20数年ぶりに「ノルウェイの森」を読んだ。最近、何がきっかけか映画化されたらしく、本屋に文庫本が平積みになっていて、ふと、どんな話だったかと気になって買ってしまった。20年前は当時、独特の文体だけに気を取られて、話の筋さえよく覚えていなかったが、こんなに素直なストーリーだったかと思いがけず、好感を持った。文体も昔ほど鼻につくこともなく、むしろ、ストレートな若さが心地よかった。
読んでいる途中に、ふと、机の前の小さなCDボックスに内田光子のモーツアルトのソナタ集があるのが目について、取り出してかけて見た。これも、彼女がCDを出した頃によく聞いて以来だから、たぶん20年数年ぶりだ。おそらく、ノルウェイの森を読み返さなければ、改めて取り出して聞いてみようと思うこともなかっただろう。
偶然の組み合わせは、その当時の記憶をおぼろげに呼び起こしてくれる。20年前!未来に何を期待していたことか?それはどれほど実現されたのか?
村上春樹と内田光子は、たぶんほぼ同年代であり、自分より10歳くらい年上だろう。おおまかには自分は彼らと同じような時代を経て来たわけだ。村上春樹は昨年、1Q84を出版した。いま、改めてノルウェイの森を読んでみると、さすがに比較にならないほど表現力と展開はうまくなっているが、あの頃、未完成な表現力で描こうとした世界は、本質において深まったと言えるのだろうか?『アンダーグラウンド』で彼が得たものの成果が1Q84であれば、ちょっと拍子抜けの感じもする。ジョージ・オーウェルを意識したのだろうが、はたして成功したと言えるかどうか?小説としては圧倒的に面白いのだが・・・。
内田は最近、クリーブランドを率いてグラミー賞を受賞した。彼女にとってその表現は、今、聴いている若き頃のCDの生真面目なモーツアルトより満足のいくものだったのだろうか?学生時代に古い京都会館で聴いた彼女の生演奏はいまほどの自信に充ち溢れてはいなかったが、はっとするほどの切迫感があったような気がする。
そして自分自身は?おそらく、同じ小説や演奏に対して受け取り方が異なるのは自分が年齢を重ねたことと無関係ではないだろう。20年前に感じたことの一部は今でもそのままに感じられるが、同時に以前は感動したのに2度とあのころと同じ種類の感動は味わえない、という部分と、その頃は気づいてもいなかった表現に感応する部分が混在して、ちょっと混乱したりする。当時はほぼ同年代のものとして味わった作品は、それだけ自分にとっても身近であり、切実感があったはずだが、今は、20歳年上の目から、少し余裕を持って眺めることができる。はたして芸術家本人にとって過去の自分の作品はどのような光を発するものであろうか?とも思う。