『【未完】言葉と祈りと愛について 14』のつづきです。
補足情報として『救世』の記事も参考になればと思います。

【時間という概念の考察】

人間としての活動中は『時間』という制約があります。

肉体を持って活動する間は『様々な制約』がありますが、特に時間という制約からは基本的に逃れることができません。
なぜならば『現象世界(物質世界)』は時間の経過によって物事が変化していくからです。

ちなみに今後の世界は『イメージ(想念)』したことの現象化が加速していくと思います。
簡単に説明しますと「思いが現実化するまでの時間が短縮する」ということです。

たとえば「家を建てたい」と思った瞬間に、すでに目の前には家が建っているということが『瞬間的な現象化』です。

ただし、「思った瞬間にすぐに現実化する」という状態になりますと、世界のバランスが壊れてしまうので「瞬間で現象化するまでは至らない」と思います。


そのため『現象世界(物質世界)』で活動する限り、時間という概念からは逃れられないと思いますが、だからこそ人間は『繁栄』、『衰退』、『成長』、『生命』など様々な要素を学べる機会になっていると感じます。
そしてこの様々な要素も「愛の学び」に繋がります。

しかし時間という概念は不確かであり、「存在しているようで存在していない」ように感じます。

常識的に考えますと『過去』、『現在』、『未来』という流れになっていますが、おそらくですが過去、現在、未来は『同時』に存在しているような気がします。
残念ながら人間には事実の確かめようがありませんし、理解が困難な話だと思いますが、『パラレルワールド(並行世界)』のような状態になっていると思っています。

ちなみに『観測者となる存在』が存在するからこそ『現在の時点』という認識ができます。

しかし観測者となる存在がいなければ「この時点から観測します」という『観測する起点』が無い状態のため、『現在の時点』が存在しないわけです。

たとえば僕は予知的なことをしますが、「予知が確実に当たる」のかは別問題として、『現在の時点』を起点にして『未来の展開』を探ります。

この場合は僕が観測者となるわけですが、だからこそ必ず「現在の時点での予知」と伝えるようにしています。


そして『現在の時点』から未来を探ることが予知になりますが、「現時点で『ひとつの未来』が存在する」からこそ探ることができるのだと思います。

つまり、時間軸で考えますと『先の未来』ですが、現在の時点で「すでに在る」ということです。

ただし、おそらくですが『未来の状態』は無数に存在していると思われます。
だからこそパラレルワールドのように「無数の世界が同時に存在している可能性が高い」と感じています。

たとえば『Aパターンの未来』、『Bパターンの未来』、『Cパターンの未来』が同時に存在しているような状態です。

実際にたどり着くのは『ひとつの未来』だと思いますが、そこにたどり着くまでに無数の『分岐』が存在するからこそ、『確定された未来』というのは『結果』にたどりつくまではわからないと思います。
そして時間は戻せませんので、時間の経過と共に未来に向かって進むしかないのが人間の生涯だと思います。
また、寿命という『タイムリミット』があるからこそ、常に真剣に『選択』しながら人生を歩み、命の大切さも学ぶのではないかと思います。
その全てを一言で要約しますと「人間の生涯は全て愛の学び」だと思います。

ちなみに世の中には様々な予知能力者が存在します。
しかし「予知の的中率が凄い」という有名な予知能力者でも、たまに予知がはずれるのは「確定された未来は存在しない」からこそではないかと思います。

ただし、「このような未来になる可能性が非常に高い」という『確率の高い未来』は存在すると思います。
そのため的中率が高い予知能力者は『実現化の可能性の高い未来の情報』に繋がれるような気がします。

余談ですが『根本的な問題』として自分自身が放つ『波動』『波長』などがあります。
つまり『予知能力者自身の状態』も、予知をする際に大きく影響します。

なぜならば自分自身の状態と『同じ世界』にしか繋がれませんので、予知能力者自身が悪化した状態だと、「悪化した未来の世界にしか繋がれない」かもしれないからです。

この問題は予知能力者に限らず、『チャネリング』などをされる人も同じですが、能力者自身の状態が変化すれば『繋がる存在』も変化します。
そのため『昨日繋がっていた存在』は、能力者自身の状態によっては『今日は全く別の存在』の可能性があるわけです。

たとえば『天照大御神(アマテラスオオミカミ)』様とチャネリング(交信)ができるという能力者がいるとします。
実際に天照大御神様と交信ができているのかは『別問題』ですが、『昨日の天照大御神』様と『今日の天照大御神』様は別の存在の可能性があります。

なぜならばチャネリングをする『本人の状態』が影響しますので、チャネリングで繋がる存在も変化するからです。

しかしチャネリングをしている本人は「私は天照大御神様と交信している」と信じていますので、いつのまにか『全く別の存在』になっていても気づかないわけです。
この問題は能力者の『盲点』だと思いますし、そもそも危険性を全く知らない人も多いと思います。

ですからチャネリングなどによって『霊からの言葉』を伝えている人は、自分自身の状態を常に高めておく必要があると思いますし、『個人』で活動している人は特に要注意するべきだと思います。

なぜならば「あなたは状態が悪くなっています」と親切に教えてくれる人は「基本的にいない」からです。

また、信者などを抱えている人は『先導役』になります。
もし『怪しい霊的な存在』と繋がった場合、自分の信者の皆様を危険な方向に道連れにする危険性もありますので、くれぐれもご注意ください。

ちなみに「僕自身は大丈夫」という保証は全くありません。
しかし僕の活動の場合、パートナーの涼華さんが常に厳しくチェックしてくれています。

たとえば僕自身は「いつもと同じ自分」と思っていたとしても、涼華さんから「今日は放っている状態が悪くなっているから浄化して」と突然伝えられます。


「状態が悪い」と指摘される僕としては、あまり気分が良いことではありません。
しかし涼華さんの厳しいチェックのおかげで、自分自身では気づけないような状態の変化を改善させていただいています。

スピリチュアル系で活動されている人の多くは、基本的に『個人活動(ソロでの活動)』だと思います。
個人は自由に動けることが利点ですが、その反面、自分自身では気づかないうちに状態が悪化している場合がありますのでご注意ください。
チャネリングなどをされている人は特に要注意するべきだと思います。

【過去の記憶を癒やす】

過去には戻れません。

しかし『過去の記憶』や『過去の自分自身』に関しては、『現在の自分』が癒やすことができるのではないかと思います。


完全に記憶を消去することはできませんが、問題は『記憶』ではなく、体験した出来事によって作られた『感情』の改善です。

人間の性質として、「感情と記憶は密接な関係がある」ようです。
完全には仕組みを解明できませんが、「感情が動いた時に記憶する」というような状態だと思います。

たとえば人生を振り返ると『様々な思い出』があると思いますが、『楽しい思い出』よりも、「どちらかといえば嫌な思い出の方が多い」という人が多いのではないかと思います。

楽しい思い出が多い方が理想的だと思いますが、記憶の仕組みから考えますと、嫌な思い出が多いのはむしろ仕方ないことかもしれません。

なぜならば感情が動いた際に記憶されるわけですから「嫌だ」、「悲しい」、「つらい」、「苦しい」、「怖い」などの感情を感じた瞬間に「勝手に記憶されてしまう」わけです。

おそらく誰でも「嫌なことは記憶したくない」と思うはずです。
しかし、なぜか『強烈な記憶』として覚えているはずです。

たとえば勉強などをする場合、「私は急いで覚えないといけない」と必死に学んでも、なかなか記憶できないことの方が多いと思います。
子供の頃に学校の試験勉強などで苦労した経験は誰でも少なからずあるはずです。

皮肉なことですが「必死に記憶しよう」と思ってもなかなか記憶ができないのに、「私は記憶したくない」と思うようなことをむしろ勝手に記憶してしまうのが人間の持っている性質、もしくは『機能』だと思います。

それは「自分の感情が強く動いたからこそ」だと思います。

極端なたとえになりますが『ホラー映画』というジャンルがあります。

ホラー映画は視聴者に恐怖を感じさせることを目的としています。
そのため「怖い」という感情を抱きやすい内容になっていますが、だからこそ「恐怖シーンは記憶に残りやすい」はずです。
おそらく視聴後の感想が「怖かった」という人は、嫌でも恐怖シーンを記憶しているはずです。

「怖い」と感じた瞬間に、勝手に記憶してしまうからです。

これはホラー映画だけなく、お笑いに関してもですが「面白い」と感じた瞬間に、その場面を勝手に記憶していると思います。

この方法を人間関係に上手く利用しますと『印象に残る相手』というのは良くも悪くも『何らかの感情』を感じさせる人だと思います。

ちなみに体験した出来事は記憶から消すことはできません。
ですから「記憶から消したい」と思っても基本的には無理だと思います。

その場合にやれることがあるとすれば「記憶を消す」ではなく、体験した出来事で動いた『自分の感情』に注目することだと思います。

そして「当時の私はあの出来事によってこのような感情を感じていたのか」とまず自分自身で気づき、自分自身で認めてあげて、自分自身で受け入れてあげるとよいと思います。
『現在の自分』が過去の感情に気づき、受け入れてあげることで『当時の自分』が感じた感情を癒やしてあげることができるはずです。

ただし完全には感情を癒やせないかもしれません。
しかし、感情を癒やしてあげることを大切にすることで『過去の記憶』も和らぐのではないかと思います。
たとえば「あまり過去の傷を思い出さなくなってくる」などの変化があるかもしれません。

つまり感情が記憶の『原因』だとすれば、『原因の感情』を癒やせば記憶も癒やされることとなり、「徐々に思い出すことも減っていく」のではないかと思います。

ヒーリングをする人の中には、『過去の自分自身』に向けてヒーリングをされる場合があるかもしれません。
実際に効果はあるのかもしれませんし、過去も現在も未来も繋がっているとすれば、影響はあると思います。

しかしヒーリングをしても『感情』の問題は簡単に消えないと思います。

ちなみに僕自身もヒーリングは使用しますが、「ヒーリングで様々な問題を解決することは無理」だと思っています。
なぜならばヒーリングはあくまでも『補助』にすぎないからです。

もしヒーリングで簡単に様々な問題が解決できるのであれば、お金持ちは『お金の力』を使用して強力なヒーリングを何度もすれば「もはや自分では何もする必要が無い」ということになってしまいます。

しかし人間はそれぞれの人に『様々な課題』があるからこそ、自分自身で学びと『気づき』を増やすことで成長できると思います。
ですから『ヒーリングという技』に頼るよりも、『自分自身』で自分の内面に抱えている問題と向き合い、自分で癒やしてあげることが一番の方法ではないかと思います。

余談ですが、人間は『全て』を記憶しているようです。

たとえば買い物中の店内に『芸能人のポスター』が貼ってあったとします。
芸能人に興味が無い人は、ポスターをしっかりと眺めないと思いますし、ポスターの横を素通りすると思います。
また、「ポスターを記憶しよう」などとは思わないでしょうし、むしろポスターの存在に全く気づかないかもしれません。

つまり本人としては「店内のポスターは全く覚えていない」という状態ですが、無意識のレベルではポスターの存在を記憶しているようです。

おそらくですが、人間は生涯を通じて体験した出来事や、目にした景色や人物などの情報を「全て記憶している」と思われます。

「生涯の全てを記憶している」とすれば、パソコンなどの『ハードディスク(補助記憶装置)』ではすぐに記憶容量の限界を超えてしまいます。
そのため人間は一体どこに『全ての情報』を記憶しているのか謎です。

常識的には「脳内に記憶している」だと思いますが、もしかしたら脳とは『別の場所』に記憶しているのかもしれません。

【悟りやノンデュアリティの危険性】

スピリチュアル系などでは「いまここ」の大切さを伝える人も多いです。
特に『悟り』や『ノンデュアリティ(非二元)』を好む人は「いまここに全てある」などと伝えることが多いと感じます。

おそらくですが「現在(いま)という瞬間にこそ、永遠が存在する」ということを伝えているのだと思います。

ただし、その人それぞれで『価値観』や『視点』の違いがあると思いますので、もしかしたら『全く違う意味』として信じている人もいるかもしれません。

また、「人間は『意識』の存在でしかない」と伝えている場合が多いと思います。


特にノンデュアリティを好む人は、『意識』は何もするべきことがないし、何かを得る必要もない絶対安全な場所にいるため、「全ては自分が創り出した幻想であると知った上で楽しめばいい」というようなことを伝えています。

簡単に説明しますと、自分自身を「意識の存在でしかない」と気づいたら、全ては幻想の世界なので「後の人生は自分が好きなように楽しめばいい」という状態です。

深く考察することができれば「一理ある」と思います。
また、『脱力』であり、リラックスの大切さを伝えているのであれば理解できます。

ちなみに僕も似たようなことを伝えていますが、「似て非なるもの」です。
僕が伝えていることは「人間は常に学びや成長を目指すべきであり、自分自身と向き合うことが大切」という内容です。

人生を楽しむことも素晴らしいことです。
しかし人生を楽しみながらも、常に学びや成長の意欲だけは必ず持っておくべきだと思います。

なぜならば、もし学びや成長の意欲を失うのであれば、『悟り』や『ノンデュアリティ(非二元)』は自分自身にとって悪影響をもたらすだけになるからです。

実は僕自身、約16年ほど前に「悟りにたどりついた」と感じた瞬間があり、しばらくの期間は気持ちが浮かれていました。
なぜかといいますと「仏教上の悟りが人生のゴールのように感じていた」からです。

そしてノンデュアリティの人が伝えているように「残りの人生は自分の好きなように楽しむだけでいい」と思うようになっていました。

しかし、しばらくしてから「全くゴールではなかった」ということに気づいたおかげで、現在に至ります。

また、僕が幸運だったのは気持ちが浮かれながらも「ここで終わりではなく、この先にたどり着くべき場所がある気がする」という不思議な感覚があり、探究心だけは消えませんでした。

ただし、『この先』にあるのは「何か?」という情報が全くないわけです。

残念ながら誰かに尋ねて教えてもらえるような内容ではありません。
また、仏教の信者の人に「悟りの向こう側には何がありますか?」と質問しても、誰も答えられないと思います。

そして当時の僕が唯一見つけた情報が『大悟』という究極的な悟りの存在でした。

「大悟に至れば世界を変えることができる。ただし、いまだかつて人類にはいない」という内容だったと思います。

そもそも大悟の話が事実なのかは一切不明です。
さらに「いまだかつて人類にはいない」わけですから、「大悟に関しては誰も内容を知らず、誰も内容を答えられない」わけですから、とても困った問題です。

現時点でも「どのような状態になれば大悟に至るのか」は一切不明ですが、当時の僕は「とりあえずまだ先がありそう」と感じましたし、探究心の目標になったと思います。

もしかしたら大悟とは「全ては愛、愛は全て」に関係するのかもしれません。
なぜならば全ての根源は『愛』ですから、究極的な『本質』は「愛そのもの」であり、愛と『一体』となることで、「世界は愛でひとつになる」からです。

ちなみに実際の経験上からわかるのですが、悟りやノンデュアリティに関しては「愛を知らなくても可能」です。

そもそも「後の人生は自分が好きなように楽しめばいい」というのは、「自分一人だけでこの世界を楽しめばいい」という考え方です。

どのように生きるのかは自由ですし、自分自身の選択です。
しかしせっかくの人生ですから愛を大切にして、自分の存在を活かすべきだと思います。

正直なところ昔の僕は「愛など不要」と思っていました。
また、「悟りが人生のゴール」と思っていましたが、根本的な問題として当時の僕は「愛が欠けていた」わけです。

そして何かを探究するたびに必ず『愛』という言葉が登場していました。
愛という言葉が登場するたびに「また愛なのか?愛など求めていないのに」と苦悩していました。

全ての分野に通じますが、『何か』を探究すればするほど必ず『本質』に近づいていきます。
本質の『根源』には愛の存在がありますので、必ず愛にたどりつくわけです。

つまり「愛からは逃れられない」ということです。

自分の意志で愛を遠ざけることはできますが、むしろ「素直に受け入れるべき」だと思います。

昔の僕は「愛が本質」ということに気づきませんでしたが、様々なことを経験して「世界を救えるのは愛しかない」と気づきました。

むしろ探していた答えは、苦悩しながら遠ざけていた『愛』だったわけです。
だからこそ現在は愛について伝えています。

話を戻します。

ちなみに「いまここ」を重視した場合、「未来のことなどを無駄に考える必要は無い」ということになるわけですが、プラスの面では「余計な不安を抱えない」や「不安を手放す」ことに繋がります。

なぜかといいますと『いま(現在)』という『瞬間』に不安を抱える必要はなく、あえて不安を持ち続ける必要はありません。
だからこそ「不安を手放せる」というわけです。

たとえば「いま(現在)という瞬間に、不安は必要ですか?」と問われると、「いま(現在)という瞬間であれば、不安は必要ない」ということに気づけると思います。
その時に「それでは不安を抱える必要はないですね。すぐに手放しましょう」という教えられると、思わず「確かにそうだ!」と納得してしまうかもしれません。

さらに「あなたは完璧なのでもはや何もする必要がありません。ですから現在(いま)を楽しみましょう」と伝える指導者が多いと感じます。

ちなみに『現在(いま)』は完璧な状態だと思います。

しかし「進歩や成長をする必要がもはや無くなった」というわけでありません。
常に進歩や成長をしながら歩むからこそ『現在(いま)』が完璧な状態になるわけです。

『言葉の真意』を理解できる人であれば、「伝えようとしてる真意を理解できる」と思います。
しかし『言葉の真意』を理解できない人には「あえて何もする必要はないのであれば、人生は自分の自由に過ごせばいいだけ」という状態になり、自分自身の『進歩』や『成長』を止める可能性があるわけです。

冷静に考えるとわかりますが、『いま(現在)という瞬間』だけを重視するようになると、「もはや深く考える必要がなくなる」からです。

良い意味では「気楽に生きられるようになる」と思います。
悪い意味では「自分で深く考えることを放棄するようになる」ため、『思考停止』の状態です。

極端な話、あえて『肉体を持った人間』として活動する意味がなくなりますので、ある意味『危険な思想』だと思います。
ですから「いまここ」を大切にするのであれば「現在(いま)という瞬間に自分自身が全身全霊で向かい合っている」ことが大前提だと思います。

そして『悟り』や『ノンデュアリティ(非二元)』を好む人の最大の問題点は、「あらゆるものは独立して存在することはできない」ということを見失っていることかもしれません。

「世界には自分ひとりしか存在しない」のであれば問題ありません。
自分だけの人生を楽しめばいいだけからです。

しかし現実問題として「肉体の死が訪れるまでは人間として人間社会で活動する」わけですから、自分自身が『肉体を持った人間』であることを放棄していけないと思います。
また、せっかく肉体を持った人間として活動できるわけですから、少しでも『自分の存在を活かす方法』を考え、自分自身を活かすべきだと思います。

ちなみに『悟り』や『ノンデュアリティ(非二元)』に興味がない人には理解できない内容かもしれませんが、『悟り』や『ノンデュアリティ(非二元)』の人の落とし穴は「私は世界とひとつなので、もはや私は存在しない」という結論に至ることかもしれません。


『ワンネス体験』なども含まれると思いますが、「全てはひとつ」ということに気づいた瞬間を『ゴール地点』と勘違いして、「私はすでにゴールした」と『有頂天』のままになる人が多いです。

気づいたことは素晴らしいことだと思います。
しかし有頂天の状態を「私はすでに完璧」と勘違いしてしまい、自分自身と向き合うことを止めて、進歩も、成長も放棄して「私は全て知っている」などの『天狗』になる人がとても多く感じます。


そして「私は全て知っている」という状態ですから、他者からの意見に全く耳を傾けなり、もはや誰にも止められない状態になるわけです。
「特にスピリチュアル系では、似たような状態になる人が多い」と思いますので、注意するべきだと思います。

そもそも「人間は生涯をかけて学び続けることが大切」だと思います。
ですから『寿命』が残っている状態で「私はゴールしたから何もする必要が無い」と気を抜くのは、ただの怠慢だと思います。

ちなみに『悟り』について興味があれば『救世について 1』『救世について 2』が参考になるかもしれません。

『【未完】言葉と祈りと愛について 16』につづきます。