算数としての問題で | 気まぐれ社労士の徒然日記

気まぐれ社労士の徒然日記

2015年11月に社労士試験に合格。2016年5月より、社労士登録、8月に開業登録。自分の興味の赴くままに日記を書いています。

ヤフーの記事を見てみたら、偶然 「60を半分で割って20を足した数字の答えは?」 という問題についての記事が載っていました。
(元々の記事はこちら
この問題を見た瞬間、個人的にはひっかけうんぬんではなく、この問題は算数的に成立していないと思いました。
 
ポイントは、「半分」という言葉の意味にあります。
文章を見る限り、出題者は60を30(60の半分)で割って20を足した答えを期待していたのだと思います。
それだと、60÷30は2で、2に20を足して22という具合です。
 
ところが、「半分」という言葉には、元々「2分の1」という意味があります。
Googleの検索結果でも、「半分」という言葉には「二分の一」を指すという結果が複数あります。
(ソースはこちら
そして、手持ちの「新選国語辞典」(第六版、1987年1刷)でも「半分」には「二分の一」という意味が載っていました。
(36年前の情報ですが、インターネット検索でも「半分」の意味として「二分の一」という意味が載っているので、出版時期については問題ないでしょう。)
 
もし、この問題での「半分」を60の半分という意味で解釈させたいのであれば、問題文を、「60を『その数の』半分」というように書かないと一意に解釈させることができなくなります。
 
実際、私はこの問題を見た時、「半分で割る」という部分を「2分の1で割る」と解釈しました。
そう解釈した場合、この問題の解答は、60÷(1/2)+20を計算して、140になります。
(2分の1で割るのは、2でかけるのと同じことになり、60×2が120になり、それに20を足して140になるという具合です。)
 
文学作品では、言葉の意味を一意に解釈できない複数の意味に解釈できるような表現をすることによって読者の想像力をかき立てるという技法はありだと思います。
しかし、算数や数学の問題では、一意に解釈できる(=複数の解釈をさせない)ことが何より大切です。
この出題者は、「60を半分『に』割って20を足した数字の答えは?」というひっかけで作成したと思いますが、「半分」の定義をさせなかったところでひっかけ問題としても成り立たなくなってしまったと思います。
 
一意に解釈させないといけない場面の文章で複数の意味に解釈できる文章を作ると、危険なことがあるなというのをこの記事を見て感じました。