令和5年11月15日参拝
愛知たび2日目。
前日のうちに上横須賀駅から尾張横須賀駅へ移動してきたわけですが、宿泊は知多四国の札所に行きやすいとこに泊まろう〜程度の軽い気持ちだったもんで朝になって町並みを見てびっくり。
北町組山車(東海市指定有形民俗文化財)
大きな山車庫の近くに神社があったのでこれは寄ってみた方がいいよね。
雨上がりの朝8時半、静か〜な愛宕神社です。
横須賀まつり、愛宕神社の例祭だって。
黒×金のギラギラ感が尾張っぽくて(偏見?w)かっこいい山車じゃないですか(n´∀`n)
横須賀町は江戸初期の寛文6年(1666)、尾張藩2代藩主の徳川光友が臨江亭(横須賀御殿)という別荘を建てたことで素朴な漁村は城下町バリに商業・海運業が発展していったそうなんです。
光友さんの没後に別荘は取り壊されますが跡地に尾張藩の代官屋敷が建てられるなど行政の中心地として機能してきたエリアなのです。
愛宕神社の創建は徳川光友がやって来る少し前。
坂甚右衛門(奉公人)の妻が京都愛宕山の神霊により病気平癒したと聞きつけた坂三郎太夫正家(地元の大家)は婿の徳兵衛を京都へ向かわせ玉林寺南に分霊を請ける。
現在地へ移転したのは寛保3年(1743)のこと。
徳川光友もお詣りにみえたそうです。
そんですんごい立派な狛犬がいて、
阿形さんの顔がおもしろいね。
大正2年(1913)6月に奉納された狛犬です。
片仮名の「ヨコスカ町」がモダン。
拝殿の中をチラ見したらなんかすごい天井画。
てか、中で御祈祷の方が控えてるんですけど!
あわてて授与所へ行きました。
時間がないので直書きできないが、とそれでも日付けを入れていただけた御朱印がこちら。
こうして普段から祭の御朱印を頒布するのとっても大事ですね〜!
散策を再開。
天神さまがあって、
恵比寿社と英霊社。
金比羅社・誠柳社・稲荷社・津島社・秋葉社。
酒樽奉賛会の祭も月イチであるみたいなんです。
名残惜しいけど帰りましょ。
知多四国の徒歩巡礼があるのだよ( ´︵` )
境内の隅で見つけた貼り紙 👀
この時は名古屋場所で錣山部屋が滞在するんだな、と錣山親方(寺尾関)は元気かしら‥って思ったのよ、
その2日後に亡くなったというニュース‥。
寺尾さん大好きだったよ(;へ;)
部屋の方は豊真将関が錣山親方を継いだんだって。
立ち振る舞いの美しさを若い子に伝えて🙏
工事現場の仮囲いに横須賀まつりのパネル♡
よくある環境がなんちゃら〜みたいなつまんない電子看板よりよっぽど環境に優しくて最高です。
本町組山車(東海市指定有形民俗文化財)
興味を持った横須賀まつりは9月だそうで、そんなに待てないから7月は違う山車祭を見物に行くことにしました。
◆愛宕神社(尾張横須賀愛宕神社)
愛知県東海市横須賀町四ノ割23-1