こんにちは。

 

 

私のライフミッションストーリーというタイトルで、

 

私が長い挫折の中で、

自分の気持ちや、やりたいこともわからず、

闇雲に色々手を出しては失敗することを繰り返しながら、

自分の気持ちの中に何を見つけたか、

どうしてコーチの仕事をしようと思ったのか、

そんな「情熱の源泉」の背景のストーリーを

ご紹介させていただきたいと思います。

 

 

例によって、ながーくなりそうなので、

少しずつ、ご紹介させてください。

お付き合いいただけると嬉しいです^ ^

 

 

 

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私は、ずっと、

やりたいことは自分ではできない、

頑張っても私はやっぱり変われない、

いつも人に振り回されて、

自分の気持ちなんか無意識に感じないような、

 

「頑張り屋な自分は損をする」

世界だとデフォルトで感じている、

いいことなんて起こりようがないと思って生きてきました。

 

 

 

そんな私が、

自分のサイズで自分らしくいることを取り戻し、

夢を見つけて進めるようになった

ストーリーを書かせていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

◆頑張り屋さんを無意識のうちに必死に演じてきた思春期まで

 

 

私の人生は、ずっと低空飛行で、

色がないような「冴えない」世界でした。

 

今改めて俯瞰すると、そういう風に感じますが、

これまで34年間の間で、

 

その大半は、ただ目の前のことに必死で

「自分の人生を、誰かに、早く何とかして欲しい」

「結婚してゴールしたい」

という気持ちを強く持って過ごしてきました。

 

変わりたい、変わりたい、とずっと思いながら、

同時に、

「私はやっぱりダメだ」という挫折がピッタリ隣り合わせで、

失望がいつもついてくるような感覚。

 

 

その一方で、

「まだまだ、私の人生は始まっていない」

「熱中できる瞬間を迎えたい」と、

ずっとくすぶりながら、

外から見られる

「優等生・しっかり者・キャリア女子・強め」

という役割を、限界を感じながら、

張りつめるように演じて、

ずっと自分を、感じやすく傷つきやすい性格で、

「扱いづらい」と感じてきました。

 

 

 

 

一人っ子として育った私は、

両親自体が親の愛情を知らない複雑な環境で育ったため、

コミュニケーション不全というか、

何をしても褒められるよりもけなされたり、

足りない点を指摘されるような環境で育ちました。

 

小さいながらに

「なんで私は、どんなに何を頑張って、

結果を出しても褒めてもらえないのだろう」

と思っていました。

 

でも、子供心に親が不器用であることにも気づいていて、

本当は自分も自由奔放に気持ちを言ったり振る舞いたいのに、

親がそんな私を見て悲しませてはいけない、と、

常に楽しむこと・自分らしくいるということに「罪悪感」や、

「禁止」しながら過ごしてきたように思います。

 

 

今になって文章に書くと改めてこのように思いますが、

その時はそれを自然にやっていたので、

「私はそんなに悪いのかな?足りないのかな?」

と本気で悩み、

親だけでなく周囲と本音で話すということ自体と、

無縁で育ちました。

 

のちに、親に「なんで褒めてくれないのか?」

と意を決して手紙を書いて尋ねたところ、

「自分も親からされたことがなく、どうしたらいいかわからない」

という回答をもらったときには、

それで現状が変わると少し期待をしていたので、

期待が裏切られたような絶望と、

自分が親を幸せにできるように頑張らないといけないという気持ち、

私が苦労せずにいたら親が自分の生い立ちを重ねて、

複雑に思ってしまうだろうから、

私は同じように苦労しないといけない、

という気持ちを一層強くしたように思います。

 

楽しいことをしたいという選択肢は最初から消えて、

私は苦労したり、いつも頑張らないといけない、

という前提がどんどん強くなったような・・・

 

 

 

このような環境だったので、

親にも、人にも一定の緊張感や、

空気を読まないといけないという配慮で頭のアンテナがいっぱいで、

いつも自然に人と話すことで疲れを感じていたと思います。

 

 

だから、欲しいものを口にしたり、無邪気でいることは言語道断。

幼稚園の時には、「何になりたいか?」という質問に

本当はお嫁さんと答えたいのに、

そんな回答は私らしくないと思ったのか、

なりたいと思ったことはなかった「ケーキ屋さん」と

とっさに答えた記憶もあります。

 

 

 

いつも私は、

無意識に、

「しっかり者で、物分かりがいい存在でいないといけない、

じゃないと両親から何をまた言われるかわからない」という、

波風を立てないように張り詰めて、

神経を集中させて過ごしていました。

 

 

特に、○○をしろ、と強制された記憶も、

思い返すとあるわけではないのです。

 

でも、本当は愛情深いのに口が悪い父親に歯向かわず、

どんな皮肉を言われても嫌だとは口答えせず、

休みの日には父がさみしくないように遊びに行かずに家にいたり。

運動も勉強もできて、なんでも知っている、

常に父親と同じ目線で話ができるように男の子っぽい趣味になり、

同じようなことができるようにしないといけない。

すでにいつも限界を感じていましたが、

自分がしたいようにしたら、

いつも瞬時に「なんで!?」という言葉が返ってくるという、

反射にも似た思いがありました。

 

 

 

そんな風に育った私でしたが、

しっかりしないといけない、なんでもできないといけない、

と思う一方で、

本当は甘えん坊で、感覚的で大雑把、おっちょこちょいで、

周りの友人といつも趣味が違っていたようなところがありました。

だから気を抜いてそんな自分を出すと、

周囲から不思議がられたり親から批判されることがあったので、

必死に出さないように、嘘で取り繕ったりしながら、

「私は何かおかしいのかな?なんでそのままでいられないんだろう?」

と違和感を感じて過ごしました。

 

違和感とも認識できなかったかもしれません、

こんな自分、なんか冴えなくて、イタい存在だなと思っていました。

 

感受性が強かったのか、

すぐに涙が出たり、人の顔色に敏感であったりしたため、

そう言ったことも人からおかしいと言われるたび、

「どんどん私の境界に人がズケズケとはいってくる、攻撃される」

という印象が強くなるので、

人と話すだけでどっと疲れがでる。

 

 

奔放な母親の存在で、

母より父に大事にされないように私がいつも遠慮しないといけない、

という気持ちもあり、なんとなく、

「人が優先、私はあまりものとか端で人を支えないといけない、

選ばれてはいけない」と言った、

 

自分の人生なのに、いつも他人が主役かのような感覚も持っていましたし、

親の親の世代が子供に苦労をかけた話や、

親戚関係が縁を切るようなそんな関係を見てきたので、

「私の家系は普通じゃない」という、

自分じゃどうしようもない、世代間の問題や、

だから私はもっとしっかりしないといけないんだ、

という期待を背負ってしまったように感じます。

 

 

物理的、金銭的には苦労したことはありません、

でも、いつも一人だなあという感覚や、

本音を言えないような重苦しさのようなものがありました。

また、本音を感じてしまったら、

弱い自分が見えてしまうようで、とっさに否定していた、

というのが近いかもしれません。

 

 

 

そんな風に過ごすことが当たり前だったので、

優等生で物分かりのいい自分が表にでる姿になり、

自分の感覚を感じないようにしているので、

なりたいものも、どんなことが好きかということでさえ、

後々までわからない・感じられないようになってしまいました。

 

だから、

「幸せや楽しいことへの罪悪感」

「早く、世間一般に“良い”とされる人生が訪れてゴールしたい」

と、受け身にも似た思いも持っていたんです。

 

 

 

今思うと、

自分の人生をどうしたいか、と感じることが、

自分の情熱の源泉や、ライフミッションであるのに、

 

それ自体を必死に、

出てこないようにしていたのですね。

 

常に何か別のものになっているというか、

不安定な心の状態にいました。

 

 

 

・・・

 

 

次回に続きます。