ナク *讐* | 恣意的なblog.

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僕は歩く。

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握った手の温もりに何を感じることができるのだろう。
僕は離した時の寂しさしか感じることができない。





本当の自分、求めている在り方はどこに仕舞われてしまったのだ。

自宅に戻った僕は、しばらく学校に行かなかった。
単位はなんとか足りていたし、オガワが先生に直談判をしてくれたお陰で、学校のほうからのお咎めは何もなかった。
進学や卒論のことなど問題は山積していたが、今はそれに構える心の余裕などあるはずもなかった。

両親には自分の抱えている問題やそれに対する引け目を悟られることのないように、日々を慎重にやり過ごした。
自室に閉じ篭る息子がよほど珍しかったのだろう、母親が頻繁に部屋を訪れたので、必要最低限の会話だけはするように心掛けた。
母親には申し訳なかったけれど、それはとても苦痛な時間となった。
誰のせいではない、全て自分が招き寄せた問題だ。

閉じ篭っている間、みぞおちのところの鈍痛が止むことはなく、たまに痛みは波状に伝播していき、緩く体全体に広がった。
昔からそうだった、心の痛みはみぞおちで感じることが多かった。
体や心で消化出来ない根深い苦しみは、行き場のない力の蓄積による反動で、暴力的衝動を呼び起こした。
抑え難いその衝動は勢いを徐々に増していき、数時間ものあいだ猛烈な突風のように吹き荒れたかと思うと、突然ぱたりと止んだ。

その衝動から逃れようと、体を傷つけ痛みを与えてみたが効果は長続きせず、とたん、枷をはめられたように体が鈍く重くなっていった。
毎日がそれの繰り返しで、全てにおいて無気力で憂鬱の靄がかかり、痛みの和らいだ短い時間は、鉛色の空を窓越しに見上げる時間が多くなっていた。

自宅に閉じこもっている間、ユウジが突然家を訪ねて来た。
どうやら僕のためにナクの自宅まで足を運び、両親に会ってナクの近況を聞いてきてくれたらしい。
なぜ僕のためにそこまでしてくれるのかはわからなかったが、どこにも足を運ぶことの出来ない僕はユウジの好意に甘えることにした。

ナクはまだ入院をしていて詳しい病状まではわからなかったが、目立った外傷は癒えてきている様子を聞き、少し安心した。
それでも精神的には浮き沈みがあり、情緒が不安定になることが多く、家族ぐらいしか面会ができないようだった。
ナクの両親から直接病院に行くことを頑なに拒絶されたことを知り、ナクに会うのは苦労するだろうということがわかった。

「顔に傷はないよな?俺のことはなんか言ってた?」
「お前のことをナクの両親に聞けるかよ!自分で聞け!」ユウジが少し笑みを浮かべながら怒ったように言ってきたが、笑うことを不謹慎に感じとったのか、急にいつもの無骨で真面目な表情に戻った。
ユウジがナクに会えなかったことが残念という気持ちと、僕より先に会うなんて許せないという気持ちが混じり合い、なんとも言えない複雑な心境になったことは隠しておいた。

そして数日して今度はオガワが訪ねてきた。
ユウジに聞いた要点をオガワに伝え、自宅に籠っている間に決意したこれからの行動について相談した。

「なあ、オガワ、あいつらやりに行こうと思っているんだけど」
「・・・やっぱり行くのかよ?それは止めておいたほうがいいと思う。今回ばかりは本当に相手が悪すぎるって」

「よくよく考えた結果だよ。このまま泣き寝入りは出来やしない。きっとこの先いつまでも後悔すると思うんだ」
「ナクはそれを絶対に望まないと思うぜ」
「もちろんそうだと思う。ナクは恐らく俺の身を一番に案じてくれるはずだと思う。もしかしたら俺のことなんて考える余裕すらないのかもしれないけど」
「ずいぶんと自虐的だな」オガワが呟いた。

その通りだった。
本来であれば一度ナクに会って話しをしてから決めたかった。
でもナクに会えばまた怒りが湧き上がり、冷静さを取り戻しつつある気持ちが振り出しに戻る。
僕が手にしたかったのは感情の抑制であり、冷静に怒りを示す方法だ。
今まで自室に閉じ篭っていたのはそのためだった。

ユウジに今はナクと会わないほうがいいと諭されたことも理由の一つだが、会いに行かないのは自分の意思でもあった。
いま会えば、ナクにまた辛い思いをさせてしまう。
そして僕自身も冷静さを失い、衝動的な行動を起こし、望まない結果を生んでしまうかもしれなかった。
いったい何のために体を傷つけていたというんだ。

「俺も付き合うよ」オガワは爽やかな表情で、人生を左右するかもしれない言葉をさらりと言い放った。
その瞳は、隠しようもなく謀反気に輝いていた。
「いや、いい。全ての裁きを受けるのは俺一人でいい。お前は将来のある人間だからな」

その言葉を否定しない、ふてぶてしいオガワ。
「なあ、少しは謙遜しろって」久しぶりに二人で笑い合った。

ナク、僕は元気だよ。きっと嫌なことなんてすぐに忘れられるよ。僕は、ほら、こうやってもうオガワと笑い合っている。
ナクも痛みを失くし、直ぐに僕たちの輪に入れるさ。
ナクのために笑った。
この想いが届けばいいと思った。

それでもオガワは一緒に行くと言って聞かなかったので、逃げる時の手助けをお願いするということで渋々納得をしてくれた。
もしかしたら、もうこの小さな街には居られなくなってしまうというのに。
結果的にオガワまで巻き込む形になってしまったことが忍びなく、どんなことがあってもオガワの存在を奴らに明かさないようにしなければならないと思った。

実行に際し、奴らが溜まり場にしている場所は、前もってユウジから聞いておいた。
夜遅くまでたむろしている倉庫は、メンバーの誰かの父親が持ち主で、今や倉庫としては使われておらず、溜まり場には適している場所にあった。 
狙うべき相手の顔も写真で確認したが、全員を相手にするのは難しいだろう。
その中でも主導したと思われる数人に的を絞ることにした。

これが済んだら、ナクに会える。
そう考えると気持ちが少し落ち着いた。


オガワと自宅近くにある公園のベンチに座り、目の前にある辺りに柳を配した池へ無意識に小石を投げ入れていた時だった。

ぽちゃりと軽い音がして、波立ったみなもに反射した光が矢となり、空に放たれた。
波紋がおさまった池のみなもでは、見事なまんまるの月が僕たちを見ていた。
ふいにみなもが揺らぎ、月をぱくりと食べ、生まれ変わったまあるい輝きは危なっかしい僕たちを優しく見守りはじめた。

それが何を意味していたのか、今ならわかるような気がするんだ。

でも僕たちは立ち止まることを知らなかった。