令和5年11月20日参拝
ジェラート食べに西尾へやって来ました。
コーンの中までぎっしり詰まっててお腹壊すか壊さないかギリギリのボリューム!
甘いものたべて体力回復 (๑⃙⃘¯◡¯๑⃙⃘)ノ
@ジェラートフレスカ
☹️西尾っつったら「大提灯まつりの日に時間なくて吉良さんのお寺へ行けなかったんでス!」というわけで吉良町へ連れてきてもらいました✨
しかもいい感じに日没が迫ってて、やっぱ遠征はこうヒリヒリしないとね‥。
急げー ٩(๑′∀ ‵๑)۶•*¨*•.¸¸♪
華蔵寺は臨済宗の寺院で本尊は釈迦牟尼仏。
吉良上野介義央の曽祖父にあたる吉良義定公が、父義安の菩提を弔うために慶長5年(1600)に建立しました。
高家に任ぜられた義弥が本堂西側に父義定の供養塔を建てて以降、吉良家当主の菩提寺となりました。
※高家吉良家:義安-義定-義弥-義冬-義央-義周
|д゚) 石段に札が立っている。
まわり道了解
石段の上にはこのような門がありました。
梵鐘は元禄3年(1690)吉良上野介義央50歳記念で寄進されたそうです (*゚▽゚*)
金属供出を免れた貴重な梵鐘✨
本堂の裏は小堀遠州のお庭が広がっています。
もっと早い時間に来れば拝観できるかも。
こちらは吉良上野介義央、義安、義定の像が安置される御影堂で、最初の御影堂は義定没後20年の正保4年(1647)建立、現在のは昭和8年の再建。
普段は非公開ですが12月14日の毎歳忌(まいさいき)に御開帳です!
※毎歳忌=吉良義央公の命日
高家吉良家墓所へ行ってみましょう
〝高家〟とは幕府の儀式・作法を指導できる役職のことだそうです。
墓所の入り口すぐのとこが吉良義央のお墓でした。
今までいろんなお殿さまのお墓参りした中で一番グッときたかも🙏
なんと義周の墓があるのですね🙏
元禄赤穂事件では本所吉良邸で長刀を持って応戦し大怪我を負い配流先の諏訪高島藩で亡くなったのを家臣が運び土葬したという話です。
義周(義央の孫)
「忠臣蔵」ってよく大みそかにテレビでやってたけど実は一度も見たことないんです。
昔から人気の演目だったのは何となく理解できますが個人的には返しは良くない!と思うのね。
あちこちお寺まわってるうちに事件の発端は桂昌院さまに従一位を授けるために勅使の御差遣を仰ぎ、将軍が応える大切な日の準備だったことを知って、浅野さん何やらかしてんの⁉︎家臣もどこが義士よ⁉︎とか思ってたの。
どっち派かっつったらわたしは完全に吉良派。
横長境内の奥、十三重石塔の向こうに吉良義央が萬福寺鉄眼版の一切経を納めるため元禄13年(1700)に建立したという経蔵が建っています。
ところが吉良家断絶にともない華蔵寺が荒廃している間に仏さまは台座を残し行方不明になってしまった。
義央300年忌を迎えた平成14年に経蔵の本尊を白衣観音と断定し、創建当時のこけら葺きに改修されました。
白衣観音を本尊とした裏づけが記載されてます。
元禄棟札の一節に号泣 (´;ω;`)ブワッ
「このお堂を仰ぎ見る結縁の人々みんな速やかに極楽浄土へ‥」
そして平成14年のアンサー棟札で涙が止まらん。
「おらが殿様 慕い続けて三百年‥」
元禄・平成の棟札全文どっかで読めないかね‥
これは毎歳忌にお参りにこないと‥!
そんなことも知らず 毎歳忌で白衣観音さまとお会いできますように と閉まった扉に合掌〜🙏
華蔵寺でいただいた御朱印は二つ
㊨ 南無釈迦牟尼佛 by華蔵寺住職
㊧ 令和2年毎歳忌の御朱印 ←!!!
(たまたま)黄檗宗萬福寺の御朱印帳を使ってたら住職に反応していただき嬉しかったです。
華蔵寺さんは一切経のご縁があるわけですが他のお寺でもよく「萬福寺じゃん!」って言われる。
まじで萬福寺の御朱印帳は坊さんウケが良い!
[毎歳忌の御朱印について]
たしかその年の毎歳忌は中止されて、それでも来てくれた方にお配りしたというのが令和2年毎歳忌の吉良公の御姿入り御朱印です。
※わたしは運良くいただけましたが今もあるかはわからないし、いただけないかもしれません。
その時の会話なんですけど、
「この近くの金蓮寺というお寺に絵の上手な住職がいらしてねぇ、機会があれば行ってみてね」
なんとこの絵を描いたのは金蓮寺さん!!!
17:08 やだ‥ついつい来ちゃいました。
3回目ですよ。
金蓮寺大好きなんだもん。
誰もいないけど大丈夫です。
美しい国宝弥陀堂が見たかっただけです🙏
タイトルを『華蔵寺①』としたからには『華蔵寺②』があります。
いつになるかはわかりませんがまたいつか
◾️片岡山華蔵寺
愛知県西尾市吉良町岡山山王山59
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・どーでもいいはなし
「吉良上野介義央」の「義央」、
なんて読んでましたか?
吉良町で開催された〝吉良側からの赤穂元禄事件〟という講演会がありました。
講師の河合敦氏が打ち合わせで吉良町担当者から「よしひさ」ですよ、と言われて教科書に「よしなか」とあるのにそれは無いのでは?と返したところバッチリ「よしひさ」と読める花押を見せられたそうです。
ずっと「よしなか」で教えてきた河合敦氏は当日うっかり間違えたらいけないから「吉良さん」と呼びます、そして、高校の新しい教科書でも「よしなか」なので早く直した方がいいですね、と言ってました。
華蔵寺の銘板にはすべて「よしひさ」とふりがながふられているし、皆さん親しみ込めて「吉良さん」と呼んでいます。