二十歳にも満たない頃、キャンディはマーチン先生を故郷の村に呼び寄せ、診療所を開いた。
テリィはスザナと婚約し一緒に住んでいたが、スザナが亡くなり、その一年半後にキャンディに短い手紙を書いた。

当小説はそこから始まります。





11年目のSONNET

― ソネット ー

 

 



プロローグ


キャンディ
変わりはないか?
・・・あれから一年たった。
一年たったら君に連絡しようと心に決めていたが、迷いながら、さらに半年がすぎてしまった。
思い切って投函する。
――ぼくは何も変わっていない。


この手紙が届くかどうかわからないが、どうしてもそれだけは伝えておきたかった。

  T.G

瞬間、目の前が真っ白になった。
思考が完全に停止し、何も考えられなくなった。
十年ぶりに届いた手紙は、あまりに突然で短い言葉だった。
――これと似た手紙を以前も目にしたことがある。


ぼくは学院をやめてアメリカに行くことにした
やりたいことがある
どこにいてもきみの幸せを祈っている


あの時も強い衝撃を受け頭が真っ白になったが、すぐに行動に移せたのは、あのひとを失いたくなかったからだ。
馬を打つムチの音も、石畳を削る車輪の振動も、はるか遠くに感じた。

――どうか、どうか、間に合いますように・・。テリィに会えますように・・。
わたしは、まだ、あのひとに――

サザンプトン港へ向かう辻馬車の中で、夜通し祈った。
頭の中があのひとでいっぱいだった。

――けれど今は空っぽだった。何も考えられない。
過去も未来も、いま手にした現実さえも。
「―・・これは・・、どういうこと?」

東の空に輝き始めた一番星が、にじんだ涙でゆがんでいく。ちりぢりになって流れていく。
斜陽からもたらされた伸びた影も、いつしか空の色と同化し丘の中に消えていた―・・

 

 

 

 

 

 

 

 
 

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1章  手紙

 


★★★1-1

ロングの金髪をバッサリ切ってからもう何年も経つ。
肩のライン上に揃えられた緩い天然ウェーブの髪はそのまま下ろしている。
作業の邪魔になる時は結い上げたり、カチューシャで押さえたりする事もある。
センターで分けていた前髪はやや左側に移した。
この方が大人の女性に見えるからとアニーの助言に従ったのだが、正直自分ではよく分からない。
楽なら何でもいいと思っている。

1925年アメリカ、ミシガン湖の南。
山間の小さな村の診療所では、その日も朝からキャンディの甲高い声が響いていた。
アードレー家の資本が入っている割には大して立派でもなく、ともすれば田舎の一軒家にしか見えない。
屋根の上に乗せた手書きの大きな看板は、古巣のシカゴの診療所からわざわざ運んだ物だ。


ハッピー・マーチン診療所 人間、イヌ、ネコ なんでも歓迎!



イヌとネコの文字に二重線を引きたいと思う時もあるが、獣医もいないような村では消すに消せない。
だから診療所には毎日さまざまな患者がやってくる。
骨折した農夫、発熱した子供、お腹の大きい妊婦、単に世間話をしたいだけの近所のおばさん。
犬や猫に交じって馬や牛も時々。
診療所の住人でもある愉快なマーチン先生と若い看護婦の笑顔をお目当てに、村で唯一の診療所は幸か不幸か今日も多くの患者でにぎわっていた。

「また明日!さようならマーチン先生」
「ああ、明日もたのむよ、名看護婦さん」
キャンディとマーチン先生の親子のような信頼関係も、シカゴにいた時から既に十年が経った。
ポニーの家まで歩いて三十分ほどの帰路は、長い冬の眠りから目覚めた草花で彩られ、ルピナスの葉の間からは緑色のつぼみが顔を出している。とりどりに気まぐれな色をつけるこの多年草。
「あなたはピンク、ピンクになるのよ~!アラヘラ・ブラブラ・ゲラゴラボ~ン!」
目を付けた株に変な暗示をかけるのも、春の恒例行事だ。
雪解け水が流れ込んだ小川は、日ごとに勢いが増している。
そこに掛る小さな橋を横目に、助走をつけてぴょんと飛び越え可憐に着地した時、前方に大きなバッグを斜めに掛けた小太りの老人の姿を捉えた。
追いかける様に走り出し、前方に回り込んで向ける会心の笑顔。
「配達ご苦労様、マシューさん!ポニーの家に行くんでしょ?ここで預かるわ」
キャンディが両手を勢いよく差し出すと、マシューはその奇襲攻撃に一瞬身を反らし
「助かるよ、・・えーと、今日はこれだけじゃ」
いくつかの封筒を手渡した。
「ポニー先生の体調はどうじゃの?」
「落ち着いているわ、名看護婦がついているもの!他人より自分を心配したら?咳の具合はどう?」
「もうすぐ薬がなくなりそうじゃ、近々診療所へ行くよ」
「分かったわ、用意しておくわね。無理しちゃだめよ~!」
マシューはあの坂を上らないで助かったとばかりに、よぼよぼした足どりで引き返して行った。

 

 

 

ポニーの家は一見すると昔と変わらない。
もっと多くの子供を受け入れられるよう、三年前裏の畑の一部を潰して増築したことを除けば。
しかし母屋も雨漏りがするようになってきた。
数年以内に本格的な改築が必要になりそうだが、アードレー家に頼ってばかりもいられない。
「・・私が昔、屋根に落ちて壊したせいかしら・・?」
資金集めもキャンディの仕事。
村に戻った頃に植え付けたスウィートキャンディのばらの苗が、今日も玄関横で控えめに迎えてくれる。
まだ小さく固くとじたつぼみの成長が、キャンディの密かな楽しみの一つだ。

「ただいまー!」
キャンディの声を聞きつけると、疲れ知らずの子供たちが容赦なくまとわりついてくる。
「キャンディ!!ボク、投げ縄で瓶を落とせたんだ!」
「キャンディおねーちゃん、お歌を歌いながら十まで書けるようになったよ、ほら見て、見て!!」
「ほんとだ、すごいじゃない!じゃ、後でもう一度書いて見せてね」
声を掛けながら子供たちをなんとか振りほどき、息つく暇もなくキッチンへ移動する。
「あ~、お腹がすいたぁ。さぁてっと、今日の献立はなにかしら?」
預かった封筒の束をテーブルの上に放り投げ、慣れた動作でエプロンをつけながら、シンクの前で作業しているレイン先生と合流する。
「疲れているのに申し訳ないわね。トマトシチューを作るからそこの野菜を切ってくれる?」
テーブルにはまな板と包丁、びちょびちょに洗われた数種類の野菜が急かすように置かれ、その傍らで調理当番の子供が二人、バケツに入ったジャガイモの泥をごしごし落としている。
「はい、はーい!まずは人参ね。玉ねぎはエマが切ってくれる?こっちに来て」
キャンディはブラウスの袖を捲り上げ、鼻歌を歌いながら二十人分の材料をザクザク切り始めた。
「え~、イヤよぉ。目が痛くなるんだもん」
「玉ねぎを嫌がっていたらお嫁になんて行けないわよ?」
「あ~、だからキャンディは売れ残っちゃったんだね」
「こらっ、言ったわね~!」
今日も変わらない調理場の賑わい。
医食同源とばかりに栄養学の知識を身につけたキャンディの料理の腕は、もはやプロ級だ。
子供が一玉の玉ねぎ剥いている間に、すごい速さで野菜を切っていく。
テーブルの上がカット野菜で占領され始めると、散乱した封筒の束が邪魔になってきた。
ふと一通の封筒に目が留まる。

 
キャンディス・W・アー・・ 

「わたし宛?」
それは見覚えのある筆跡だった。
しかしアルバートさんでもアニーでもない。差出人の名は他の封筒に隠れて見えない。
(パティ・・アーチー・・違うわ。誰だったかしら・・?)
そう思った瞬間、有り得ない人物の名前が脳裏に浮かんだ。
(―!!まさか・・!・・そんなはずないっ)
握っていたジャガイモが指先からこぼれ落ち、ゴロゴロと転がっていく。
「どうしたの?キャンディ?」
「・・・・ご、・・ごめんなさい先生・・・・、あとは、お願いしますっ」
絞り出したか細い声とは裏腹に、素早くその封筒をつかむと全力で駆け出して行った。
向かったのはポニーの丘。
こんなに全力疾走したのは何年振りだろう。
心拍数が上がり、呼吸がうまく整えられない。
太く高くのびたナラの樹にもたれかかり、平常心を取り戻そうと深く息を吐いた。


 ――キャンディス・W・アードレー嬢

懐かしい筆跡を指で静かになぞりながら、封筒の下に書かれた差出人を確認する。
 T・G
(・・見間違いじゃない)
ドクン、ドクンという心臓の音が、丘中に響いている。
最後にこの文字を見てから、もう何年もたっている。
(・・どうして・・今頃・・?)
考えあぐねている内に、手に持った封筒がやけに軽く薄いことに気が付く。
かつて届いた手紙は、どれもそれなりに厚みがあった。
殆どからかいながら少しだけ本音を混ぜる。それがあのひとの常套手段だったはずだ。
( 書かれているのは、きっと一言だわ・・)
そう思うと更に心拍数が増し、手が小刻みに震えだした。
( いったい何を・・・)
あのひとが何かを伝えたくて手紙を送ってきたことは明らかなのに、それを知るのが何故か怖い。
けれど読まない事には何も分からない――
封を開ける勇気をどうにか絞り出し、震える指でゆっくりと封筒の端に手を掛けた。


夕食が始まる頃、魂の抜けた様子で戻ってきたキャンディを見て、レイン先生は多少の違和感を覚えたものの、声を掛けることもなく総勢二十人分の配膳に集中した。
人の身体、命を扱う看護婦という仕事。このような感情の浮き沈みは珍しいことではないからだ。
キャンディは子供たちの風呂や就寝の準備など日常業務を半ば無意識にさばく。
「キャンディおねーちゃん!インディアンのお歌で十まで書く約束―・・・おねーちゃん??」
「・・あ、うん、十人のインディアン、歌うね。ワンリトル、ツー、リトル、スリー・・・あれ?どこまで数えた・・?」
「三だよ。キャンディおねーちゃん、ボケっとしてるよ。眠いの??」
「・・ちょっと眠いかな・・。もう寝ようか・・?」
「うん!おやすみっ」


ようやく解放された夜半過ぎ、増築された建物の一番奥にある自分の部屋に入ると、灯りも付けずにベッドに身を投げ出した。
出窓から月の光が差し込み、机の上に置いた白い封筒が暗闇に浮かび上がっている。
何度も読んだので文面は覚えてしまった。


 ――ぼくは何も変わっていない

頭の中でこの言葉だけが風車のようにぐるぐると旋回している。
「変わっていない・・?・・どういう・・意味・・?」
思考がその先まで行かず停止する。
来るはずのない手紙が来た。その現実を受け止めるだけで頭がパンパンだった。
ただ胸が締め付けられるような苦しさを覚える。どうしてなのか自分でもわからない。
晴れない霧の中を彷徨うように、そのまま浅い眠りにおちていった。


 

1-1  10年ぶりの手紙

 

 

次へ左矢印左矢印

 

 

。。。。。。。。。。。。

ワンポイントアドバイス

 

手紙の文面・茶色の斜体文字 はファイナルストーリー・または漫画からの抜粋です。

 

初見の方は、コメント欄を覗かないようお願いします。

リピーターさんによるネタバレが書き込まれている場合がございます。

 

ロミジュリさんのイラストのタイトルは『ぼくは何も変わっていない』です。

ロミジュリさんは過去にイラスト盗用などの被害に遭われた経緯があります。

無許可転用、画像フリー素材Pinterest(ピンタレスト)へ保存するのは絶対にお止めください。

 

ファイナルの作中にも出てきた、色とりどりのルピナス。

キャンディの故郷に咲いているそうです。

ルピナスのつぼみ


 

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