★★★1-12


 

山の中腹にあるその家のテラスからは、遠くにニューヨークの港が望める。
朝陽を浴びた海がキラキラと光り、その中をいつものように船舶が行き来している。
つい昨日まで感じられなかった南からの風が心地よく髪を揺らす。
「・・もう春か」
広い空を自由に飛び回る鳥たちを見ながら、テリュースはくわえた煙草に火をつけた。
「今すぐ、飛んでいければな・・」
イギリス本土を縦断できるほど離れているキャンディとの距離。
今の公演が終るまでまとまった休暇はない。その休暇も一ヶ月以上先。
もどかしさを感じながらも今朝がこれほど清々しいのは、薄ピンク色の封筒が春を運んできたからだ。
「こんな日が来るなんて、あの頃は想像もできなかった・・」
テリュースはゆっくりとこの半年間を回想する。

 

 

ちょうどスザナの一年の追悼式が過ぎた頃だった。心がにわかにざわつき始めた。
キャンディに手紙を書くことはスザナが亡くなった時から決めていたというのに、その自由を手にした頃にはすっかり怖気づいてしまい、あれこれと理由を付けて先延ばしにしていた。

――キャンディ・・君はいま、どこにいる?
何をしている?
誰と暮らしている・・?
君のことだ、毎日笑顔でいるに違いない。
君を探して突然会いに行ったら迷惑だろうか。
いや、俺はその光景を受け止めることが出来るだろうか。
君の隣に、見知らぬ男と小さな子供がいたら・・。

キャンディの幸せを願いながらも、それを目の当たりにするのが嫌だなんて、とかく矛盾だらけの俺。
この数か月何度となく自分を罵倒した。
「いまさらどの面下げて会いに行ける!こんな身勝手な奴、お払い箱に決まってる・・!」
かと言って、投網が全身に絡まっているような今の状態から抜け出すには、行動を起こすしかないのは分かっている。
昔から誰からも愛されていたキャンディ。
セントポール学院で隣室だったアードレー家の二人の親戚はキャンディに惚れていた。
そしてシカゴでキャンディと暮らしていた記憶喪失のアルバートさん―
マイアミのホテルにいたあの男、・・今更だがアルバートさんのような気がしてならない。
「泊まっていたのは親族・・―・・結婚、した・・?」
会う男をことごとく虜にしていくキャンディの魅力は、自分が一番分かっている。
きっと別れた後も無意識に発揮され続けたに違いない。
キャンディが他の誰かと暮らしているかもしれないと考えると、一歩を踏み出すのがあまりに重かった。

テリュースの煮え切らない態度を知ってか知らずか、ある日突然この家の家主がやってきた。
乗ってきた地味な色の車に不釣り合いな、ミンクのコートと真っ赤なカクテルドレスを着た女性を部屋へ招き入れ、ダイニングのテーブル席に案内する。
「一年振りね。この家の住み心地はどう?」
「・・とてもいいよ」
慣れないせいか、他愛のない会話がお互いくすぐったい。
「好きなだけ居ていいのよ、私はもう使わないから。・・――あれから、何か変わった事はあって?」
テリュースは食器棚からカップとソーサーを取り出しながら、母親が今日来た目的について考え始めた。
年の瀬の忙しい時期。おそらく今夜はパーティでもあるのだろう。

何の目的もなく来るはずはない。
「引っ越しと同時に車を買い替えたよ。これ以上連中に付け回されるのはごめんだ」
「あぁ、玄関にあった車ね。でも実用的な形じゃないわ」
「スピードを出す為さ。女王様を乗せるわけじゃないから。時速百キロは余裕で出る最新型のエンジンを積んでるんだ。記者の追撃も秒でかわせる。・・・紅茶しかないけど、いいかな」
(単に俺の様子を見に来ただけか・・?)
「構わなくてよ」
手馴れた手つきでお茶を用意する息子を、エレノアは黙って見つめていたが、テリュースがトレイを運ぼうと振り向いた時、待っていたように声をかけた。
「オフィーリア役の子、交代したんですって?」
「・・・ああ。ゴシップ雑誌常連の俺と違って、女の子は繊細らしい」
「――この記事は、事実なの?」
エレノアがバッグから取り出した記事を、テリュースはちらっと見た。


スザナ一周忌・早くもテリュース争奪戦勃発! 

のろしを上げたのは金髪のオフィーリア

「記者連中が事実を書いたことなんてあったかな。思い当たらないけど」
「そう・・、なら問題ないわけね」
同じ業界に住む母親が、わざわざゴシップ記事の内容を確認しに来るなんて、どうも変だなと思っていると

「イギリス公演のスケジュールは?」と訊かれ、テリュースはハッとしてエレノアの方に顔を向けた。
(・・なんだ、イギリス公演の話がしたいのか)
「明後日発つんだ。五年振りだけど今回で二回目だし、不安はないよ。二か月なんてあっという間だ。戻ってきたら、息つく暇もなく春の公演。六月末まで拘束されて・・、ちょっと働き過ぎだな」
答えながらテリュースは、紅茶の葉が緩やかに舞うポットを手にとった。
「・・こんな時期に移動なんて、劇団員から文句が出なくて?」
「俺だけ先に。他の団員は一便あとの船、年が明けてから行くことになってる」
「そう。・・――新年は公爵邸で?」
突然発せられた『公爵』という言葉に、テリュースの動きが止まった。
二人の間でその言葉が出たのは初めてだったからだ。
「・・いいや。行きたい所があるんだ」
動揺しながらも正直に答え、カップに紅茶を注ぐと、テリュースも向いの席に腰掛けた。
エレノアはそれ以上のことは訊いてはこなかったが、テリュースは感じとった。
前回のイギリス公演で父親――、グランチェスター公爵と会った事を、母親は見抜いていると。
(・・ふっ、何でもお見通しというわけか・・)
「母さんは?恒例の年末チャリティ公演、今年もサリヴァン先生を演じるんだろ?」
そうよ、という答えが直ぐに来るかと思ったが、聞いていなかったのか、母親はなぜか筋違いの言葉を口にした。
「二か月も先に延ばすつもり?手遅れになったら後悔してよ」
「先に延ばす?何のことです?」 
紅茶を飲みながら冷静に返すと、エレノアは覚悟したように強い眼差しをテリュースに向けた。
「彼女なら、ポニーの家にいるはずよ」
稲妻に打たれたような衝撃がテリュースの体を駈け抜け、反射的に椅子から立ち上がった。
まさか『ポニーの家』という言葉が母親の口から出ようとは。
「・・・どうして、、彼女の居場所を――」
「・・余計なおせっかいよね。気に障ったのなら謝るわ」
母の目は、何事か言いたそうに強い光を放っていた。
テリュースはどう返事をしたらいいのか分からず茫然としていると、
「御馳走様、おいしかったわ」
バックから小さな紙を取り出し、静かに部屋から出て行った。


母親を見送ることも忘れ、テーブルの前に立ち尽くしていたテリュースは、アクセルを踏み込むブオンという音でハッと我に返ったが、既にエンジン音は遠ざかる。
テリュースはテーブルに残された折り畳まれた紙をおもむろに開いた。
「・・ミシガン州・・・村・・・七番地・・・――キャンディは、ポニーの家に?」
生まれ育った孤児院に戻っているという事は、居場所の特定以外にも重要な意味を秘めていた。
「・・結婚・・していない・・のか?」
テリュースは母親の来訪の目的をようやく理解し、メモをキュッと握りしめた。
「また借りが増えてしまったな・・」
赤い口紅がついたカップの紅茶は、きれいに飲み干されていた。

 


 1-12 折りたたまれたメモ

 

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。。。。。。。。。。。。

ワンポイントアドバイス

 

ァイナルでは、ポニーの家はミシガン州だと明記されています。下巻153

 

宜しければご視聴ください。

この回のテリィの心情とマッチしている曲です。

 

「鱗(うろこ)」

作詞・作曲 秦基博

 

 

少し伸びた前髪を かきあげた その先に見えた 

緑がかった君の瞳に 写り込んだ僕は魚

色んな言い訳で着飾って 仕方ないと笑っていた

傷付くよりは まだ その方がいいように思えて

 

夏の風が君をどこか遠くへと奪っていく

言い出せずにいた想いを ねえ 届けなくちゃ

君を失いたくないんだ

 

Oh 君に今 会いたいんだ 会いに行くよ

たとえどんな痛みが ほら 押し寄せても

 

Oh 鱗(うろこ)のように 身にまとった物は捨てて

泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ

それでいいはずなんだ

 

©水木杏子・いがらしゆみこ 画像お借りします

 

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