『【未完】言葉と祈りと愛について 12』のつづきです。
補足情報として『救世』の記事も参考になればと思います。
 

【自国での内部争いは増加する】

国同士の戦争は「よほどのことがないと発生しない」と思いますが、各国で『内部での争い』は増えると思います。

『国民主権』では国民が与えられている『個人の権利』によって、自由に主張することを許されています。
そのため国民の不満や怒りは、国民を管理している『政府』に自然と向かうことになります。

なぜならば不満を溜めた国民は「国民を管理している立場であれば何とかしろ」という状態で『個人の主張』が強くなっていくからです。

つまり『怒りの矛先』は必然的に政府に向けられることとなり、『政府』対『国民』という状態で内部での争いが激化していくと思います。

この流れになることも「おそらく予定通り」であり、支配者層たちに仕組まれた計画の一部にすぎないはずです。

 

僕が思うに「政治家の存在は政治をすることが役目」ではなく、「あくまでも怒られ役の壁にすぎない」と感じます。

 

そもそも現代社会の政府の在り方は、国民の意見を「全て受け止める」のではなく、基本的には国民の意見を「無視」もしくは「跳ね返す」ような状態です。

国民にしてみれば『壁』のような状態であり、自分たちの意見が無視されるたびに、政府への『反発心』がさらに増幅する可能性があります。

 

また、国民の意見は無視されるのに「政府には従ってください」であれば、納得できない国民が増えるのは当然の流れだと思います。

ちなみに日本国内に関しては、『日本国憲法』によって「個人の自由を許可」しています。
『法律』を守らないと裁かれますが、「政府の指示に従いましょう」というのは、あくまでも『個人の任意』でしかありません。

僕はかなり昔から「日本国憲法が日本を破壊する」と伝えていますが、「馬鹿な話」と思われたり、全く理解されないことが多いです。

おそらく『現実的な危険性』を想像できないからこそ、「なぜ日本国憲法が国を破壊するのか?」という『意味』が理解できないのかもしれません。

しかし『意味』が理解できるような『出来事』が実際に増えてきたと思います。

たとえば新型コロナウイルスが流行したことにより、『緊急事態宣言』や『まん延防止措置』が数回発令されました。
本来であればありえないような『異常事態』です。

店舗の営業などで命令違反をした場合に関しては『罰則』が科せられることになりましたが、あくまでも店舗などに関しての罰則にすぎません。
また、基本的には『自粛要請』にすぎないため、「国民の皆さんは守ってください」というような『任意』の状態だったと思います。

日本人は真面目な人が多いです。
そのため「他の人に迷惑をかけたくない」や「いまの時期は仕方なく我慢する」という状態であえて自粛するようになり、大人しく『政府の指示』に従う人が多かったと思います。

しかし緊急事態宣言の回数が増えるたびに、「政府の指示に素直に従っていても、ひたすら耐えさせられるだけで特に助けてもらえるわけではない」という状態となり、徐々に自粛を守らなくなった人も増えたはずです。

そして国民も「実は政府の指示に大人しく従う必要はないのでは?」という『事実』を理解したと思います。

『店舗などの営業』に関しては罰則がありましたが、前提として「違反が見つかれば罰せられる」だけです。
そのため「見つからなければ問題ない」という状態で、様々な方法で違反を回避するための『賢い努力』をしていた人も多いと思います。

たとえば店舗であれば『闇営業』や、アルコール類のメニューは停止しながらも、「場所を提供するだけなのでお酒の持ち込みは可能」などがあったと思います。
また、「店内の飲酒が駄目であれば路上の飲酒であれば問題ない」という状態で、路上飲みも増えたと思います。

本来であれば新型コロナウイルスの感染を減らすための対策ですが、『違反の回避方法』を考えることの方がよほど重要に感じる人も多かったのかもしれません。

そもそも『個人』の活動に関してはあくまでも『任意』での『自粛要請』にすぎません。

『任意』というのは「従う」か「従わない」の二択です。

国民の大半が「任意の自粛であれば私は従いません」と選択した場合、日本政府は終わりです。

「人としてモラルは守りましょう」という問題を抜きにしますと、『任意』であれば「そもそも政府の要請を守る必要性はない」からです。

つまり「指示に従える人は大人しく指示に従ってください」にすぎず、指示に従わない人には「何も強制できない」のが現在の日本の状態です。

ちなみに現代社会は『モラル』よりも、『成果』などの人間社会での実績の方が重要視されがちです。
そして人間社会が『合理的』になればなるほど、モラルというのは守るべき『価値』を失っていきます。

日本国内に関しては、日本人の精神性もあり、大人しく指示に従わない人は現在のところ『少数』かもしれません。


しかし『死活問題』に関わるような出来事などであれば、基本的に大人しい国民も『大多数』で暴れ始める可能性があります。

そして指示に従わない国民の数が増えたとしても、日本政府は「国民の皆さんは大人しく指示に従ってください」と『自粛』を伝えることしかできません。

それはどういうことかといいますと、国民を『強制的』にまとめる力を日本政府は「持っていない」ということです。

可能なことは『自粛』を任意で要請する程度にすぎず、もし国民が自粛してもらえない場合、再度『自粛』を要請する程度しかできません。
そもそも「自粛してください」と何度伝えても、『任意』ですから無視することも自由です。

今後新しい『法律』などは増えるかもしれませんし、『強制的な義務』なども増えるかもしれません。

しかし現時点では『犯罪行為』をしないかぎり、国民の動きを止めることは日本政府には基本的にできないわけです。

この状態を許しているのが『日本国憲法』です。


なぜならば「日本政府が許している」のではなく「国が国民の自由を法律で許している」わけですから、『日本国憲法』を根本的に改正しない限り、政府には手に負えません。

『緊急事態宣言』や『まん延防止措置』の繰り返しによって、自粛要請の回数が増えるたびに全く気にせず活動するようになった国民も多いと思いますが、「日本が内部から崩壊しているからこそ」だと思います。

たとえば「日本政府は無能」と思う人が増えれば増えるほど、日本政府の『威厳』は失われます。

そして国民は『個人の自由という権力』を武器にして、政府に対して『不信感』や『反感』の感情が増し続け、『反逆』するようになっていくはずです。

だからこそ『政治家』は国民の不満や怒りを受け止める『壁の役割』でしかありません。

そして根本的な問題の「国民主権だからこそ国は絶対にまとまらない」という仕組みがある限り、政府は『政治ごっこ』によって『その場しのぎ』の解決を繰り返すだけにすぎず、結局は「何も解決しない」という状態だけが続きます。

ちなみに日本国内では『国民の暴動』のようなことは基本的にありません。
せいぜい『デモ活動』を行う程度だと思います。

しかし海外の場合は『国民の暴動』のようなことが実際に増えていると思います。
海外の場合は『デモ活動の規模』も凄いですが、デモ活動だけでなく『武力の衝突』にまで発展することがあります。

そして「何に対しての暴動」なのかといえば、国の『上層部(政府)』や、『上層部の方針(政策)』についてだと思います。

たとえば「国が決めた方針を国民全員に強制します」となれば、『強制』を拒否する国民が必ず登場します。
むしろ「国民の自由という権利を奪うのは許せない」と反発の意見が増えるのは『当然』の流れだと思います。

その結果何が起こるのかといいますと『内乱』です。
つまり国民が『自国』に対して牙を向けるようになるわけです。

ちなみに『人間の性質』だと思いますが「自分一人では動けない」という人が大半だと思います。

そのため「私には言いたいことがある」などの不満や怒りがあっても、「一人で騒いでもどうしようもない」という状態で、ひたすら『我慢』するだけかもしれません。
ただし、あくまでも我慢するだけですから、不満や怒りが溜まる一方になるはずです。

その状態の時に『同じ思いを持つ人』が見つかれば、「私と同じ思いを持つ仲間がいた」と喜ぶと思います。
そして『人数』が多数になればなるほど、「みんなで集まれば心強い」と感じるようになるはずです。

そのタイミングで『リーダー』となる『発起人』が登場し、「みんなで力を合わせて活動しましょう」となれば一致団結して動きだします。

集団心理というのは「みんなが信じているのであれば間違いない」と思うようになり、『冷静な判断力』を失う可能性があります。
そして我慢していた不満や怒りを『発散する機会』を求めている人たちは「みんなで騒げば怖くない」という状態となり、過激な活動になっていくかもしれません。

問題は発起人に『方向性』を操られているかもしれないという可能性です。

ですからもし団結して活動する場合は、発起人の『真意』と『裏の存在』を必ず探るべきです。
むしろ「まずは疑った方が無難」だと思います。

なぜならば『発起人』は内乱の起爆剤のために、『仕掛け人』としてわざと用意されているという可能性もあるからです。

大衆心理というのは「周囲の流れに従うことが正解の答え」と信じてしまいがちです。
そのため騒ぎを起こすことが『目的』であれば、『大衆』に対して騒ぎを起こす『きっかけ』さえ与えれば、「計画的に大きな騒ぎを起こすことは可能」です。

現在はあまり実感ができないかもしれませんが、今後は世界各地で『政府』対『国民』などの内部争いが増えてくると思います。

ちなみに新型コロナウイルス対策の『ワクチンパスポート(接種証明書)』を強制的に義務化しようとしている国では、ワクチン反対派が猛反発しています。
「自由の権利を奪われないためには戦うしかない」という状態で、抗議デモや暴動などによる内乱がすでに増えているようです。

日本国内に関しては国民が大人しくしている限り、大きな出来事はないかもしれません。
しかし国民の『不満』は常に溜まり続けているはずです。

そして性質的に大人しい国民だとしても、自分自身の『日常生活』に関わることについては『豹変する人』が多いと思います。

なぜならば「あくまでも他人事の話」では済まなくなるからです。

個人であれば『恋愛の問題』、『家族の問題』、『仕事の問題』などの問題が気になるかもしれませんが、人間社会全体として考えますと日常生活に影響を及ぼす問題は『お金(物質)の問題』、『食糧の問題』、『健康の問題』のどれかだと思います。
つまり『自分の人生』と『自分の命』に影響を及ぼす問題です。

『お金の問題』、『食糧の問題』、『健康の問題』は、いつ何が起こってもおかしくない状態です。

なぜならば支配者層たちが、いつでもコントロールできる状態になっているからです。

たとえば『お金の問題』に関しては『通貨価値』や『基準』が変われば、人間社会は一瞬で大パニックです。
よほどのことがない限り無いとは思いますが『ハイパーインフレ(ハイパーインフレーション)』が発生すれば、物価が過度に上昇し、通貨の価値が暴落するため、お金は『紙切れ』のような状態になります。

また、一番現実的な話としては「税金を少し上げる」だけで国民は大騒ぎです。

そして『食糧の問題』は、今後少しずつかもしれませんが騒がれはじめると思います。
「食糧が手に入りにくい」という事態になれば生活を含め、命に関わるので大パニックになるはずです。

すでに一部の食材は『価格の高騰』などが起こり始めていますが、「供給が無くなりそうです」という『情報』だけで国民は混乱します。

たとえば食糧ではありませんが、新型コロナウイルスが流行してからは『トイレットペーパー』が店頭から突然姿を消す出来事がありました。

「トイレットペーパーの製造元が中国のため、トイレットペーパーが品薄になる」というインターネット上での投稿が原因だったようです。

しかし実際はトイレットペーパーの生産は『日本国内』が大半であり、製品在庫も大量にあるため「ただのデマだった」ということが発覚しました。


そしてデマ情報の流布を止めるために日本国内の製造業者から「製品在庫は大量にあるので問題ありません」という情報がすぐに流されたわけですが、しばらくの間はトイレットペーパーの購入がかなり困難な状態でした。
噂が噂を呼び、「早く入手しないと入手できなくなる」と信じた人が増えたからこそですが、『事実』として店頭からトイレットペーパーの姿が一瞬で消えたわけです。

現代の人間社会は『小さな情報ひとつ』で、「一瞬で大混乱が発生する」ということを実体験するような出来事だったと思います。
また、たとえ『デマ』だとしても信憑性があればみんな信じてしまうわけですが、厄介なことに完全に『安心』できるようになるまで『余波』によって混乱が続きます。

つまり『事実』とは違う内容だとしても『信憑性のある情報』だけで人間社会をコントロールすることが可能な状態が現代社会であり、むしろ『事実』は大きな問題では無く『情報』によって事実を改ざんすることが可能です。
さらに「あきらかに事実とは違う」と判明したとしても『余波』が続く限り、たとえ『嘘の情報』だとしても『本当の出来事』にできるわけです。

そのように考えますとマスメディアを操ることができれば、いつでも混乱の状況を作り出すことが可能になっています。

たとえば「近いうちに食糧の供給がストップするそうです」という情報が流れた瞬間に販売店舗には一斉に人が押し寄せ、店頭から商品が消えると思います。
その場合、『嘘の情報』か『本当の情報』なのかは問題では無く、「情報の真偽を確かめるより、入手する方が最優先になる」はずです。
 

また、商品を補充しても「早く買わないと売りきれる」と信じる人が消えるまでは『品切れのループ』がしばらく続くこととなり、安定した状態に戻るまで『かなりの時間』が必要です。

そして店頭から商品が消える状況は、「店頭の商品数が再び溢れるようになるまでしばらく続く」はずです。
 

そもそものきっかけは「ストップするそうです」という『情報』だけですが、情報操作で混乱を作ることが簡単になっていることが、インターネットの普及などにより『情報社会』となった人間社会の『弱点』だと思います。

つまり現代社会は『小さな火種(情報)』によって、いつでも大きな火事を起こすことが可能であり、炎上すれば「ただのボヤ(小火)騒ぎでした」とどれだけ伝えても、もはや鎮火が追いつかなくなるわけです。
もしそれが『日常生活』や『命』に関わる内容であれば、必死になる人たちによって『暴動』まで発展する可能性があります。

ちなみに個人的に気になっているのは『健康の問題』です。


世界中で新型コロナウイルスのワクチンの接種活動が行われています。
情報が嘘でなければ『日本国内』は約1億人がすでに接種済みのようです。
そして世界規模だと『数十億人』が接種済みです。

何も問題が発覚しないまま数十年間が経過すれば大丈夫だと思います。
しかし、もし何か問題が発覚した瞬間に『大爆発する爆弾』を全世界の人間社会に仕掛けられているような状態です。

なぜならば、ワクチンに『重大な問題』が発覚した場合、接種済みの人たちは「政府は責任をとれ」と世界中で暴れ出すことは間違いないからです。

数年後にどのような結果になるのか一切わからないことが前提のワクチンですし、接種は『自己責任』ですが、接種者は『健康問題』や『命の問題』に直結します。
そのため、何か問題が発覚した場合、どのように政府から説明されたとしても「はい、わかりました」と大人しく納得する人はいないと思います。

また、たとえ自己責任だったとしても「政府に騙されて接種させられた」と思う人が大半だと思いますので、大人しく黙っているわけがありません。

ちなみに何か問題が発覚したとしても、『製薬会社』と『政府』はおそらく隠し続けると思います。
なぜならば責任を問われても、「もはや責任を負えるような規模ではない」からです。

しかし支配者層たちが「むしろわざと問題を暴露する」という手段を選択した場合、日本国内だけでなく「世界中で暴動が発生する」と思います。
もし数十億人が暴れ出したら世界は一瞬で滅茶苦茶な状態です。

おそらく実際に問題が暴露されることは「よほどのことがない限りありえない」とは思いますが、数十億人に一瞬で影響を与える可能性がある『爆弾となる問題』を人間社会はすでに仕掛けられているのも事実だと思います。

とりあえず様々な『問題』が懸念されますが、いつ突然発生してもおかしくない状態です。
むしろ「いつでもコントロールできるように用意されている」のかもしれません。

そして『きっかけ』さえあれば、不満を溜めている国民は『数の力』で政府に対して牙を向けると思います。
だからこそ暴動を含め、『内乱』などの内部争いは今後増える一方ではないかと思います。

ちなみに「支配者層や戦争の問題は個人にはどうにでもできない問題では?」と思うかもしれません。

『昔』であれば「個人には何もできなかった」と思います。
そして現在も「個人には基本的に何もできない」と思いますが、むしろ何もする必要がありません。

やることがあるとすれば、自分自身の『内面』と向き合い、くれぐれも「愛から離れない」ことです。
また、周囲の流れに流されず『自分軸』をしっかり守ることだと思います。
自分軸を失うと、周囲に振り回される一方となり、冷静な判断力を失っていく危険性があるからです。

『昔』と『現在』は、目に見えない部分で世界に『変化』が起こっています。

ですから人間社会の流れを計画的にコントロールしていた支配者層たちにしてみれば、「計画の予定がなぜか狂い始める」などの『異変』を感じていると思います。
また、いままでは絶対に揺るがない立場として『人間社会の頂点』に君臨し続けることができたかもしれませんが、立場が少しずつ『逆転』することになっていくはずです。

ちなみに「現在は世界中で天使軍が悪魔軍を倒している」などの、馬鹿げた『妄想話』などとは全く違います。
むしろ倒す必要など全くなく、「自然と自滅していく流れになっていく」からです。

【愛を主体にした自由と、自由な獣の動物園】

『国民主権』の問題についてですが、「個人が自由を許されることがなぜ問題なのか?」と感じるかもしれません。

本来であれば人間は『自由意志』が許されていますので、むしろ自由であるべきです。
ですから『個人』が自由に活動できることはとても素晴らしいことだと思います。

問題は『人間社会』です。

人間社会は『個人』の集合体です。
ちなみに『国』というのは地球上の『土地の名前(国名)』で分けられていますが、実際は土地の上で活動する人間社会全体が『国そのもの』といえます。

ですから『日本』の場合であれば、土地としての『日本の国体』はありますが、『日本人』の集合体となる人間社会が『日本そのもの』といえます。

「個人が自由を許される」ということは、全体から『自由』に離脱することを許されるわけですから、『人間社会全体』を内部から崩壊させることになります。
そのため、『日本』の場合であれば「日本そのものが内部から崩壊する」ということです。

たとえば『1000人』が『ひとつの部屋』の中に集められたとします。
そしてそれぞれの人に『個人の自由』と「個人の自由の権利は絶対に奪うことができない」ということが約束されているとします。
つまり「部屋の中ではそれぞれが自分の自由に活動することが許されている」という状態です。

そこで問題です。

部屋の中の1000人を『ひとつにまとめる』にはどうしたらよいでしょうか?
また、「1000人を指示に従わせる」ためにはどうしたらよいでしょうか?

個人には「個人の自由の権利は絶対に奪うことができない」ということが約束されています。
ですから『指示』に従わせたり、『ひとつにまとめる』ことは「そもそも不可能」ということです。

ちなみに、もし『可能』にする方があるとすれば「1000人が欲しがるようなエサを与えることによって指示に従わせる」か、「恐怖を与えることによって強制的に指示に従わせる」のどちらかだと思います。

この方法のどちらも有効利用しているのが支配者層の『洗脳の仕組み』です。

話を戻します。

日本に住んでいる日本人だとしても『個人の自由』が許されていますので「日本に従う必要は全くない」わけです。

だからこそ日本という『人間社会』は内部からボロボロに崩れていくわけです。

凄く単純な仕組みですが「個人に自由を与える」ということは、『全体という集合体』を破壊する手段そのものになります。

そのため日本国憲法によって「個人の自由の権利が国から約束された」ということは、『その時点』から、国民は「国からの『指示』に従う必要も無く、国のためにまとまる必要も一切なくなった」ということです。

個人は「私は日本国憲法のおかげで自由になった」と喜ぶと思います。
しかし個人というのは「木を見て森を見ず」という状態であり、基本的には「自分さえ良ければいい」と思って活動しています。

そして全ての人が「自分さえ良ければいい」と思って活動していたら『結果的』にどうなるかといいますと、人間同士で『競争』が激しくなり、『格差』が激しくなります。
心や愛などよりも『力』を求めるようになり、弱肉強食のような世界となり、人間関係が殺伐としていきます。

また、自由が許されているわけですからモラルを守る必要も無く、他者への思いやりの気持ちを含め『調和』も不要です。
つまり、人間社会は『混沌』が悪化し、滅茶苦茶な状態となっていきます。

ちなみに『国民主権』の本当の目的は「日本を内部から破壊すること」だけではなく、『人間の愚民化』です。
『愚民政策』などといわれますが、有名なのは『3S政策』です。

『3S政策』とは『S(スクリーン・映画鑑賞など)』、『S(スポーツ・プロスポーツ観戦など)』、『S(セックス・性欲に関すること)』という3つの娯楽の頭文字です。
3つの娯楽を増やすことで、大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策とされています。

余談ですが、愚民政策の方法をまとめたのが『シオン賢者の議定書(シオンの議定書)』という文書です。
現在は偽造文書として『偽書』の扱いになっていますが、『秘密権力の世界征服計画書』として社会的に問題になったことがあります。

偽造文書の元になったのはフランス人作家の『モーリス・ジョリー』の作品である『マキアヴェッリとモンテスキューの地獄の対話』や、その他『様々な文献』からの寄せ集めの内容だったようです。

寄せ集めの内容を「ユダヤ人が世界を支配しようとする計画書」としてアレンジした文書が『シオン賢者の議定書』だったようですから、あくまでも『偽書』の扱いです。

ちなみに10年以上前ですが、僕は日本語版の『シオン賢者の議定書』を少し読んだことあります。

内容としては「大衆を支配してコントロールする方法」について書かれていますが「理論的にも人間社会で実際に悪用できる方法になっている」と感じましたし、たとえ偽書だとしても「デタラメだらけの偽書とは思えない完成度」でした。

 

むしろ理論的に愚民政策を計画することは可能だと思いますし、基本的には「計画通りに実現も可能」だと思います。
なぜならば「大衆の心理は操りやすい」からです。

正直なところ『個人』を思い通りに操るのは「不可能に近い」です。

しかし『大勢の人間』の場合、人間の数が増えれば増えるほど操ることが簡単になっていきます。

 

「個人は不可能だが、大勢になるほど可能になる」という展開は矛盾しているように感じるかもしれませんが、『仕組み』は簡単です。

 

たとえば「みんなが右を向いたら、私も右を向かないといけない」と思ってしまう人が大半だからです。

その場合、『自分の意志』からの選択ではなく、「私もみんなに合わせることが正解」と信じてしまう可能性が高いです。

 

また、人間社会の『流行』などに乗りやすい人は、「私の好みとは違うけど、世間で流行しているから、私も流行に乗らないといけない」という状態だと思いますが、むしろ自分から『周囲の流れ』に巻き込まれていきます。

 

大衆の心理というのは『同調の圧力』ともいえますが、だからこそ『人間の数』が増えれば増えるほど操ることが簡単になるわけです。

 

たとえば新型コロナウイルスのワクチン接種は、『全世界規模』で大衆の心理が計画的に操られています。

さらに『同調の圧力』なども含まれていますので、計画している側にしてみれば「正に思い通りの展開になっている」はずです。

ですから『陰謀論』などではなく、『支配者層となる存在』が実際に愚民政策などを『計画的』に実行しているのはおそらく事実だと思います。

そして事実として3S政策は人間社会で利用されています。
たとえば日本国内を眺めるとスクリーン、スポーツ、セックスを含め、『マスメディア(大衆媒体)』に関する業界は常に発展しています。

国民にしてみれば「大勢の需要があるから人気があるのは当然」と思うかもしれません。

しかし計画した側は人間のコントロールの仕方を『熟知』しているからこそ、「3S政策を強化すれば、必ず大衆は3Sに関心を持つようになる」と知っていて、計画的に3S業界を発展させているのだと思います。
つまり、計画的に用意された手法に大衆は完全に騙されている状態というわけです。

たとえば海外の話になりますが、映画俳優や、プロスポーツ選手は巨額の報酬になっています。
さらに歌手などの存在も、曲がヒットすれば巨額のお金が動きますし、各賞の授与式も大イベントです。

大衆の支配を計画している存在たちは「大衆の関心を集中させる」という目的のために『看板的な存在』や、『刺激的なコンテンツ』が必要です。

ですから『目立つ存在』に巨額の報酬を投じても、計画を実現させるための『投資』にすぎないのだと思います。
そのため芸能人や有名人には申し訳ありませんが、大衆の関心を集める『看板』として利用されているだけだと思います。

ちなみに3S政策の本当の問題は『政治への関心』ではなく、人間が『自分自身と向き合わなくなる』ようになることです。

なぜならば3S政策は、人間の『欲望』を刺激する機会を増やすことになります。
そのため『肉体の欲望』を満たすことに必死になる人間を増やすための手法ともいえるからです。

人間の本質は『愛』ですが、心や愛は自分自身の『内側』と繋がることが大切です。

しかし『肉体の欲望』に従うようになると、『外側』にばかり意識が向けられるようになり、自分自身の『内側』との繋がりに『意識』が向かなくなっていきます。
つまり、心や愛を含めた『精神性』から離れることになり、『物質重視』の思考になっていきます。

その結果、人間はどうなるのかといいますと『動物』であり『獣』になっていきます。

たとえば『動物』を眺めていると理解できると思いますが、野生動物は『本能』だと思いますが「食べたい時に食べる」、「遊びたい時に遊ぶ」、「寝たい時に寝る」、「交尾したい時に交尾する」という状態です。

しかし野生動物と違い、人間は『心』と『愛』を含めて『理性』を持っています。
ですから、野生動物とは「本来であれば違う」わけです。

しかし人間が心や愛を失うと、『欲望』を満たすことに必死になっていき、『動物化』が激しくなっていきます。
なぜならば『人間の肉体』は理性では無く『本能』で活動しますので、「心や愛を失えば動物と同じ」だからです。

むしろ人間の場合は『知恵』を持っていますので、知恵を使って「自分の欲望を満たす方法を考えることに必死になっていく」わけです。
ですから、野生動物よりもたちの悪い『動物』になっていき、欲望を満たすことだけを求めるようになった動物は『獣』と同じです。

『国民主権』は個人の活動の『自由』を許可することになります。

そのため『自分の欲望』を満たしたい人は、「自分の欲望を満たすことだけに必死になることも許される」わけです。
むしろ人間の性質として「自分の欲望を満たすことが自分自身の幸せ」と感じる人が大半だと思いますので、欲望に忠実になって活動する人が増える一方だと思います。

欲望に忠実になる人が増えた場合は、『人間という名の動物』が増えるだけですから、周囲は必然的に『獣だらけ』となっていきます。

人間の姿をしていますので表向きは『人間社会』かもしれません。
しかし獣のような人間が増えれば、獣だらけとなり『人間動物園』が悪化していきます。

そもそも個人が『自由』に活動できることは素晴らしいことですし、個人の自由を許されなかった『時代』を考えますと、「現代は個人にとって素晴らしい時代になった」と思います。

しかし個人が『自由』の意味を間違うと、『進む方向性』が全く変わります。

愛を大切にする人が地球上で実現する国が『愛の王国(神の王国)』です。
この場合は愛を『主体』にした自由です。

しかし人間は自由意志によって愛から離れることも選択できます。
愛から離れるということは『動物』であり、自由に活動する『獣』になるわけです。
そのため愛から離れた『動物』たちで実現する国が『獣の王国』です。

人間が進む道は『二極化』していくと思いますが、『道の選択』は凄く単純です。

「善と悪」や、「光と闇」の争いなど関係なく、『人』になるか『獣』になるかのどちらかです。


そして愛から離れずに愛を大切にして『愛の王国』に進むのか、愛から離れて動物のようになり『獣の王国』に進むのかのどちらかだと思います。

だからこそ「愛を大切にして、愛から離れない」ということに気づく人が少しでも増えることを願って、『仕組み』をお伝えしています。

人間には自由意志がありますし、選択を強制するつもりは全くありません。

ただし、聞く耳があればですが「愛を大切にして人の道に進むべき」と伝えたいです。

そして聞く耳がなければ、厳しい表現になりますが「動物園で何とか生き残ってください」とお伝えいたします。

ぜひ覚えていただきたいのですが、心や愛を失った人間は、知恵を持って暴れることを許された『放し飼いの獣』です。
そのため『人間動物園』は人間同士での『弱肉強食』の争いを続けるだけですし、今後は人間の欲望が『表』に出やすくなっていきますので、『争い』が激しくなり、『奪い合い』も激化すると思います。
また、人間同士で「自分が生き残るためには手段を選ばない」というような状態になっていくかもしれませんので、かなり悲惨な世界になるのではないかと思います。

日本国憲法が施行されてからすでに70年間以上になりますが、その結果が『現在の日本の状態』です。

日本人は『共感』や『思いやり』などの気持ちが強く、『調和の精神』を持っている人が多いと思いますので、「最悪の人間社会になることは何とか避けられている」と思います。

しかし好き放題に行動し、他者に対する迷惑を全く考えない人も増えていると感じます。
そのような人は『人間性』の問題もあると思いますが、個人の自由の権利が許されているからこそ、ある意味「仕方ない」のかもしれません。

厄介なことに、日本を内部から崩壊させる仕組みは『日本国憲法』そのものですから、基本的に触れることができません。

たとえば政治家が「日本国憲法の国民主権に問題がある」などと一言でも発言したら、「その政治家は危険すぎる」と日本中で大問題になり、一瞬で政治生命は絶たれると思います。
ですから政治家には『改善できない問題』ですし、むしろ「政治家だからこそ何もできない」はずです。

なぜならば政治家を含め、国民の大半は「国民主権を約束してくれて、平和を守るための素晴らしい憲法」と『盲信』しているからです。

つまり日本の『頂点』となる日本国憲法こそ、日本を内部から崩壊させる最低最悪な詐欺の仕組みですが、日本国憲法に関しては『触れてはいけない領域』のように扱われていますので、自分自身で冷静に考える人はかなり少ないと思います。

そして政治家を含め、少しでも『有名な人』がたとえ『プライベート』だとしても「日本国憲法は日本を破壊する」などと発言すれば、世間からは批判が殺到し、表舞台から降ろされると思います。

僕は『無名』だからこそ、「無知な愚か者が戯言をほざいていている」と思われる程度で全く相手にされないと思います。
そもそも僕は表舞台にいないので、これ以上降ろしようがありません。
また、もし『言論統制』が厳しい国であれば命がけの発言になりますが、皮肉なことに日本国憲法が『言論の自由』を許可しているからこそ発言できるわけです。

ちなみに日本政府には国民を大人しく従わせる『手段』があります。

「お金や金券を配る」という方法です。
もしくは「税金面を安くする」など、国民に『何らかの利益』を提供すれば、『一時的』に国民は静かになります。

そもそも国民にしてみれば「国民のことを大切にした素晴らしい政治」とは、自分たちの日常生活に『利益』がある内容だと思います。
また、国民にしてみれば「実は日本という『国』のことなどあまり興味が無い」と思います。

たとえば『海外の国』が日本に侵略してきたとします。
そして「国民には危害を与えないし、生活の費用は全て保証する。ただし、条件として日本国籍を捨てること」と伝えられた場合、おそらくですが喜んで日本国籍を捨てる人が多いと思います。

ちなみに日本という国を愛する『愛国者』について伝えたいわけではありません。
日本生まれであれば、少しでも日本を愛する気持ちは大切にしていただきたいと思いますが、「愛国者になりましょう」と伝えるつもりもありません。

気づくべき問題は『個人の視点』です。

人間の性質だと思いますが、『個人』が求めるのは『自分自身の利益』です。
自分の人生ですから、自分自身の利益を求めることは『当然』だと思いますし、決して悪いことではないと思います。

『個人』の視点であれば「自分自身に利益さえあれば問題ない」で済みます。
しかし人間社会は『個人』が集まった『集合体』です。

そのため、全ての個人が「自分自身に利益さえあれば問題ない」という状態になった場合、人間社会は『崩壊』します。
なぜならば「自分の利益だけを求めて好き放題に活動する」という人だらけになるわけですから、人間社会全体が『ひとつ』にまとまるはずがありません。

もし『ひとつ』にまとめる方法があるとすれば「みんなが注目する利益を用意する」ことです。
表現を変えれば『美味しそうなエサ』を用意するという方法です。

そのエサとは『お金』です。

「いまからエサを配りますよ」となれば『動物』が群がってくるように、「いまからお金を配りますよ」となれば『利益を求める国民』が群がってきます。

ですから日本政府が国民を大人しく従わせる方法は「お金や金券を配る」や「税金面を安くする」などしかないわけです。
もはやそれは『政治』ではなく、国民にエサを与えるタイミングを考えるだけの『計算』でしかありません。

そして一時的にエサを与えても、「もっとエサをくれ」と騒ぐのが国民です。

国民の大半が日本政府に願っていることは「もっと国民にお金を配れ」が大半ではないかと思います。
そして「国民にお金を配るのを渋るのであれば、次回の選挙では他の政党に投票する」と騒ぐだけです。

まるでエサをもらえない動物が「早くエサをよこせ」と騒いでいるだけの状態です。
その状態は、日本という国を舞台にした『獣の動物園』です。

「それは妄想」と思う人がいるかもしれませんが、『日本国内の状態』を眺めれば事実が理解できると思います。

人間の獣化は年々加速しています。
そのきっかけになっているのが『個人の自由』であり、『世界人類家畜化計画』です。
大半の人は全く無自覚な状態で『獣化』していくばかりです。

獣になった動物たちの『正論』は「どうやって私はエサを得るのか?」と、「エサを得るための方法」についてばかりかもしれません。

つまり弱肉強食の世界であり、競争社会で「勝ち残る」が人生の最優先となっています。
 

また、弱肉強食の世界だからこそ「愛では食べていけない」と信じるのだと思います。

正直なところ『陰謀論』や『支配者層』などは、あくまでも『参考情報』にすぎません。
本当にお伝えしたいことは「獣の道から逃れるのは自分自身にしか選択できない」ということです。

だからこそ「人間は心や愛を取り戻すべき」だと思うのです。

『【未完】言葉と祈りと愛について 14』につづきます。