こんにちは。

 

 

人生って、きっと、

色々あるのが当たり前、だといまは思うんです。

 

でも、

少なくとも2年前までの私は、

 

「自分の人生が、絵に描いたような”順調”な人生でない」

どちらかというとかけ離れていることに、

 

またひとつ、私から何かが欠けていくという感覚を持っていました。

 

 

その、”順調”っていうのも、

とても偏った考えなのですが、

 

いわゆる世間で、「良い」とされている生きかただったり、

何か物語とか漫画に出てきそうな、

そんな幸せ感、みたいなものを想定している気がします。

 

 

うつ、病気、不倫、家族不和、登校拒否、借金、アルコール・・・等々

この中のいくつかに、自分や短な方が遭遇している人もいるかもしれませんし、

私もこの中のいくつかは該当があるし、

今となっては、そのようなお悩みがある方がいても、

全く驚きません。

それによって、色眼鏡も持って欲しくないです。

 

だって、人間だから、

人のことで、簡単に住むことなんてないし、

(簡単に済むことを、以前は望んでいましたが)

いろいろあって当然だから。

 

 

「うまくいく人生であってほしい」

というのは、

 

誰かに、過去の何かによって、植えつけられたイメージだけで、

語っている場合が非常に多いんじゃないか?

だとしたら、

とても語彙力が乏しいですよね。

 

 

私自身も、

自分の尺度がないというか、

自分にとっての「良い」がないだけでなく、

そういう自分でいられないことが「欠ける」という感覚で、

随分苦しい生き方をしていました。

 

 

 

^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

これまでのオハナシはこちらです^ ^

 

私のライフミッションストーリー①

私のライフミッションストーリー②

 

 

^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

 

 

 

◆変わりたいのに「冴えない側」にいる自分・・・

 

 

大学受験に失敗した後、

大学では意地でも優秀な成績をキープしたり、

その後は一応大手グループと言われる会社に入り、

挫折感を埋めるように、相応の人生からレールを外れていない、

と自分を言い聞かせるように取り繕うように過ごしていました。

でも、それすらも中途半端で、

真っ先に望んだ会社は早々に不合格。

 

そのときに、やっぱり遭遇する「頑張れない自分」を感じながら、

行動できない自分に絶望しつつ、

それを隠すように、なんとなく理由になりそうな理屈をつけて、

納得させていることにも自分で気がついていました。

 

 

最後の最後に頑張り切れないから、自分はいつも欠陥だらけ。

それでも人からはうまく言ってるよねと言われることで、

自分を納得させてきました。

 

 

自分がしたいことや人生を謳歌するということとは無縁の、

「面白くない」人生を過ごしているような気がしていましたが、

 

転がってしまった人生を、

どう軌道修正したらいいかわからなかったんです。

 

 

 

私は「冴えない側の人」、

楽しそうに色々なことにチャレンジしている人は、

「私とは世界が違う人」。

 

そんな風に感じていました。

 

最初から、

色々なことができる機会がある自分、だなんて全く思っていなかったので、

何かに興味を持って、

自分から何かに参加していく、という風な発想にすらなりませんでした。

 

 

入社した会社では、

それまでの自分の外向きのキャラクターだった

 

「頑張り屋さん」「優等生」

 

を継続して、

周りからは「結婚したくない、自分でバリバリやりたいって思ってそうだよね?」

と言われることばかりでしたが、

自分の本心は真逆でした。

 

 

ここでも、少し力を抜こうとすると父親の顔が浮かんできて、

そんな大変な思いをしてきた親をトレースするように、

苦労を買って出るような、痛いくらい全力を振り絞って仕事をしていました。

早朝から、深夜まで、土日も、という表現がふさわしいかも知れません。

 

 

入社4年目に海外への長期出張、そこから駐在になり、

同期よりそう言った抜てきの時期も早く、

その後もいくつかの大きなプロジェクトを担当することになったことで、

 

 

はたから見たら順調と言われたりもしましたが、

本当は自分の感情が抑えられなくなったりして、

書く社内でメールが長くなったり、

なぜか嫌がらせや男性からの嫉妬を受けることになったり、

 

建前を重んじないといけない会社での仕事に、

 

「考えすぎ」「気にしすぎないでもっと気楽に」

 

と言われ続け、

自分の感覚っておかしいのかな?とまた悩む日々が並行しました。

 

 

問題の本質を追求するために動いただけなのに、

携わっていた仕事からある日突然外されて、

一切の業務メールが入らなくなったり、

人事からは「扱いづらい人リスト」というものに載っていると言われたり・・・

それくらい、厄介なやつだったようです。

厄介というのは、私も主張するタイプの人間であることと、

自分がどんなに泣きわめいても、仕事では本音を出すタイプなので、

役員や社長、責任者といった皆さんにはそれがウケたのか、

そういった方に認めてもらい、抜擢人事を受けることが多かったので、

人によってはやりづらかったのかも知れません。

 

 

後々気がつくことですが、

感情に振り回されすぎるといつも適性検査で出るくらいの私ですが、

その感情を大切にして、気持ちを込めて仕事をすると、

周囲からはめんどくさいと言われても、

上の時のように、意志決定するような方からは、

自然と応援されたり、後押しをもらうことが多かったことと、

職場でも、批判する人がいる一方で、共感を得ることも多くありました。

 

人は、何かスキル・テクニックじゃなくて、

やっぱり思いが人を動かしていくんじゃないか・・・

そんなことにも、うっすら、気がついて生きました。

 

 

 

私は海外と関係する仕事をしていながら、

英語が話せないことがコンプレックスでしたので、

そんな何にもない自分だから、

せめて物事の「あるべきこと」を追求しようという姿勢でいたので、

そのように応援してくれる人がいる一方で、

繊細で扱いづらい人、という風に言われることも多くありました。

 

 

なんで上手く世渡りできないんだろう、、

世渡りが下手、とか、

もっと大人になれ、と言われ続けることにも疲れていました。

 

 

 

 

同時に、社会人になるまで彼氏もそんなにいなかった私でしたが、

思い通りにならない恋愛を経験し、

一人になる切なさを長い時間感じることで、

なんとか現実から抜け出して上手くいかせたい、

と思うようになりました。

 

 

自分の気持ちが言えない、

言っても叶わない、

そんな辛さから自分の本音を外に出したい衝動に

かられるようになって行ったのです。

 

 

そんな上手くいかない恋愛を続けながら、

これまでずっと抑えていた本音や、

自分の気持ちに向き合わずにはいられなくなり、

納得いかない気持ち、嫉妬、自分の子供っぽいかも知れないくらいの欲望、

いろんなたくさんの、

ドロドロした醜いような気持ちにもスポットが当たり、

表に出て来ざるを得なくなってきました。

 

 

なんとかそんな上手くいかない現実から抜け出して、

「熱中するものを手に入れたい」と思うようになり、

色々なセミナーや講座を受けたり、

彼が私に結婚を申し込むように仕向けたくて、

電話占いにはまるようになりました。

 

そのほかにも、

ヒーリングからダンス、

グラフィックスクール、

 

脈絡なく、ひらめくものはなんでもやりました。

 

 

 

でも何に挑戦しても続かなくてやめてしまう。

 

「自分はまたダメだった」という挫折感の上塗りになり、

セミナージプシーのようになり、

自己啓発書を読み漁ったり、

たくさんのお金も使い、

エネルギーも思いっきり漏れ出しながら、

 

何とかふつうに生きて、会社に行って、頑張ること以外、

できない状態になっていました。

張り詰めすぎて、定期的に会社にものすごく行きたくない気持ちに駆られて、

罪悪感たっぷり持ちながら仮病を使ったり、

仕事をしていても涙が出たり感情も不安定で、

ぎっくり腰から新型うつ、暴食の結果体重の大きな上下など、

 

 

「もう、頑張らなくていいから。何もしなくていいから」

 

と、誰かに言って欲しくてたまりませんでした。

 

 

何か、そう言った状況になることを臨みながら、

「病気にすらなれない、心配もしてもらえる状況にならない自分」

にすら、とても愕然としていました。

 

誰かに、わかって欲しかったし、

もういいよ、よく頑張ってきたね、と、

止めて欲しかったんですね。。

 

 

 

人からすれば会社ではなんだかんだ言って昇進して、

上の人からいつも取り立てられて、

キャリアを築いていると言われたりしましたが、

 

自分自身何もうま くいかず、

いつまでも一人で、

友人付き合いも、いつも合わせないといけないようで疲れてしまうし、

満足に楽しい人生も送れないし、

いつも苦しい気持ちのせめぎ合いで、

感情を抑えられないコースターに乗っているようなそんな状態でした。

 

 

楽しいこととは無縁の、

いつも何かを、

我慢しないといけない、

私とは世界が違うこと、

 

そんな風にも思っていました。

 

 

 

「自分を変える」

 

 

そういう風に書かれた本やブログ、

講座にどれだけの時間とお金を使ったことか・・・

 

 

でもやっぱりダメでした。

だから、自分の人生が本当に手に負えないという気持ちもあり、

でもこんなものじゃないはずだ、という気持ちも一方でありました。

 

 

・・・

 

 

 

次回に続きます。