💛前回までのあらすじ
十年ぶりに届いたテリィからの手紙に戸惑うキャンディ。テリィの婚約はおそらく偽装だと言うアルバートに背中を押され返事を書き、文通が始まった。するとハムレットの芝居を観に来て欲しいとテリィからお誘いが。

その公演がテリィにとってアメリカでの最後の公演であることを知らないキャンディは、指折り数えてニューヨークへ行く日を待ちわびていた。テリィはイギリスの劇団へ移籍することが決まっていたのだ。

 


2章 NY⇔シカゴ

 


★★★2-1
テリュースが所属するストラスフォード劇団は、シェークスピア生誕の地に本拠地をおくイギリスのロイヤル・シェークスピア劇団(RSC)と業務提携をしている。いわば本家と分家の関係だ。
イギリス公演の折も各々のシェークスピア・アクターたちは親交を深め、大いに刺激しあった。
今回のハムレットの演目は実はアメリカとイギリスで同時上演されている。
両国で大々的に宣伝し、相乗効果を狙っていた。
多くの劇場が立ち並ぶブロードウェーでは特段目立つ話題ではなかったが、海の向こうの国では様子が違った。
大成功を収めたテリュースのロンドン公演の直後ということもあり、新聞紙上は両劇団の演出やキャストや衣装、果ては観客動員数など徹底比較した記事を載せ、まるで対戦をあおるような扱い方だった。
両劇団が全く同じ上演スケジュールを組んでいた事も、それに拍車をかけた。
前期公演が終わる今月四月末。戦いの折り返し地点にはどちらの劇団が旗を立てるのか。
長期に渡りこの演目をけん引してきたアメリカのテリュース・グレアムは後半戦を担わない。
その地盤を引き継ぐダブルキャストの若者が、デビュー戦である後期公演にどのような演技を見せるのか。
十日間のメンテナンス期間を挟んだ後期五十日の動向にも注目が集まっていた。


「張り切っているなテリュース!君の公演もカウントダウンに入ったと言うのに、幸い寂しさを感じている余裕はないよ」
本番前のリハーサル中、団長のロバート・ハサウェイは思わず胸を押さえた。

「ジャックの仕上がりですか?彼なら大丈夫ですよ。今日僕に何かあっても、立派に務められます」
ジャック・スプリングスとのダブルキャスト―
正確には主役交代と言うべきところをそう銘打ったのは、劇団側の苦慮が伺える。
それは当初劇団の予定にはなかったからだ。
一月に持ち上がったテリュースの移籍話に、劇団側は当然ながら難色を示した。
三月から六月末までの公演は、いつも通りテリュース一手で行うつもりだったからだ。
移籍の話は劇団にとって全く寝耳に水というわけではなかった。
一回目のイギリス公演の時、テリュースの演技がRSCの巨匠リーチ・ジョンズ監督の目に留まり、引き抜きの話が持ち上がったからだ。しかし当の本人が全く関心を示さなかった為一度はとん挫した。

それ以降何度か同じ話が先方から来たが、テリュースは耳を傾けていなかった。
それがなぜ今年に入って突然移籍の方向に舵を切ったのか、ロバートには分からない。
格上とも言えるRSCへの移籍に反対するつもりはないが、こちらにも年間スケジュールというものがある。
主演男優賞を何度も獲得している花形俳優に抜けられては、劇団経営に少なからず支障が出るだろう。


『理由は何だね?何もそんなに急ぐこともなかろう』
『僕は、本来いるべき場所へ還ろうと思います。わがままをお許しください』


本国がイギリスだからという理由だけではなさそうだった。
テリュースの入団以来、父親のように見守ってきたロバートにとって、これ以上の追及は無意味に感じた。
必要以上の付き合いを嫌い、芝居のこと以外は腹を割って話すこともない朴訥
(ぼくとつ)な男。
一見周りにも自分にも無関心のように見えるその挙動には、皮肉なことに常に注目が集まる。


『分かった。私が幹部を説得しよう。その代わりこちらも最後のわがままを言わせてくれ』

最終的には、公演の前期だけをテリュースが担うという形で折り合いがついた。
この数年間、看板俳優一人に依存してきた劇団の体質も経営上健全ではないと、これを機に後任の育成に重い腰を上げる気になったのだ。
次世代の若手俳優ジャック・スプリングスへ上手くバトンをつなげるか。
目下のロバートの課題はその一点に尽きた。後期公演への影響も考え、そのタイミングでテリュースが退団する事は伏せている。
テリュースはその後二か月掛けて移籍に向けて準備を進め、新たな演目に備える為七月初旬にRSCへ入団する。現役の役者として長いブランクは考えられないのだろう。



「ところでテリュース、マスコミへの移籍発表のタイミングだが―」
ロバートが言いかけた時だった。
劇場後方のドアがバーン!と大きな音を響かせて開いたかと思うと、事務員のおばさんが取り乱した様子で走ってきた。
「ロバート団長・・っ!た、大変です!!」
事務員からメモのような物を見せられたロバートの表情はすぐさま一変し、強張った顔をテリュースに向けた。
「テリュース、イギリスの劇団で何かあったようだ。直ぐに来られないかと言ってきているっ」
それは電報であった。
「直ぐに――!?」
文字に制限がある電報では詳細までは分からなかったが、主演俳優が何かの事故に巻き込まれ、前期公演は数日を残して中止、このままでは後期公演の開催も危ういという内容だった。
降って湧いてきた緊急事態にロバートが頭を抱え出す。
「――代役・・何てことだっ、こっちの公演だってあと数回残っているのに・・!」
すると団員の一人が、ためらうように言った。
「―・・しかし、われわれにはジャックもいます。オルガも」
その場にいた他の団員達は、同じ演目だったのは不幸中の幸いのように感じた。
アメリカ側には主役のハムレットを完璧に演じられる人間が、控え役者も含めて三人揃っている。
今テリュースが抜けても致命傷にはならない。
「・・それはそうだが・・、どうする、テリュース」
確認するまでもないかとロバートが問いかけた時、テリュースは重そうに口を開いた。
「他に、・・代役候補はいないのでしょうか」
「RSCにも大勢役者はいるはずだが、わざわざ君に依頼するからには、君の実力を見越しての事だろう。既にRSCの一員として考えているのかもしれん。テリュース・グレアムはリーチ・ジョンズ肝いりの役者だからな」
「・・一員・・」
あまりにも重い響きだった。
巨匠リーチ・ジョンズ監督。テリュースの力を高く評価し、高待遇での移籍を仲介してくれた恩人。
むやみに断るのは、はばかられる。
「代役の期間はいつまでと?」
「書いてない。元の役者が復帰するまでなのか、後期公演いっぱいと考えるべきなのか―」
テリュースの中でロバートの声が、死刑宣告の様に鳴り響いた。
行ったら最期、アメリカに戻れる保証はない――・・そう言っているように聞こえたからだ。
同じ芝居をやる仲間として助けたい気持ちはあったが、今は何よりキャンディに会いたかった。
再会が目前に迫っている。あと数日で会えるのだ。
(すれ違って会えないなど、もう絶対したくないっ・・!)


遠巻きにその様子を見ていた団員たちは、なぜテリュースが決めかねているのか不思議だった。
テリュースにとって移籍は既定路線。
向こうの舞台に立つ日が少し前倒しになったところで何の問題もないはずだ。
「僕なら大丈夫です、完璧に仕上がっています!!どうか助けに行ってあげてください、先輩!」
後任ハムレット役のジャックが思わずテリュースを後押しする。
「すぐに行ってやれ」「あとは任せろ」「客にはうまく説明するさ」
取り囲んだ団員たちが、雨後の竹の子のごとく声を上げる。
団長のロバートも諦観したように言った。
「なぁに・・、そのためのダブルキャストだったと思えばいいさ。・・君の演技を楽しみに来てくれる観客には申し訳ないが、芝居の世界には往々にしてある事だ。一身上の都合とでも伝えておくよ」
「ロバート先生・・」
テリュースは思わずこぶしをギュッと握りしめた。
(やはり行くべきか、直ぐに――)
今手紙を書いても、キャンディにはもう届かない。
手紙の到着より、キャンディの到着の方が早いからだ。
(誰の迎えも来ていない駅に、キャンディを独り立たせるわけには・・。誰かがキャンディと落ち合って事情を伝えなければ・・、誰が・・、――母さん?)
こんなことを考え始めている自分が心底憎い。
「急な事で準備も必要だろうが、次の船で行かんと間に合わんだろう。返事は一刻も早い方が」
ロバートが言った時、テリュースは重要な事に気が付いた。
「船の出航はいつです―!?」
テリュースの問いに事務員はハッとし、「今調べますっ」と言って一旦退出した。


十分ほどで戻ってくると慌てた口調で答えた。
「悪いことに今朝出航したばかりです。次のイギリス便は五月一日早朝ですっ」
「五月一日・・?」
テリュースの頭は高速回転する。
(――っ!!キャンディに、会えるっ・・!)
チケットを買ってくれた客を裏切ることなく、最後まで公演を全うできる。
キャンディにも観てもらえる――!
渡航日数を考えても五月十一日の後期公演初日までには数日の余裕が出来るはずだ。
向こうでの稽古が、数日で足りるかどうかなど今考えても仕方がない。
とにかくこれで行くしかないのだ。
――心は決まった。
「次の、五月一日の便で向かうと電報を打ってくださいっ!」
そう事務員に頼むと、テリュースはまっすぐ前を見据えた。

  

         

 2-1 電報

 

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ワンポイントアドバイス

 

ストラスフォード劇団の団長

ロバート・ハサウェイ

 

熱血漢ですね。

毛量多めです。

 

 

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