るのかい?」
二日程度の連休なら問題はない。しかしマーチン先生は往診などで診療所を空けることも多かった。
パートナーでもある有能な看護婦が長期間不在になるのは、やはり業務に支障がでる。
「そうっ、お芝居も観たいんです。でも三日じゃお芝居しか観られないわっ」
「芝居を観に行くんだろ?」
「会いに行くんですってばっ」
会話の中に『旧友』という大事な情報が抜けていることに、キャンディは気付いていない。
何やら難しそうな顔をしているマーチン先生を、キャンディはふくれっ面でにらんでいると
 
マーチン先生ってのは何者だ?ライバルだと思っていいのかい?
不意に手紙の文面を思い出した。
薄汚れた白衣を着た小太りの医者と、ハムレットの衣装に身を包んだ稀代の二枚目俳優がバチバチと対峙するビジョンがパッと頭に浮かぶ。
(・・テリィのライバル?このマーチン先生が?)
想像するだけでおかしくなって、キャンディはブーーっと大きく吹き出した。
「なんじゃ!?立ったまま夢でも見たのか、ネグリジェねーちゃんっ!」
「あらっ、私としたことが失礼しました。エヘヘ・・、この件はアルバートさんに相談してみますね」
「ああ!それがいい。きっといい方法を考えてくれるだろう」
気が付くと診療開始時間を過ぎていた。
「ステラおばさーん、中へどうぞ!」
診察が始まってもキャンディはさっきのビジョンが頭から離れず、笑いをこらえるのに必死だった。
そんなキャンディの様子を、先生と常連患者は様々な憶測を持って遠巻きに観察する。
「ほら、あのにやけ顔。やっぱり恋で間違いないわね」
ステラおばさんの声は、浮かれるキャンディの耳には届かなかった。



うぬぼれ屋のハムレット様

あなたってやっぱり全然昔と変わらないのね。
マーチン先生はあなたのライバルじゃないわ。60歳すぎのおじいちゃんよ。
少し太っているけど、優しくて頼りになるお医者さまなの。
時々診察をサボって川に釣りに行ってしまうのがたまに傷だけど
獲れた魚をおすそ分けしてくれるので、夕食のおかずが大助かりよ!
ポニーの家には20人いるんですもの。毎日大騒ぎなの。

あなたが心配してくれた子豚のキングは、私がちゃんと治したわ。
豚小屋が糞まみれであまりに汚かったから、掃除をしてあげたの。
豚って見かけによらず潔癖症でデリケートなのよ。
小屋をきれいにして餌に芋をあげたら直ぐに元気を取り戻したわ。どう?凄腕の看護婦でしょ?
(単にお腹が空いていただけだったのかしら?豚って意外と大食漢なのよね。あ、意外じゃなくて
見たまんまかしら?)
治してくれたお礼にと、クリスマスにキングをプレゼントしてくれるらしいわ。
本当は七面鳥の方が嬉しいけど、ま、いいか。

そんな私でも最近、ちょっと失敗しちゃったわ。
最初にテリィから手紙を貰った時、寝不足が続いちゃって

ちょっとうっかり、患者さん用のベッドでうたた寝しちゃったの。
それなのにマーチン先生ってば、起こしてくれなかったのよ!信じられないでしょ!?
おかげでその日は起きた途端に業務が終わっていたわ。
それ以来、度々「ネグリジェねえちゃん」と古いあだ名で私を呼ぶの。勘弁してほしいわ。
ちゃんと白衣で寝てたのにっ
ステラおばさんも、待合室の他の患者さんにある事ない事しゃべっちゃったものだから
こんな狭い村ではあっという間に広がって、更に噂に尾ひれがついて、もう大変な事になっているわ。

マシューさんからは(郵便局のおじいさんよ、誤解しないで)
「お金が絡んだ結婚は上手く行かんよ、やめなさい」と突然お叱りをうけ
アンからは(妊婦の人よ、もう産んじゃったけど)
「駆け落ちしちゃえばいいじゃない」と意味不明な助言をされたわ。
アンはすごくおしゃべりなの。ひとたびアンの耳に入ったら、翌日には村中に知れ渡っているのよ?

そばかすと緑の目は私と同じなのに、どうしてこんなに違うのかしら。
とにかく、名看護婦がたまにミスすると大変だってことね。
 
それからハムレットの招待ありがとう!すごく嬉しい!
だけど、チケットは既に完売したって新聞に書いてあったけど?
・・まさか照明用の梯子で見ろなんて言わないでしょうね?奈落から見るのもいやよ。
私の不在中は町の病院から看護婦を派遣して貰えることになったので、何とかなりそうです。
月末にはテリィに会えるなんて、なんだか信じられない。
何事もなくその日が迎えられるように、毎日お祈りしなくちゃ!

名看護婦のターザン・そばかす 4月2日


テリュースはお腹を抱えて笑い出した。
「これが大人のレディが書く手紙だって?ハハハっ・・!」
内容は前回よりレベルアップしていた。
自分に向けたメッセージは最後の数行だけで残りは全て村人と子豚の話だ。
「全くひどい扱いだ。俺を何だと思っているんだ」
テリュースは自分の手紙は棚に上げて、軽く愚痴った。
確かに甘い内容は皆無だったが、文末の日付を見た時、思わず目頭が熱くなった。


名看護婦のターザン・そばかす 4月2日

直ぐに返事を書いてくれたことが、日付から伝わってくる。
わずか一週間ほど前にキャンディが書いた手紙。封を開けると、丘の草の匂いがパァッと広がるようだ。
こんな当たり前の事がこんなに嬉しいなんて。
そうではなかった過去の経験が頭をよぎり、テリュースの顔は急激に陰っていく。
――スザナが隠していたキャンディの手紙。その事を考えると、今も心が痛い・・。



迷看護婦のターザン・そばかす様

マーチン先生が60歳だからって油断するつもりはない。
劇団の団長であるロバート・ハサウェイは60歳過ぎても、相変わらずクールでセクシーだ。
俺にはマーチン先生が、魚を餌に君を釣ろうとしているとしか思えない。
何歳だろうと男は男だ。気を付けて欲しい。


「もう、テリィったら何を言ってるのかしら!相変わらず嫉妬深いのねっ」
でもちょっぴり嬉しい。


それから君は自分を凄腕の看護婦だと言っていたが、
それは患者のベッドで見事に眠り込む人をいうのかい?
信じられないのは起こさないマーチン先生ではなく、起きない君の方だ。
村の噂については自業自得だと言えるだろう。
しっかり反省して仕事に集中して欲しい。
ところで、マーチン先生が君をネグリジェねえちゃんと呼ぶのはなぜだ?
キャンディ、君の仕事は本当に看護婦か?
気になって仕方がない。


「まぁ、失礼ねっ、眠っちゃったのはテリィのせいなのに!」
文句の一つも出てしまう。


それから、子豚が元気になってよかった。
俺が豚の体調を心配する日が来るとは夢にも思わなかったよ。
当分豚肉を食べる気分にはなれないな。
俺の体力が落ちて倒れたら君のせいだと思ってくれ。

ところで、休みが貰えると聞いて安心した。
本当は今すぐにでもそっちに飛んでいきたいが、さすがに休演日が週一回では身動きが取れない。
安息日ぐらい休ませてくれよ、と文句の一つも言いたくなる。
せめて連休でもあれば、徹夜してでも向かうのに。
前期チケットは完売しているが、国賓用の特別席があるんだ。
俺の特別な人だから、と事情を話したら、事務員のおばさんがニマニマしながら押さえてくれたよ。
変な汗をかきながら入手したチケットと列車の切符を同封したので、確認してくれ。
公演期間中は自由になる時間も限られているので、すまないが君の到着時間は午前にさせてもらった。
午前なら駅まで迎えに行ける。
記者に見つかると厄介なので変装して行くが、変な奴に声を掛けられても、付いて行くなよ。
くれぐれも乗り遅れないように・・!
会えるのを楽しみにしている。

 

T・G  4.11

「うふふ、特別な人?よろしいっ、素直で大変よろしい!」
どうにもしまりのない顔で、キャンディはその特別なチケットを封筒から取り出した。
透かしの入った特殊な紙に劇場の紋章と日付が印字され、テリュース・グレアムというサインが書かれている。一般のものとは明らかに違うチケット。
往復分の列車の切符もキャンディが初めて見るタイプのものだった。
「すてき・・!寝台車の利用券が別に入ってる。到着は朝なのね」
列車の切符を眺めていたら、十年前は片道分だけが先に送られてきたことを思い出した。
予定を切り上げて帰路についたキャンディに、テリィから帰りの切符を渡されることは無かった。
帰りの切符を既に買っていたなら、手元に残った切符を見て、テリィは何を思っただろう。
「・・前回の事をふまえて、こうして往復分を送ってくれたのかしら―」
キャンディはチケットが入った封筒を、三段ある机の引出しの2段目にいれた。
そこには『宝箱』が入っている。お菓子が入っていた白いきれいな箱だ。
宝箱の中身は時と共に少しずつ増えていった。
アンソニーの写真、丘の上の王子様のバッジ、ステアの幸せになり器。そしてミス・ベーカーからの手紙と最近届いたテリィの手紙。
「少し窮屈そうね、フフっ」
直後、施錠されたままの三段目の引き出しに視線が移る。
二度と読むことはない、けれど手元に置いておきたくて、その場所に収まった思い出の束。
その引き出しの鍵が仲間外れのように宝箱の中にあることを、キャンディは忘れたわけではない。


「そろそろ俺の手紙が向こうに着いた頃だな」
テリュースは数日後に迫った再会の日を待ちわびながら、同封した列車の往復切符を思い出していた。
前回の片道切符に理由があったように、今回の往復切符にも理由があった。
二度と帰さないつもりで片道分しか送らなかった前回と違い、今回はキャンディと『帰る』つもりだ。
ニューヨークで数日間一緒に過ごした後、帰郷するキャンディに同伴して家族に挨拶したいと考えていた。
キャンディの家族――。それはポニーの家の二人の先生。
そしてかなり昔の情報だが、よぼよぼで今にも死にそうなアードレー家の大おじさま。
その両者には必ず会って、是が非でも許しを貰うつもりだ。
「・・死んでないよな?」
文通の合間にも、大おじさまのことが頭によぎったが『まだ生きているか?』などとぶしつけに聞くのは礼儀に反するので、会った時に探りを入れようと考えていた。
何年か前、偶然同じパーティに出席したこともあったが、当該人物を探し当てることはできなかった。
代が変わったという記事も目にしていない。健在なはず―・・なのだが。
新聞の経済欄を隅々まで読んでおかなかったことを、少し後悔する。
「・・まさかアードレー家の重大事件ってこれか?」
早くも自分の立てたスケジュールが崩れる予感がしてテリュースは一瞬うろたえた。
最終公演の後は長い休みを用意していた。二か月だ。
二か月以内にキャンディを説得し、お互いの身の回りの整理をきちんとしてからイギリスへ渡る。
当然キャンディも連れて行くつもりだ。
「成功を祈るよ、テリュース」
テリュースは自分を鼓舞した。

 


 

 

 1-13 往復書簡 

 

 

 1章 手紙 (完)

 

 

 💛2章へ続きます。その前に中書きと解説&考察を挟みます。

お急ぎでない方は1章の中書きへ左矢印左矢印

 

 直ぐに2章をお読みになりたい方は こちらへ

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村