紡ぐひと | 恣意的なblog.

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僕は歩く。

gatsby

少し前の夜、空いた時間にTVをつけて面白そうなチャンネルを探していたら、wowowで「華麗なるギャツビー」が放映されていました。残念ながら、主人公であるJay Gatsbyがロバート・レッドフォードではなく、レオナルド・ディカプリオだったので、最初は少し抵抗があったけれど、見始めているうちに馴染んできました。でも自分の持っている主人公のイメージは、やはり知的な印象の強いロバート・レッドフォードであり、レオナルド・ディカプリオのイメージは未だに、鮮烈な衝撃を受けた「ギルバート・グレイプ」です。

前に書いたかもしれないけれど、失われた世代の作家が好きで、遠出をする時はフィッツジェラルドの短編集を必ず旅行鞄に忍ばせておきます。夏に冬の短編を、冬に夏の短編を好んで読んでいます。旅行中、空いた時間を利用して小説を読むと、非日常感も相まって、なおいっそう心もとないふわふわとした、それでいて心地いい穏やかな気持ちになれるんですよね。事象に対する視点が変わると同時に、その土地土地の空気感といった言葉では表せないエッセンスが加わり、新しい物語に触れているような瑞々しい感覚が現れてきます。

文学的には、荒廃的であり、かすかな望みのある悲劇的な終焉の物語が好きです。映画もしかり、いい意味で後味が悪いもののほうが心に何かを残してくれるような気がします。毒にも薬にもならないとはよく言うけれど、毒をもって毒を制すといった個人的な嗜好からきているものなのかもしれません。

素敵なヒロインがいて、不器用に愛を貫く主人公の存在。第一次世界大戦、南北戦争、内戦の時代背景だったり、現代とは比べようもない不自由な時代だからこそ生まれる、現実を卓越したロマンは素敵だなと。でもそれは時による熟成が必要とされるものなんですよね。戦争であれ恐慌であれ、時代が荒れ狂う不純な風雨にさらされ、錆が浮いてしまうほど物事が色褪せ、人の記憶に残るような原型だけがそこに留まる。その無骨な意識は、人の営みが続く限り未来永劫変わらない本質のように思います。時代を生き抜いた者たちを後世の人たちが評価し、それを紡いでいく。現代の流行はとたんに廃れ、長い年月をかけて残されていく物語。現実を生き抜く当事者たちにはそれを知ることができない儚さがあり、人の一生として全体を俯瞰できる立場の人間が、その幔幕の中から人生の意義を見出していく。

砂塵まう開拓の時代にあった、酒、煙草、汗が滲んだ白のフランネルシャツ、一発逆転を狙った賭け、それは惚れた女のため、そして淡い夢物語。書いていてふと思い浮かんだのは、「バグジー」という映画です。当時のウォーレン・ベイティは男の目線でみてもじゅうぶんな色気がありました。そして、アネット・ベニングが好きだったなあ。「心の旅」とかね。「バグジー」は、ラスベガスをつくった男の壮大な物語です。「スカーフェース」、「誰がために鐘は鳴る」あたりを久しぶりに観たくなりました。最近はあまり映画を観なくなってしまったので、好きな作品は今でもこの辺りをうろついています。

ダンボールに入っていた、ページが黴臭い小説(スカーレット)を引っ張り出して読んでいるんだけど。

すぐに眠くなってやんなっちゃうなー。