令和5年12月3日参拝
秩父入りはちょうどお昼ぐらいでした。
御祭禮の幟で盛り上がってこー!
※夜祭ですw
まあ、祭は朝から何かしらやってるので早すぎるということはないですよ。
できれば8時半ごろから現地にいたいわたしとしては、むしろゆっくりすぎたかも♪( ´▽`)
市内では駐車場探しがなかなか大変でした。
臨時駐車場が町の中心部からどんどん満車になってくあせりの中、御旅所から約2km離れた上町で車を置くことができました。
(徒歩20分⁉︎遠い‼︎)はじめはそう思いましたが、一日中歩くうちの20分なんて へ です。
というわけで、最初に見かけたのが上町屋台。
屋台はまだまだ動かず綿密に調整中。
金糸キラキラの幕が展示されてました〜。
まずは上町の会所でおまいりしましょうか、
本日はおめでとうございます🙏
豪華なお供えですこと (゜д゜)
このあとは欲しかった木札や手ぬぐい等の授与品をいただき、お言葉に甘えて甘酒のお振舞いにあずかるなどしました。
少し先でもお支度中の中町屋台をぐるっと見物。
何をしてるのかはわからんけど。
そんな感じで秩父神社を目指して歩いてく。
ギリ廻しの痕
これから祭り本番なのに、なんだか秩父の町が静かに感じるのは宵宮でちょっとお疲れなのかもしれない。
ひゃー。すごい人だよ。
前に来た時ここまで混んでなかった!
こちらは下郷笠鉾。
本来は華やかな花笠を搭載した巨大な鉾ですが、電線に引っかかるので花笠を取って曳行する。
秩父は電柱の地中化が進んでるのでいつか花笠姿が見れる日が来るのか?
神社に行ってみると宮地屋台が動いてました
その横では本町の屋台歌舞伎
どこから見物したらいいのやら、あっちもこっちも見るとこあって困っちゃう‥( ノД`)
演者さんぽちゃ
そういえばおまいりしなきゃだね、
って列がすごい‥三 (lll´Д`)
結局いつも通り横っちょで拝礼🙏
そして天神地祇社から額殿あたりをうろちょろ。
祭礼の幕には十六菊紋が入ってるんですね!
昭和天皇の弟宮であられる故雍仁親王が秩父宮家を創立した大正11年(1922)に秩父をご訪問した際、秩父神社に屋台が並び台覧を仰ぎました。
秩父宮親王が薨ざられた昭和28年(1953)に祭神として合祀されています。
そんで秩父まつりの御朱印ですけど、令和5年は妙見さんが大きめでした。
ちょっとした変化が楽しかったりします。
再び神社の外へ。
まぶしい‥。
秩父まつりは宵宮でお諏訪さまに(明日は夜祭りやります〜)とお断りを入れることから始まるらしいんですよ。
真冬なのに暑かったよ〜
男神の武甲山と女神の妙見さんは愛し合ってるけど本妻のお諏訪さまを気づかって年に一度だけデートする、ということになってる秩父まつり✨
神幸行列はお諏訪さまの近くを通る際にお囃子を止めて静かに通り過ぎます。
それぞれの信仰を尊重してるとこ好き😆
ところ変わって秩父鉄道の御花畑駅。
御旅所の最寄り駅です。
屋台が通過する時に架線が取り外されると聞いたけど、人混みの中やっとこ立てるような状態で、見に来れるような余裕なんて無かった(てゆーか屋台が踏み切り渡るんかい!)。
それにしてもダイヤ変更・増便に伴う終電の延長に架線の取り外しって、秩父鉄道の駅員さん大変だね‥。
ここを登れば御旅所!という団子坂が一番盛り上がるところなんだって。
屋台の重量は12t以上、それに下の方にお囃子の人がたくさん乗って(※)重心が低いから相当な重さです。
それが25°の急坂を登り切るとは 👀
市役所前に屋台が集まると御旅所は封鎖されて桟敷席ホルダーと祭関係者しか入れなくなってしまいます。
御旅所から武甲山を望む。
もはやこれは古代祭祀だよねぇ。
3年ぐらい前の御旅所の写真です。
一応、武甲さんと妙見さんが落ち合うのは、御旅所の亀の子石ということになってるそうなんです。
これが亀の子石‥!こわー。
祭の時は覆屋が取り外され、亀の子石に大幣が立てられます。
※どーでもいいはなし
前にどなたかのブログで「秩父祭はお囃子が生演奏ではない」みたいなこと書かれているのを見かけたんです。
いやいや、とんでもない、生ですよ!
土台に大勢の方がいるんです。
休憩になると屋台からぞろぞろとお囃子の人が出てくるのおもしろいです。
皆さん身体柔らかいよね〜。
どなたのブログか忘れたのでその方まで届け!という今回のどーでもいいはなしでした。