『【未完】言葉と祈りと愛について 13』のつづきです。
補足情報として『救世』の記事も参考になればと思います。
 

【地球上に逃げ場所が無くなる】

僕は地震予知などのようなこともしますので『実感』していますが、地球上に『絶対に安全な場所』など存在しません。

周囲の地形や、土地の状態などにより「天災の影響が少ない地域は存在する」と思います。
しかし『予期せぬ異常』が年々増えていますので「いままでは基本的に安全だった」にすぎず、今後どうなるのかは全くわからない状態です。

たとえば日本国内は地震の発生が多いこともあり、「今後はどこに地震が起こりそうなのか?」などに興味を持つ人が多いかもしれません。
そのため『地震予知情報』などを常にチェックしている人もいるかもしれませんが、「今後はどこの地域も危険」と思っておいた方がむしろ『無難』だと思います。

また、日本は火山も多いですが、各地の火山が活発化しています。
さらに異常気象も増えていますし、自然災害も増えています。

そのため「地球上でどこに移動すれば安全なのか?」と探すような人が、今後増えてくると思います。

日本国内だと、都会を離れ、自然環境に恵まれた田舎などに移住する人が少しずつ増えていると思います。
そもそも「逃げるために移住したわけではない」という人がほとんどだと思いますが、「何となく」という直感に従ったら、都会から離れていたという場合が多いかもしれません。
また、自分では全く望んでいなくても「転勤などにより仕方なく移住することになった」という人もいると思います。

「全ては必然」と考えますと、自分自身では一切無意識だとしても「移住する流れに自然と導かれている」のだと思います。

ちなみに日本国内を離れ、海外に移住している人もひそかに増えていると思います。
移住には「様々な理由がある」と思いますが、『資産家』などであればいざという時の『逃げ場所』を用意しておく傾向が高いかもしれません。


実際に僕の知人は「これからの日本は危険」と感じているらしく、海外に移住したようです。

海外に移住するのは自由ですし、不安にさせるつもりは全くありません。
また、「日本国内から逃げた方がよい」と伝えたいわけでもありません。

お伝えしたいのは「地球上の安全そうな場所を探しても、基本的にはあまり意味が無い」ということです。

なぜならば、日本国内だけではなく、世界各地で『様々な問題』が増えてくることになるからです。
表現を変えますと「地球上を必死に逃げたとしても、逃げ切ることはできない」ということです。

「それならば宇宙に逃げればいい」と思うかもしれませんが、誰でも気軽に宇宙に行けるわけではありません。
また、もし宇宙に逃げたとしても、人類の現状としては「宇宙で長期間の生活は不可能に近い」と思います。

ちなみにあくまでも都市伝説ですが、「火星にはかなり昔から地球人が実験的に暮らしている」という噂もあります。
ただし、事実の確かめようがない噂話ですし、『現状の常識』としては宇宙での移住生活は困難な状態だと思います。

そもそも「宇宙に逃げましょう」と伝えたいわけではありませんし、「地球上にもそれなりに安全な場所は存在する」とは思います。
しかしながら「遅かれ早かれどこも危険な状態になる可能性が高い」です。

なぜならば、『土地的』に安全だとしても、人間が集まる場所であれば『人間関係のトラブル』の危険性が増えるからです。

むしろ一番厄介なのは『知恵』と『欲望』を持って活動する『人間の存在』だと思います。

たとえば人類が予期せぬ天災などに襲われる『パニック映画』があります。
天災に襲われながらも必死に生き延びようとする人間ドラマが描かれますが、ありがちな展開としては「天災の中で発生する人間同士のトラブルが描かれていることが多い」と思います。
そのため「天災よりも、実は人間同士のトラブルの方がむしろ危険」という警鐘を伝えていることが多く感じます。

映画はあくまでも『フィクションの世界』です。

しかし、もし本当に危険な天災が発生した場合、自分の命を守るために人間同士の争いが起こる可能性はかなり高いと思います。
なぜならばお互いが命がけの状態になった時こそ、『人間の本性』が出てくるからです。

たとえば『食糧難』が起きた場合ですが「食糧を少しでもストックさせておけば安全」のように思うかもしれません。

しかし実際に食糧難が発生した場合、必死になって食糧を奪いにくる『人間』という存在がいるわけです。
この場合、食糧をストックしている側の方が「よほど危険」になってしまいます。

これは「お金」に関してもですが、「お金という資産を持てば持つほど人間社会では安全」のように思うかもしれません。
しかし実際は「お金持ちほど狙われやすい」ですし、「誰かに奪われる」という危険性があるわけです。

ですから『自然災害の増加』や『異常気象』も危険ですが、『人心の乱れ』から発生する『人間関係のトラブル』の方がよほど現実味のある危険だと思います。

そして最悪なのが「自然災害の被害」、「異常気象の影響による食糧難」、「人心の乱れからの暴動や戦争」のセットです。

自然災害が一切発生せず、全く人間がいないような『無人の場所』であれば安全かもしれません。
しかし「誰もいないような場所で日常生活を続けることができるのか?」となりますと、多くの人は無理だと思います。

また、極論ですが『ポールシフト(地軸の移動)』や、『巨大な隕石の衝突』が起これば、人類は何をしても「終わり」です。
もし実際にそのような展開になれば「それが人類の運命」として受け入れるしかないと思います。

ただし、僕自身も地球上で活動していますので『危険な状況』や『危険な世界』にならないことを願っています。
また、少しでもそのような状態にならないために活動しているつもりです。

しかし結局のところ「自分を救えるのは自分自身だけ」です。

たとえば僕の人生においては、僕の人生において『経験するべき出来事』が発生し、『僕のために用意された世界』が展開されます。
なぜならば僕の人生においては、僕が『人生の主役』だからです。
また、僕とご縁のある人は『僕の世界』に登場する人に限られます。

それと同じように『その人それぞれの世界』があります。

『あなた』の人生においては、あなた自身の人生において『経験するべき出来事』が発生し、『あなたのために用意された世界』が展開されるということです。

そして『その人それぞれの世界』の変化は、『どこかの誰か』がやってくれるわけではありません。
『主役の本人』しか「自分の世界を変えることはできない」ということです。

ですから大切なことは『本人の自力』です。

『他力本願』の状態を続けているのであれば、自分自身の『自力』が成長しませんので、遅かれ早かれ「自分自身が痛い目を見ることになる」と思います。

他者からの手助けが常にあれば問題ないかもしれません。
しかし、もし他者からの手助けがなくなれば、「自分の力で何とかする」しかなくなるからです。
その時に「自力を鍛えておけばよかった」と後悔しても手遅れです。

ただし、他者への思いやりなどの気持ちを持たず、「自分さえよければいい」という状態で活動を続けることも『問題』です。
もし「自分さえよければいい」という状態であれば、なるべく早い段階で『考え方』や『方向性』を改善することを強くオススメいたします。

なぜならば自分自身の『自力』は大切ですが、「自分の存在を世界に活かすこと」も大切なことだからです。

「無理矢理人助けをしなくてはいけない」というわけではありませんが、『思いやり』や『感謝』の気持ちは大切にするべきだと思います。

そもそも『自分という存在』が人間として地球上で活動できるのは、『様々な存在』のおかげです。

人間は調子に乗ってしまいますと「全て自分ひとりでやっている」と思うかもしれませんが、それは大きな勘違いです。

「全て自分ひとりでやっている」と『自負』できるほど必死に努力して活動しているのであれば素晴らしいことだと思います。
しかしどのような状態だとしても、活動を『裏』で支えてくれている存在が必ずいます。

その存在は『人間の存在』だけなく『見えない存在』など様々だと思いますが、「私は様々な存在に助けられて存在している」ということだけは、決して忘れない方がよいと思います。

「様々な存在に助けられている」という気持ちがあると様々なことに対して『感謝』も増えると思いますし、『謙虚』な状態を保てるのではないかと思います。

ちなみになぜ謙虚な気持ちが大切なのかといいますと、「常に学ぶ」という姿勢であり、向上心に繋がると思いますし、『気づき』も増えるはずです。
それは結局のところ『自分自身の成長』に繋がるからです。

話を戻します。

「逃げ場所が無くなる」というのは、「地球上のどこかに逃げる方法」を伝えたいわけではありません。
逃げるどころか『現在の自分の場所』を前向きに受け入れることが大切だと思います。

なぜならば「現在の場所はあえて自分のために用意されている場所」だからです。

つまり「地球上のどこかに逃げようとする」ではなく、現在の場所で「現在の自分自身ができることを大切にしながら活動することが重要」だと思います。

そもそも「逃げ場所が無い」のであれば、あえて逃げないことの方が「むしろ安全」ということです。
そうすれば、いざという時に『何らかの予期せぬ手助け』によって、危険な出来事を避けることができたり、自然と守られるのではないかと思います。

そして動くべき『必要』があれば、動くべきタイミングで、動くべき展開が「自然と用意される」と思います。

ちなみに地球上のどこかに逃げようとするのは「自分さえ助かればいい」という状態だと思いますが、問題は「自分さえ助かればいい」という『精神性』です。

危険なことを回避することは大切だと思いますし、「危ないことからは逃げるべき」だと思います。
たとえば「もうすぐ津波が襲ってきます」という情報があれば「迷わずその場から早く逃げろ」とお伝えします。

そもそも「危険なことに必死で立ち向かえ」と伝えたいわけではありません。
むしろ、僕は逃げ足が速いので、危ない時は容赦なく逃げます。

重要な問題は「世界の救済システムの働きが存在する」というです。
そのため、「自分さえ助かればいい」という状態では、地球上のどこに逃げても無駄であり、むしろ助からない可能性が高いです。

たとえば『10人』の人間が『出口の無い部屋』の中に閉じ込められた状態だとします。

「最後の1人になるまで生き残れ」というルールであれば、他の人が全て倒れるまで何とかして生き残れば助かります。

しかし「出口の無い部屋から抜け出せ」というルールであれば、他の人が全て倒れるまで生き残っても無駄ですし、むしろ長生きすればするほど孤独となり、苦しみが増える一方です。
また、「そもそも出口が無い」わけですから、部屋の中で隠れたり、必死に逃げたりしても無駄です。

ですから『出口のない部屋』から抜け出すためには『別の手段』が必要になります。

常識的な価値観では『反則の手段』になりますが、部屋に出口が無いのであれば『部屋の外の存在』から助けてもらったり、部屋の外に『瞬間移動』すればいいわけです。

これはあくまでも『たとえ話』ですが、そのような働きが『世界の救済システム』です。

人類は『地球上という出口の無い部屋』の中に閉じ込められているような状態です。
そして「地球上という出口の無い部屋からどうやって抜け出すのか?」となった場合、人間社会の『常識的な価値観』や『常識的な方法』では解決できないと思います。

その『解決方法』を伝えているのが、キリスト教では『携挙』と呼ばれる概念であり、スピリチュアル系では『アセンション』と表現される展開だと思います。

『救済システム 世界から人が消えていく』の内容でお伝えしていますが、普段の日常生活で「私の世界からいつのまにか消えた人」は増えているのではないかと思います。

そのため「いつのまにか人が消えている」ということは、誰もがすでに『実際に体験』していると思いますが、「一体何が起こっているのか?」ということを全く気づいていない可能性が高いです。

ちなみに「日頃の行いの賜物」という言葉がありますが、簡単に説明しますと「自分自身の日頃の行いが自分自身に幸運や成果として返ってくる」という意味になります。
迷信を信じない人にしてみれば、「自分の日頃の行いなど気にしない」という状態で人生を過ごしているかもしれません。

しかし『救済システム』の働きは、日頃の行いの賜物として、自分自身に返ってきますので、常日頃の行いが本当に大切だと思います。

【日常生活での引き寄せ】

スピリチュアル系では「願望実現の方法」として『引き寄せの法則』が流行しました。
そして、引き寄せのことを伝えている人は『現在』も多いと思います。

あくまでもひとつの概念ですが「この世界では同じ性質を持ったもの同士が自然と引き合う」などいわれています。
スピリチュアル系では『波動の法則』や『波長の法則』などと表現されますが、『引き寄せの方法』などにも利用されています。

ちなみに日本のことわざであれば「類は友を呼ぶ」になります。
「気の合う者や、似ている者同士は、自然に寄り集まって仲間を作る」という意味ですが、「同じ性質を持つものは自然と引き合う」ということです。

一般的には「趣味や趣向が似ている」や、「考え方が似ている」などのお互いの共通点を感じて仲良くなるようなイメージかもしれません。
ただし、偶然のような出会いなどから、自然と関係性ができるため、「いつのまにか似たような人が集まってくる」ような状態だと思います。

『健全な方向』での引き合いであればお互い健全な関係性で繋がると思いますが、問題は『悪意』などでもお互いが自然と引き合うということです。

僕自身の実体験ですが、若い頃の僕は精神的に荒れていたこともあり、『得体の知れない何か』と常に戦っているような状態でした。


得体の知れない何かとは「人間社会に対して」だと思いますが、「この世界では絶対に舐められてはいけない」という状態だったと思います。

僕自身としては普通に生活しているつもりでしたが、なぜか出会う人たちは『反社会的な人』が多く、むしろ「無意識的に反社会的な人たちを引き寄せていた」のだと思います。

ちなみに反社会的な人たちといってもあきらかに『悪人』というわけではないため、普段は仲良く会話していましたし、僕にしてみれば感情の起伏が少し激しい人たち程度の認識でした。
また、若かったせいもありますが「普通に生きていても面白みがない」という思いがあったため、反社会的な人たちの存在を刺激的に感じていたのだと思います。

ただし、反社会的な道に進むつもりは全く無かったので「僕は普通の一般人なのに、どうして反社会的な人たちと出会う機会が多いのだろう?」と不思議に感じていました。

そしてある時に人間関係のトラブルで僕は『絶望』を経験しました。

その出来事がきっかけとなり『精神世界』に興味を持つようになり、自分自身の考え方や、価値観が完全に変わりました。

ちなみに精神世界系や、スピリチュアル系などは、『一般常識』とは違う価値観になりますので、ある意味『反社会的な方向性』かもしれません。
しかし暴力や『裏社会』などの危険性のある『反社会』とは全く方向性が変わったわけです。

精神世界を学んでいますと、自分自身の『内側(内面)』と常に向き合うようになっていきます。

そして「求めるべき答えは自分自身の内側に在る」と気づいたわけです。

そのため、『外側』の人間社会を含めて『得体の知れない何か』と常に戦っているような感覚を手放すことができました。
なぜならば、もし『敵』がいるとすれば、その敵は「自分自身の内側に潜む自分自身」であり、『外部の何か』ではないということを知ったからです。

ちなみに現在も人間社会や政治に対しては「何かおかしい」と指摘することはありますが、それはあくまでも『人間社会の穴』を指摘しているだけで、感情を込めた怒りなどではありません。
だからこそ「戦う必要も、倒す必要も無い」と伝えています。

そして僕の価値観や考え方、『思考』が変わってからは、危険そうな反社会的な人たちはいつのまにか僕の前から姿を消していき、偶然出会うようなこともなくなりました。

実際のところ『精神性』や『神』や『愛』についてなどを重視するようになると、『力を求める人』にとってはつまらない存在だと思いますし、会話が全く噛み合わないと思います。
「天伴は変な宗教にハマって頭がおかしくなった」と言われることもありましたし、反社会的な人たちが離れていったのは当然かもしれません。

しかし僕から「消えて欲しい」とお願いしたわけではありません。
また、「今後は交流をやめます」と伝えたわけでもありません。

『力』よりも『精神』に興味が増えたため、独自で学んでいるうちに、いつのまにか僕の前から姿が消えていっただけです。
そして現在は「反社会的な友人は全くいない」という状態ですし、出会うこともありません。
むしろ昔の友人たちにしてみれば、「いつのまにか僕が姿を消していった」と感じているはずです。

さらに人間関係でのわかりやすい例を出しますが、他者に対して嫌がらせをしたり、他者に対して『攻撃的な人』がいるとします。

おそらく多くの人は「自分に被害が及ぶと困る」と感じて、攻撃的な人にはあまり近寄らないと思います。
つまり、『攻撃的な人』は自分自身で自分の行いに反省して、悔い改めない限り、身の回りから「自然と人が消えていく」わけです。

その反面、「攻撃な人の周囲には、自然と攻撃的な人が集まってくる」と思います。
争いが好きな人の周囲には争いが好きな人が自然と集まってくる状態と同じです。

また、人間社会には『他者の悪口ばかり言っているような人』も多いです。
他者の悪口に対して気分を害する人は、「悪口は気分が悪い」と感じてあまり近寄らないと思います。

しかし他者の悪口を好む人は「私も悪口の言い合いに参加したい」と感じて、自然と会話に混ざってくると思います。

つまり「類は友を呼ぶ」ことになりますが、「類ではなくなると自然と繋がりが消える」のだと思います。

このような展開はおそらく誰でも経験していると思いますし、自分自身の実体験から「人間関係ではよくあること」と理解していると思います。

そのため「自分自身の日頃の行いしだいで、身の回りから自然と人が消えていく」ということをすでに知っているはずですが、「実際に人が消えている」ということには、なぜか全く気づかないまま日常生活を送っている人が大半だと思います。
だからこそ「世界には特に大きな問題が起きているわけではない」と『錯覚』するのだと思います。

そして気づくべきことは『自分自身』が、『自分の世界』を常に創造し、常に『現象化(現実化)』させているということです。
人間関係を含めて、様々なことを自分自身が引き寄せています。

ちなみに僕がたとえ話としてよく使うのが『磁石』の話です。

磁石を持ったままで砂場を歩けば、自然と『砂鉄』が引き寄せられます。
そしてそれは自分自身が「磁石を手放すまで続く」ということです。

そもそも自分自身が「磁石を抱えている」ということに気づかないと、「なぜ私には砂鉄が勝手に集まってくるのだろう?」という疑問しか持たないはずです。

しかしその時に自分自身と向き合って「私が磁石を持っているから砂鉄が寄ってくる」という気づきがあれば、「私が抱えている磁石が原因であれば、私が磁石を手放せばいいだけ」という『答え』がわかります。

つまり人間は自分自身が『磁石のような状態』となっており、自分自身が変わらない限り『引き寄せるもの(人間関係・環境・状況・世界)』は変わりません。
また、自分自身が磁石のような状態ですから、常に自然と引き寄せ続けます。

『場所』は関係ありませんし、『霊能力』の有無も関係ありませんし、『運気』も関係ありません。

なぜならば『問題』は「自分自身の内側に常に存在する」わけですから、自分自身で『自分自身の内側』を改善しない限り、絶対に逃れることはできません。

だからこそ「地球上を必死に逃げたとしても、逃げ切ることはできない」ということです。

ですから自分自身の内側と向き合い、自分自身を少しでもクリアな状態にさせていくことが必要です。
そして理想的には自分の内側を、一点の曇りもないような『水晶』のような状態にさせることだと思います。

正直なところ僕自身はまだまだ未熟な状態ですが、今後は『水晶の時代』であり、「人間が水晶のような状態になること」が重要になってくると思います。


むしろ、水晶のようなクリアな状態に自分自身を変化させていかないと、自分自身の内側にある『曇りの部分』が様々な出来事を通して、自分自身に降りかかってくると思います。

ちなみに『日月神示』では「掃除せよ」と何度も警告しています。

実際に身の回りを掃除することはとてもよいことだと思います。
しかし大切なことは「自分自身の内面を掃除して、自分自身の状態を綺麗にすること」です。

また、「掃除出来た臣民から楽になる」と伝えられています。
これは『引き寄せ』の働きがあるからこそです。

自分自身の内面を綺麗にしておけばしておくほど楽になります。

しかし、自分自身の内側を綺麗にしておかなかった人は、自分自身の内側に抱えている『様々な問題』が噴出してきます。
そのため、自分自身の内側と向き合ってこなかった人は、溜め続けた問題が全て自分自身に降りかかってきますので、かなり悲惨な状態になるはずです。

僕は「神様を信仰した方がよい」とは基本的に伝えませんが、「神様はいつかその時が来ると警告してくれています」ということだけは少しでも多くの人に伝えておきたいです。
なぜならば「その時が来たらもはや手遅れ」だからです。

そもそも僕が『他者』を助けてあげられるわけではありませんし、むしろ助けてあげることもできません。

『本人』が自分自身の状態に合わせた状況や、出来事を引き寄せるだけなので、『本人』にしか救えないわけです。
だからこそ、「少しでも早く自分自身の内側と向き合う機会を増やすべき」だと思います。

【欲望が欲望を引き寄せる】

『波動の法則』や『波長の法則』のような『システム』がおそらく存在しています。
詳しい仕組みは人間には解明できないかもしれませんが、事実として「類は友を呼ぶ」というような現象が発生しているからです。

自分自身の放っている波動や波長が変われば、『元の性質』が変わってしまうため自然と引き合わなくなります。

そして、今度は新しく変化した波動や波長と『同じ性質の存在』が自然と引き合うようになります。

つまり『自分自身の状態』を変えることで、自分自身が引き寄せる存在が変化し、自分自身の『活動する環境』であり『世界』が変わるわけです。
ですから自分の人生を「向上させたい」や、「幸せになりたい」のであれば、自分自身を向上させるしかありません。

そして、もし自分の人生を「悪化させたい」や、「不幸になりたい」のあれば、自分自身の向上を止めて「自分を堕落させていけばいい」だけです。

大切なことは自分自身の『選択』です。

自分自身を向上させたい人は、「自分自身の向上の道を歩むべき」です。
しかし自分自身の向上に興味のない人は、特に何もしなくても大きな問題は発生しませんので「何となく生きていればよい」と思います。

ただし、忘れてはいけないことがあります。

自由意志が尊重されるだけであれば、『愛で統治された王国』の実現はいつまでもできないままになってしまいます。

実現のためには『愛』を大切にする人たちだけを『選別』しなくてはいけません。

「それではどのように選別するのか?」ですが、その仕組みとなっているのが『波動の法則』や『波長の法則』です。

つまり「類は友を呼び、類ではなくなると自然と繋がりが消える」という『引き寄せの法則』です。

そもそも『波動の法則』や『波長の法則』や『引き寄せの法則』に関しては正式名称は存在しません。
人間の誰かが「この世界には波動や波長などによって、引き寄せのような現象が起こる可能性がある」ということに気づき、それを『法則』として伝えているにすぎないからです。

ちなみに「引き寄せのような現象が起こる可能性がある」というのは、人間が完全に仕組みを『解明』できているのかは不明だからです。
そのため、もしかしたら人間がまだ全く気づいていない『別の性質』もあるかもしれません。

そもそも波動、波長、引き寄せなどは「人間が発明したシステムではない」ということです。
自然に働いている『何らかの力の存在』に、人間が少し気づいただけにすぎません。

たとえば地球上には『重力』が働いていますが、自然に働いている『何らかの力の存在』に対して、人間が勝手に『重力』と名付けただけにすぎません。

そもそも重力は人間が発明したシステムではありません。
ある時に「地球上には重力のようなものが働いている可能性がある」と気づいただけです。
そのため、地球上に『すでに在る』ものに対して、人間が「重力のような働きが存在する」と気づいただけにすぎません。

そして人間は重力の存在に気づきましたが、現代になっても「重力に関しては完全には解明できていない」ようです。
つまり「わかっている」と思いながら、「実はよくわかっていない」ことが人間社会には『知識』として数多く存在しているような状態です。

重力と同じように『引き寄せ』のような働きも、『在る』ことに気づいただけにすぎず、完全には解明できていません。
つまり、人間は引き寄せのような働きを「実はよくわかっていない」という状態なのに、『引き寄せの法則』などと伝えているだけにすぎません。

そして引き寄せの法則は、現在の人間社会で何に使われることが多いのかといえば『願望実現の方法』です。

特にスピリチュアル系ですが「自分の願いを叶えることができる」や「自分の欲しいものを手に入れることができる」などということで話題になりました。
また、現在も「引き寄せで夢を実現させましょう」などと、引き寄せの方法を教えている人も多いと思います。

ちなみに「願いを叶える」ということは素晴らしいことのように感じてしまいますが、実は『重大な危険性』を見落としている可能性があります。

『魂』からの思いや、『心』からの願いを叶えるのであればよいかもしれません。

しかし現在の人間社会で重視されているのは「自分が欲しいものを得る」という『欲望』を満たすための方法のようになっています。

その場合の引き寄せはどのようなことになるかといいますと、「欲望がさらに欲望を引き寄せているだけ」です。

スピリチュアル系の人は大きな勘違いをしていますが、欲望からの引き寄せは「欲望を引き寄せるだけ」にすぎません。

もしかしたら自分の『欲しい物』を入手できるかもしれませんが、欲しい物を得ることができた場合、「さらに自分の欲しい物を得ようする」のが人間かもしれません。
つまり『自分の欲望』がさらなる欲望を加速させるだけの状態です。

そして人間の欲望は限界がありませんので、最悪の場合は『破滅』します。

そのため『引き寄せの法則』が流行しましたが、願望実現などの使い道だけを信用すると、人間を破滅の道に向かわせる危険性が高いです。

そもそも「引き寄せのような働きの仕組みを実はよくわかっていない」という状態です。
つまり、『仕組みがよくわかっていないシステム』を、人間が勝手に「欲望のために利用しようとしているだけ」なのかもしれません。

たとえばお金を稼ぐための『商品』として『引き寄せの法則』を教えるスピリチュアル系の人がいるとします。

その場合「引き寄せの方法を教えることでお金を稼ぎたい」や「豊かになりたい」などの『欲望』からの活動だと思います。

おそらく本人にしてみれば「自分の願望実現を自由にできる人を少しでも増やしてあげたい」と思っての活動かもしれません。
そのため「私は素晴らしい方法を伝えることで人助けをしながら、自分も豊かになる」などと思っているのかもしれませんが、「本当に素晴らしい方法であれば無料で情報を伝えて、少しでも幸せな人を増やしてあげるべき」と僕は思います。


なぜならば「自然界に無料で存在するシステムを教えるだけなのに、なぜお金を搾取する必要があるのか?」という疑問があるからです。

そもそも引き寄せを教える側は、誰かが教えている内容の真似をして『似たような内容』を伝えているだけがほとんどだと思いますし、自分自身で生み出したシステムではありません。
多少のアレンジはしているかもしれませんが『盗用』の連続になっています。

「教えることで商売をするな」とは言いません。
また、現代の人間社会は様々な情報がすでに出尽くしていますので、「少なからず盗用のような状態になるのはもはや仕方ないこと」だと思います。

たとえば学校教師などは知識を教えることが仕事の職業ですし、様々なセミナーや講座なども『需要』があるからこそ成り立ちます。

ですから引き寄せを教えることでお金を得るのは決して駄目な行為ではありませんが、率直にいって「欲望からの活動」だと思います。

そして「引き寄せの方法を教えます」という宣伝で、集まってくる人たちは「自分の願望実現を自由にしたい」という『欲望』があるからこそだと思います。

つまり『欲望』から「引き寄せの方法を教えます」と伝えている人の周囲には、「自分の欲望を叶えたい」という『欲望』を持った人たちが自然と集まるだけです。

この段階で「欲望が欲望を引き寄せている」ということですが、さらに「引き寄せの方法を利用して、自分の欲しいものを強く願いましょう」と指導されるわけです。

そして、もし『欲しいもの』を得られた場合にどうなるのかといいますと、「引き寄せの方法をもっと利用して、私はもっと欲しいものを手に入れる」と『欲望』が加速していきます。

欲しいものを得ることで『欲望』を満たすことはできたかもしれませんが、欲望を満たせばさらなる欲望を望むのが人間です。

つまり「引き寄せで何をやっているのか?」となりますと、『欲しい物質』などを得ることは実は大きな問題ではなく、「欲望が欲望を引き寄せ続けているだけ」ということです。

その事実に全く気づかずに「引き寄せを利用して自分の願望実現をしましょう」と商売している人たちがスピリチュアル系には多いわけです。
そのため、あくまでも個人的な意見ですが「あなたたちのやっている商売は破滅のお手伝いにすぎない」と思います。

ただし、『引き寄せられる側』も欲望を持っているからこそだと思いますので、結局のところ「類は友を呼ぶ」だけだと思います。

僕は「現在のスピリチュアル業界は方向性が狂っているので注意した方が無難」と伝えることが多いです。

現在のスピリチュアル業界は『各種の能力開発』を含めて、『商売重視』の人が多いと感じます。
だからこそ『指導者側』も『クライアント様側』も、「欲望重視の活動になっていないだろうか?」ということに対して常に自分自身で向き合うべきだと思います。

冷静になって判断すれば『違和感』などに気づけると思いますが、欲望に引き寄せられる状態であれば「身を滅ぼすことになる」と思いますのでくれぐれもご注意ください。

ただし、「願望実現は危険」と伝えたいわけではありません。
『魂』からの思いや、『心』からの願いを叶えるのであれば素晴らしいことだと思います。

問題は「心からの願い」なのか、「欲望からの願い」なのかの判断です。
また、「そこに自分の情熱はあるのか?」と自分自身に問いかけてみるのも大切なことだと思います。

【世界の救済システム】

おそらくですが、誰でも人間関係の変化を少なからず感じていると思います。
また、新型コロナウイルスの影響でさらに変化が激しくなったと思います。

他者との交流が減らざるを得ない状態となったと思いますし、リモートワークも増えたと思います。
そのため、人間社会全体に「自分自身と向き合う時間が与えられた」かもしれません。

そして、自分自身と向き合うことで「自分の過去の嫌な記憶と向き合う機会が増えた」という人もいるのではないかと思います。

基本的に人間は「良いこと」よりも「嫌なこと」の方が記憶に残りやすいと思います。
なぜならば「記憶」する機会となるのは『感情』が動いた時だからです。

たとえば約2時間の映画作品を視聴した後で『感想』を聞いた場合、それぞれの人で、それぞれの感想があると思いますが、おそらく『記憶に残ったシーン』があるはずです。
映画の視聴中に「このシーンを頭の中に記憶しておこう!」などとは全く意識していないと思いますが、なぜか記憶に残っているはずです。

「それはなぜか?」ですが、おそらく『何らかの感情』が動いたからこそ、記憶に残ったのだと思います。

人間は「体験したものを全て記憶している」ようですが、意識レベルとしては、感情が動いたことほど記憶されやすいという『仕組み』があるようです。

ですから「嫌だった」「つらかった」「悲しかった」という激しい感情を経験した時ほど、「嫌でも記憶されてしまう」のだと思います。
理想的には「嬉しかった」「楽しかった」という記憶が多いことを願いたいものですが、人生は大変な出来事の方が多い気がします。

ひとつの考え方ですが『記憶』は消せませんが、『感情』は癒やすことができると思います。
ですから過去の記憶と向き合って、感情を癒やしたり、解消されなかった『思い』に気づき、解放してあげることで、自分自身に変化と成長が発生して、さらに前に進んでいけるのではないかと思います。

ちなみに『携挙』や『アセンション』などと呼ばれている現象の仕組みは、簡単に説明しますと『引き寄せ』だと思います。

現在は自分が抱えていることや、欲望や感情などが、自然と引き寄せられやすくなっています。

「昔も引き寄せはあった」と思いますが、昔に比べて現在は『現実化』のスピードが加速しているような状態です。
その流れによって世界には大きな変化が増えてくると思います。

「思ったことが現実になる」という単純なことですが、たとえば昔は10年間必要だったことが、現在は1年間で可能かもしれません。

それがさらに短縮していけば、「想像と創造が一瞬」になるわけです。
物理的に『一瞬』はないかもしれませんが、とにかく現実化は早くなってくるはずです。

スピリチュアル系では「引き寄せは願望実現の方法」のように伝えられていますが、根本的に『使用方法』が間違っています。
一見すると「願望実現をしている」ようですが、実は「欲望がさらなる欲望を引き寄せているだけ」です。
実際に実現化が早くなっているからこそ「もっともっと引き寄せましょう」という無知な人が増えていますが、欲望だけが加速していけば場合によっては『自滅』します。

ですから『自分自身』を変化させないと、「自分自身の状態に合わせて、良くも悪くも引き寄せが発生する」ことになりますし、この仕組みからは決して逃れることはできません。

だからこそ少しでも自分自身を『クリアな状態』に改善することが大切ですし、愛や思いやりを大切にするべきです。

ちなみに現代の人間社会は「自分さえよければいい」という人が増えていますし、愛や思いやりの重要性に気づいていない人が多いはずです。
しかしその状態を続ける限り、「引き寄せによって自分自身の状況に反映されます」ので、おそらく年々状況は悪化して、苦しみや悩みを自ら引き寄せ続けることになるはずです。

それが『大患難』であり、神が起こすのではなく、自分自身が『原因そのもの』になります。

だからこそ『自由意志』によって「自分の進む道を選択できる」わけですが、気づいた時には「おそらく手遅れ」だからこそ少しでも多くの人に伝えたいと思っています。

ちなみに宗教では「いつかその時が来る」と伝えられていますが、『意味』と『仕組み』を理解していない信者の人が大半だと思いますので、信仰者だとしても手遅れになる人が多いのではないかと思います。

むしろ宗教の熱心な信者ほど『教え』に妄信的になり「信仰していれば救われる」と疑うことなく信じていると思います。

そもそも僕が伝えていることが『正解』という保証はありませんし、信じる必要もありません。
しかし、独自で様々な考察をしているうちに「おそらくこのような流れになる」ということに気づいたため、ひとつの参考情報としてお伝えしています。

世界の救済システムに気づくと「神は正しい」と思います。

そもそも神は裁きを与えません。
栄える者は自然に栄え、滅ぶ者は自ら滅ぶという流れが『自然』と用意されるだけですから、完璧なシステムだと思います。

愛の元には愛が集まります。
欲望の元には欲望が集まります。

とても単純なことですが、現代の人間社会は愛から離れがちになっています。
だからこそ、気づいた人たちが世界に愛を取り戻すために少しでも活動するべきだと思います。

そして愛を大切にする人が増えれば増えるほど自分自身が救われることになります。
なぜならば世界が『愛の世界』に変化していくからです。

『【未完】言葉と祈りと愛について 15』につづきます。