投げやりな午後の隙間風のブログ

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 先日、講演会でいわゆる「成功者」の体験談を聞いた。

 「成功者」の体験談はあやしいことが多い。もともと、世の中で成功する人間は自分を語りたがる人種が多く、それに長けているものだ。体験談の中身自体よりも、それを語って他人に聞かせられる時点ですでに「成功者」としての資質を物語っている。聞く側は、うさんくさいよな、と思っていても、語り口によっては自分の身に投影して一時の夢を見ることができる、生のファンタジーであるから、やはり、それはそれで面白い。へたなフィクションより聞く価値はあるにはある。

 「成功者」の話に不可欠な要素は、「失敗」あるいは「困難」をいかに語るか、ということである。最初から最後まで、うまく行き続けた成功談は普通、成り立たない(時にそれに近いものがあって個人的には大好きなのだが)。そしてその負の体験のなかに自分がやってきた「努力」の要素をいやみでない程度にちりばめる。他人がやらなかった「工夫」という形で自分のオリジナリティーを強調しても良い。要するに、「だから自分は負の要素を正に転換できたのだ。」ということを聞き手に納得させることが必要だからだ。「たまたま運も良かった」などどちょっと謙遜してみせるのも、逆の意味で同じことをやっても「たまたま運が悪ければあなたは成功しないかもよ。」というエクスキューズにはなる。このようなある意味、古典的な成功談は構造は同じでも、中身のバリエーションで、たまに聞くには良いリフレッシュになるものだ。

 しかしながら最近のポジティブ思考礼賛の世の中で、あふれる「成功談」にさらされるとさすがに疲れてくる。わが身を振り返って、比べるべくもないことをしみじみと思い知らされると、少しずつ、他人の成功がボディーブローもように自分の身をむしばんで、若いころには栄養となったような話もむしろ精神の毒となりかねなくなってくる。自分の先が見える年齢になったからではあるが、昨今の社会状況では、もっと若いうちから自分と同じように感じるひとも多いのかもしれない。自分を信じて、努力を続ければ、いつかは夢はかなう、というキャッチフレーズは使い古されて、もう、彼らの心を動かす力はない。

 そのなかで大ヒットしているのがホンダのコマーシャルである。

頑張っていれば、いつか報われる。
持ち続ければ、夢は叶う。
そんなのは幻想だ。

たいてい、努力は報われない。
たいてい、正義は勝てやしない。
たいてい、夢は叶わない。

そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。

で始まるCMが日本中で感動を呼んだらしい。人間の小さな努力の成果や幸福を一瞬で押し流した津波によるアドレナリンの上昇後枯渇状態、という今の日本のスイートスポットにいちばんきれいにヒットしたという面も大きいだろうが、それよりも世の中に蔓延する「公式見解」のうさんくささに疲れていた一般人の気持ちに素直に受け入れられた、ということだろう。私たちの成功談、という形を借りて繰り返される教条的な物語の押しつけではなく、まず聴き手側に立って、わかってますよ、と言ってみせることから始める部分が一般人の拒絶感を薄めて、とりあえず聞いてみようか、という気持ちにさせるのだろう。最終的に言っている中身は大きく変わらないのだが・・・。その小さなオリジナリティーに拍手を送りたい気持ちと、こんなことで「感動」させられる自分を含めた世間の薄っぺらさに対するちょっとした寒気を味わいながら。まあ、いいコマーシャルではある。