今朝も、気持ちの良い散歩が出来そうです。

「特定警戒都道府県」並みのの対応です。
我が町の飲食店は、日中営業のお店も含め大半が『休業』しています。
我が町の飲食店は、日中営業のお店も含め大半が『休業』しています。
『忍び帰省客』『お忍び観光客』が来町し、来店することを防ぐ目的のようです。

今朝は、『常夜灯公園』の中まで足を伸ばしました。



『常夜灯公園』内にある『のへじ活き活き常夜灯市場』も休業。

コンビニのトイレだけでなく、『常夜灯公園』のトイレも使用禁止です。

江戸時代、幕府は外国との通商を禁止していたことから、ここには盛岡藩が設置した、外国船の出入や通過を監視する『遠見番所』もここにあったそうです。

河口では今日も作業をしていました。

『のへじ潮彩公園』。今日はここを10周します。

『野辺地港』。最盛期2社が野辺地-函館航路を開設していましたが、その面影はありません。
1969年(昭和44年)7月。東日本フェリーが野辺地-函館航路を開設。
1971年(昭和46年)4月には、函館商船が野辺地-函館航路を開設。
しかし、1986年7月に、東北自動車道が青森市まで全線開通を境に、需要が徐々に薄れ、1993年(平成5年)運行休止になり、そのまま再開することなく廃止されました。当時は、青函航路より多少時間が掛かったものの4時間40分で函館に行くことが出来ました。
1969年(昭和44年)7月。東日本フェリーが野辺地-函館航路を開設。
1971年(昭和46年)4月には、函館商船が野辺地-函館航路を開設。
しかし、1986年7月に、東北自動車道が青森市まで全線開通を境に、需要が徐々に薄れ、1993年(平成5年)運行休止になり、そのまま再開することなく廃止されました。当時は、青函航路より多少時間が掛かったものの4時間40分で函館に行くことが出来ました。

『野辺地臨港線』跡の道を通ってきました。
当時を偲ぶのは、大湊線の車の通れない踏切につながる脇道だけです。
当時を偲ぶのは、大湊線の車の通れない踏切につながる脇道だけです。

正規のコースで散歩しました。
名付けて『10kmコース』。約10km、1時間半ほどの散歩でした。
名付けて『10kmコース』。約10km、1時間半ほどの散歩でした。
今日は、犬の散歩をしている4人とすれ違いました。