こんにちは。

 

 

前回から、

私自身が、自分の気持ちすらわからず、

「変わりたいのに変われない」と言う苦しさから、

 

「自分の可能性を作り出して人生を謳歌する」

と決めて、コーチとしての仕事を始めるまでのあれやこれ屋を、

 

「ライフミッションストーリー」として、書き始めました^ ^

 

 

 

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これまでのオハナシはこちらです^ ^

 

私のライフミッションストーリー①

 

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なんか、この先、ずーっと低空飛行的な文章が続くんですが、

そのさなかでは、もちろんそんな事ばっかりじゃなかったんです。

でも、よくよく考えてみると、

 

「自分で本当に決めて、自分の満足のために生きていたか?」

と言われると、

 

何か正解があるもの、正解の為に生きてきた、

その枠の中で、がむしゃらに走ってきた感じ

 

だと思っています。

 

だから、思い出そうとすると、

今となっては、思い出せないこともたくさんあります。

 

とにかく必死で、

頑張らないといけない、できないといけないと思う事ばっかり、

と言う感じでした。

「できない」「わからない」「知らない」は、タブー。

 

 

本当の本当は、

「これ、やりたくないなあ」

「これ、なんか嫌だなあ」

って、ふっとすぐ浮かぶんです。

 

でもその度に、

 

「私はそんな事思っちゃいけない」

 

って、

自分のことを情けなく感じるのと、

”聖人君子”のようでいられない、万能ではない自分を

自動的に恨むような思考回路みたいな感じになってた、と言う方が正しいかもしれません。

 

 

 

 

そんなライフミッションストーリーの第二回なので、

どうぞお付き合いください・・・

またしても長いんですけどね。。

 

 

 

 

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◆自分の可能性がどんどん欠けていく・・・

 

 

そんな幼少期からを過ごし、

思春期になるにつれてそれまで自分なりに我慢してきた心のバランスが崩れて、

長い「冴えない」低空飛行の時代が始まりました。

 

一言でいうと、

 

「可能性がどんどん欠けていく」

「こんなはずではなかった」

 

そんな絶望感のような感じでした。

 

 

 

なんで人は無邪気に楽しんだり、

周りのことなんか気にせず青春を謳歌しているのに、

 

私は満足に友人づきあいもできず、

したいこともわからず、

これ以上頑張れないのに頑張らないといけないんだろう?

 

私はなんとなく、

「タッチの南ちゃん」みたいにならないといけないと思っていました。

なんでもできて、部活も一生懸命で、友達もたくさんいる。

まさに「ザ・青春」というイメージ。

 

でも私はそんなこともできない・・・ 

 

なんで南ちゃんなのかわかりませんが、

恐らく、家で親が「南ちゃんみたいになって欲しい」と言った言葉を

しっかり耳にしていたんだと思います。

親を恨むと言うより、そんなに必死に顔色を伺っていた自分が健気にすら感じます。

 

自分がこうあるべき、

と無意識に設定した役割をこなしきれなくなり、

人間関係を強制終了したり、

学校にいくことが辛くなったりするようになりました。

 

 

 

一番の大きなきっかけとなる出来事は、高校2 年生のこと。

 

高校入学すぐに両親の問題で母が家出をし、

私が迎えにいかなくてはならなくなった事件を乗り越え、

中学時代私立校だったこともあり、

周囲の「自由奔放さ」についていけなかったことで、

進学校だった公立高校を受験し入学。

 

高校では、周囲には自分と同じような価値観を持った友人がたくさんでき、

なんでも自分一人ができる必要がないという安心感もあり、

学校にいる時間に救われ、立ち直り、

私が思い描いていた「青春」を謳歌していました。

 

無理しない、本当のサイズの自分でいられたから、

とても楽で自然だったのだと思います。

本当の自分でいれば、うまくいくんだと知ったのはもっと後のことですが・・・

 

 

 

 

そんな中、仲良しの友人たちと行った旅行での夜のこと。

 

一人っ子の私は母や家での出来事を誰にもいうことができずにいたので、

意を決して打ち明けたところ、

一人の友人が「そんなこと、なんで気にするの?」と言ったのです。

 

おそらく彼女は

「そんなに気にしなくて、今みんながいるし、立ち直ってるでしょう」

と言いたかったのかも知れませんが、

私はこの言葉にものすごくショックを受けました。

 

自分が傷ついたことを否定されたような悲しさがあり、

人って怖いという感覚が強くなったような。

 

 

その後から、

それまで必死に求められる優等生の役割を

家でも外でもこなしてきた緊張が切れたのか、

一気に力が入らなくなり、誰とも話をしたくなくなりました。

 

引きこもりとまではいかないかも知れませんが、

学校にいくのも、話すのも怖くなり、

自分の気持ちを伝える場に遭遇するのも苦手なため、

その後の2年間は正直どう過ごしたか記憶がありません。

 

優等生と言われていた自分なのに、

満足に青春も送れない落第生。

自分の人生こんなはずじゃなかった。

そんな事ばかり、頭をよぎりました。

 

 

成績は急降下し、勉強に身が入らないので志望していた大学受験も失敗。

周りからは「あんなに成績がよかったのに、なんでそんな大学なの?」

と面と向かって言われたりしながら、

 

受験勉強をしなくてはと思うほど、

自分一人だと頑張る力が湧かない苦しさを

乗り越えられなかった自分が苦しくて、

 

「なんで私の人生、こんなことになったんだろう?」

 

と、ここからどのように自分を立て直したらいいか、

わからなくなっていました。

親に浪人を申し出るも反対され、

それを言い返すほどの気持ちも出てこず、

 

人生が転落していくような、

挽回ができないようなそんな絶望感を感じるようになりました。

 

でも、

自分で打開したいというよりは、

「なんで完璧な人生が与えられなかったんだろう?」

という満たされない気持ち。

 

 

自分が受け身なのはわかっているんです。

でも満たされない気持ちがどうしても消えなかった。

消したいのに消えないんです。どうしたらいいかわからなかった。

その時は小さい頃からのくせで、

「〜〜できないのは、弱い証拠」だとすぐに父親の言葉が頭をよぎるようで、

いわゆる自分を責めていた状態だったと思います。

 

 

 

正直なところ、

大学も、行きたいと思っていたはずなのに、

その気持ちが深いところから熱く湧き上がってこないことが

苦しいなと感じていました。

 

自分の気持ち自体が扱いづらくなり、

感じられなくなっていたのだと思います。

頑張り切れない自分への情けなさ、

安心できる環境が欲しいという痛切な思い、

もう頑張れないという心の声のようなものが、

ずっとせめぎ合っていたように思います。

 

こんな風に心のバランスが崩れ、

「自分の可能性が欠ける」

ような絶望感をこの後何年も持ち続けることになりました。

 

 

 

・・・

 

 

 

次回に続きます。