大御堂寺 野間大坊 〜源義朝御廟〜(知多郡美浜町) | ハニーちゃんがゆく!

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令和5年7月15日参拝

岡崎から知多半島の美浜町にやってきました。

墓好きの友達が単独では一番好きな墓として連れてきてくれた野間大坊。

わたしも感動しちゃいました‥!

大御堂寺 大門


野間大坊は正式名称を鶴林山大御堂寺という真言宗豊山派の寺院で本尊は阿弥陀三尊です。

創建は第40代天武天皇の御代(行基さん・空海さんも中興に入ってるようですがその話は置いといて)、

源頼朝が義朝の菩提を弔うために伽藍を建立するなど境内整備を行いました。

大門は幾たびの火災を免れ現存しています。

大御堂寺本堂(根本堂)



さっそく義朝さんのお墓にお参りしますグー



木の刀をお供えするのがお参りの作法。

マジックで祈願文を書きました。



源義朝は平治の乱で平清盛に敗れ、

家臣の妻の実家を頼り野間にやってきましたが謀反を起こした家人により風呂で殺害されました。

死に際に「無念、我に木の太刀一本でもあればむざむざ打たれはせん‥」と言いながら。



だからみんなで木の刀をお供えするのですね🥺



義朝墓の周囲には他にもお墓が建っています。

①鎌田政家と妻の墓。

まさか妻の実家で主君が殺されるとは。

政家は義朝の前に殺されたのでそのことすら知らないわけですが‥。

妻は夫の脇差しで自害したそうです。




②池禅尼

池禅尼とは平清盛の継母で、

平治の乱で捕らわれた13歳の源頼朝を「なにも殺すことはないでしょうよ」と清盛を説得したので伊豆に流刑処分となったのは有名な話。

その際に頼朝に譲った地蔵菩薩が野間大坊に安置されています。



③織田信孝

安養院(大御堂寺14坊の一院)で切腹した織田信長の三男 織田信孝の墓。

時間があれば安養院も行ったほうがいいです。




ご先祖さま・知人・水子さん供養で梵字に水を流して供養するという流灌頂🙏
密教儀礼のようで興味深いところですが、
時世的に柄杓を取り払っているとの事で梵字に向かって合掌🙏



鐘楼堂の鐘は鎌倉五代将軍源頼嗣が寄進したもので国重文です。

普段は見れませんが大みそかに鐘撞きできるというから地元の方うらやましいですね。

鐘楼堂


境内の真ん中に平康頼供養塔。

国司として赴任してきた時に荒れていた義朝公の墓を再興した方だそうです。

頼朝がお参りに来たらお寺は立派だしお墓がきちんと管理されてることを大変喜んだとか✨



客殿までの道はちょっとした映えスポット。



ハスの鉢も並んでますし。



客殿は知多四国八十八か所のダブル札所となっていて(50大御堂寺と51野間大坊)2か所の御朱印がいただけます。



家康が野間大坊は身内で管理するよ〜と水野家から送り込んだお坊さんが現住職のご先祖さまってすごいね。



御朱印はふたついただきました。

  ㊨無量寿仏 (白河天皇勅願所 源義朝公御廟)

  ㊧地蔵尊(源頼朝公念持仏)

他にも番号でお伝えしなきゃいけない程いろいろな御朱印がありました。

なんか忘れちゃったけどわたしもひとついただきたいのがあったけど巡礼の方がいらしたので見送りました。



伏見桃山城の一部が移築された客殿の写真を撮ろうとお砂踏みしながら歩き出したところでかわいい鬼さんを見つけて友達とキャッキャしてたらそのまま忘れてたよね。



散策しながら駐車場へ。

義朝の首を洗ったと伝わる池は国内に変わり事が起こると血の色に染まるそうです👀



大マニ堂の中を覗いてびっくりしました。



きれい〜✨



そしてデカイ。

ぐるぐる回すのかなーり重たかったですよ。

オンマニバドマフンダッシュ



そして‥、



愛染明王と弁財天です。

念の為もう一度言います。

愛染明王と弁財天です。

※ 信仰です!


他に関連の場所いくつか行きました。

義朝謀殺の一報を受けて駆けつけた渋谷金王丸と謀反人の長田家が乱闘したという乱橋を抜けて‥、

乱橋跡


〝現場〟へ。

湯殿跡


立派な太刀を携えた大きな石像。



お風呂の跡が残ってるのもすごいけど近くには謀反を起こした長田父子が磔にされた松もあったりして、

平安末期・鎌倉時代から時間が止まっているような町なのでした。

またゆっくり来たいな。




■大御堂寺 

愛知県知多郡美浜町野間東畠55

■野間大坊

愛知県知多郡美浜町野間東畠50

■法山寺(湯殿跡)

愛知県知多郡美浜町野間田上50


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・どーでもいいはなし

野間大坊すごくおもしろかった。

ブログ書いてて思い出したけど、

うしろに巡礼の方がいて見送ったのは御朱印だけじゃなく弘法大師ご生誕1,250年の御朱印帳もあったのね。

知多四国八十八か所の御朱印帳なので東京住みじゃ回れないよなーっていうのと、

元からあるやつが明治時代から同デザインの白い表紙で激シブなのです。

あれからひと月近く経って、

(記念年だから記念印あるよな〜)

(まだ帳面あるのかな‥)

気になって製造元の半田中央印刷さんに電話したら「まだあるしこの電話で注文受けます」「買います」となってしまったw

今日あたりメール便で届きます。

そして知多半島ひとり旅が決まりました〜(不安)。