令和5年9月18日参拝
第2回遠征2日目の16時をまわりました。
札所が閉まる17時までに2か所行きたい
Googleマップを見ながら師崎街道→国道366号の最短ルートを早歩き
早く着いた分ゆっくりお参りできるし最後のお寺は17時にすべり込めたらなんとかなると信じて‥。
途中で銭湯を見かけて「風呂入りてぇ〜」と思った以外はあまり記憶がありません。
ラスト潮の香り漂う工業団地を走り抜け、54番海潮院に到着したのが16時35分。
予定では徒歩45分のところを頑張って11分短縮できました (›´ω`‹ )
この辺りは札番が15.14.13.12と10番台が続いてるのにこちらは54番さんという謎 (゜д゜)
50番台の札所といえば野間の辺りでした。
というのも、明治時代に53番安養院と合併した54番龍松院が廃寺となって札所を引き継いだのが海潮院さんだったんですね。
鉄の香炉がかっこいい✨
海潮院は曹洞宗の寺院で本尊は釈迦如来です。
亀崎城主稲生氏の菩提寺ってことでどこかにお墓があったようですが、それどころじゃなくて全然気がつかなかった。
秋葉三尺坊大権現&金毘羅大権現
納経所の方はセルフ〜。
セルフだと(何番さんだっけ)って帳面を何度も確認するから余計に時間かかるわ。
記念印は亀崎だけに亀?
知多四国で知った亀の伝説あれこれが浮かぶ。
稲生氏の家紋から寺紋が七曜でした。
海潮院を出ると割とすぐに神崎神社がありました。
(伝)大和入国した神武天皇がここから上陸して小祠を建立
お詣りしたいとこだけどまじで急いでてムリ‥。
何かいる!
ネコがくつろいでる!
時刻は16時53分 (;へ;)
先の坂は弘法坂っていうらしい。
目的地の東光寺さんはすぐソコです。
またネコ!
足が痛いのに坂道はきつい。
やばいです。
16時57分です。
対面だと怒られそうな時間なのでセルフであることを願いました‥。
東光寺は西山浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来。
明治33年に三河出身の実空誠感上人が開いた説教所にはじまり、和歌山にあった東光寺から本尊が移され現在に至ります。
時間がないので先に納経所へ行きます。
表から元気に声をかけるが応答はナシ。
(お留守か、それとも早じまい!?)
ドキドキで戸を開けるとこちらはセルフの札所でした ε-(´∀`*)ホッ
帳面のお姿が三体さん!これは楽しみ。
まずは年弘法堂へ‥。
(。A 。 )一歳ごとに歳をとる弘法大師のお姿で、元は62体あったのが三河地震で損壊したので45体に減ったとか。
わたしは初めて見たのですが年弘法は愛知県内に何か所かあるそうです。
右上の赤ちゃんから始まって、キンキラキンは62歳入定ということでしょうか🙏✨
左前段で異風を放つお姿は、唐の皇帝の前で五行の書をいっぺんでお書きになったので一度に五本の筆を使える五筆和尚と呼ばれたという伝承から。
鐘は撞き棒がなかったかナムシステムだったか忘れたけど撞けなかったので見ただけです。
笠はほとけ 杖は大師よ 春の風
ハハー、同行二人とは言うけど笠はほとけ。
ところで同行二人をドウコウフタリって読んでる人多くてドウギョウニニンだよってご指摘したのは1回2回ではない。
|д゚) 裏側はなんでしょ。
夕焼け小やけで日が暮れて山のお寺の鐘がなる
(以下略)
疲れた体に詩がしみるね。
実家も港区も17時のメロディはゆうやけこやけ。
ホームシックになったとこで帰りましょう。
最寄りの駅はJR武豊線の亀崎駅でした。
なんとなく写真を撮っておかないといけないような気がして撮った一枚。
日本最古の木造駅舎らしい。
そして生きるための塩分補給に味噌カツ弁当。
半田山車まつりのチラシを見て行きたいと思ってたのに行けなかった。
次の令和9年10月は生きてたら行きたいですね。
55. 54番 海潮院
愛知県半田市亀崎町一丁目130番地
56. 番外 東光寺(年弘法)
愛知県半田市亀崎月見町三丁目14番地
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・どーでもいいはなし
東京に帰ってから顔と腕にぶつぶつが出来てかゆくてかゆくて大変でした。
オロナイン塗っても治りそうもなく、翌日にクリニックへ行くと『アレルギーある?』と。
唯一のアレルギーはカモガヤ‥ (๑°ㅁ°๑)ハッ!!
国道366の路側帯に高さ120cm程の(言われてみれば)カモガヤぽい草が生えたとこ50mくらい歩いた。
肌出して汗かいてから花粉がくっついたか!
処方の塗り薬がよく効いてスッと治ったから良かった。
10年以上前にやったアレルギー検査で『都会にはあまり生えてない草だから心配ないんじゃない』って先生に言われたけど田舎しか行かないから注意しなきゃいけないね。