ナク *動* | 恣意的なblog.

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僕は歩く。

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ただ逃げる道はないということ、それだけだ。
外界から耳を塞ぎ、何かの拍子に苦しみが再び湧き上がったとしても、諦観という括りで全てを首尾よく片付けられたら楽に生きられるというのに。

本来僕は何事にも冷めた感情しか持ち合わせず、表に出ない心情を問われるような人間だった。それがどうだろう、ナクと出会ってから僕は変わってしまった。そして皮肉にも変化は苦しみを生む結果となり、乗り越えた先に何が待っているのか依然としてわからなかった。


土曜日の午後、決行の日。
倉庫の入り口を望める草むらに陣取り、あまりの寒さに用意しておいたダンボールに包まりながら見張りを始めた。復讐をするためには、やがてゆっくり訪れるであろう月の影に紛れる必要があった。その日は珍しく吹き荒む風がなく、混沌とした重みにより大地は静かに息をひそめ、これから起きる出来事をひっそりと待ち望んでいるようだった。寝そべった自分の体勢をいかに整えようにも、軋み這い蹲るような感覚から逃れることは出来ず、寒さと居心地の悪さにじっと耐えるしかなかった。

時計の針は午後三時半を指していた。どんなに早くても決行は夜になるだろう。日が沈むまでたっぷり時間があったので、寒さで気分が萎え、余計なことを考えて再び恐怖心が芽生えてしまわないように、過去にあった楽しい出来事を思い出すことにした。食べるものも用意しておいたが、食欲は全くなかった反面、喉が異常に渇いた。

何歳ぐらいだったろう?子供の頃にケンカをして泣きながら家に帰ったら、父親から「やられたらやり返せ」ときつく言われたことがある。立ち向かうことも出来ず、負けてすごすご帰ってきたことを感じ取ったのだろう。「やりかえしてもかなわないんだよう」そう泣きついたが、父親は決して許してはくれなかった。渋々外に出たけれど、ガキ大将に再び立ち向かう勇気など持てず、玄関からすぐの草むらのところにじっと隠れていた。しばらくして母親が迎えに来てくれた時はとても嬉しかったんだ。

それが父親の教訓だった。ふと厳しくも人懐っこそうな顔が脳裏に浮かんだ。そもそも全然楽しい思い出じゃないや。極度の緊張からか、記憶がぼんやりとして、急に笑いがこみ上げてきた。大きくなっても草むらに隠れていることが可笑しくて、本当にクスクス笑ったんだ。「やられたらやり返せ」か。これから起こることが子供のケンカのように他愛のないものに思えた。


日が沈みかけた夕暮れ時、倉庫の前に複数のバイクの音が響き渡った。ヘルメットを脱いだ顔を盗み見たが、いずれも見知らぬ顔だった。草むらが急にさわさわとし、ひどくビクついた。倉庫にいる目当ての人間と、全体の人数を把握してから押し入るタイミングを決めるつもりだったが、何人かの出入りはあったものの、写真で確認した主犯格と思しき人物はいっこうに現れなかった。必ず来る保証はないとユウジも言っていた。

オガワとの待ち合わせ時間まで残り二時間を切り、少し焦り出した。倉庫内には五人ぐらいいるだろうか。今日を逃すと、一週間後の土曜日までこの張り詰めた緊張感を持続しなくてはならない。それを考えるとなんとしても今日中に片を付けたかった。少しぐらいオガワとの待ち合わせ時間に遅れても問題はなかったが、あまりに戻らない時は警察に通報する手筈になっていたので、それほど時間に余裕はなかった。

待ち合わせまであと一時間ぐらいになった時、二台の車がやってきた。(あいつらだ)ふいに確信めいたものが生まれた。車から降りた全員の顔をはっきりとは判別出来なかったが、おそらくあの集団だろう、主犯格とおぼしき一人は間違いないように思えた。それにしても全体の人数が多過ぎる。倉庫内には今や十人以上の人間が存在し、何人か出て行くのを期待してしばらく待機を続けたが、状況に変化はなかった。倉庫から漏れる暖かな灯かりや笑い声、それはお前達が享受すべきものではないと感じ、ひどく苛立った。

用意していた角材を右手に掴み、その上からグルグル巻きにテーピングをした。何があっても得物を離さないようにするためだ。どれぐらい暴れられるか見当がつかなかったが、もう動くしかない。「守ってね」ナクからもらったリングに口づけをし、普段したことのないその行動とこぼれ出た言葉に違和感をおぼえた。目は夜に慣れていた。漆黒の闇のようにも月夜の明るさのようにも思えた。
さあ時間だ、そろそろ草むらからは卒業するとしよう。


それからのことはあまり記憶にない。
入り口からひっそりと入り込み、一目散にソファに座った標的に向かい、思いっきり横に振った角材を腿のところに浴びせかけた。ごつんと鈍い音がして、呻くように倒れたそいつに向かって数発振り下ろしたところで四、五人に取り押さえられそうになったが角材を懸命に振り回し、からくも逃げた。その時、誰かが金切り声を上げてわめき散らしていたのが横目に入り、それも標的の一人だと確認すると今度はそいつに向かって角材を叩きつけた。
(弱い犬ほどよく吠えるってのは本当なんだな)

油断していたところに激しい足音が起こり、今度は自分がパイプのようなもので殴られ始めた。滴り落ちているのが汗なのか血なのかよくわからなかった。ずいぶん殴られたのは間違いなかったが、興奮からか不思議と痛みは感じなかった。久しぶりに懐かしい感覚が蘇ってきたようだった。恐らく僕の行動は切羽詰まり、身を投じて反撃を始める小動物のようだったろう。それでも構わない、やつらに恐怖心というものを少しでも植え付けられればよかったのだ。

無我夢中で暴れ回り、それなりに標的を痛めつけたところで潮時を感じ、追っ手を振り払いながら倉庫から逃げ出した。後は打ち合わせで決めたオガワとの待ち合わせ場所に向かうだけだった。
鼻孔に残る硝煙の匂いを感じながら、夜はその静けさを再び取り戻しつつあった。


オガワは僕の顔を見てケタケタ無邪気に笑っていた。

「無事でよかったよ、でもずいぶんと派手にやられたじゃん」オガワの笑いは止まらない。「そんなにひどいの?」顔を手でなぞってみたら、固まりつつある紫色の塊が指に付いた。

「いい男が台無しってやつだな」
「それ親父にも嫌みで言われたよ」

「よく立っていられるな、とりあえず病院に行こう」
「興奮で痛みなんてわからないや」

「・・・やつらが来たぞ!乗れ!」オガワが突然叫んだ。やっと気が付いたが、頭から流れ出た血が左目に入り、かなり視野が狭い状態だった。それもあってか追っ手が迫って来ていた事に全く気が付かなかった。僕はヘルメットをかぶる間もなくバイクの後ろに乗り、オガワは直ぐにスロットルを開けてバイクを発進させた。やつらが執拗に車で追いかけてきたので、オガワはスピードを上げ、前を走っていた車を追い越そうと右車線にはみ出たところに対向車がきた。対向車のヘッドライトは悪魔の叫びのようだった。

なんとか対向車との衝突は避けられたが、急ブレーキをかけたことでタイヤがロック状態となり、グリップを失った車体はスローモーションのように緩やかに横倒しになりながら、最後は重力に逆らえず転倒した。それは一瞬の出来事だった。何が起こったのかすぐにはわからなかったが、ごろごろと体が投げ出され、ブロックに叩きつけられた衝撃による痛みとともに全てを理解した。バイクは百メートルぐらい先までアスファルトを削りながら火花を上げて転がり続け、オガワはどこかに飛ばされ姿が見えなくなっていた。

やつらは車から降りてきて、辺りを見回しながら僕のほうに近付き、「こいつ死んでるだろ」と言いながら数人で顔面や感覚のない体を容赦なく蹴っていった。意識が遠のき、ボンヤリそれを上から眺めている感覚があるものの、僕はまだしっかりと生きていた。しばらくして誰かが救急車を呼んでくれたらしく、救急隊員に「一人か?」と聞かれたので、「もう一人いるから探して下さい」と頼んだ。

これが原因でこの先ナクとうまくいかなくなるかもしれない。それでもいいんだ。僕はこれで仇を取ったつもりだし、僕がいなくなることでナクの心の傷が早くに癒えるなら、それで構わない。別れた彼女の幸せを願う日々も悪くない、そう思った。実行に躊躇いが生じることを嫌い、考えないようにしていたけれど、もうこの小さな街にはいられなくなったことを悟った。ハッピーエンドにはなりそうにないけれど、やれることはやったんだ。


果たしてオガワは無事なのだろうか?フルフェイスのヘルメットが割れて砕けているようなことを緊急隊員の人が言っていた。オガワは救急車の中で、見たこともない器具を取り付けられているところだった。冷静さを取り戻し、自分本位の考えを恥じたとたん、心が瞬く間にざわつき始めた。

僕を一人取り残し去っていった親友に、オガワを助けてくれるよう頼んだ。
若くして旅立ってしまった後輩に、オガワを見守ってくれるよう願った。

これ以上、誰も失いたくはなかった。
陽炎が立ち上るアスファルト、溶け出したアイス。
サイレンを聞きながら、楽しかった夏を思い出していた。